白銀荘の中心部にあるカフェ「星冴」は、冷たく光る石壁に囲まれ、静寂を湛えていた。店内は薄暗く、燭台の炎が白い壁にゆらめく影を描き出している。木の匂いを残したテーブルと堅い椅子が整然と並び、冷えた夜気をやわらげるように、濃密なコーヒーの香りが漂っていた。窓の外では、雪に閉ざされた街が静まり返り、凍てつく風がガラスを叩いては、すぐに消えていった。
オジェ=ル=ダノワは、窓際に腰を下ろし、白い髪を指でかき上げた。氷のような双眸は、対面に座るレイモンド=クワントリルを射抜くように見つめている。革の教官服には銀警察署の紋章が刻まれ、灯りに照らされたその輪郭は、氷柱のように鋭く静かだった。
レイモンドは背もたれに体を預け、片手でカップを支える。副署長の肩章が、燭光を鈍く反射した。白い瞳の奥で、怒りにも似た苛立ちがうっすらと揺れている。テーブルの上には、訓練計画書と分厚い書類の束が乱雑に積まれていた。
「今日の新人の出来はどうだった。相変わらず使えない連中か?」
軽く書類を指で叩きながら、オジェが淡々と口を開く。
レイモンドは鼻で笑い、カップを置いた。
「使えないどころか、ゴミ以下だ。半数が初日の訓練で泣き言だ。白銀荘の未来を担うはずの奴らがこれじゃあ話にならない。……君はどう見た?」
オジェの口端がわずかに動いた。
「泣き言を言うだけマシさ。僕の班じゃ、何も言わずに倒れた奴が三人いた。根性がない。鍛え直すしかないな」
「鍛える?」
レイモンドの声が反射的に冷たくなる。
「無駄だ。弱い奴は切り捨てる。それが銀警察のやり方だ。……それとも君、情でも湧いたか?」
(情が湧くのは、人間と長年の経験と知識を持つ僕みたいな白銀人だけ。期待なホープの君も運良きこれかな? ……待て、再度履歴帳を見る)
「情? 冗談だ」
オジェは目を細め、うっすらと笑った。
「使える道具は磨いておきたいだけさ。壊すのは簡単だ。でも、作るとなると骨が折れる」
(再試験があることを忘れてるお古な君へ、費用かけないでやれるぞと帰り際に言おう)
レイモンドは応えず、わずかに眉をひそめて沈黙する。カウンターの奥では、バリスタが静かにカップを磨いていた。店内には、二人の低い声と炎の音だけが漂っている。
やがてレイモンドがカップを手に取り、ひと口含んで顔をしかめた。
「この店のコーヒー、いつもより薄いな」
吐き捨てるような口調で言い、話題を変える。
「それで、オジェ。例の計画書はどこまで進んでいる?」
「訓練計画は昨日で完成した。あとは君の承認を待つだけだ」と、オジェは紙束をめくりながら応じた。
「ただ、署長がまた妙なことを言い出した。『白銀荘の治安強化』だとさ。市民監視を大幅に進めるつもりらしい」
(前、市民を蔑ろにしたらしく、それで金血呪詛事件が相次いで殺処分する羽目になって、それからずっとこれだ。中には金血の力欲しさで、盗って事故るバカがいすぎるって言ってた)
レイモンドの瞳が一瞬だけ光を失う。
「市民監視? 馬鹿げてる。僕らの仕事は敵を脳の真髄から足先まで叩き潰すことだ。市民を絞め上げる暇なんてない。それに――署長の理想論を聞くたびに、虫唾が走る」
(市民が穢れるとか、ずっとほざいてたさ。市民見なかったせいで、細菌まみれで飯すら食えないとか、永遠と語ってたから…途中で聞くフリしてしまった……あまりにも愚痴タラレバ吐くから)
オジェは肩をすくめながら、冷めた笑みを浮かべる。
「同感だ。しかし、命令は命令だ。僕たちがどう思おうと、上の声は通る。……君が直接署長に噛みつくなら止めはしない」
(上って署長なんだけど…聞くかな? 目の前のお古な君が言えばどうにかなるかい?)
「署長か」
レイモンドの唇に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「アイツの首を締めるなら考えてやる。……まあいい、計画書は明日までに目を通すよ」
そう言ってレイモンドは残りのコーヒーを飲み干した。
炎のゆらぎが二人の白い髪に映り、冷たい光が瞳の奥で交差する。
カフェ「星冴」は、まるで時間そのものを凍らせたように静まり返っていた。
外の風が鳴り、雪が降り続いている。
やがて――オジェが席を立った。
「さて、行こうか。夜はまだ終わっちゃいない」
その言葉にレイモンドはわずかに頷く。二人は外套を手に取り、無言のまま扉の向こうの闇へと消えていった。
残されたコーヒーの香りだけが、まだ店内に滞っていた。
オジェ=ル=ダノワは、窓際に腰を下ろし、白い髪を指でかき上げた。氷のような双眸は、対面に座るレイモンド=クワントリルを射抜くように見つめている。革の教官服には銀警察署の紋章が刻まれ、灯りに照らされたその輪郭は、氷柱のように鋭く静かだった。
レイモンドは背もたれに体を預け、片手でカップを支える。副署長の肩章が、燭光を鈍く反射した。白い瞳の奥で、怒りにも似た苛立ちがうっすらと揺れている。テーブルの上には、訓練計画書と分厚い書類の束が乱雑に積まれていた。
「今日の新人の出来はどうだった。相変わらず使えない連中か?」
軽く書類を指で叩きながら、オジェが淡々と口を開く。
レイモンドは鼻で笑い、カップを置いた。
「使えないどころか、ゴミ以下だ。半数が初日の訓練で泣き言だ。白銀荘の未来を担うはずの奴らがこれじゃあ話にならない。……君はどう見た?」
オジェの口端がわずかに動いた。
「泣き言を言うだけマシさ。僕の班じゃ、何も言わずに倒れた奴が三人いた。根性がない。鍛え直すしかないな」
「鍛える?」
レイモンドの声が反射的に冷たくなる。
「無駄だ。弱い奴は切り捨てる。それが銀警察のやり方だ。……それとも君、情でも湧いたか?」
(情が湧くのは、人間と長年の経験と知識を持つ僕みたいな白銀人だけ。期待なホープの君も運良きこれかな? ……待て、再度履歴帳を見る)
「情? 冗談だ」
オジェは目を細め、うっすらと笑った。
「使える道具は磨いておきたいだけさ。壊すのは簡単だ。でも、作るとなると骨が折れる」
(再試験があることを忘れてるお古な君へ、費用かけないでやれるぞと帰り際に言おう)
レイモンドは応えず、わずかに眉をひそめて沈黙する。カウンターの奥では、バリスタが静かにカップを磨いていた。店内には、二人の低い声と炎の音だけが漂っている。
やがてレイモンドがカップを手に取り、ひと口含んで顔をしかめた。
「この店のコーヒー、いつもより薄いな」
吐き捨てるような口調で言い、話題を変える。
「それで、オジェ。例の計画書はどこまで進んでいる?」
「訓練計画は昨日で完成した。あとは君の承認を待つだけだ」と、オジェは紙束をめくりながら応じた。
「ただ、署長がまた妙なことを言い出した。『白銀荘の治安強化』だとさ。市民監視を大幅に進めるつもりらしい」
(前、市民を蔑ろにしたらしく、それで金血呪詛事件が相次いで殺処分する羽目になって、それからずっとこれだ。中には金血の力欲しさで、盗って事故るバカがいすぎるって言ってた)
レイモンドの瞳が一瞬だけ光を失う。
「市民監視? 馬鹿げてる。僕らの仕事は敵を脳の真髄から足先まで叩き潰すことだ。市民を絞め上げる暇なんてない。それに――署長の理想論を聞くたびに、虫唾が走る」
(市民が穢れるとか、ずっとほざいてたさ。市民見なかったせいで、細菌まみれで飯すら食えないとか、永遠と語ってたから…途中で聞くフリしてしまった……あまりにも愚痴タラレバ吐くから)
オジェは肩をすくめながら、冷めた笑みを浮かべる。
「同感だ。しかし、命令は命令だ。僕たちがどう思おうと、上の声は通る。……君が直接署長に噛みつくなら止めはしない」
(上って署長なんだけど…聞くかな? 目の前のお古な君が言えばどうにかなるかい?)
「署長か」
レイモンドの唇に、皮肉な笑みが浮かんだ。
「アイツの首を締めるなら考えてやる。……まあいい、計画書は明日までに目を通すよ」
そう言ってレイモンドは残りのコーヒーを飲み干した。
炎のゆらぎが二人の白い髪に映り、冷たい光が瞳の奥で交差する。
カフェ「星冴」は、まるで時間そのものを凍らせたように静まり返っていた。
外の風が鳴り、雪が降り続いている。
やがて――オジェが席を立った。
「さて、行こうか。夜はまだ終わっちゃいない」
その言葉にレイモンドはわずかに頷く。二人は外套を手に取り、無言のまま扉の向こうの闇へと消えていった。
残されたコーヒーの香りだけが、まだ店内に滞っていた。



