テスト前は、校内の空気が少し乾く。
黒板の粉はいつもより細かく舞って、喉の奥に薄い層を作る。チャイムのあと椅子を引く音も、いつもより角ばって聞こえる。
僕と晴のやりとりは、自然に減った。
通知が鳴らない夜は、音が増える。時計の秒針、外のバイク、マンションの通路を渡る風、冷蔵庫の奥でひそやかにスイッチが入る気配。音が積み木みたいに重なって、部屋の四隅に小さな影を作る。
机の上にスマホを伏せる。光は、伏せていても胸のどこかを照らす。
翌朝。
「ごめん、寝落ちしてた」
たったそれだけのメッセージで、胸のひもが一箇所ほどける。怒る理由も、平気を装う理由も見つからない。
未送信欄に一行だけ落とす。
《寝落ちでも、連絡があるだけで救われる》
送らず、閉じる。
数分後、もう一行。
「澪、ちゃんと寝てる?」
「寝てる。たぶん」
「“たぶん”が澪らしい」
短い文が、睡眠よりも安らぐ。目の裏側に、冷たい麦茶みたいな透明がひろがる。
その夜、晴が提案する。
「一行日記やろう。“今日、何か一行”」
「了解。明日から」
“了解”の四文字は、勉強机の上で一枚の布みたいに広がって、余白をそっとかばう。
翌日。
「昼の風、砂の匂い」
送ってから、教室の窓の外を見た。グラウンドの砂が、体育の靴に連れられて移動して、校舎の影に寄りかかっている。
晴は「水筒の水が甘かった」。
甘い水、という単語の並べ方に、洗面台の付箋の丸い字を思い出す。あの丸は、今日も鏡の前で息をしているだろう。
翌々日。
「電車の窓に夕日が映った」
返ってきたのは「雲が魚に見えた」。
“見えた”の置き方が、僕の文の“映った”と並ぶ。
同じ日付の上に、同じ濃さで。
言葉の選び方が、すこし似てくる。似てくることが嬉しくて、でも同じにはならないところが、なお嬉しい。
三日目。
「国語の教室、チョークの粉が光った」
「靴の中の小石、帰り道で諦めた」
靴の中の小石。読んだ瞬間、右のかかとに小さな痛みがよみがえる。
書かないで伝わると思っていたことが、書くから届くことに変わる。
小石は、言葉にしないと相手の靴に入ってくれない。
四日目。
「弁当の卵、今日は甘くない」
「きなこ揚げパン、半分こしたかった」
“半分こ”の音が、胸のほうで丸く跳ねる。跳ねた音は、未送信の蓋に当たって、静かに戻る。
五日目。
「窓の格子、影が濃い」
「洗濯ばさみの跡、Tシャツの肩に四角」
生活の四角と四角が、画面の上で向かい合う。
書けば届く。届いて、触れずに重なる。
六日目。
「夜の月、薄いのに層があった」
「息を止めないで写真を撮れた日」
“止めないで”の五文字に、先週の“声のない通話”の呼吸が重なる。
送られてくる短い文が、日の終わりに、背骨をすこし伸ばしてくれる。
やがて、“一行”が、いつの間にか二行になる日が来た。
「英語の長文、眠りに似てる」
「未送信欄、今日は静か」
“静か”の表現が重なると、画面の白まで静かになる。
書かないで伝わることを信じていた僕は、書かなきゃ届かないものの多さに遅れて気づく。
晴の文字は少し丸く、僕のは角ばっている。その差が橋になる。丸と角が、真ん中で触れる。触れたところに、温度が生まれる。
テスト二日前。
図書室で過去問を解きながら、欄外に小さく“今日の一行”の素案を並べる。
《鉛筆の芯、3mmで折れた》
《昼の光、牛乳みたい》
《窓を開ける音が、同じ時刻に校舎じゅうで鳴った》
書いては消す。
“書かないで伝わる”を信じる僕の古い癖が、指先で抵抗する。
でも、書かなきゃ届かないことは、届かないまま、そこに残るだけだ。
残って温度になるものだけが、今日の一行になれる。
夜。
「教科書の角、少し丸くなった」
送ると、すぐ既読。
「今日の澪は、ちゃんとここにいる」
その文を見た瞬間、目の奥が熱くなる。
“ちゃんと”の二文字は、子どものころに貰ったハンコに似ているのに、今は子ども扱いじゃない。
僕がここにいることを、今日という日に刻む印。
返信はせず、未送信欄を開く。
《ありがとう、晴。今日も俺は、君の言葉の中にいる》
保存。
保存は、送信よりも静かな勇気を要る。
画面を伏せると、部屋の音が戻ってくる。時計の秒針、外の夜風、冷蔵庫の小さな呼吸。
“書かないで伝わること”は、きっとこの音たちだ。
“書かなきゃ届かないこと”は、いま胸の奥で小さく光っているこの一行だ。
どちらも、僕の今日だ。
どちらも、彼に届く準備をしている。
電気を消す前に、もう一度だけ、指で画面を滑らせる。
晴の丸い字を思い出す。鏡の前の付箋、洗面台の白、夜の層。
「おやすみ」とは打たず、代わりに、息を合わせる練習をする。
吸って、吐く。
吸って、吐く。
書けない音で、届く呼吸。
明日も、一行。
同じ時刻に、違う場所で。
書くから届くことを、もう怖がらないように。
黒板の粉はいつもより細かく舞って、喉の奥に薄い層を作る。チャイムのあと椅子を引く音も、いつもより角ばって聞こえる。
僕と晴のやりとりは、自然に減った。
通知が鳴らない夜は、音が増える。時計の秒針、外のバイク、マンションの通路を渡る風、冷蔵庫の奥でひそやかにスイッチが入る気配。音が積み木みたいに重なって、部屋の四隅に小さな影を作る。
机の上にスマホを伏せる。光は、伏せていても胸のどこかを照らす。
翌朝。
「ごめん、寝落ちしてた」
たったそれだけのメッセージで、胸のひもが一箇所ほどける。怒る理由も、平気を装う理由も見つからない。
未送信欄に一行だけ落とす。
《寝落ちでも、連絡があるだけで救われる》
送らず、閉じる。
数分後、もう一行。
「澪、ちゃんと寝てる?」
「寝てる。たぶん」
「“たぶん”が澪らしい」
短い文が、睡眠よりも安らぐ。目の裏側に、冷たい麦茶みたいな透明がひろがる。
その夜、晴が提案する。
「一行日記やろう。“今日、何か一行”」
「了解。明日から」
“了解”の四文字は、勉強机の上で一枚の布みたいに広がって、余白をそっとかばう。
翌日。
「昼の風、砂の匂い」
送ってから、教室の窓の外を見た。グラウンドの砂が、体育の靴に連れられて移動して、校舎の影に寄りかかっている。
晴は「水筒の水が甘かった」。
甘い水、という単語の並べ方に、洗面台の付箋の丸い字を思い出す。あの丸は、今日も鏡の前で息をしているだろう。
翌々日。
「電車の窓に夕日が映った」
返ってきたのは「雲が魚に見えた」。
“見えた”の置き方が、僕の文の“映った”と並ぶ。
同じ日付の上に、同じ濃さで。
言葉の選び方が、すこし似てくる。似てくることが嬉しくて、でも同じにはならないところが、なお嬉しい。
三日目。
「国語の教室、チョークの粉が光った」
「靴の中の小石、帰り道で諦めた」
靴の中の小石。読んだ瞬間、右のかかとに小さな痛みがよみがえる。
書かないで伝わると思っていたことが、書くから届くことに変わる。
小石は、言葉にしないと相手の靴に入ってくれない。
四日目。
「弁当の卵、今日は甘くない」
「きなこ揚げパン、半分こしたかった」
“半分こ”の音が、胸のほうで丸く跳ねる。跳ねた音は、未送信の蓋に当たって、静かに戻る。
五日目。
「窓の格子、影が濃い」
「洗濯ばさみの跡、Tシャツの肩に四角」
生活の四角と四角が、画面の上で向かい合う。
書けば届く。届いて、触れずに重なる。
六日目。
「夜の月、薄いのに層があった」
「息を止めないで写真を撮れた日」
“止めないで”の五文字に、先週の“声のない通話”の呼吸が重なる。
送られてくる短い文が、日の終わりに、背骨をすこし伸ばしてくれる。
やがて、“一行”が、いつの間にか二行になる日が来た。
「英語の長文、眠りに似てる」
「未送信欄、今日は静か」
“静か”の表現が重なると、画面の白まで静かになる。
書かないで伝わることを信じていた僕は、書かなきゃ届かないものの多さに遅れて気づく。
晴の文字は少し丸く、僕のは角ばっている。その差が橋になる。丸と角が、真ん中で触れる。触れたところに、温度が生まれる。
テスト二日前。
図書室で過去問を解きながら、欄外に小さく“今日の一行”の素案を並べる。
《鉛筆の芯、3mmで折れた》
《昼の光、牛乳みたい》
《窓を開ける音が、同じ時刻に校舎じゅうで鳴った》
書いては消す。
“書かないで伝わる”を信じる僕の古い癖が、指先で抵抗する。
でも、書かなきゃ届かないことは、届かないまま、そこに残るだけだ。
残って温度になるものだけが、今日の一行になれる。
夜。
「教科書の角、少し丸くなった」
送ると、すぐ既読。
「今日の澪は、ちゃんとここにいる」
その文を見た瞬間、目の奥が熱くなる。
“ちゃんと”の二文字は、子どものころに貰ったハンコに似ているのに、今は子ども扱いじゃない。
僕がここにいることを、今日という日に刻む印。
返信はせず、未送信欄を開く。
《ありがとう、晴。今日も俺は、君の言葉の中にいる》
保存。
保存は、送信よりも静かな勇気を要る。
画面を伏せると、部屋の音が戻ってくる。時計の秒針、外の夜風、冷蔵庫の小さな呼吸。
“書かないで伝わること”は、きっとこの音たちだ。
“書かなきゃ届かないこと”は、いま胸の奥で小さく光っているこの一行だ。
どちらも、僕の今日だ。
どちらも、彼に届く準備をしている。
電気を消す前に、もう一度だけ、指で画面を滑らせる。
晴の丸い字を思い出す。鏡の前の付箋、洗面台の白、夜の層。
「おやすみ」とは打たず、代わりに、息を合わせる練習をする。
吸って、吐く。
吸って、吐く。
書けない音で、届く呼吸。
明日も、一行。
同じ時刻に、違う場所で。
書くから届くことを、もう怖がらないように。



