放課後は、内緒の幼馴染。

「お客さん。すみません。キャストへのお触りは禁止となります。他のお客さんもいるのでお控えください」

 早口になっている自覚があり僕の心臓がばくばくする。ちゃんと伝わっただろうかと女性を見ると、さらにご立腹の様子で僕の肩をどん、と押してきた。

「うるせえな。このクソ運営が!」

 僕はその場に尻もちをついてしまう。封印したはずの記憶が蘇ってきてしまいそうで手のひらを爪が食い込むまで握りしめた。

 大丈夫。大丈夫。
 
 あの時とは違う。これは、あの日──村野と三上にされたいじめじゃない。

 自分に必死に言い聞かせるようにして胸辺りの服をぎゅっと握る。女性の怒鳴り声に教室内の温度が一気に氷点下に下がった。女性は近くのテーブルの上に置いてあったコーラの缶を空けると、僕の頭にかけてきた。

「……っ!」

「ねえ。ちょっとそれやりすぎじゃない!」

 空気を変えたのは西園寺さんだった。ズカズカと女性に近寄るとコーラの缶をひったくり僕と女性の間に割って入った。

 僕はびちゃびちゃと頭から伝う冷えたコーラがまるで冷水を浴びせられたかのように心の熱まで奪っていくのを感じていた。

 クーラーで冷やされた教室内が肌寒く感じるほどに僕は怯えていた。微かに震える肩を自分で抱き寄せながらゆっくりと立ち上がろうとする。

 けれど突然のことに驚いて力が出ず立てない。西園寺さんが女性に出禁を言い渡して教室の外へ追い出す。それを見たお客さんやキャストから指笛や歓声が上がる。けれどそんな空気とは裏腹に僕の心は氷のように冷たく固まったままだった。

「睦。大丈夫?」

 大きな影が目の前にできた。頭上から降りそそいできたのは玲乃の声だった。静かに顔を上げる。目が合った。玲乃の目が獣のように薄められた。

 あ。この目──玲乃すごく怒ってる目だ。

 僕は嗄れた声でなんとか返事をする。

「……うん。びっくりしちゃって。コーラかけられたことなんてないから。大丈夫。少しすれば立てるよ」

 上手く笑えていただろうか。僕はひくりと頬を上げて笑顔を浮かべたつもりだ。玲乃の身に纏う空気が一気に暗転した。僕の視界が反転する。気づけば、玲乃にふわりと身体を抱き寄せられていた。

 僕をお姫様抱っこすると玲乃は西園寺さんにこう言い放つ。

「だるいから休憩行くわ」

「わかった。1時間ね」

 西園寺さんも状況を察してか玲乃の行動にすんなりと許可を与えた。玲乃にお姫様抱っこされたまま廊下を渡り階段を降りているといくつもの視線を感じた。羨望や嫉妬、憧憬など目線。逃げ場のない視線にさらされ、僕は顔を俯かせた。

「玲乃、恥ずかしいし、衣装汚れちゃうからもう下ろして」

 僕の必死の懇願にも玲乃は微動だにしない。

「だーめ。我慢して」

 玲乃は保健室の扉を叩く。中から冷えピタをおでこに貼った佐藤先生が顔を出した。

「……またこのペアか。守須。びしょびしょじゃないか。何があった?」

 ここでようやく玲乃は僕のことを保健室のベッドに下ろした。僕は慌てて玲乃の衣装を見つめたが幸いコーラが染みてはいなさそうだ。

「少しお客さんとトラブっちゃって、コーラかけられちゃっただけなので大丈夫です。タオル借りてもいいですか?」

 佐藤先生は渋い顔のままタオルを差し出してくれた。それで顔周りや髪の毛を拭いていると玲乃がベッドの隣に腰掛けてきた。思わず少し離れると玲乃がタオルを奪い取ってわしゃわしゃと頭を拭いてきた。

「あー。悪いな2人とも。熱中症気味の生徒が出たから救護に向かう。しばらく休んでろ」

 そう言い残すと佐藤先生は颯爽と保健室を出ていった。扉が閉まる音が聞こえてから玲乃が僕の頬をむにゅ、と掴んで強制的に目を合わせられる。

「睦が助けてくれたのすごい嬉しかった。けど無理はしないで」

 むにむにと頬をつままれ僕はこくんと頷いた。玲乃はようやくいつも見せてくれる穏やかな瞳に戻った。

「あの人玲乃のファンだったのかな」

「あんなのファンじゃないよ。ただの迷惑客」

 僕の素朴な疑問を玲乃が一刀両断する。こういうグレーにせず白黒はっきりつける芯のブレない姿に幼い頃から憧れていた。

「はー。かなり労働したなー」

 ぼふ、と玲乃が保健室のベッドに横たわる。確かに玲乃は1日中立ちっぱなしでお客さんの相手をしていて大変そうだった。

「今日は玲乃と西園寺さん目当てのお客さんで行列ができてたよ。九重くんのSNS運用の集客も成功してるし文化祭1日目いいスタートだね」

 じとーっとした目で玲乃が見上げてくる。僕は

「何か変なこと言っちゃったかな」

 と曖昧に笑ってみせる。

「……少しここで休まないと頑張れそうにないなあ」

 不意に玲乃がしょんぼりとした顔で呟いた。

「西園寺さんから1時間休憩もらったし、保健室で休んでいようよ。僕はコーラも拭けたから自分の仕事に戻らなくちゃ」

 立ち上がろうとした僕の腰を玲乃が足で抑え込む。シフォンメイド服のスカートの隙間から雪うさぎのような白い足がのぞいて目を逸らした。目線をどこに置いていいか迷う。

「睦がいればエネルギーチャージできるんだけどなあ」

「……わかったよ」

 甘える声に僕は素直に降参した。

「ほら。おいで」

 いつもは玲乃の部屋でやっている甘えたモードがONになっているのを見て、僕は学校でそういうことをするのは大丈夫なのかと心配になる。

 しかし玲乃が笑顔のままフリーズして動かないので渋々玲乃の身体にふわりと飛び込んだ。ぎゅーっと腰を抱き寄せられ服越しに熱が伝わる。突然、玲乃が僕の頬に顔を寄せてくすぐったい感触がした。熱くて柔らかいものが頬に触れた気がした。

「ふぇ?」

 思わず変な声が洩れた僕に玲乃は

「睦の頬っぺ、コーラの味する」

 と眠たげに呟いてから目を閉じて寝入ってしまった。

 なんなの一体……。

 僕は火照る頬に手を置いて耳まで赤くさせて玲乃の休憩時間が終わるまで抱きしめられていた。