超高層マンション・88階「白銀の塔」。
午後五時半。
オジェ=ル=ダノワは、シルクのドレスシャツのフリル袖を軽く払うと、白い髪を背に流し、リビングのソファに腰を下ろした。白銀の瞳は開いた教本に注がれ、ページをめくる指はまるで精密に組まれた機械のように無駄がない。
足元から天井へと広がるガラス窓の向こうには、群青の空の底に雲海が沈み、遠くで陽がまだらに滲んでいた。
「アルタ。来な」
寝室の扉がわずかに開き、白い鹿の耳をした少年が這うように姿を現す。
金色の瞳はきらきらと輝き、頬には薄く痣の模様。白い毛皮の耳がひくひくと動き、オジェを見つけた瞬間に飛びついてきた。
「オジェぇ! おかえりぃ!」
オジェは無言でその小さな体を受け止め、腕の中で落ち着かせると、そっとソファに座らせた。
「座って。……今日は勉強だ」
アルタはオジェの膝にちょこんと座り、金の瞳を輝かせた。
「勉強? 番になるための勉強?」
オジェは教本を閉じ、少年の白髪に指を滑らせる。
「まずは言葉だ。……『ありがとう』は?」
アルタは真剣な顔つきで口を開く。
「あり……がとう!」
「うん。次、『好き』」
アルタは両手を広げた。
「大好きぃ! オジェ大好きぃ!」
オジェの眉がわずかに動く。
「……簡潔に」
キッチンでは、温かな照明が二人を柔らかく包んでいた。
オジェは焼き上げたステーキを切り分け、アルタの口もとへと運ぶ。
「咀嚼二十回」
「んぐ……んぐ……んぐ。ねえ、オジェが切ってくれたから、おいしい!」
オジェは無言で、その口元をナプキンで拭った。
「口角にソースがついている」
アルタはくすぐったそうに笑う。
バスルームのガラスに、夜の光が映りこむ。
オジェは湯を張ると、無駄のない手つきでアルタの服を脱がせた。鹿の白い尻尾がぴんと立つ。
「自分で洗って」
「オジェも一緒に!」
ため息一つ。オジェはシャツのボタンを外す。
「……仕方ないな」
湯船の中、アルタはオジェの背に腕をまわし、頬を寄せる。
「オジェの背中、かっこいい……」
言葉を返さず、オジェは静かに少年の耳を洗った。
「まだ汚れが残っている」
ベッドルーム。
オジェはアルタに白いパジャマを着せ、布団を整える。アルタは弾むようにベッドへ飛び乗った。
「今日はオジェと一緒に寝る!」
オジェは軽く息を吐き、そのまま隣に横たわる。少年を抱き寄せながら、低く言う。
「……寝な」
アルタはオジェの胸に顔をうずめたまま、囁く。
「ねえ、オジェ……番って、どうやったらなれるの?」
「……勉強が終わったら、教える」
その返事に、アルタは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、明日も勉強する!」
オジェはその白髪を撫でながら、わずかに目を細める。
「……ああ」
超高層マンションの夜。
窓の向こうで、星々が雲海の上に瞬いている。
白い鹿の少年は、静かな息の音を立てながらオジェの腕の中で眠りにつく。
金の瞳は、夢の中でも——たった一人の名を追っていた。
午後五時半。
オジェ=ル=ダノワは、シルクのドレスシャツのフリル袖を軽く払うと、白い髪を背に流し、リビングのソファに腰を下ろした。白銀の瞳は開いた教本に注がれ、ページをめくる指はまるで精密に組まれた機械のように無駄がない。
足元から天井へと広がるガラス窓の向こうには、群青の空の底に雲海が沈み、遠くで陽がまだらに滲んでいた。
「アルタ。来な」
寝室の扉がわずかに開き、白い鹿の耳をした少年が這うように姿を現す。
金色の瞳はきらきらと輝き、頬には薄く痣の模様。白い毛皮の耳がひくひくと動き、オジェを見つけた瞬間に飛びついてきた。
「オジェぇ! おかえりぃ!」
オジェは無言でその小さな体を受け止め、腕の中で落ち着かせると、そっとソファに座らせた。
「座って。……今日は勉強だ」
アルタはオジェの膝にちょこんと座り、金の瞳を輝かせた。
「勉強? 番になるための勉強?」
オジェは教本を閉じ、少年の白髪に指を滑らせる。
「まずは言葉だ。……『ありがとう』は?」
アルタは真剣な顔つきで口を開く。
「あり……がとう!」
「うん。次、『好き』」
アルタは両手を広げた。
「大好きぃ! オジェ大好きぃ!」
オジェの眉がわずかに動く。
「……簡潔に」
キッチンでは、温かな照明が二人を柔らかく包んでいた。
オジェは焼き上げたステーキを切り分け、アルタの口もとへと運ぶ。
「咀嚼二十回」
「んぐ……んぐ……んぐ。ねえ、オジェが切ってくれたから、おいしい!」
オジェは無言で、その口元をナプキンで拭った。
「口角にソースがついている」
アルタはくすぐったそうに笑う。
バスルームのガラスに、夜の光が映りこむ。
オジェは湯を張ると、無駄のない手つきでアルタの服を脱がせた。鹿の白い尻尾がぴんと立つ。
「自分で洗って」
「オジェも一緒に!」
ため息一つ。オジェはシャツのボタンを外す。
「……仕方ないな」
湯船の中、アルタはオジェの背に腕をまわし、頬を寄せる。
「オジェの背中、かっこいい……」
言葉を返さず、オジェは静かに少年の耳を洗った。
「まだ汚れが残っている」
ベッドルーム。
オジェはアルタに白いパジャマを着せ、布団を整える。アルタは弾むようにベッドへ飛び乗った。
「今日はオジェと一緒に寝る!」
オジェは軽く息を吐き、そのまま隣に横たわる。少年を抱き寄せながら、低く言う。
「……寝な」
アルタはオジェの胸に顔をうずめたまま、囁く。
「ねえ、オジェ……番って、どうやったらなれるの?」
「……勉強が終わったら、教える」
その返事に、アルタは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、明日も勉強する!」
オジェはその白髪を撫でながら、わずかに目を細める。
「……ああ」
超高層マンションの夜。
窓の向こうで、星々が雲海の上に瞬いている。
白い鹿の少年は、静かな息の音を立てながらオジェの腕の中で眠りにつく。
金の瞳は、夢の中でも——たった一人の名を追っていた。



