七月は、空が嘘をつく。朝は青く、昼は白く、夕方には血を混ぜ、夜ふたたび水で薄めてみせる。嘘のうまい空は、人の顔色を上手に変えさせ、心拍を一度だけ遅らせる。遅れた鼓動が戻るまでの間に、言い損ねた言葉が沈殿し、沈殿はのちに性格の底石になる。悠は、ここ数日、その底石が増えて重くなるのを自覚していた。
弓道場は、風鈴のない夏だ。音は弦だけ、紙の裂ける音だけ、畳に落ちる汗の点の音だけ。なのに外の蝉は容赦なく鳴く。生の宣言はいつでも図々しい。図々しさに囲まれると、静けさはかえって鋭くなる。鋭い静けさは、刃物の柄に似て手に馴染み、持っていることを忘れさせる。忘れたまま他人に触れると、血が出る。悠は、触らないことを覚えようとして、何度も失敗した。
大会が近い。名ばかりの選考会が週末に組まれ、誰がどの立ちで引くか、爪の先ほどの身勝手と正義が同じ皿で秤にかけられる。秤はいつだって嘘をつかないが、人は秤の目盛りに嘘を読み込む。そうすることで、秤に責任を押しつけ、自分は身軽に立ち去る。身軽さは罪とよく似合う。罪を軽々と持ち運ぶ者ほど、道徳の言葉を口にするのが速い。
朝の全体練習、指導係の三年が名簿を読み上げる。名前のうしろに“ちゃん”を付けて呼ばれる一年の女子たちの列、名字だけを呼び捨てにされる男子たちの列。そのどちらにも、悠は違和を覚える。自分の名前が読み上げられる直前、一拍の空白が滑り、呼び手は迷う。女子列に入れるべきか、男子列に混ぜるべきか、その迷いの重さが、毎度少しずつ増して、悠の肩に降り積もる。ようやく「悠」とだけ呼ばれる。助詞が省かれると、空気が少し冷える。冷えた空気の中で、誰かの視線が曇ガラスのようにこちらへ触れる。曇りは、悪意と同じだけ、無関心の色を含む。
その朝、道場の隅で二人の女子が囁いた。声はわざと小さく、届くように角度が付けられている。「あの先輩、さ」「でも体は」「どっちなんだろ」。哀れみの衣を着せた無邪気さほど、よく切れるものはない。悠は矢羽の毛並みを指で逆撫でし、逆立てたまま整え直した。毛は素直だ。素直であることは、世界の側にとって都合がいい。人間は毛ではないので、素直さのあとに必ず傷がくる。
「先輩」
杉浦が、いつもの距離感で立つ。距離を間違えないことは、彼の天性の残酷さであり、温情だった。近づきすぎない—けれど、かわしてもらう隙も与えない—その不思議な半径の内側で、悠は時折、自分を捨てることに成功する。捨てたものは、あとで拾えると人は思いがちだが、多くの場合、掃除の手が先に入る。
「立ち順、先輩と同じ立ちになりました」
「……そう」
「緊張して、手が汗で滑る。だから、先輩の音、借ります」
「音は貸し借りできない」
「借ります。勝手に」
勝手に、は、昔から彼の宣言形だ。勝手に、の裏には「でも責任は取る」が隠れている。年下が責任という単語を軽々と口にするとき、悠の胸は反射的に逆撫でされる。責任ほど、年齢の線引きを露骨にする言葉はない。彼は黙って頷いた。頷くことは、ときどき逃げるより難しい。
練習が始まる。四人立ちの静けさは、音楽の休符よりよく出来ている。一本ごとに呼吸が揃い、揃った呼吸の裂け目で、それぞれの孤独が顔を出す。孤独は顔を出しても人に撫でられず、手の置き場を失って、やがて矢に乗る。矢は孤独を運ぶ。中心に行けば慰めがあり、外れれば嘲りがある。慰めも嘲りも、弓の世界ではだいたい等価だ。全ては点数に還元されるからだ。点数は、神だ。
一本目、悠の矢は軽い腹を立てながらも、黒い円に触れた。二本目、外に流れ、三本目で戻る。隣で杉浦は、一枚目の紙の端を丁寧に揺らし、四本目で紙の中心をわずかに焦がす。焦げた匂いに、何故か安堵がまじる。燃焼の匂いは、生の副産物だ。生の近くにいると、人は不安を忘れやすい。不安を忘れたあとで、別の種類の不安を拾うことになるのに。
終わると拍手がわずかに起き、三年の一人が「杉浦、今年は楽しみだな」と言った。その“楽しみ”の内訳がどれだけ彼個人に支払われ、どれだけ部の体面に払われるか、卓上の算盤の音が聞こえるほどに明白だ。期待はいつでも、個人をバラして共同体の口へ運ぶ。共同体はそれを“伝統”と呼んで噛み直す。
引き終えたあと、用具室の鍵を取りに行くと、廊下の角で一年の男子がふたり、ひそひそと話していた。「悠先輩さ、男子トイレ使ってんの」「いや女子だろ」「でも—」。声が空気の裏側で膨らむ。膨らんだ声は、耳の内側から触ってくる。触られると、昔の廊下と昔の笑いが復活する。復活はたいてい暴力的だ。悠は足を止め、鍵を握り直した。鍵の金属は冷たく、冷たさだけが公平だった。
「何やってんすか」
ふいに背後から杉浦の声が落ちる。年下の声は、よく落ちる。軽い分だけ、真下に落ちる。ふたりは振り向き、「あ、いや」と笑い、笑いのまま逃げる。「すみません」とか「違うんで」とか、便利な言葉の棚から適当に手を伸ばし、空箱の音を立てて去る。空箱は軽い音で、あとに残る。
「先輩、用具室、俺が鍵持ちます」
「いい」
「俺が持つ」
差し出された掌は、細い筋と薄い豆で出来ていて、汗で少しだけ湿っている。湿りは生の証で、証はときにうるさい。うるさいから、悠は短くうなずいて鍵を渡した。渡した瞬間、意味のない敗北感が喉に刺さる。敗北の大半は意味がない。意味のない敗北を拾って並べるのが、たいてい“自尊心”というやつの正体だ。
午後、選考会の確認があり、部長が名簿を読み直す。今度ははっきりと、「——女子、悠」と言った。言い直さず、そのまま次の名前へ進む。空気が一瞬遅れて意識する。「女子」の二文字は、その場に居る全員の血液中の鉄に触れて沈み、顔色を見えない場所で微かに変える。誰も声に出さないが、風向きが変わる。風向きが変わると、軽いものから向きを変える。軽い視線、軽い囁き、軽い配慮。軽いものが積もると、石になる。
杉浦は、顔を上げて部長を見た。見ただけだ。言わない。言わないまま、彼はぱちりと瞬きをして、次の瞬間に視線を悠へ戻す。戻す途中、彼の目の奥で何か硬いものが整列する。整列には時間がかかる。かかった時間の分だけ、整列は決意に近づく。
練習の中休み、杉浦が淡々と言った。「俺、明日、先生に立ち位置の話します」。
「何の」
「名簿の言い方とか」
「やめろ」
「どうして」
「揉め事が増える」
「揉め事は、最初にやるのが安い」
年下の言い回しは、ときどき妙に商売じみていて、その軽さに救われる。救われる自分を、悠は好きではない。好きでない自分を、誰かが好きだと言ったとき、人はたいてい泣く。泣くのは面倒で、面倒から逃げるために、彼は強い口調を選ぶ。
「俺は別に、どっちでもいい」
「先輩が“どっちでもいい”って言うとき、どっちでもよくない」
「決めつけるな」
「決めないと、いつまでたっても、“どっち”が先輩の肩に乗ったままです」
“肩に乗る”という比喩は、彼には珍しく湿っていた。湿りのある比喩は、痛みを遅らせる。遅れた痛みは、夜にやってくる。夜の痛みは、人間の神経の裏口から入って、寝返りのたびに家具を蹴倒す。家具の音で家の人は起きない。起きない音ばかり増えていく。
その日、宗助は道場の縁で遠巻きにふたりを見て、「ああ、進んでる」と小さく呟いた。進んでいるのか、と悠は心の中で反問する。進むというのは、階段を上がることだけではない。底の泥を攪拌して、別の濁りを表面に浮かべることだって“進む”に含まれる。進んで、その濁りに自分の顔が映ったとき、人は正気を保てるか。保てなければ、別の言葉で言い直す。「成長」とか「受容」とか。言い直すのは、だいたい生き延びる技術の一部だ。
夜。家の風呂場は狭く、蒸気が鏡に模様を描く。指で拭えば拭うほど、曇りの縁が広がり、真ん中だけやけに露骨に自分の顔を見る。露骨は不親切だ。バインダーの跡が皮膚に斜線を残し、斜線の意味ばかりが濃くなる。意味に輪郭が与えられると、逃げ場が減る。逃げ場を減らしたあとで、あの少年の顔が浮かぶ。浮かぶたび、逃げる方向がひとつなくなる。方向が減ると、深さが増える。深さは、恐怖とよく似合う。
翌日、杉浦は本当に顧問に話をした。放課後の誰もいない職員室の前、廊下のベンチに腰を下ろし、彼は順番を待つ。待つ姿が幼く見えないのは、彼が待つことの意味を知っているからだ。順番が来ると、静かに入っていき、静かに出てくる。出てきた顔は何も増やしていないように見えたが、目の奥の整列は昨日より整っていた。
「どうだった」
「話は通った。すぐには何も変わらないけど、次から変えてみるって」
すぐには、何も変わらない。救いは、いつでも遅れてやってくる。遅れて来るぶん、古傷の縁に新しい皮膚が張ってから触れてくるので、触れられたときにはもう出血はしない。代わりに、深いところで鈍い痒みが続く。それが治癒の合図だと、人は誰から教わるのだろう。多分、誰からでもない。長い時間の反復だけが教える。
週末の選考会。湿った空気の中で、紙が黙って張られ、矢の腹筋が次々と試される。部長が、名簿を読み出す。
「第一立——杉浦、……悠」
一拍、きちんと置かれた空白のあと、ただ名前だけが呼ばれた。助詞はない。性の装飾もない。あるのは呼び名だけ。曖昧とも配慮ともつかないその呼び方が、今日に限っては救いに見えた。救いは、相対だ。昨日と比べて、今日が少しだけ痛くない。それだけで、立てる。
立ちの前、杉浦がささやく。「音、借ります」
「返せよ」
「利子つけて」
「いらない」
「じゃあ、別の形で」
別の形。言葉は具体を避け、約束はわざとぼやけた。ぼやけは、今の彼らにとって最適の硬度だった。硬すぎる約束は折れる。柔らかすぎる約束は溶ける。折れず、溶けず、遅れて届く約束だけが、現実の湿度に耐える。
一本目。杉浦が静かに伸び上がり、弦をはなつ。音が梁を渡り、悠の骨に届く。届いた音は、借り物のはずなのに、何故か自分の体温に馴染み、逆に自分の矢を引き出す。放つ。二本目、三本目。中心と外側を行き来するうち、彼は気づく。外した矢が教えるもののほうが、当たった矢のそれより濃いという事実に。外れ方に誠実でいられるとき、人は他者にも誠実でいられる。誠実は、のちに自傷と誤解される。誤解の痛みを甘受する力を、人はどこから得るのか。多分、借り物だ。借りている間に、所有権が曖昧になる。
引き終えて、控えの席に戻る。汗が耳の裏で固まり、塩の気配がする。杉浦はハンカチを投げ、悠はそれを受けとるふりをして膝の上に置く。置く、という身振りが、異様に優しかった。優しさは、痛みの形をしている。第三章で覚えた言葉が、遅れて胸に落ちる。遅れて落ちるものは、音を立てない。
帰り道、宗助が自販機の前で待っていて、缶コーヒーを二本、無言で差し出した。甘いほうを杉浦へ、無糖を悠へ。選び方に説明はいらない。説明のいらない配慮は、残酷さの反対側にある。反対側といっても、同じ道の両端だ。真ん中はいつでも空いている。空いている真ん中に、彼らはまだ立てない。
「で、どうする」宗助が言う。「救い、もらう?」
「来るらしい」と杉浦が答える。「遅れて」
「遅れるなら、待つ筋肉が要るな」と宗助。
待つ筋肉。新しい比喩は、新しい痛みと同じ速さで根を張る。悠は少し笑った。笑いはまだぎこちない。ぎこちなさは、正直の別名だ。
「練習するよ。待つ練習」
「練習、得意でしょ」と杉浦。
「得意だ。逃げるのも」
「じゃあ、追うのも俺が練習する」
三人の間に、風が通る。七月の風は湿っているのに、いまだけ乾いていた。乾いている、と感じたのは、たぶん錯覚だ。錯覚でも、人はそれで助かる。
夜。窓の外で花火の音がした。まだ早い。どこかの誰かが季節を先取りし、音だけを投げ捨てていったのだろう。投げ捨てられた音が、悠の部屋の天井に張り付いて、小さく震え続ける。寝返りを打つと、肋骨がそれに触れてかすかに鳴る。骨は嘘をつかない。骨の鳴る場所にだけ、自分を信じられる瞬間がある。
画面が光る。
『今日の二本目、先輩と同じところに刺さりました。たぶん偶然じゃない。—杉浦』
指が勝手に動く。
『偶然でいい。偶然の重なりで、充分だ』
送ったあと、返事が来るまでの間が、昔より少し短く感じられた。時間の皮膚が薄くなり、向こう側の体温がほんのわずかに透けて感じられる。透けるのは、怖い。怖いは、同時に安堵だ。
救いは、いつも遅れてやってくる。遅れて来るぶん、こちらは待つ。待ちながら、練習する。練習は、赦しの前段階だ。赦せない自分を抱えたまま、正しい姿勢で立つこと。正しい呼吸で引くこと。外した矢の場所を、誰のせいにもせず見に行くこと。
そうやって、彼は少しずつ、少しだけ死に、少しずつ、少しだけ生き直す。
そして、遅れ気味の救いは、予告なしに、ふと顔を出す。
翌朝の点呼で、顧問は名簿を見ずに言った。「——悠、立ち位置は二立目右」
ただ、それだけ。
ただ、それだけの、微小な訂正。
“女子”でも“男子”でもない呼び方が、少しだけ彼の体温に似ていた。
彼は頷いた。頷くたびに、首の内側の固いものが少し融ける。融けたものが喉を通り、胸のほうに降りていく。降りていく道すがら、幾つかの古傷の縁に指をかけ、そこに残っていた硬い痂皮を撫でる。撫でられた痂皮は、はらりと落ちる。落ちる音は、誰にも聞こえない。
遅れて来た救いは、拍手を求めない。
ただ、そこにある。
あることに気づいた者だけが、体の重さを半分ほど手放せる。
軽くなった体で、彼はまた弦を持つ。
音を、借り、貸し、重ね、返す。
返す手つきが、すこしうまくなる。
その“すこし”を宗助は見逃さず、杉浦は誇張せず、悠は否認しない。
それで、今日は充分だ。
(第四章・了)
弓道場は、風鈴のない夏だ。音は弦だけ、紙の裂ける音だけ、畳に落ちる汗の点の音だけ。なのに外の蝉は容赦なく鳴く。生の宣言はいつでも図々しい。図々しさに囲まれると、静けさはかえって鋭くなる。鋭い静けさは、刃物の柄に似て手に馴染み、持っていることを忘れさせる。忘れたまま他人に触れると、血が出る。悠は、触らないことを覚えようとして、何度も失敗した。
大会が近い。名ばかりの選考会が週末に組まれ、誰がどの立ちで引くか、爪の先ほどの身勝手と正義が同じ皿で秤にかけられる。秤はいつだって嘘をつかないが、人は秤の目盛りに嘘を読み込む。そうすることで、秤に責任を押しつけ、自分は身軽に立ち去る。身軽さは罪とよく似合う。罪を軽々と持ち運ぶ者ほど、道徳の言葉を口にするのが速い。
朝の全体練習、指導係の三年が名簿を読み上げる。名前のうしろに“ちゃん”を付けて呼ばれる一年の女子たちの列、名字だけを呼び捨てにされる男子たちの列。そのどちらにも、悠は違和を覚える。自分の名前が読み上げられる直前、一拍の空白が滑り、呼び手は迷う。女子列に入れるべきか、男子列に混ぜるべきか、その迷いの重さが、毎度少しずつ増して、悠の肩に降り積もる。ようやく「悠」とだけ呼ばれる。助詞が省かれると、空気が少し冷える。冷えた空気の中で、誰かの視線が曇ガラスのようにこちらへ触れる。曇りは、悪意と同じだけ、無関心の色を含む。
その朝、道場の隅で二人の女子が囁いた。声はわざと小さく、届くように角度が付けられている。「あの先輩、さ」「でも体は」「どっちなんだろ」。哀れみの衣を着せた無邪気さほど、よく切れるものはない。悠は矢羽の毛並みを指で逆撫でし、逆立てたまま整え直した。毛は素直だ。素直であることは、世界の側にとって都合がいい。人間は毛ではないので、素直さのあとに必ず傷がくる。
「先輩」
杉浦が、いつもの距離感で立つ。距離を間違えないことは、彼の天性の残酷さであり、温情だった。近づきすぎない—けれど、かわしてもらう隙も与えない—その不思議な半径の内側で、悠は時折、自分を捨てることに成功する。捨てたものは、あとで拾えると人は思いがちだが、多くの場合、掃除の手が先に入る。
「立ち順、先輩と同じ立ちになりました」
「……そう」
「緊張して、手が汗で滑る。だから、先輩の音、借ります」
「音は貸し借りできない」
「借ります。勝手に」
勝手に、は、昔から彼の宣言形だ。勝手に、の裏には「でも責任は取る」が隠れている。年下が責任という単語を軽々と口にするとき、悠の胸は反射的に逆撫でされる。責任ほど、年齢の線引きを露骨にする言葉はない。彼は黙って頷いた。頷くことは、ときどき逃げるより難しい。
練習が始まる。四人立ちの静けさは、音楽の休符よりよく出来ている。一本ごとに呼吸が揃い、揃った呼吸の裂け目で、それぞれの孤独が顔を出す。孤独は顔を出しても人に撫でられず、手の置き場を失って、やがて矢に乗る。矢は孤独を運ぶ。中心に行けば慰めがあり、外れれば嘲りがある。慰めも嘲りも、弓の世界ではだいたい等価だ。全ては点数に還元されるからだ。点数は、神だ。
一本目、悠の矢は軽い腹を立てながらも、黒い円に触れた。二本目、外に流れ、三本目で戻る。隣で杉浦は、一枚目の紙の端を丁寧に揺らし、四本目で紙の中心をわずかに焦がす。焦げた匂いに、何故か安堵がまじる。燃焼の匂いは、生の副産物だ。生の近くにいると、人は不安を忘れやすい。不安を忘れたあとで、別の種類の不安を拾うことになるのに。
終わると拍手がわずかに起き、三年の一人が「杉浦、今年は楽しみだな」と言った。その“楽しみ”の内訳がどれだけ彼個人に支払われ、どれだけ部の体面に払われるか、卓上の算盤の音が聞こえるほどに明白だ。期待はいつでも、個人をバラして共同体の口へ運ぶ。共同体はそれを“伝統”と呼んで噛み直す。
引き終えたあと、用具室の鍵を取りに行くと、廊下の角で一年の男子がふたり、ひそひそと話していた。「悠先輩さ、男子トイレ使ってんの」「いや女子だろ」「でも—」。声が空気の裏側で膨らむ。膨らんだ声は、耳の内側から触ってくる。触られると、昔の廊下と昔の笑いが復活する。復活はたいてい暴力的だ。悠は足を止め、鍵を握り直した。鍵の金属は冷たく、冷たさだけが公平だった。
「何やってんすか」
ふいに背後から杉浦の声が落ちる。年下の声は、よく落ちる。軽い分だけ、真下に落ちる。ふたりは振り向き、「あ、いや」と笑い、笑いのまま逃げる。「すみません」とか「違うんで」とか、便利な言葉の棚から適当に手を伸ばし、空箱の音を立てて去る。空箱は軽い音で、あとに残る。
「先輩、用具室、俺が鍵持ちます」
「いい」
「俺が持つ」
差し出された掌は、細い筋と薄い豆で出来ていて、汗で少しだけ湿っている。湿りは生の証で、証はときにうるさい。うるさいから、悠は短くうなずいて鍵を渡した。渡した瞬間、意味のない敗北感が喉に刺さる。敗北の大半は意味がない。意味のない敗北を拾って並べるのが、たいてい“自尊心”というやつの正体だ。
午後、選考会の確認があり、部長が名簿を読み直す。今度ははっきりと、「——女子、悠」と言った。言い直さず、そのまま次の名前へ進む。空気が一瞬遅れて意識する。「女子」の二文字は、その場に居る全員の血液中の鉄に触れて沈み、顔色を見えない場所で微かに変える。誰も声に出さないが、風向きが変わる。風向きが変わると、軽いものから向きを変える。軽い視線、軽い囁き、軽い配慮。軽いものが積もると、石になる。
杉浦は、顔を上げて部長を見た。見ただけだ。言わない。言わないまま、彼はぱちりと瞬きをして、次の瞬間に視線を悠へ戻す。戻す途中、彼の目の奥で何か硬いものが整列する。整列には時間がかかる。かかった時間の分だけ、整列は決意に近づく。
練習の中休み、杉浦が淡々と言った。「俺、明日、先生に立ち位置の話します」。
「何の」
「名簿の言い方とか」
「やめろ」
「どうして」
「揉め事が増える」
「揉め事は、最初にやるのが安い」
年下の言い回しは、ときどき妙に商売じみていて、その軽さに救われる。救われる自分を、悠は好きではない。好きでない自分を、誰かが好きだと言ったとき、人はたいてい泣く。泣くのは面倒で、面倒から逃げるために、彼は強い口調を選ぶ。
「俺は別に、どっちでもいい」
「先輩が“どっちでもいい”って言うとき、どっちでもよくない」
「決めつけるな」
「決めないと、いつまでたっても、“どっち”が先輩の肩に乗ったままです」
“肩に乗る”という比喩は、彼には珍しく湿っていた。湿りのある比喩は、痛みを遅らせる。遅れた痛みは、夜にやってくる。夜の痛みは、人間の神経の裏口から入って、寝返りのたびに家具を蹴倒す。家具の音で家の人は起きない。起きない音ばかり増えていく。
その日、宗助は道場の縁で遠巻きにふたりを見て、「ああ、進んでる」と小さく呟いた。進んでいるのか、と悠は心の中で反問する。進むというのは、階段を上がることだけではない。底の泥を攪拌して、別の濁りを表面に浮かべることだって“進む”に含まれる。進んで、その濁りに自分の顔が映ったとき、人は正気を保てるか。保てなければ、別の言葉で言い直す。「成長」とか「受容」とか。言い直すのは、だいたい生き延びる技術の一部だ。
夜。家の風呂場は狭く、蒸気が鏡に模様を描く。指で拭えば拭うほど、曇りの縁が広がり、真ん中だけやけに露骨に自分の顔を見る。露骨は不親切だ。バインダーの跡が皮膚に斜線を残し、斜線の意味ばかりが濃くなる。意味に輪郭が与えられると、逃げ場が減る。逃げ場を減らしたあとで、あの少年の顔が浮かぶ。浮かぶたび、逃げる方向がひとつなくなる。方向が減ると、深さが増える。深さは、恐怖とよく似合う。
翌日、杉浦は本当に顧問に話をした。放課後の誰もいない職員室の前、廊下のベンチに腰を下ろし、彼は順番を待つ。待つ姿が幼く見えないのは、彼が待つことの意味を知っているからだ。順番が来ると、静かに入っていき、静かに出てくる。出てきた顔は何も増やしていないように見えたが、目の奥の整列は昨日より整っていた。
「どうだった」
「話は通った。すぐには何も変わらないけど、次から変えてみるって」
すぐには、何も変わらない。救いは、いつでも遅れてやってくる。遅れて来るぶん、古傷の縁に新しい皮膚が張ってから触れてくるので、触れられたときにはもう出血はしない。代わりに、深いところで鈍い痒みが続く。それが治癒の合図だと、人は誰から教わるのだろう。多分、誰からでもない。長い時間の反復だけが教える。
週末の選考会。湿った空気の中で、紙が黙って張られ、矢の腹筋が次々と試される。部長が、名簿を読み出す。
「第一立——杉浦、……悠」
一拍、きちんと置かれた空白のあと、ただ名前だけが呼ばれた。助詞はない。性の装飾もない。あるのは呼び名だけ。曖昧とも配慮ともつかないその呼び方が、今日に限っては救いに見えた。救いは、相対だ。昨日と比べて、今日が少しだけ痛くない。それだけで、立てる。
立ちの前、杉浦がささやく。「音、借ります」
「返せよ」
「利子つけて」
「いらない」
「じゃあ、別の形で」
別の形。言葉は具体を避け、約束はわざとぼやけた。ぼやけは、今の彼らにとって最適の硬度だった。硬すぎる約束は折れる。柔らかすぎる約束は溶ける。折れず、溶けず、遅れて届く約束だけが、現実の湿度に耐える。
一本目。杉浦が静かに伸び上がり、弦をはなつ。音が梁を渡り、悠の骨に届く。届いた音は、借り物のはずなのに、何故か自分の体温に馴染み、逆に自分の矢を引き出す。放つ。二本目、三本目。中心と外側を行き来するうち、彼は気づく。外した矢が教えるもののほうが、当たった矢のそれより濃いという事実に。外れ方に誠実でいられるとき、人は他者にも誠実でいられる。誠実は、のちに自傷と誤解される。誤解の痛みを甘受する力を、人はどこから得るのか。多分、借り物だ。借りている間に、所有権が曖昧になる。
引き終えて、控えの席に戻る。汗が耳の裏で固まり、塩の気配がする。杉浦はハンカチを投げ、悠はそれを受けとるふりをして膝の上に置く。置く、という身振りが、異様に優しかった。優しさは、痛みの形をしている。第三章で覚えた言葉が、遅れて胸に落ちる。遅れて落ちるものは、音を立てない。
帰り道、宗助が自販機の前で待っていて、缶コーヒーを二本、無言で差し出した。甘いほうを杉浦へ、無糖を悠へ。選び方に説明はいらない。説明のいらない配慮は、残酷さの反対側にある。反対側といっても、同じ道の両端だ。真ん中はいつでも空いている。空いている真ん中に、彼らはまだ立てない。
「で、どうする」宗助が言う。「救い、もらう?」
「来るらしい」と杉浦が答える。「遅れて」
「遅れるなら、待つ筋肉が要るな」と宗助。
待つ筋肉。新しい比喩は、新しい痛みと同じ速さで根を張る。悠は少し笑った。笑いはまだぎこちない。ぎこちなさは、正直の別名だ。
「練習するよ。待つ練習」
「練習、得意でしょ」と杉浦。
「得意だ。逃げるのも」
「じゃあ、追うのも俺が練習する」
三人の間に、風が通る。七月の風は湿っているのに、いまだけ乾いていた。乾いている、と感じたのは、たぶん錯覚だ。錯覚でも、人はそれで助かる。
夜。窓の外で花火の音がした。まだ早い。どこかの誰かが季節を先取りし、音だけを投げ捨てていったのだろう。投げ捨てられた音が、悠の部屋の天井に張り付いて、小さく震え続ける。寝返りを打つと、肋骨がそれに触れてかすかに鳴る。骨は嘘をつかない。骨の鳴る場所にだけ、自分を信じられる瞬間がある。
画面が光る。
『今日の二本目、先輩と同じところに刺さりました。たぶん偶然じゃない。—杉浦』
指が勝手に動く。
『偶然でいい。偶然の重なりで、充分だ』
送ったあと、返事が来るまでの間が、昔より少し短く感じられた。時間の皮膚が薄くなり、向こう側の体温がほんのわずかに透けて感じられる。透けるのは、怖い。怖いは、同時に安堵だ。
救いは、いつも遅れてやってくる。遅れて来るぶん、こちらは待つ。待ちながら、練習する。練習は、赦しの前段階だ。赦せない自分を抱えたまま、正しい姿勢で立つこと。正しい呼吸で引くこと。外した矢の場所を、誰のせいにもせず見に行くこと。
そうやって、彼は少しずつ、少しだけ死に、少しずつ、少しだけ生き直す。
そして、遅れ気味の救いは、予告なしに、ふと顔を出す。
翌朝の点呼で、顧問は名簿を見ずに言った。「——悠、立ち位置は二立目右」
ただ、それだけ。
ただ、それだけの、微小な訂正。
“女子”でも“男子”でもない呼び方が、少しだけ彼の体温に似ていた。
彼は頷いた。頷くたびに、首の内側の固いものが少し融ける。融けたものが喉を通り、胸のほうに降りていく。降りていく道すがら、幾つかの古傷の縁に指をかけ、そこに残っていた硬い痂皮を撫でる。撫でられた痂皮は、はらりと落ちる。落ちる音は、誰にも聞こえない。
遅れて来た救いは、拍手を求めない。
ただ、そこにある。
あることに気づいた者だけが、体の重さを半分ほど手放せる。
軽くなった体で、彼はまた弦を持つ。
音を、借り、貸し、重ね、返す。
返す手つきが、すこしうまくなる。
その“すこし”を宗助は見逃さず、杉浦は誇張せず、悠は否認しない。
それで、今日は充分だ。
(第四章・了)



