昼下がりの学食は、ざわざわとした人いきれで満ちていた。
ステンレスのトレー同士がぶつかる音、フライヤーの油が弾ける音、誰かの笑い声。
そのすべてがごちゃ混ぜになって、大学の昼休み特有の熱気をつくり出していた。
目黒楓は、トレーを手にしたまま、きょろきょろと席を探していた。
文学部の講義が長引き、いつもより学食に入るタイミングが遅れてしまい、ほとんどの席が埋まっている。
カレーの匂いと、揚げ物の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
(混みすぎ……。いつもはもっと静かなのに。まさか、一人で食べる場所もないとか……?)
そのとき、窓際の方に二人掛けのテーブルがちょうど空いたのが見えた。
日差しが差し込むその席を目指して歩き出した――が、同じタイミングで、黒いTシャツ姿の男性がトレーをそこに置こうとしていた。
「あ、すみません。ここ、いいですか?」
振り返った相手の顔を見て、楓は思わず息を呑んだ。
短く整えられた黒髪、整った眉、スポーツで焼けた健康的な肌。
笑った瞬間に目元が少し下がるのが、なんだか無防備で眩しい神田葵の姿がそこにはあった。
「目黒くん?大学で会うなんて初めてだね」
「あ、神田くん!?え、隣の……あ、うん……部屋の……。ほんと、奇遇だね」
言いかけて、慌てて飲み込む。
(や、やばい!言うな!『隣の部屋の喘ぎ声の人ですよね?』とか言えるか!!)
「だよね。俺、体育学部なんですけど、講義の関係でこっちの棟に来てて。……一緒に座っていいですか?」
「ど、どうぞ!」
(いや、どうぞじゃない!なんでこうも縁があるんだよ!毎晩あの声で寝不足なのに、大学にも実物が現れるってどんな拷問!?)
「目黒くんは文学部だったよね?なるほど……真逆って感じだ。こっちは毎日汗だく、そっちは知的で涼しげ」
「そんなことないよ……むしろ今、汗すごいけど」
「え?」
「いや、その……暑くて……(違う、違う、緊張で顔が熱いだけ!)」
葵が首をかしげて笑う。その笑顔がやけにまぶしくて、楓は慌てて味噌汁の湯気に視線を落とした。
葵は、向かいの席にトレーを置いて腰を下ろした。
そのトレーの上には、淡い緑のブロッコリー、茹でたささみ、そして……透明なシェイカーに入ったプロテインドリンク。
「……なんか、色が地味っていうか、ストイックだね」
「鍛えてるんで」
「えっ、鍛えてる!??」
(鍛えるって……何を、何のために!?もしかして、アレのこと……?いやいやいや、どんだけ貪欲にアレに取り込んでるんだ⁉)
頭の中で、夜の声が蘇る。
『……あ、きつ……やば……っ』
『もう一回やるか』
(夜だけじゃなく昼もアレのために頑張ってるのか?どんだけストイックなんだよ神田葵!もはや修行僧かよ!そりゃあんな声出るわ……!)
「目黒くんは?運動とかするの?」
「えっ、あ、う、ううん!してない!全然!」
「そうなんだ。細いもんね。食べてるところも可愛い」
「か、可愛い!?い、いやそんな……!」
思わずスプーンを落としかけて、慌てて掴む。
指先まで真っ赤に熱を帯びていくのがわかる。
(なに言ってんのこの人!可愛いって簡単に言うな!ていうか俺、男だし!でも……言われたらドキッとするだろ!)
葵は、にこっと笑って、シェイカーに入ったプロテインドリンクを口にくわえる。
プロテインを飲み込む喉が上下に動き、細い喉仏がつい見えてしまう。
その喉が鳴るたびに、耳の奥がじんと熱くなった。
(やめてくれ……!プロテイン飲んでるだけなのに、なんでこんなにエロく感じるんだ俺!)
「これ、チョコ味なんですよ。飲んでみます?」
「えっ、い、いや、いい!」
(飲んだら絶対アウトだろ!こんなエロい男と間接キスとか、昼の学食で即死するわ!心臓がプロテインの粉より細かく粉砕されるっ!!)
葵は首をかしげながら、「そっか」と笑って、またプロテインを飲んだ。
その横顔が、窓からの光に照らされて、やけに綺麗に見えた。
(いやいやいや、待て。俺はいま、同じ大学の同じ一年生の男子を綺麗とか思ってるのか?やばい、方向性間違ってない?)
周囲のざわめきが、だんだんと遠ざかっていく。
学食にかかっているゆるいBGMも、隣の席の笑い声も、全部背景に溶けて、視界の中心には、ただ目の前の神田葵だけがいる。
(――いや、落ち着け俺。相手はただのお隣さん!同じ大学の同級生!健全!健康!……健全な男子!)
そう言い聞かせても、胸の鼓動は高鳴るばかりだった。
スプーンを口に運ぶたびに、手が震えて、すくったニンジンを何度も落としかける。
(……あれ?健全な男子?……けど毎日アレしてるけどな……健全の定義どこ行った!?)
昼休みの喧騒の中、楓の世界だけが妙に静かだった。
外の風がカーテンを揺らし、テーブルの上に落ちた光が、葵の腕をきらりと照らす。
その筋肉のラインが、服の上からでも分かるくらいに整っていて――
(お願いだから、もう少し離れてくれ。てか、なんでそんな優しく笑うんだよ……。隣の部屋であんな声出してたくせに!)
顔の熱は引かないまま、楓は冷めかけた味噌汁をそっと口に運んだ。
舌の上で温度を確かめるようにしながら、心の中で小さくつぶやく。
(――ほんとに、なんなんだよこの人……)
ステンレスのトレー同士がぶつかる音、フライヤーの油が弾ける音、誰かの笑い声。
そのすべてがごちゃ混ぜになって、大学の昼休み特有の熱気をつくり出していた。
目黒楓は、トレーを手にしたまま、きょろきょろと席を探していた。
文学部の講義が長引き、いつもより学食に入るタイミングが遅れてしまい、ほとんどの席が埋まっている。
カレーの匂いと、揚げ物の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
(混みすぎ……。いつもはもっと静かなのに。まさか、一人で食べる場所もないとか……?)
そのとき、窓際の方に二人掛けのテーブルがちょうど空いたのが見えた。
日差しが差し込むその席を目指して歩き出した――が、同じタイミングで、黒いTシャツ姿の男性がトレーをそこに置こうとしていた。
「あ、すみません。ここ、いいですか?」
振り返った相手の顔を見て、楓は思わず息を呑んだ。
短く整えられた黒髪、整った眉、スポーツで焼けた健康的な肌。
笑った瞬間に目元が少し下がるのが、なんだか無防備で眩しい神田葵の姿がそこにはあった。
「目黒くん?大学で会うなんて初めてだね」
「あ、神田くん!?え、隣の……あ、うん……部屋の……。ほんと、奇遇だね」
言いかけて、慌てて飲み込む。
(や、やばい!言うな!『隣の部屋の喘ぎ声の人ですよね?』とか言えるか!!)
「だよね。俺、体育学部なんですけど、講義の関係でこっちの棟に来てて。……一緒に座っていいですか?」
「ど、どうぞ!」
(いや、どうぞじゃない!なんでこうも縁があるんだよ!毎晩あの声で寝不足なのに、大学にも実物が現れるってどんな拷問!?)
「目黒くんは文学部だったよね?なるほど……真逆って感じだ。こっちは毎日汗だく、そっちは知的で涼しげ」
「そんなことないよ……むしろ今、汗すごいけど」
「え?」
「いや、その……暑くて……(違う、違う、緊張で顔が熱いだけ!)」
葵が首をかしげて笑う。その笑顔がやけにまぶしくて、楓は慌てて味噌汁の湯気に視線を落とした。
葵は、向かいの席にトレーを置いて腰を下ろした。
そのトレーの上には、淡い緑のブロッコリー、茹でたささみ、そして……透明なシェイカーに入ったプロテインドリンク。
「……なんか、色が地味っていうか、ストイックだね」
「鍛えてるんで」
「えっ、鍛えてる!??」
(鍛えるって……何を、何のために!?もしかして、アレのこと……?いやいやいや、どんだけ貪欲にアレに取り込んでるんだ⁉)
頭の中で、夜の声が蘇る。
『……あ、きつ……やば……っ』
『もう一回やるか』
(夜だけじゃなく昼もアレのために頑張ってるのか?どんだけストイックなんだよ神田葵!もはや修行僧かよ!そりゃあんな声出るわ……!)
「目黒くんは?運動とかするの?」
「えっ、あ、う、ううん!してない!全然!」
「そうなんだ。細いもんね。食べてるところも可愛い」
「か、可愛い!?い、いやそんな……!」
思わずスプーンを落としかけて、慌てて掴む。
指先まで真っ赤に熱を帯びていくのがわかる。
(なに言ってんのこの人!可愛いって簡単に言うな!ていうか俺、男だし!でも……言われたらドキッとするだろ!)
葵は、にこっと笑って、シェイカーに入ったプロテインドリンクを口にくわえる。
プロテインを飲み込む喉が上下に動き、細い喉仏がつい見えてしまう。
その喉が鳴るたびに、耳の奥がじんと熱くなった。
(やめてくれ……!プロテイン飲んでるだけなのに、なんでこんなにエロく感じるんだ俺!)
「これ、チョコ味なんですよ。飲んでみます?」
「えっ、い、いや、いい!」
(飲んだら絶対アウトだろ!こんなエロい男と間接キスとか、昼の学食で即死するわ!心臓がプロテインの粉より細かく粉砕されるっ!!)
葵は首をかしげながら、「そっか」と笑って、またプロテインを飲んだ。
その横顔が、窓からの光に照らされて、やけに綺麗に見えた。
(いやいやいや、待て。俺はいま、同じ大学の同じ一年生の男子を綺麗とか思ってるのか?やばい、方向性間違ってない?)
周囲のざわめきが、だんだんと遠ざかっていく。
学食にかかっているゆるいBGMも、隣の席の笑い声も、全部背景に溶けて、視界の中心には、ただ目の前の神田葵だけがいる。
(――いや、落ち着け俺。相手はただのお隣さん!同じ大学の同級生!健全!健康!……健全な男子!)
そう言い聞かせても、胸の鼓動は高鳴るばかりだった。
スプーンを口に運ぶたびに、手が震えて、すくったニンジンを何度も落としかける。
(……あれ?健全な男子?……けど毎日アレしてるけどな……健全の定義どこ行った!?)
昼休みの喧騒の中、楓の世界だけが妙に静かだった。
外の風がカーテンを揺らし、テーブルの上に落ちた光が、葵の腕をきらりと照らす。
その筋肉のラインが、服の上からでも分かるくらいに整っていて――
(お願いだから、もう少し離れてくれ。てか、なんでそんな優しく笑うんだよ……。隣の部屋であんな声出してたくせに!)
顔の熱は引かないまま、楓は冷めかけた味噌汁をそっと口に運んだ。
舌の上で温度を確かめるようにしながら、心の中で小さくつぶやく。
(――ほんとに、なんなんだよこの人……)



