ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り響いた。僕は姿見で自分の服装をチェックしつつ廊下を進む。
「あら。玲乃くん? 高校生になっても仲良しさんでいいわねえ」
珍しく土曜日の午後出勤のお母さんが遅い昼食のトーストをかじりながら言う。時刻はちょうど午後1時。玲乃が迎えに来ると約束してくれた時間だった。
「家が隣だからね。今年は同じクラスになれたし、母さんが家にいない日も玲乃の部屋でテスト勉強とかしてるよ」
去り際に残した言葉にお母さんは思ったより食いついた。
「まあ。そうなの。じゃあお菓子とか飲み物とか今度持っていきなさいね」
お母さんは財布から5000円札を1枚抜き取ると睦に差し出してきた。
「いや、いいよ」
控えめに断ろうとすればお母さんは僕の手を引っ張って手のひらにお札を無理やり載せた。
「玲乃くんとご飯行ってきなさい。私の奢りよ」
ふふ、と微笑むお母さんに僕も反射的に微笑んだ。
「ありがとう。玲乃と何か食べてくる。じゃあ出かけてくるね」
「いってらっしゃい。玲乃くんにもよろしくね」
「うん」
玄関先でスニーカーを履いてドアを開く。黒いグラデーションのかかったサングラスをかけた玲乃が直立不動で待っていた。
「おはよ」
「おはよう」
僕は歩き出した玲乃の後ろにぴったりとくっつきながらマンションの外に出た。目の前に1台のタクシーが待っているのを見ていると、そのドアが自動で開いた。
「さ。乗って」
玲乃に勧められるままタクシーに乗り込む。玲乃も座席に腰掛けると運転手に地図アプリを見せて行き先を伝えていた。ドアが閉まりゆっくりとタクシーが走り出す。タクシーの中は冷房が効いていてちょうどよい涼しさに僕は感じた。
「その洋服まだ着てくれてるんだ」
不意に玲乃が僕の肩をつんつんと押してきた。
「ああ。これ? 玲乃が中3の誕生日にくれたやつだよ。白いTシャツって季節問わず何にでも合うからすごい助かってる」
感謝を伝えると玲乃は唇をにんまりと緩ませて僕を見つめてくる。
「でも少しぴちぴちになってるね。背伸びたんじゃない?」
玲乃に肩周りを触れられて僕はいつものように心音が激しくなるのを感じてそれとなく逃げるように身体を離す。
「そうかな。4月の健康診断だと170センチだったよ。はあ。僕も玲乃みたく背が高かったらなあ」
途端にぶっ、と玲乃が吹き出して笑う。何がおかしいのか気になった僕は玲乃に詰め寄る。
「なんで笑ってるの?」
「ごめんごめん。そんなむっとした顔かわいいからダメ。俺は両親とも背が高いから遺伝だよ。睦が俺と同じく186センチもあったら怪獣ごっこになっちゃうよ」
サングラスを外し、目尻の笑い涙を指先で掬いつつ玲乃は微笑んできた。窓の外から流れる街並みは都会の中心部に迫ってきていて、人も空も密度がぎゅっと詰まっているようだった。
「よし。着いたよ」
タクシーから降りると3階建てのビルが目に入った。
その1階のフロアが今回玲乃が予約した美容院らしい。美容院慣れしていない僕は詳しいことは玲乃に任せることにした。玲乃が受付を済ませると数分もせず席へ案内された。幸い、玲乃と隣の席だったので安心する。2人の美容師が挨拶をしてくれた。
「こんにちは。ご来店ありがとうございます。玲乃くんの担当美容師の店長の真島です。今日は玲乃くんのお友達もご紹介していただきありがとうございます」
金髪のスパイキーショートの髪型の真島さんという美容師はいかにもなチャラ男美容師だったが、言葉遣いが丁寧だった。
するともう1人の女性の美容師が睦の隣に控えて挨拶をする。
「こんにちは。本日アシスタントとして入らせていただきます。華宮です。メンズカットが得意なのでぜひ一緒にお好みのスタイルを再現できればと思います。よろしくお願いします」
華宮さんはくびれのある茶髪のロングヘアの若い女性だった。フレッシュな挨拶に僕もしっかり頭を下げる。
「玲乃くんはリタッチかな? 色は同じでいい?」
早速、隣の席では真島さんが玲乃の髪の毛に触れながら施術内容を確認している。
「はい。リタッチと同じ色でお願いします。あと、睦なんですけど」
突如、玲乃が僕のほうへ意識を移したのを見て華宮さんと真島さんがじっと僕を見つめてきた。
顔を見られているのではなくて、あくまでも髪型を見られているとわかっていても初対面の人にじっと見られるのは緊張してしまう。
僕は変な汗をかかないようにと手のひらを固く握りしめる。
「この写真の感じで、前髪はシースルーマッシュで、カラーなしで地毛のままシャンプーとトリートメント、ヘッドスパでお願いします。いいよね? 睦」
魔法の呪文のように聞きなれないワードに囲まれて僕は内心おろおろと慌てたが、玲乃が見せてくれたイメージ写真の髪型はまだチャレンジしたことがなくて素直にやってみたいなと思った。
「はい。玲乃の言った通りでお願いします……!」
「わかりました。じゃあ華宮さん。よろしくね」
玲乃の担当の真島さんが華宮さんに声をかける。すると華宮さんは僕の後ろから実際に髪の毛に触れてイメージを教えてくれた。
1時間半後同じタイミングで施術の終わった2人はそのまま夕食を食べて帰ることにした。玲乃がおすすめだと言う洒落たイタリアンのお店に入る。
「結構髪の毛すっきりしたでしょ。特に前髪がいい感じに抜け感出てる」
レンガ調の壁紙の店内のテーブル席で料理を待っていると、玲乃が興味深そうに僕の髪の毛に触れてきた。その距離が近くて、上手く息ができなくなる。
「玲乃の提案のおかげだよ。僕、こういう髪型にするの初めてだけど似合ってるかな?」
少し得意げに顔を傾けてみた。
「っ」
すると、息を飲み込む音と同時に玲乃がむせたのでお冷を手渡して飲ませる。ごほごほしてる背中をとんとんとさする。
「大丈夫?」
「……うん。ちょっとむせた。かなり似合ってるよ。メンズアイドルみたい」
玲乃は、ふふと笑った。
その笑顔の意味を、僕はまだ知らなかった。
「あら。玲乃くん? 高校生になっても仲良しさんでいいわねえ」
珍しく土曜日の午後出勤のお母さんが遅い昼食のトーストをかじりながら言う。時刻はちょうど午後1時。玲乃が迎えに来ると約束してくれた時間だった。
「家が隣だからね。今年は同じクラスになれたし、母さんが家にいない日も玲乃の部屋でテスト勉強とかしてるよ」
去り際に残した言葉にお母さんは思ったより食いついた。
「まあ。そうなの。じゃあお菓子とか飲み物とか今度持っていきなさいね」
お母さんは財布から5000円札を1枚抜き取ると睦に差し出してきた。
「いや、いいよ」
控えめに断ろうとすればお母さんは僕の手を引っ張って手のひらにお札を無理やり載せた。
「玲乃くんとご飯行ってきなさい。私の奢りよ」
ふふ、と微笑むお母さんに僕も反射的に微笑んだ。
「ありがとう。玲乃と何か食べてくる。じゃあ出かけてくるね」
「いってらっしゃい。玲乃くんにもよろしくね」
「うん」
玄関先でスニーカーを履いてドアを開く。黒いグラデーションのかかったサングラスをかけた玲乃が直立不動で待っていた。
「おはよ」
「おはよう」
僕は歩き出した玲乃の後ろにぴったりとくっつきながらマンションの外に出た。目の前に1台のタクシーが待っているのを見ていると、そのドアが自動で開いた。
「さ。乗って」
玲乃に勧められるままタクシーに乗り込む。玲乃も座席に腰掛けると運転手に地図アプリを見せて行き先を伝えていた。ドアが閉まりゆっくりとタクシーが走り出す。タクシーの中は冷房が効いていてちょうどよい涼しさに僕は感じた。
「その洋服まだ着てくれてるんだ」
不意に玲乃が僕の肩をつんつんと押してきた。
「ああ。これ? 玲乃が中3の誕生日にくれたやつだよ。白いTシャツって季節問わず何にでも合うからすごい助かってる」
感謝を伝えると玲乃は唇をにんまりと緩ませて僕を見つめてくる。
「でも少しぴちぴちになってるね。背伸びたんじゃない?」
玲乃に肩周りを触れられて僕はいつものように心音が激しくなるのを感じてそれとなく逃げるように身体を離す。
「そうかな。4月の健康診断だと170センチだったよ。はあ。僕も玲乃みたく背が高かったらなあ」
途端にぶっ、と玲乃が吹き出して笑う。何がおかしいのか気になった僕は玲乃に詰め寄る。
「なんで笑ってるの?」
「ごめんごめん。そんなむっとした顔かわいいからダメ。俺は両親とも背が高いから遺伝だよ。睦が俺と同じく186センチもあったら怪獣ごっこになっちゃうよ」
サングラスを外し、目尻の笑い涙を指先で掬いつつ玲乃は微笑んできた。窓の外から流れる街並みは都会の中心部に迫ってきていて、人も空も密度がぎゅっと詰まっているようだった。
「よし。着いたよ」
タクシーから降りると3階建てのビルが目に入った。
その1階のフロアが今回玲乃が予約した美容院らしい。美容院慣れしていない僕は詳しいことは玲乃に任せることにした。玲乃が受付を済ませると数分もせず席へ案内された。幸い、玲乃と隣の席だったので安心する。2人の美容師が挨拶をしてくれた。
「こんにちは。ご来店ありがとうございます。玲乃くんの担当美容師の店長の真島です。今日は玲乃くんのお友達もご紹介していただきありがとうございます」
金髪のスパイキーショートの髪型の真島さんという美容師はいかにもなチャラ男美容師だったが、言葉遣いが丁寧だった。
するともう1人の女性の美容師が睦の隣に控えて挨拶をする。
「こんにちは。本日アシスタントとして入らせていただきます。華宮です。メンズカットが得意なのでぜひ一緒にお好みのスタイルを再現できればと思います。よろしくお願いします」
華宮さんはくびれのある茶髪のロングヘアの若い女性だった。フレッシュな挨拶に僕もしっかり頭を下げる。
「玲乃くんはリタッチかな? 色は同じでいい?」
早速、隣の席では真島さんが玲乃の髪の毛に触れながら施術内容を確認している。
「はい。リタッチと同じ色でお願いします。あと、睦なんですけど」
突如、玲乃が僕のほうへ意識を移したのを見て華宮さんと真島さんがじっと僕を見つめてきた。
顔を見られているのではなくて、あくまでも髪型を見られているとわかっていても初対面の人にじっと見られるのは緊張してしまう。
僕は変な汗をかかないようにと手のひらを固く握りしめる。
「この写真の感じで、前髪はシースルーマッシュで、カラーなしで地毛のままシャンプーとトリートメント、ヘッドスパでお願いします。いいよね? 睦」
魔法の呪文のように聞きなれないワードに囲まれて僕は内心おろおろと慌てたが、玲乃が見せてくれたイメージ写真の髪型はまだチャレンジしたことがなくて素直にやってみたいなと思った。
「はい。玲乃の言った通りでお願いします……!」
「わかりました。じゃあ華宮さん。よろしくね」
玲乃の担当の真島さんが華宮さんに声をかける。すると華宮さんは僕の後ろから実際に髪の毛に触れてイメージを教えてくれた。
1時間半後同じタイミングで施術の終わった2人はそのまま夕食を食べて帰ることにした。玲乃がおすすめだと言う洒落たイタリアンのお店に入る。
「結構髪の毛すっきりしたでしょ。特に前髪がいい感じに抜け感出てる」
レンガ調の壁紙の店内のテーブル席で料理を待っていると、玲乃が興味深そうに僕の髪の毛に触れてきた。その距離が近くて、上手く息ができなくなる。
「玲乃の提案のおかげだよ。僕、こういう髪型にするの初めてだけど似合ってるかな?」
少し得意げに顔を傾けてみた。
「っ」
すると、息を飲み込む音と同時に玲乃がむせたのでお冷を手渡して飲ませる。ごほごほしてる背中をとんとんとさする。
「大丈夫?」
「……うん。ちょっとむせた。かなり似合ってるよ。メンズアイドルみたい」
玲乃は、ふふと笑った。
その笑顔の意味を、僕はまだ知らなかった。
