あれから毎晩、隣の部屋からあの声が響く。

「……っ、きつ……やばい……!」

その声を聞くだけで、背筋がぞわってする。
布団に潜っても、耳だけは壁のほうを向いてる。

(やめろって……わかってるのに……聞いちゃう)

息が詰まるような吐息。
床がきしむ音。
たまに「もう一回」なんて、言葉まで混じる。

(……何回やるつもりなんだよ)

(どんだけ、元気なんだ……)

聞けば聞くほど、脳が熱くなっていく。
天井を見つめながら、心臓が変なリズムを刻む。

(俺、なにしてんだろ……)

(ただの隣人の声なのに……こんなの、変だ)

寝不足で迎えた朝。
目覚ましが鳴っても、体が鉛みたいに重い。
鏡を見たら、クマが定住していた。

(……完全に不健康の塊じゃん、俺)



講義室の蛍光灯が、無駄に明るい。
教授の声が遠くで反響してるのに、頭の中では――昨夜のあの声がリピート再生中。

(見た目爽やか、でも夜は野獣……!)

ゴミ出しで会ったあの人。
黒Tシャツ、清潔感、笑顔、朝日で透ける髪。
……なのに、夜になると――。

(やばい、想像するな、想像するな)

(あの声で、『……きつい』とか言ってるの、思い出すなって!)

「目黒、ノート取ってる?」

「え、あ、うん(まったく聞いてないけど)」

隣の友人が覗きこんで、俺の顔をまじまじと見る。

「お前、クマやばいな。二徹?」

「……寝不足なんだよ、いろいろあって」

「いろいろって?まさか恋?」

「ち、違うし!」

「えー、嘘っぽい。なんか顔が赤いぞ?」

「うるさいな……!」

(恋って……そんなわけ)

(ただ、隣の部屋の声がエロすぎて眠れないだけだっての)

……なのに。
その声を思い出すだけで、胸がきゅっとなる。

(この胸の痛み……もしかして、ほんとに恋とかじゃないよな?)

(いやいや、そんな……ないない!)

……なのに。
気づけば、無意識に耳が覚えてる。
あの人の声の高さも、息の混じり方も、全部。

教授の声が遠のく。

(俺、やばいな。完全に変なスイッチ入ってる)

「――以上が試験範囲ね」

「……え、試験?なにそれ?」

「お前ほんとに聞いてなかったのかよ!」

「……たぶん、声に、惑わされてました」

「声?」

「いや、なんでもないっ!」

頭の中では、毎晩聞こえるあの声がまだ響いてる。
講義内容なんて、ひとつも入ってこない。

(どうしよう。次に顔合わせたら、まともに目を見られないかも)

それでも――
耳が、またあの声を待ってる自分がいる。