次の日の放課後、蒼太はまた昨日と同じ図書室の窓際の席に座って、一人ノートに俯きながらシャーペンを走らせていた。
「よっ! 一日ぶり!」
二カッと笑顔で声をかけると、蒼太はあいかわらず迷惑そうに俺のことを振り返った。
「また来たんですか?」
「だって昨日約束しただろ? また明日なーって」
「一方的な押し付けは約束とは言いません」
「なーなー、問三の答え教えてくれよ。今日も解けなかったからまた担任がカンカンでさ〜」
「だから答え聞いてどうするんですか」
蒼太はため息をつくと、昨日と同じように教科書とノートを閉じてカバンに収め始めた。さすがに二回目なので俺も学んでおり、慌てることなく机に置いてあった歴史マンガを手に取って蒼太の後について行った。
昨日と全く同じ動きでガラッと自習室の扉を開けた蒼太だったが、部屋の中を見た瞬間ピタリとその場に固まった。
「……え?」
「どーよ! 昨日よりずっと住みやすそうになってるだろ?」
昨日蒼太の背中を窓から見送った後も、俺はしばらく自習室に残って掃除を続けていた。掃除ってのは汚い部屋であればあるほど、その成果が目に見えて達成感を感じるせいかついついハマってしまう。窓を全開にして淀んだ空気を外の綺麗な空気と全て入れ替え、埃を掃き出して机も床もロッカーの上も全て水拭きしたら、曇っていたガラスがクリアになったかのように、ぼやけていた自習室内の風景も心なしか鮮明に見えるようになった気がした。
「……ここに住み着くつもりなんてありませんよ」
「長い時間を過ごす場所って、もう住んでるようなもんだろ〜?」
「なんでここで長い時間を過ごす前提になってるんですか?」
「え〜? だってお前、放課後勉強できる場所を探してたんだろ?」
「別に図書室でよかったんですよ。先輩が邪魔しに来なければ」
「でも図書室って静かすぎて気ぃ使わね? せっかく誰もいない自習室を自由に使えるんだから、断然こっちの方がいいと思うんだけど」
蒼太は綺麗に埃の拭き取られた机を指先でそっとなぞりながら、ようやくボソリと呟いた。
「それは、確かにそうですね」
「だろ〜? 俺のおかげで快適な勉強場所を手に入れられたんだぞ。お礼は問三の答えでいいから」
「教えません」
蒼太はバッサリとそう言い切ると、机に教科書とノートを広げてさっさと勉強を始めてしまった。仕方がないので、俺は恨みがましく蒼太を見てから自分も持って来た歴史的マンガを広げて読み始めた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。気がつくと窓の外は日が落ちて真っ暗になっていた。そして俺はいつのまにかマンガの上に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
「……あたたた」
歴史マンガの硬い表紙に張り付いた頰を引きはがすように上半身を起こした時、何かがするっと俺の肩から滑り落ちた。
「あれ?」
それは灰色のタータンチェックの、女子が使うみたいな膝掛けだった。
「え、蒼太、もしかしてこれ掛けてくれた?」
薄手の毛布みたいな膝掛けを拾いながらそう尋ねると、蒼太はチラッとこちらを見てから再びノートに視線を落とした。
「先輩、よくこんな寒い部屋で寝られますね。普通に雪山で凍死するタイプですよ」
「さすがにそこまで寒かったら寝られねーわ! ってか、ありがとう。なんだよ、優しいとこあんじゃん」
膝掛けに包まってお礼を言いながら、俺は自習室の壁際を一通りぐるっと見回した。
「昨日も探したんだけどさ、この部屋エアコン付いてないんだよね」
「使われなくなったから取り外したんじゃないですか?」
「自習室として開放したんならもう一回付けるべきだろ〜」
「使ってるの俺たちだけなんで無理ですね」
「エアコン付いたらみんな使うようになるかもしれないだろ?」
俺のその言葉を聞いた瞬間、ピクッと蒼太のシャーペンを持っている指先が反応した。
(あ……)
「……ま、まあ、放課後まで勉強したがるような生徒なんてお前くらいだしな。エアコンは諦めるか〜」
(そうだよ、誰もいない自習室をせっかく独占できてるのに、わざわざ人を増やしたくなんかないよな。こいつは特にちょっと神経質そうだし)
俺は蒼太の隣に座りながら会話の話題を変えた。
「お前いつもこんな膝掛け持ち歩いてるの?」
「教室に置いてたのを取ってきたんです」
「いつも教室に置いてるんだ?」
「俺、風邪引きたくないんで」
風邪引きたくないから持ってきた膝掛けなのに、それを自分で使わずに俺に掛けてくれたのか?
(なんだよ、ちょっと可愛いじゃんか)
俺は包まっていた膝掛けをぱっと開くと、そのまま横からえいっと蒼太に抱きついた。
「うわっ! ちょっと何するんですか!」
「凍死しないように暖を取るの!」
蒼太のまだ一年間使われていないくっきりと黒い学ランは、新品の名残りの残る一年生の匂いがした。
「ちょっと暑いんですけど! 先輩体温高くないですか?」
「ああ、別に風邪とか引いてるわけじゃないよ。なんか昔から平熱高めだったみたい」
慌てた様子の蒼太は心なしか頰が上気して赤くなっているように見えて、俺はイタズラ心をくすぐられてますますぎゅうっと強く彼の胸に抱きついた。
「……蒼太、いい体してんね」
「風邪引かない体を作るために毎日運動してるんです!」
力強い腕でベリッと彼の体から引き剥がされて、俺は再び一人で膝掛けに包まりながらジトっとした目で蒼太を見た。後輩のくせに俺より背も高いしガタイもいい。力では絶対敵わないな。さすがにちょっと悔しい。
「蒼太ってほんと真面目だな〜……って、それもしかして赤本!?」
ペラペラの赤い表紙の辞書みたいに太い鈍器を見つけて、俺は思わず感激の声を上げていた。
「やべぇ! 俺初めて見た!」
「先輩二年生ですよね?」
「俺や俺の周辺が大学入試の事なんか考えてると思うか?」
「そうでしたね」
「すごいな〜。まだ一年なのにもう行きたい大学決まってんのか〜」
「別に、まだ決まってませんよ」
「え? この赤本の大学に行きたいんじゃないの?」
俺が鈍器を持ち上げながら尋ねると、蒼太は一瞬だけチラッと俺と赤い鈍器を見た。
「とりあえず参考に買ってみただけです。その大学を今から目指すと決めているわけじゃありません」
「ひえ〜、大学決まってないのに赤本買うとか、どんだけ意識高いの?」
俺は赤い鈍器を蒼太の机にドサリと戻した。と、その拍子に机の端に置いてあった彼の筆箱がガチャンと落ちて、中に入っていたものがバラバラッと床に散らばった。
「あっ! ごめん!」
慌てて俺は机の下に潜り込むと、ぶちまけてしまった蒼太の筆箱の中身を拾い集めた。
「シャーペン、消しゴム、ボールペン、消しゴム、シャー芯、消しゴム、消しゴム、消しゴム……って、消しゴム多すぎだろ! 一体何個持ってんだよ!」
「別にいいでしょ、何個持ってたって」
「にしても多すぎ……あ、分かったぞ!」
俺は落ちている消しゴムの一つをぱっと手に取ると、ニヤニヤしながら消しゴム入れに指をかけて蒼太を見た。
「消しゴムを大量に持ち歩いている理由はズバリ! 恋のおまじないをしているからだ!」
「は?」
「消しゴムに好きな子の名前を書いて、使い切ったら両思いになれるっておまじないだよ!」
「どうしてそれが大量の消しゴムを持ち歩いている理由になるんですか?」
「ここに消しゴムが五つあるってことは、好きな子が五人いるということなんだろう」
「好きな子が五人って、どんなプレイボーイですか!」
「お前はモテそうだからな。彼女が五人いてもおかしくはない」
「残念ながら一人もいませんよ」
うんざりしたような口調でそう言うと、蒼太は俺の手から消しゴムをさっと取り上げた。
「てか先輩こそ彼女とかいないんですか?」
「俺? それが意外とモテないんだよな〜」
「まあ予想通りでしたね」
「何でだよ!」
「俺に付きまとってるような暇人に彼女なんかいるわけないでしょ」
「くっそ〜、正論すぎて何も言い返せねぇ」
他の消しゴムのケースを外して誰かの名前が書いていないか確認してやろうかと思ったが、俺はすぐに思い直してそれらを筆箱にしまった。確か恋を成就させるには、誰にも中身を見られてはいけないはずだったから。
(蒼太は否定してたけど、万が一マジで名前が書いてあったらまずいからな。俺のせいで恋が成就しなかったなんてことになったら後味悪いし)
「……先輩、もう外真っ暗ですし、そろそろ帰りましょう」
「えっ? ああ、そうだな」
「家まで送りますよ」
「うん……えっ! なんで?」
蒼太があまりにも自然な流れでそう言ってきたため、俺は最初何も疑問に思わずにうっかりそのままその言葉を受け入れそうになった。
「先輩、その頭で一人で歩いてたら絡まれそうじゃないですか」
「俺一年の時からずっとこの頭だけど、絡まれた事なんか一回もないんだけど」
「今までそうだったからって、今日も絡まれないとは限りませんよ」
「そりゃそうだけど……」
女子みたいに送ってもらうだなんて(しかも後輩に)どうかと思ったが、俺の脳はすぐにポジティブな思考に切り替わった。
(まあでも一緒に帰ればそれだけ長く一緒にいられるわけだし……)
もっと蒼太のことを知りたい。いい意味で緩やか、悪い意味でぼんやりと流れていた俺の世界に突如として現れた、彗星みたいなこの後輩のことを。
改めて並んで歩くと、蒼太は俺より大分背が高いことに気がついた。俺が173、4センチくらいだから、178とかはありそうだ。やっぱりちょっと悔しい。
「俺ん家割とすぐ近くでさ。それがこの高校選んだ理由なんだ」
「そうなんですね」
「バッカお前! 本当はここしか受かるような高校がなかったからだって」
「それは納得です」
田舎は夜の匂いが濃厚だ。草木の間を渡ってきた冷たい風は、土の匂いが染み込んでいるかのように甘く感じる。
「蒼太はなんでうちの高校に?」
「家が近かったからです」
「お前のはマジだよな〜。ほら、マンガでよくある、なんでこんな弱小高にバスケや野球の有名選手が!? みたいな状態だろ」
「先輩ほんとマンガばっかり読んでるんですね」
「だってマンガ面白いんだもん」
俺の家は本当に学校のすぐ近くで、蒼太との会話は長くは続かなかった。
「な? 言った通りだろ? これだけ近かったら絡まれる隙もないわ」
「よかったじゃないですか」
蒼太は俺が家に入るのを見届けるかのようにじっと玄関前で待っていたため、俺は何となく急かされるように玄関の扉からささっと中に入った。カバンを下ろして一息ついていた時、俺は大事なことを言い忘れていたことに気がついた。
(あっ、そういえば、また明日って言うの忘れてた)
もう蒼太はとっくに帰ってしまっているだろう。それでも一応俺は自分の部屋のある二階の窓から、外に彼の姿が見えないか覗いてみた。
(あれ、まだいた)
蒼太は俺の家の真ん前ではなく、少し学校の方へ戻った所にある広い通りで誰かと電話しているところだった。気になってしばらくの間見守っていたら、彼が佇んでいる街灯の下に白の軽自動車がすっと停まった。
(……え?)
蒼太の乗った自動車がブウーンと遠ざかって行くのを見ながら、俺は一人納得がいかずに首を傾げていた。
家が近かったんじゃなかったっけ?
「よっ! 一日ぶり!」
二カッと笑顔で声をかけると、蒼太はあいかわらず迷惑そうに俺のことを振り返った。
「また来たんですか?」
「だって昨日約束しただろ? また明日なーって」
「一方的な押し付けは約束とは言いません」
「なーなー、問三の答え教えてくれよ。今日も解けなかったからまた担任がカンカンでさ〜」
「だから答え聞いてどうするんですか」
蒼太はため息をつくと、昨日と同じように教科書とノートを閉じてカバンに収め始めた。さすがに二回目なので俺も学んでおり、慌てることなく机に置いてあった歴史マンガを手に取って蒼太の後について行った。
昨日と全く同じ動きでガラッと自習室の扉を開けた蒼太だったが、部屋の中を見た瞬間ピタリとその場に固まった。
「……え?」
「どーよ! 昨日よりずっと住みやすそうになってるだろ?」
昨日蒼太の背中を窓から見送った後も、俺はしばらく自習室に残って掃除を続けていた。掃除ってのは汚い部屋であればあるほど、その成果が目に見えて達成感を感じるせいかついついハマってしまう。窓を全開にして淀んだ空気を外の綺麗な空気と全て入れ替え、埃を掃き出して机も床もロッカーの上も全て水拭きしたら、曇っていたガラスがクリアになったかのように、ぼやけていた自習室内の風景も心なしか鮮明に見えるようになった気がした。
「……ここに住み着くつもりなんてありませんよ」
「長い時間を過ごす場所って、もう住んでるようなもんだろ〜?」
「なんでここで長い時間を過ごす前提になってるんですか?」
「え〜? だってお前、放課後勉強できる場所を探してたんだろ?」
「別に図書室でよかったんですよ。先輩が邪魔しに来なければ」
「でも図書室って静かすぎて気ぃ使わね? せっかく誰もいない自習室を自由に使えるんだから、断然こっちの方がいいと思うんだけど」
蒼太は綺麗に埃の拭き取られた机を指先でそっとなぞりながら、ようやくボソリと呟いた。
「それは、確かにそうですね」
「だろ〜? 俺のおかげで快適な勉強場所を手に入れられたんだぞ。お礼は問三の答えでいいから」
「教えません」
蒼太はバッサリとそう言い切ると、机に教科書とノートを広げてさっさと勉強を始めてしまった。仕方がないので、俺は恨みがましく蒼太を見てから自分も持って来た歴史的マンガを広げて読み始めた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。気がつくと窓の外は日が落ちて真っ暗になっていた。そして俺はいつのまにかマンガの上に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
「……あたたた」
歴史マンガの硬い表紙に張り付いた頰を引きはがすように上半身を起こした時、何かがするっと俺の肩から滑り落ちた。
「あれ?」
それは灰色のタータンチェックの、女子が使うみたいな膝掛けだった。
「え、蒼太、もしかしてこれ掛けてくれた?」
薄手の毛布みたいな膝掛けを拾いながらそう尋ねると、蒼太はチラッとこちらを見てから再びノートに視線を落とした。
「先輩、よくこんな寒い部屋で寝られますね。普通に雪山で凍死するタイプですよ」
「さすがにそこまで寒かったら寝られねーわ! ってか、ありがとう。なんだよ、優しいとこあんじゃん」
膝掛けに包まってお礼を言いながら、俺は自習室の壁際を一通りぐるっと見回した。
「昨日も探したんだけどさ、この部屋エアコン付いてないんだよね」
「使われなくなったから取り外したんじゃないですか?」
「自習室として開放したんならもう一回付けるべきだろ〜」
「使ってるの俺たちだけなんで無理ですね」
「エアコン付いたらみんな使うようになるかもしれないだろ?」
俺のその言葉を聞いた瞬間、ピクッと蒼太のシャーペンを持っている指先が反応した。
(あ……)
「……ま、まあ、放課後まで勉強したがるような生徒なんてお前くらいだしな。エアコンは諦めるか〜」
(そうだよ、誰もいない自習室をせっかく独占できてるのに、わざわざ人を増やしたくなんかないよな。こいつは特にちょっと神経質そうだし)
俺は蒼太の隣に座りながら会話の話題を変えた。
「お前いつもこんな膝掛け持ち歩いてるの?」
「教室に置いてたのを取ってきたんです」
「いつも教室に置いてるんだ?」
「俺、風邪引きたくないんで」
風邪引きたくないから持ってきた膝掛けなのに、それを自分で使わずに俺に掛けてくれたのか?
(なんだよ、ちょっと可愛いじゃんか)
俺は包まっていた膝掛けをぱっと開くと、そのまま横からえいっと蒼太に抱きついた。
「うわっ! ちょっと何するんですか!」
「凍死しないように暖を取るの!」
蒼太のまだ一年間使われていないくっきりと黒い学ランは、新品の名残りの残る一年生の匂いがした。
「ちょっと暑いんですけど! 先輩体温高くないですか?」
「ああ、別に風邪とか引いてるわけじゃないよ。なんか昔から平熱高めだったみたい」
慌てた様子の蒼太は心なしか頰が上気して赤くなっているように見えて、俺はイタズラ心をくすぐられてますますぎゅうっと強く彼の胸に抱きついた。
「……蒼太、いい体してんね」
「風邪引かない体を作るために毎日運動してるんです!」
力強い腕でベリッと彼の体から引き剥がされて、俺は再び一人で膝掛けに包まりながらジトっとした目で蒼太を見た。後輩のくせに俺より背も高いしガタイもいい。力では絶対敵わないな。さすがにちょっと悔しい。
「蒼太ってほんと真面目だな〜……って、それもしかして赤本!?」
ペラペラの赤い表紙の辞書みたいに太い鈍器を見つけて、俺は思わず感激の声を上げていた。
「やべぇ! 俺初めて見た!」
「先輩二年生ですよね?」
「俺や俺の周辺が大学入試の事なんか考えてると思うか?」
「そうでしたね」
「すごいな〜。まだ一年なのにもう行きたい大学決まってんのか〜」
「別に、まだ決まってませんよ」
「え? この赤本の大学に行きたいんじゃないの?」
俺が鈍器を持ち上げながら尋ねると、蒼太は一瞬だけチラッと俺と赤い鈍器を見た。
「とりあえず参考に買ってみただけです。その大学を今から目指すと決めているわけじゃありません」
「ひえ〜、大学決まってないのに赤本買うとか、どんだけ意識高いの?」
俺は赤い鈍器を蒼太の机にドサリと戻した。と、その拍子に机の端に置いてあった彼の筆箱がガチャンと落ちて、中に入っていたものがバラバラッと床に散らばった。
「あっ! ごめん!」
慌てて俺は机の下に潜り込むと、ぶちまけてしまった蒼太の筆箱の中身を拾い集めた。
「シャーペン、消しゴム、ボールペン、消しゴム、シャー芯、消しゴム、消しゴム、消しゴム……って、消しゴム多すぎだろ! 一体何個持ってんだよ!」
「別にいいでしょ、何個持ってたって」
「にしても多すぎ……あ、分かったぞ!」
俺は落ちている消しゴムの一つをぱっと手に取ると、ニヤニヤしながら消しゴム入れに指をかけて蒼太を見た。
「消しゴムを大量に持ち歩いている理由はズバリ! 恋のおまじないをしているからだ!」
「は?」
「消しゴムに好きな子の名前を書いて、使い切ったら両思いになれるっておまじないだよ!」
「どうしてそれが大量の消しゴムを持ち歩いている理由になるんですか?」
「ここに消しゴムが五つあるってことは、好きな子が五人いるということなんだろう」
「好きな子が五人って、どんなプレイボーイですか!」
「お前はモテそうだからな。彼女が五人いてもおかしくはない」
「残念ながら一人もいませんよ」
うんざりしたような口調でそう言うと、蒼太は俺の手から消しゴムをさっと取り上げた。
「てか先輩こそ彼女とかいないんですか?」
「俺? それが意外とモテないんだよな〜」
「まあ予想通りでしたね」
「何でだよ!」
「俺に付きまとってるような暇人に彼女なんかいるわけないでしょ」
「くっそ〜、正論すぎて何も言い返せねぇ」
他の消しゴムのケースを外して誰かの名前が書いていないか確認してやろうかと思ったが、俺はすぐに思い直してそれらを筆箱にしまった。確か恋を成就させるには、誰にも中身を見られてはいけないはずだったから。
(蒼太は否定してたけど、万が一マジで名前が書いてあったらまずいからな。俺のせいで恋が成就しなかったなんてことになったら後味悪いし)
「……先輩、もう外真っ暗ですし、そろそろ帰りましょう」
「えっ? ああ、そうだな」
「家まで送りますよ」
「うん……えっ! なんで?」
蒼太があまりにも自然な流れでそう言ってきたため、俺は最初何も疑問に思わずにうっかりそのままその言葉を受け入れそうになった。
「先輩、その頭で一人で歩いてたら絡まれそうじゃないですか」
「俺一年の時からずっとこの頭だけど、絡まれた事なんか一回もないんだけど」
「今までそうだったからって、今日も絡まれないとは限りませんよ」
「そりゃそうだけど……」
女子みたいに送ってもらうだなんて(しかも後輩に)どうかと思ったが、俺の脳はすぐにポジティブな思考に切り替わった。
(まあでも一緒に帰ればそれだけ長く一緒にいられるわけだし……)
もっと蒼太のことを知りたい。いい意味で緩やか、悪い意味でぼんやりと流れていた俺の世界に突如として現れた、彗星みたいなこの後輩のことを。
改めて並んで歩くと、蒼太は俺より大分背が高いことに気がついた。俺が173、4センチくらいだから、178とかはありそうだ。やっぱりちょっと悔しい。
「俺ん家割とすぐ近くでさ。それがこの高校選んだ理由なんだ」
「そうなんですね」
「バッカお前! 本当はここしか受かるような高校がなかったからだって」
「それは納得です」
田舎は夜の匂いが濃厚だ。草木の間を渡ってきた冷たい風は、土の匂いが染み込んでいるかのように甘く感じる。
「蒼太はなんでうちの高校に?」
「家が近かったからです」
「お前のはマジだよな〜。ほら、マンガでよくある、なんでこんな弱小高にバスケや野球の有名選手が!? みたいな状態だろ」
「先輩ほんとマンガばっかり読んでるんですね」
「だってマンガ面白いんだもん」
俺の家は本当に学校のすぐ近くで、蒼太との会話は長くは続かなかった。
「な? 言った通りだろ? これだけ近かったら絡まれる隙もないわ」
「よかったじゃないですか」
蒼太は俺が家に入るのを見届けるかのようにじっと玄関前で待っていたため、俺は何となく急かされるように玄関の扉からささっと中に入った。カバンを下ろして一息ついていた時、俺は大事なことを言い忘れていたことに気がついた。
(あっ、そういえば、また明日って言うの忘れてた)
もう蒼太はとっくに帰ってしまっているだろう。それでも一応俺は自分の部屋のある二階の窓から、外に彼の姿が見えないか覗いてみた。
(あれ、まだいた)
蒼太は俺の家の真ん前ではなく、少し学校の方へ戻った所にある広い通りで誰かと電話しているところだった。気になってしばらくの間見守っていたら、彼が佇んでいる街灯の下に白の軽自動車がすっと停まった。
(……え?)
蒼太の乗った自動車がブウーンと遠ざかって行くのを見ながら、俺は一人納得がいかずに首を傾げていた。
家が近かったんじゃなかったっけ?


