「なー、昨日お前車で帰ってただろ? 家近いんじゃなかったの?」
 早速次の日の放課後聞いてみると、蒼太はアホの子を見るような目つきで俺のことを見下ろしてきた。
「先輩、何年田舎に住んでるんですか? 家から一番近かったのがこの高校だったんですよ。他の高校だったら町を一つまたぐレベルです」
「あっ、確かに〜。てかじゃあいつも社長出勤?」
「いつもはバス通です。昨日は遅くなったので迎えに来てもらいました」
「だよな〜」
「先輩の家の近さは特例中の特例ですよ」
 そう言い捨てると、蒼太はいつも通りにノートに向かってかがみこんだ。
「毎日毎日ほんとよくやるよな〜。コツコツコツコツ」
「てか先輩こそ勉強しなくていいんですか? もうすぐ期末試験ですよね?」
「え〜? 試験の前に勉強なんかしたことないわ」
「それでよく二年生に上がれましたね」
「赤点取っても補習受ければ落第は免れるって救済措置がちゃんとあるから」
「救済なんか与えずビシバシ落として危機感を煽るべきですけどね」
「そんなことしたら俺のクラスメイトのほとんどがお前のクラスメイトになっちまうぞ。学校としてもはや成り立たないだろ」
 蒼太は呆れたように目だけぐるっと回して天井を見てから、気を取り直したようにカバンから一冊のノートを取り出した。
「おっ、なにそのノート。初めて見た」
「先輩、俺のノート逐一チェックしてるんですか?」
「ん〜? マンガ読むのに疲れたらたまにお前がちゃんと勉強してるかチェックしてる」
「先輩に勉強のチェックされるとか、俺の今までの人生で一番腹立つ事案なんですけど」
「おまっ! どんだけ今まで穏やかな人生送ってきてんだよ!」
 そのノートは手作りの問題集のようになっていて、シャーペンでびっしりと書かれた文章の間に空欄の括弧がいくつも入っていた。どうやら自作の穴埋め問題のようだ。
「すごいな。こんなのわざわざ作ってんのか?」
「学校の期末テストなんで、市販の問題集とは異なる問題が出るから、それに対応した問題集を自分で作らないといけないんです」
「あえて手書きで?」
「中学の頃からずっとやってるんで。自分で問題を作ればより定着率が上がりますし」
 そう言いながら、蒼太は一問目の空欄の中に数字を記入した。
「選択問題?」
「そうです。授業受けた感じ、ここは選択形式のテストになると思ったので」
「すごいな。でもそこ四番じゃね?」
「えっ?」
 蒼太は慌てて自作の回答をパラパラとめくって答えを見直した。
「嘘でしょ? どうして分かったんですか?」
「だってその武将、昨日読んでた歴史マンガに出てきてたもん」
「信じられない。マンガに負けるだなんて」
 マジで目の前に隕石が落ちてきたかのような表情をしている蒼太を見て、俺はこらえきれずにブフッと吹き出した。
「大げさだなぁ。たった一問間違えて、たまたまそれを俺が一回当てただけだってのに。百問中九十九問は絶対お前が正しいに決まってんじゃん」
「……そう、ですよね」
 うっかり動揺してしまった自分を恥じるように、蒼太はコホンと咳払いをしてから再び問題に向き直った。
「てかその問題、パソコンで作ったらいいんじゃね? その方が簡単に修正できるし」
「先輩、パソコンとか使えるんですか?」
「お前、ハッカーってなんもない田舎の国の人間が結構多いって知ってる? 奴らは他に娯楽がないから自然とパソコンオタクと化し、やがてそれを極めて凄腕ハッカーに成長するんだ」
「つまり先輩は凄腕の犯罪者であると」
「そこまで極めてはいないけど、ある程度は使えるよ」
 俺は蒼太のカバンから他の手作り問題集らしきノートを一冊ひょいっと取り上げた。
「どうせ暇だし、これパソコンで打ち出しといてやるよ」
「いや、先輩自分のテスト勉強して下さいよ」
「どーせ今からやったって間に合わねーよ」
 そう言って立ち上がると、俺は蒼太のノートを持って視聴覚室の使用許可を取りに職員室へと向かった



「……で、俺のおかげでどれくらい点数が上がったか、テスト結果を見せてもらおうか!」
「先輩のも同時に見せて下さい」
「お、俺の点数が気になる〜?」
「はい、何点取ったら補修になるのか知りたいんで」
「それがどっこい! なんと今回は補習は免れたのだよ!」
「え、どういう事ですか? 今日ってアルマゲドンの日かなんかですか?」
「地球が終わるレベルの話なの!? そこはせめて今日は槍でも降るんですかね〜的なレベルじゃね?」
「普通に槍が降ってきたら地球終わってると思うんですけど」
 とにかく、と気を取り直して、俺たちはせーのでお互いのテスト用紙をぱっと広げて公開した。
「うおっ! ゼロが二つ並んどる! 俺百点なんて初めて見たわ。噂には聞いたことあったけど、本当に存在したんだな」
「何俺のテスト用紙を都市伝説扱いしてんですか」
 そう言いながら、蒼太はメガネの奥の目を細めて俺のテスト用紙を覗き込んだ。
「……まあまあ悲惨に見えますけど、確かに赤点はギリ回避しているみたいですね」
「おうっ! これってでも蒼太のおかげなんだよな〜」
「えっ? 俺先輩に何も教えてませんけど」
「そうそう、そのせいで例の問三がせっかくテストに出たのに結局答えらんなかったんだぞ!」
「そんな逆ギレされても」
「まあ問三はいいとして、他の問題がお前の作った練習問題と被ってたやつがあってさ。俺それをパソコンに打ち込んだ時に見て覚えてたから、いつもよりちょっといい点数が取れたってわけ!」
「二年の期末テストなのに、一年の問題が出てるってどういうことですか」
 そう言いながらも、蒼太は少し感心したような目つきで珍しく俺のことを見ていた。
「でも、それだけで点数が上がるだなんて、先輩結構地頭はいいんじゃないですか?」
「あったりまえよ! 俺は将来偉業を成し遂げるような人物になるんだからな」
「前言撤回します。やっぱり頭の中お花畑みたいですね」
「このやろ〜! 俺が偉人になったら、ぜってーお前を召使いにしてこき使ってやるからな!」
 珍しく赤点でないテスト用紙をわさわさとかき集めていると、不意に蒼太が思いついたように声をかけてきた。
「先輩の言う、偉業を成し遂げる人間ってのは一体なんなんですか?」
「歴史マンガに載ってるような人間だよ! 天下を取った武将とか、ノーベル賞を取った学者とか」
「じゃあ看護師は?」
「看護師?」
「ナイチンゲールだって歴史マンガに載ってる人物じゃないですか」
「クリミアの天使か〜。それは盲点だったわ」
 蒼太も自分のテスト用紙を集めながら、まだ日の光の明るい窓の外を見るともなくぼんやりと眺めていた。今日は期末テストも終わって生徒を労うデー! とかいう建前で、実際は先生たちが打ち上げに行きたいがために午前で授業は終了という、ゆる〜いうちの高校ならではの半日授業の日となっていた。
「蒼太は? 将来の夢とかバッチリ決まってんの?」
「……俺はまだ、特に決まってません」
「意外だな〜。しっかり大学行く準備はしてるのに、なりたいものはまだ決まってないんだ」
「その点においては、言いたくはありませんが先輩より劣っています」
「ぶはっ! いやいや、俺なんか漠然と偉人になりたいって大口叩いてるだけだし。じゃあ何になるの? ってとこまで決まってない上に、なんの勉強も始めてないし。お前の方がよっぽど堅実に将来に備えてるだろ」
「でも……漠然としてても、心からなりたいものがあるって言えるのは、なんだか羨ましいです」
「え〜、何? 珍しく素直じゃん」
 わしゃわしゃっと蒼太の濃い黒髪を大げさに撫でると、彼はようやくいつも通りの人をバカにしたような仏頂面に戻った。
「よし! 赤点も回避できたことだし、今日はこの先輩様が可愛い後輩に昼飯を奢ってやろう!」
「奢ってやるって、この辺ファミレスどころかコンビニすらありませんけど、どこで奢ってくれるって言うんですか?」
「ファミレスがないならあるところまで行けばいい! 隣町に出かけよう!」
 俺たちの住んでいる町には、こじんまりとしたマイナーなスーパーか、平日のほとんどが定休日のオーナーが趣味でやっているようなカフェぐらいしかないが、隣の町はここより少しは栄えていて、衣料品なども売っている大型スーパーやファストフード店も存在した。
「今からですか? 完全にお昼過ぎちゃいますけど」
「じゃあブランチにすればいいだろ?」
「ブランチって朝と昼を一緒にするやつですよ」
「じゃあスランチで」
「スランチ?」
「スナックとランチ」
「ただの昼飯とデザートじゃないですか」
 そう言いながらも、蒼太は素直にカバンを担いで俺の後についてきた。
(賢そうに見えても、やっぱり脳みその半分以上を食欲が占めてる男子高校生だな。メシを奢ってやるって殺し文句はちゃんとこいつにも効くみたいだ)
 煉瓦造りの風情のある無人駅に着くと、蒼太は俺の先に立って時刻表を確認してくれた。
「先輩! 電車一時間後に来るみたいです!」
「よし! いいタイミングだ!」
 隣町行きの電車は一日三本しか出ていない。思いつきでふらっとやって来たにもかかわらず、そのうちの一本を一時間前にキャッチできたのなら上出来だろう。
 駅のベンチに並んで腰掛けて、線路の向こうの葉の落ちた茶色い山を眺めながら、俺はふと気になって隣の蒼太の秀麗な顔を見上げた。
「そういえば、期末テスト後の打ち上げとかクラスでなかったの?」
「あー、そういえばなんか騒いでる連中はいたかもです」
「お前俺と来て良かったの? 友達との集まりに顔出した方が良かったんじゃね?」
「いませんよ。友達なんか」
「えっ?」
「俺の世界に入って来たのは、先輩が初めてです」
 一瞬、ドキンッと心臓が跳ねた気がした。なんでか分からないけど。
(そ、そうだよな。うちバカ高だし。こいつと気の合うようなクラスメイトなんかいるわけないか)
 俺の世界、とか、先輩が初めて、とか、こいつがなんか大げさな言い方をするもんだから、きっと予想外の言葉に心臓がビックリして飛び上がっちまったんだろう。
「……ってかじゃあ彼女は? あ、今はいないんだっけ。元カノとかは?」
「いませんよ。彼女いない歴イコール年齢なんで」
「ウッソだろ? その顔で?」
「興味なかったんです。勉強ばっかりしてて、時間もなかったですし」
「勿体ねえなぁ〜」
 そう言いながらも、俺は無意識に口角が上を向くのを抑えきれずにいた。
 なんだろう、この泡立つような、くすぐったいような気持ちは。先輩が初めてです、だなんて、『あなたが特別です』とでも言われているような気がして、ついつい舞い上がっちまいそうになるじゃんかよ。きっと口を開けば八割型は俺のことをけなしているような奴だから、ちょっと肯定的なことを言われたらギャップ萌えの威力が常人の何倍にも跳ね上がるんだろう。
 こいつの世界に入れる人間が、俺が最初で最後ならいいのに、なんて考えちまうのは、先輩として失格なんだろうか?