春という季節の名前は、たいていの人間にとって救いの暗号のように働くが、悠にとっては薄い膜でしかない。温度が上がり、風がやわらぐ。校舎の廊下の埃は光の粒に変わり、弓道場の床板は日差しを受けて飴色に艶めく。そういうものが「大丈夫」を装って押し寄せるときほど、彼の内側の水は濁って匂いを放つ。蓋をしていたはずの桶が、音を立てずに膨張し、板目の隙間から滲み出す。誰にも見えない汚れは、見えないことを免罪符にして生き延び、やがて形になる。形になったものは、言葉を欲しがる。言葉を与えられた汚れほど始末に困るものはない。
昼練の道場は、午前の冷気を薄く残している。畳の目に沿って粉塵が泳ぎ、木の香りに人肌の残り香が混じる。ここは、清潔のふりをしている場所だ。汗は拭かれる、土は掃き出される、矢束は平等に並ぶ。けれど人間だけが、整列を拒む。呼吸の数だけ乱れ、眼差しの数だけ嘘をつく。
杉浦がいる。矢羽を指先で撫で、一本一本の癖を確かめる。使い込まれた道具のような癖ではなく、若い筋肉の弾力のような癖だ。目はあいかわらず透明で、透明であることの暴力を自覚していない。自覚していないやさしさほど、人を追い詰めるものはない。
「先輩」
簡単に呼ぶ。簡単に呼ぶ音が、悠の古傷の縁を踏む。踏んだことに気づかないまま、踏んだ重さだけは正確に残していく。彼は振り返らない。振り返らないが、耳はその音を飲み込んでしまう。
「今日、手合わせを」
「俺なんかとやっても、得るものは少ない」
「俺がやりたいんです」
欲望の言い方を知っている。年下にしては、欲望をまっすぐに持っている。まっすぐに持たれた欲望は、正しそうに見えるぶんだけ厄介だ。ゆがんだものは否定できるが、健康は論破しづらい。健康が近づくたび、悠の病巣は疼く。病巣は触られると疼き、疼くと存在を主張する。主張は、他者の身体を必要とする。彼は頷く。頷いた瞬間、負けが決定する。
弦をかけ、弓を立て、呼吸を合わせる。矢羽が頬に触れる。一本目を放つ。音が、静けさの腹に吸い込まれていく。続けて二本目。的紙が震え、藁の奥で鈍く止まる。杉浦が、ほとんど同時に二本を重ねてきた。音が重なったとき、人と人の間にある見えない糸がたわむ。たわんだ糸は切れやすく、切れなくても絡まる。絡まったものをほどくのは、たいてい年上の役目だが、悠は指先にほどくための温度を持ち合わせていない。
「先輩の矢、優しい」
「矢に性格はない」
「あります。包む感じがする」
「包むというのは、中心から外へ押しやる暴力の言い換えだ」
「じゃあ、俺は包まれたいです」
小さな笑いが差し込む。笑いは隙だ。隙に指を差し入れれば、人は簡単に崩れる。崩れる瞬間の音は甘い。いちど味わうと、忘れがたい。やめろ、と言うべきところで、悠は言わない。言わないでいる間に、音は内側で増殖する。
「……杉浦。お前は俺を誤解してる」
「どこをですか」
「お前が好きになっていいような人間じゃない」
「俺が決めます」
彼の声は、傷の上に落とした氷の破片のように冷たく澄む。冷たさが、逆に熱を呼び起こす。悠の中の、嫌な熱だ。嫉妬と憎悪と欲望の境目が融けて混ざった、古い熱。誰にも見せたくなかった熱。人はそれを「生きている」と呼ぶことがあるが、悠は別の名を付けておきたい。生き残るための残渣、とか。呼吸の副産物、とか。どのみち、名前をつけた瞬間にそれは彼の所有物になり、所有物になった瞬間、責任が発生する。責任は苦手だ。苦手だから、彼はいつでも「逃げる」を選んできた。
「やめろ」
「何を」
「俺を好きになるのを」
「嫌です」
嫌、という二文字が、あまりにも軽く、あまりにも重い。年下はこういうとき、世界に信用状を無限に切る。返済の期限を知らない支払いほど強いものはない。悠は矢をつかみ、弓袋に乱暴に押し込む。動作の荒さが、子どもっぽいと自分で気づく。気づいた瞬間、その幼さが恥に変わり、恥は怒りに乗り換えられる。怒りを向ける相手を間違えない人間は、そう多くない。悠はたいてい、世界と自分を間違える。
「帰る」
背中に刺さる呼び声が、明るさの形をしているぶんだけ刺さる。明るい刃物は、鈍く見えるのに深く入る。よく切れる。血は見えないのに、匂いだけははっきり残す。彼は匂いに弱い。過去が匂うからだ。月の周期、体育のシャワー室、制服の襟に残る柔軟剤、電車の混雑した車両。匂いはいつでも、「女」を連れてくる。「男」でいたいという単純な願いが、匂いひとつに足元をすくわれる。匂いで負ける。負けるたびに、言葉が汚れる。汚れた言葉で自分を殴る。殴りやすいところだけ腫れ、目立つ。目立つ腫れを見て、また殴る。それを「思春期」などと呼んで済ませたくはないが、便利な箱があると人はそこへ投げ込む。箱に名前が書いてあるほうが、運ぶ手間が省けるからだ。
夜、鏡。胸のバインダーの痕は、昼よりも濃い。皮膚は記憶力がいい。締めつけの時間を正確に記録し、色で日記をつける。悠は鏡を見るたび、読まされる。読みたくない日記ほど、誤字が少ない。誤字が少ないと、訂正の余地がない。訂正できないものを前にしたとき、人は沈黙する。沈黙は内側に向かい、内側を腐らせる。腐敗に気づいたとき、すでに匂っている。匂いは、生き物を集める。記憶、罪悪感、そして「好き」という名の、餌を求める動物たち。
メッセージが届く。
『先輩、明日も見てください。今日、最後の一本、先輩が見てると思ったら真ん中に入りました。—杉浦』
真ん中。中心。彼はすぐ中心に言葉を刺してくる。中心に刺さった言葉は抜けない。抜くと穴が残る。穴を見ていると、人はそこへ落ちる。落ちてしまえば、落ちた先を故郷と呼ぶしかない。帰らない言い訳のために、故郷は増える。悠にはいくつも故郷がある。呼び名の違う逃げ場だ。弓道場、夜の浴室、布団の谷、机の上の小さな鏡。どこも彼を庇い、どこも彼を許さない。
返信欄に「明日、行く」と打つ。送る。すぐに『やった』が返る。「やった」は無害な顔をして、彼の胸郭を指で叩く。叩いた指先の位置が、あとに痣を残す。小さな、青い痣。翌朝には黄色になり、黄はやがて薄茶になって消え、消えたと錯覚した頃に別の場所に同じ色が出る。人間の体は、覚えることと忘れることを同時にやる。どちらか片方に寄れば楽だが、体は善良だから両方をやる。善良さはときに罪だ、と悠は思う。善良な体がおこなった両立の結果を、心が支えきれないことがある。
翌日の道場。
杉浦は先に来ている。道具の手入れをする手つきが、すこし上手くなっている。学ぶ速度がいい。吸収の良さは、若さの特権であり、鈍さへの侮辱でもある。侮辱されてはいないのに、侮辱された気がするのは、劣等感のほうが先に準備運動を終えているからだ。
「昨日は、言いすぎました」
出迎えるように頭を下げる。謝罪の姿勢に、誇りの影がない。影のない謝罪は、受け入れられやすく、却って罪が重い。
「気にしてない」
「本当に?」
「嘘なら、もっと上手くつく」
「じゃあ、信じます」
練習は、沈黙の配列になった。発話の空欄に、矢の音だけが規則正しく並ぶ。規則があると、秩序がある気がする。秩序がある気がすると、人は安心する。安心したところで、秩序の外側から別のものがやってくる。沈黙の配列には、突然の語が似合う。
「俺、昨日の“好き”、取り消しません」
矢をつがえる手が止まる。止まった手を、彼は見られている。見られると、手が自分のものではなくなる。外部から照らされた身体は、他人の家具のように所在なくなる。
「脅しか」
「宣言です」
「応えられない」
「知ってます。それでも言います」
彼は、善意の形をした凶器を持っている。刃は丸いが重さがある。骨に届くまで打つことができる。打たれた骨は、音を記憶する。記憶した音が、夜に鳴る。夜に鳴る音のせいで、眠りが浅くなる。浅い眠りは、翌日の針を鈍らせる。鈍った針は刺さらないのに、刺さらないことに苛立って、余計に刺そうとする。そんな反復の中で、人は簡単に「性格」を作る。悠は自分の「性格」を嫌っている。嫌っているが、持ち運んでいる。持ち運ぶうちに、愛着が出る。愛着の出た嫌悪は、信仰に近い。
「ずるいですよ、先輩」
杉浦は静かに言う。攻撃の角が立っていないのに、きちんと刺さる。
「ずるい?」
「好きになれないって言いながら、逃げるだけで俺を突き放さない。突き放さないでいてほしいくせに、近づくなって言う」
「……言葉にするな」
「言葉にしないと、俺は触れられない」
言葉は触覚の代用品だ。触ってはいけないものを、語彙の皮手袋で握る。手袋越しなら許されると信じて、何度も触る。手袋はいつか破れる。破れたとき、皮膚が直に当たる。そこから感染が始まる。感染は、癒やしの別名でもある。どちらの名前を使うかは、その日の天気と、側にいる人間の声色に左右される。
「俺は、男として生きたい。でも、体は女だ」
「知ってます」
「それでも好きだと?」
「だからです」
だから。理由の最短形。正当化の最短距離。悠は笑う。笑いは、よく出来た嘘の最初の合図だ。次に続く嘘は、だいたい滑らかだ。
「どうかしてる」
「どうかしてるのは、先輩のほう」
呼吸が乱れる。乱れを整えるために、弦を引く。引くと、指の震えが収束する。嘘をつくと、的が近く見える。近く見える的の中心に、矢が入る。的が素直に受け入れると、悠はたちまち疑う。簡単に受け入れられたとき、人は罠を探す。罠が見つからないとき、罠を発明する。発明は才能だが、破滅のほうへ働くことが多い。彼は才能がある。
夕刻、道場の軒先に薄い雲の腹が垂れこめ、夜には雨になった。雨は、音を増やすふりをして、世界から音を減らす。ざあざあという均質な幕の向こうで、個別の音は匿名になる。匿名になった世界は、人に残酷さの免罪符を与える。誰でもない誰かとして、悠は夜の道場に戻っていた。鍵は古く、許可を得ずとも回せる緩さを持っている。緩い鍵のある場所に、人は集まりやすい。罪悪感は、緩い鍵を好む。言い訳が豊富だからだ。
照明をつける。床に薄光が刺し、雨粒の音が屋根を洗う。矢を持つ。引く。放つ。放つたび、目の奥がぴくりと痛む。涙腺という蛇口は、彼の意思に反して緩む。泣きたかったわけではない。ただ、溢れる水が出口を見つけたにすぎない。出口を見つけた水は、安心する。安心した水は、少しだけ温かい。
「先輩」
扉が開く音。濡れたゴムの匂い。若い呼気。杉浦だ、と判断する前に体が知っている。彼は傘も差さずに立っている。濡れた髪が額に貼りつき、制服が皮膚に密着して、少年の輪郭を強調する。年下の輪郭は、まだ「これから」の余白を広く持っている。余白の広さは、残酷の余力でもある。
「何してるんですか」
「練習」
「夜です」
「夜は練習に向いてる」
「風邪ひきます」
「……お前こそ、なんで来た」
「先輩の位置が夜の地図から消えた気がして、怖くなった」
怖くなった。年下が「怖い」を使うとき、その音はまっすぐで、言い訳が混じらない。大人が使う「怖い」は、だいたい別の意味の薄い外套を着ている。彼の「怖い」は裸だ。裸の言葉は、見るに堪えないほど美しい瞬間がある。美しいものを嫌悪するのは、醜いことではなく、生存の知恵だ、と悠は自分に言う。言っておいて、信用はしない。
「来ないでほしかった」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘です」
嘘だと断定されることは、奇妙な安堵を人にもたらす。「そうか、嘘でよかった」と、心のどこかが骨を下ろす。骨は床に触れると、ほっとする。ほっとする音は、涙の合図でもある。
「やめろ」
「やめません」
「俺はお前を傷つける」
「構いません」
「俺はお前を愛せない」
「それでも好きです」
会話は、刃の交換に似ている。相手が突き出した刃を受け取り、自分の刃を差し出す。受け取った刃に、自分の体温が移る。熱が移った刃は、少しだけ鈍くなる。鈍くなった刃で刺すと、傷は深く、治りにくい。治りにくい傷は、付き合いが長い。長く付き合っているうち、傷は関係になる。関係は、美談に似ていく。似てしまえば、逃げにくい。
「……馬鹿だよ、お前」
「知ってます」
杉浦の返答はいつも短い。短さが、悠の長い言い訳を切断する。切断されて露出した断面が、夜気に触れて疼く。疼くところに、年下の手が置かれる。置かれただけで痛みが変質する。厄介なのは、彼の手が汚れていないことだ。汚れていない手に触れられると、触れられた側の汚れが際立つ。際立った汚れは、名前を求める。ほんとうに、もうやめてくれ、と悠は思う。名付けは、所有であり、赦しであり、呪いだ。
濡れた床が冷たい。蛍光灯の光が反射し、細い白の筋を作る。その筋は、矢の道筋に似ている。真っ直ぐで、逃げ場がない。真っ直ぐであることを羨み、憎み、恋う。矛盾は、息をする。
「先輩」
杉浦は一歩、近づく。距離の計り方を知っている。相手の恐れを刺激しない限界線ぎりぎりの場所に立つ。立ちながら、引かない。引かない覚悟は、若さの特権であり、残酷の証明でもある。
「俺、先輩に嫌われても、先輩を好きでいます」
「勝手だ」
「勝手です」
「勝手は罪だ」
「じゃあ、俺は罪人です」
罪人。軽やかに言われると、言葉の歴史が薄くなる。薄くなった罪は、持ち運びやすい。彼はどこへでも持っていくつもりだ。学校にも、道場にも、帰り道にも。罪の軽さに、悠が堪えられない。堪えられないのは、彼が罪を軽く扱っているからではなく、悠が重く抱えすぎているからだ。重さの自慢ほど、みっともないものはない。みっともない自分を直視するには、明かりが強すぎる。雨の夜でよかった、と一瞬だけ思う。音が均され、輪郭がぼやける。ぼやけた輪郭のなかで、二人だけがやけに輪郭を持って立っている。その異様さが、まるで祝福のようで、呪いのようだ。
泣く。泣くことに意味はない。意味がないから、正しい。意味を与えられた涙は、鑑賞用に飼いならされ、弱くなる。弱くなった涙は、飢えた場所に届かない。悠の飢えは、長い時間をかけて堆積してきた。栄養失調の心は、甘いものを嫌う。嫌うのに、差し出される。差し出されるから、噛む。噛んだ舌が血を出す。血を飲む。鉄の味。生きている証明は、味覚に宿る。味がする限り、死なない。
「……ほんとに、馬鹿だ」
「先輩のこと、好きな馬鹿です」
この会話は、何度でも繰り返される予感がする。繰り返されるものは、祈りに似る。祈りは、誰に向けるかを決めないときにいちばん強い。決めないまま、二人はそこに立っている。矢の音の残響が、雨の膜に吸い込まれていく。吸い込まれながら、内側で鳴る。鳴り続けるものがある限り、人は壊れきれない。壊れきれないことが、ときに救いであり、ときに罰だ。
杉浦は、何も求めないふりをするのが上手い。上手いふりは、検索を遅らせる。彼の欲望は、遅れて届く。届いたとき、悠はもう逃げ場を使い切っている。使い切った逃げ場の床に、梯子が置かれている。宗助が言った、あの比喩。好きは罠にも梯子にもなる。梯子の上は風が強い。風にさらされるのは、良い。良いのは、怖い。怖いのは、生きている。生きているのは、面倒くさい。面倒くさいのは、逃げたくなる。逃げても、立ち上がる少年がいる。少年は、雨に濡れても風邪をひかないと信じている。信じているうちは、ほんとうに風邪をひかないことがある。世界は時々、信仰に合わせて優しくなる。優しさは長続きしない。しないから、今だけがやけに明るい。
悠は、笑いながら、泣いている顔を隠さないほうを選んだ。隠すことに飽きた、というより、隠すだけの筋力が尽きた。尽きた筋肉は、必ず痛む。痛む場所を、杉浦は正確に撫でる。撫でる手の無垢さに、毒が差す。毒は、解熱剤にもなる。身体は矛盾を使って生き延びる。矛盾が多いほど、生存の技術は洗練される。洗練は、孤独の別名だ。
遠くで雷が鳴る。世界が、ほんの少しだけ、ふたりに同意したような気がした。気がしただけだ。それで十分だ。気がした、という小さな勘違いを足場に、人は明日をやり過ごす。やり過ごしているうちに、明日がこちらを見返す。見返した目が、杉浦の目に似ていると、悠は思ってしまう。思ってしまったことは取り消せない。取り消せないものの数が増えるたびに、人は大人になる。なりたくなかった大人に、なっていく。なっていく途中で、年下に手を引かれる。手を引く年下の掌が温かい。温かさは、平等に残酷だ。
雨は、やみそうで、やまない。
やまない音の下で、的の中心は黙っている。
黙っている中心に、彼らは何度でも狙いをつける。
狙いをつけるのは、生きていくということの、いちばん単純な練習だった。
(第二章・了)
昼練の道場は、午前の冷気を薄く残している。畳の目に沿って粉塵が泳ぎ、木の香りに人肌の残り香が混じる。ここは、清潔のふりをしている場所だ。汗は拭かれる、土は掃き出される、矢束は平等に並ぶ。けれど人間だけが、整列を拒む。呼吸の数だけ乱れ、眼差しの数だけ嘘をつく。
杉浦がいる。矢羽を指先で撫で、一本一本の癖を確かめる。使い込まれた道具のような癖ではなく、若い筋肉の弾力のような癖だ。目はあいかわらず透明で、透明であることの暴力を自覚していない。自覚していないやさしさほど、人を追い詰めるものはない。
「先輩」
簡単に呼ぶ。簡単に呼ぶ音が、悠の古傷の縁を踏む。踏んだことに気づかないまま、踏んだ重さだけは正確に残していく。彼は振り返らない。振り返らないが、耳はその音を飲み込んでしまう。
「今日、手合わせを」
「俺なんかとやっても、得るものは少ない」
「俺がやりたいんです」
欲望の言い方を知っている。年下にしては、欲望をまっすぐに持っている。まっすぐに持たれた欲望は、正しそうに見えるぶんだけ厄介だ。ゆがんだものは否定できるが、健康は論破しづらい。健康が近づくたび、悠の病巣は疼く。病巣は触られると疼き、疼くと存在を主張する。主張は、他者の身体を必要とする。彼は頷く。頷いた瞬間、負けが決定する。
弦をかけ、弓を立て、呼吸を合わせる。矢羽が頬に触れる。一本目を放つ。音が、静けさの腹に吸い込まれていく。続けて二本目。的紙が震え、藁の奥で鈍く止まる。杉浦が、ほとんど同時に二本を重ねてきた。音が重なったとき、人と人の間にある見えない糸がたわむ。たわんだ糸は切れやすく、切れなくても絡まる。絡まったものをほどくのは、たいてい年上の役目だが、悠は指先にほどくための温度を持ち合わせていない。
「先輩の矢、優しい」
「矢に性格はない」
「あります。包む感じがする」
「包むというのは、中心から外へ押しやる暴力の言い換えだ」
「じゃあ、俺は包まれたいです」
小さな笑いが差し込む。笑いは隙だ。隙に指を差し入れれば、人は簡単に崩れる。崩れる瞬間の音は甘い。いちど味わうと、忘れがたい。やめろ、と言うべきところで、悠は言わない。言わないでいる間に、音は内側で増殖する。
「……杉浦。お前は俺を誤解してる」
「どこをですか」
「お前が好きになっていいような人間じゃない」
「俺が決めます」
彼の声は、傷の上に落とした氷の破片のように冷たく澄む。冷たさが、逆に熱を呼び起こす。悠の中の、嫌な熱だ。嫉妬と憎悪と欲望の境目が融けて混ざった、古い熱。誰にも見せたくなかった熱。人はそれを「生きている」と呼ぶことがあるが、悠は別の名を付けておきたい。生き残るための残渣、とか。呼吸の副産物、とか。どのみち、名前をつけた瞬間にそれは彼の所有物になり、所有物になった瞬間、責任が発生する。責任は苦手だ。苦手だから、彼はいつでも「逃げる」を選んできた。
「やめろ」
「何を」
「俺を好きになるのを」
「嫌です」
嫌、という二文字が、あまりにも軽く、あまりにも重い。年下はこういうとき、世界に信用状を無限に切る。返済の期限を知らない支払いほど強いものはない。悠は矢をつかみ、弓袋に乱暴に押し込む。動作の荒さが、子どもっぽいと自分で気づく。気づいた瞬間、その幼さが恥に変わり、恥は怒りに乗り換えられる。怒りを向ける相手を間違えない人間は、そう多くない。悠はたいてい、世界と自分を間違える。
「帰る」
背中に刺さる呼び声が、明るさの形をしているぶんだけ刺さる。明るい刃物は、鈍く見えるのに深く入る。よく切れる。血は見えないのに、匂いだけははっきり残す。彼は匂いに弱い。過去が匂うからだ。月の周期、体育のシャワー室、制服の襟に残る柔軟剤、電車の混雑した車両。匂いはいつでも、「女」を連れてくる。「男」でいたいという単純な願いが、匂いひとつに足元をすくわれる。匂いで負ける。負けるたびに、言葉が汚れる。汚れた言葉で自分を殴る。殴りやすいところだけ腫れ、目立つ。目立つ腫れを見て、また殴る。それを「思春期」などと呼んで済ませたくはないが、便利な箱があると人はそこへ投げ込む。箱に名前が書いてあるほうが、運ぶ手間が省けるからだ。
夜、鏡。胸のバインダーの痕は、昼よりも濃い。皮膚は記憶力がいい。締めつけの時間を正確に記録し、色で日記をつける。悠は鏡を見るたび、読まされる。読みたくない日記ほど、誤字が少ない。誤字が少ないと、訂正の余地がない。訂正できないものを前にしたとき、人は沈黙する。沈黙は内側に向かい、内側を腐らせる。腐敗に気づいたとき、すでに匂っている。匂いは、生き物を集める。記憶、罪悪感、そして「好き」という名の、餌を求める動物たち。
メッセージが届く。
『先輩、明日も見てください。今日、最後の一本、先輩が見てると思ったら真ん中に入りました。—杉浦』
真ん中。中心。彼はすぐ中心に言葉を刺してくる。中心に刺さった言葉は抜けない。抜くと穴が残る。穴を見ていると、人はそこへ落ちる。落ちてしまえば、落ちた先を故郷と呼ぶしかない。帰らない言い訳のために、故郷は増える。悠にはいくつも故郷がある。呼び名の違う逃げ場だ。弓道場、夜の浴室、布団の谷、机の上の小さな鏡。どこも彼を庇い、どこも彼を許さない。
返信欄に「明日、行く」と打つ。送る。すぐに『やった』が返る。「やった」は無害な顔をして、彼の胸郭を指で叩く。叩いた指先の位置が、あとに痣を残す。小さな、青い痣。翌朝には黄色になり、黄はやがて薄茶になって消え、消えたと錯覚した頃に別の場所に同じ色が出る。人間の体は、覚えることと忘れることを同時にやる。どちらか片方に寄れば楽だが、体は善良だから両方をやる。善良さはときに罪だ、と悠は思う。善良な体がおこなった両立の結果を、心が支えきれないことがある。
翌日の道場。
杉浦は先に来ている。道具の手入れをする手つきが、すこし上手くなっている。学ぶ速度がいい。吸収の良さは、若さの特権であり、鈍さへの侮辱でもある。侮辱されてはいないのに、侮辱された気がするのは、劣等感のほうが先に準備運動を終えているからだ。
「昨日は、言いすぎました」
出迎えるように頭を下げる。謝罪の姿勢に、誇りの影がない。影のない謝罪は、受け入れられやすく、却って罪が重い。
「気にしてない」
「本当に?」
「嘘なら、もっと上手くつく」
「じゃあ、信じます」
練習は、沈黙の配列になった。発話の空欄に、矢の音だけが規則正しく並ぶ。規則があると、秩序がある気がする。秩序がある気がすると、人は安心する。安心したところで、秩序の外側から別のものがやってくる。沈黙の配列には、突然の語が似合う。
「俺、昨日の“好き”、取り消しません」
矢をつがえる手が止まる。止まった手を、彼は見られている。見られると、手が自分のものではなくなる。外部から照らされた身体は、他人の家具のように所在なくなる。
「脅しか」
「宣言です」
「応えられない」
「知ってます。それでも言います」
彼は、善意の形をした凶器を持っている。刃は丸いが重さがある。骨に届くまで打つことができる。打たれた骨は、音を記憶する。記憶した音が、夜に鳴る。夜に鳴る音のせいで、眠りが浅くなる。浅い眠りは、翌日の針を鈍らせる。鈍った針は刺さらないのに、刺さらないことに苛立って、余計に刺そうとする。そんな反復の中で、人は簡単に「性格」を作る。悠は自分の「性格」を嫌っている。嫌っているが、持ち運んでいる。持ち運ぶうちに、愛着が出る。愛着の出た嫌悪は、信仰に近い。
「ずるいですよ、先輩」
杉浦は静かに言う。攻撃の角が立っていないのに、きちんと刺さる。
「ずるい?」
「好きになれないって言いながら、逃げるだけで俺を突き放さない。突き放さないでいてほしいくせに、近づくなって言う」
「……言葉にするな」
「言葉にしないと、俺は触れられない」
言葉は触覚の代用品だ。触ってはいけないものを、語彙の皮手袋で握る。手袋越しなら許されると信じて、何度も触る。手袋はいつか破れる。破れたとき、皮膚が直に当たる。そこから感染が始まる。感染は、癒やしの別名でもある。どちらの名前を使うかは、その日の天気と、側にいる人間の声色に左右される。
「俺は、男として生きたい。でも、体は女だ」
「知ってます」
「それでも好きだと?」
「だからです」
だから。理由の最短形。正当化の最短距離。悠は笑う。笑いは、よく出来た嘘の最初の合図だ。次に続く嘘は、だいたい滑らかだ。
「どうかしてる」
「どうかしてるのは、先輩のほう」
呼吸が乱れる。乱れを整えるために、弦を引く。引くと、指の震えが収束する。嘘をつくと、的が近く見える。近く見える的の中心に、矢が入る。的が素直に受け入れると、悠はたちまち疑う。簡単に受け入れられたとき、人は罠を探す。罠が見つからないとき、罠を発明する。発明は才能だが、破滅のほうへ働くことが多い。彼は才能がある。
夕刻、道場の軒先に薄い雲の腹が垂れこめ、夜には雨になった。雨は、音を増やすふりをして、世界から音を減らす。ざあざあという均質な幕の向こうで、個別の音は匿名になる。匿名になった世界は、人に残酷さの免罪符を与える。誰でもない誰かとして、悠は夜の道場に戻っていた。鍵は古く、許可を得ずとも回せる緩さを持っている。緩い鍵のある場所に、人は集まりやすい。罪悪感は、緩い鍵を好む。言い訳が豊富だからだ。
照明をつける。床に薄光が刺し、雨粒の音が屋根を洗う。矢を持つ。引く。放つ。放つたび、目の奥がぴくりと痛む。涙腺という蛇口は、彼の意思に反して緩む。泣きたかったわけではない。ただ、溢れる水が出口を見つけたにすぎない。出口を見つけた水は、安心する。安心した水は、少しだけ温かい。
「先輩」
扉が開く音。濡れたゴムの匂い。若い呼気。杉浦だ、と判断する前に体が知っている。彼は傘も差さずに立っている。濡れた髪が額に貼りつき、制服が皮膚に密着して、少年の輪郭を強調する。年下の輪郭は、まだ「これから」の余白を広く持っている。余白の広さは、残酷の余力でもある。
「何してるんですか」
「練習」
「夜です」
「夜は練習に向いてる」
「風邪ひきます」
「……お前こそ、なんで来た」
「先輩の位置が夜の地図から消えた気がして、怖くなった」
怖くなった。年下が「怖い」を使うとき、その音はまっすぐで、言い訳が混じらない。大人が使う「怖い」は、だいたい別の意味の薄い外套を着ている。彼の「怖い」は裸だ。裸の言葉は、見るに堪えないほど美しい瞬間がある。美しいものを嫌悪するのは、醜いことではなく、生存の知恵だ、と悠は自分に言う。言っておいて、信用はしない。
「来ないでほしかった」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘です」
嘘だと断定されることは、奇妙な安堵を人にもたらす。「そうか、嘘でよかった」と、心のどこかが骨を下ろす。骨は床に触れると、ほっとする。ほっとする音は、涙の合図でもある。
「やめろ」
「やめません」
「俺はお前を傷つける」
「構いません」
「俺はお前を愛せない」
「それでも好きです」
会話は、刃の交換に似ている。相手が突き出した刃を受け取り、自分の刃を差し出す。受け取った刃に、自分の体温が移る。熱が移った刃は、少しだけ鈍くなる。鈍くなった刃で刺すと、傷は深く、治りにくい。治りにくい傷は、付き合いが長い。長く付き合っているうち、傷は関係になる。関係は、美談に似ていく。似てしまえば、逃げにくい。
「……馬鹿だよ、お前」
「知ってます」
杉浦の返答はいつも短い。短さが、悠の長い言い訳を切断する。切断されて露出した断面が、夜気に触れて疼く。疼くところに、年下の手が置かれる。置かれただけで痛みが変質する。厄介なのは、彼の手が汚れていないことだ。汚れていない手に触れられると、触れられた側の汚れが際立つ。際立った汚れは、名前を求める。ほんとうに、もうやめてくれ、と悠は思う。名付けは、所有であり、赦しであり、呪いだ。
濡れた床が冷たい。蛍光灯の光が反射し、細い白の筋を作る。その筋は、矢の道筋に似ている。真っ直ぐで、逃げ場がない。真っ直ぐであることを羨み、憎み、恋う。矛盾は、息をする。
「先輩」
杉浦は一歩、近づく。距離の計り方を知っている。相手の恐れを刺激しない限界線ぎりぎりの場所に立つ。立ちながら、引かない。引かない覚悟は、若さの特権であり、残酷の証明でもある。
「俺、先輩に嫌われても、先輩を好きでいます」
「勝手だ」
「勝手です」
「勝手は罪だ」
「じゃあ、俺は罪人です」
罪人。軽やかに言われると、言葉の歴史が薄くなる。薄くなった罪は、持ち運びやすい。彼はどこへでも持っていくつもりだ。学校にも、道場にも、帰り道にも。罪の軽さに、悠が堪えられない。堪えられないのは、彼が罪を軽く扱っているからではなく、悠が重く抱えすぎているからだ。重さの自慢ほど、みっともないものはない。みっともない自分を直視するには、明かりが強すぎる。雨の夜でよかった、と一瞬だけ思う。音が均され、輪郭がぼやける。ぼやけた輪郭のなかで、二人だけがやけに輪郭を持って立っている。その異様さが、まるで祝福のようで、呪いのようだ。
泣く。泣くことに意味はない。意味がないから、正しい。意味を与えられた涙は、鑑賞用に飼いならされ、弱くなる。弱くなった涙は、飢えた場所に届かない。悠の飢えは、長い時間をかけて堆積してきた。栄養失調の心は、甘いものを嫌う。嫌うのに、差し出される。差し出されるから、噛む。噛んだ舌が血を出す。血を飲む。鉄の味。生きている証明は、味覚に宿る。味がする限り、死なない。
「……ほんとに、馬鹿だ」
「先輩のこと、好きな馬鹿です」
この会話は、何度でも繰り返される予感がする。繰り返されるものは、祈りに似る。祈りは、誰に向けるかを決めないときにいちばん強い。決めないまま、二人はそこに立っている。矢の音の残響が、雨の膜に吸い込まれていく。吸い込まれながら、内側で鳴る。鳴り続けるものがある限り、人は壊れきれない。壊れきれないことが、ときに救いであり、ときに罰だ。
杉浦は、何も求めないふりをするのが上手い。上手いふりは、検索を遅らせる。彼の欲望は、遅れて届く。届いたとき、悠はもう逃げ場を使い切っている。使い切った逃げ場の床に、梯子が置かれている。宗助が言った、あの比喩。好きは罠にも梯子にもなる。梯子の上は風が強い。風にさらされるのは、良い。良いのは、怖い。怖いのは、生きている。生きているのは、面倒くさい。面倒くさいのは、逃げたくなる。逃げても、立ち上がる少年がいる。少年は、雨に濡れても風邪をひかないと信じている。信じているうちは、ほんとうに風邪をひかないことがある。世界は時々、信仰に合わせて優しくなる。優しさは長続きしない。しないから、今だけがやけに明るい。
悠は、笑いながら、泣いている顔を隠さないほうを選んだ。隠すことに飽きた、というより、隠すだけの筋力が尽きた。尽きた筋肉は、必ず痛む。痛む場所を、杉浦は正確に撫でる。撫でる手の無垢さに、毒が差す。毒は、解熱剤にもなる。身体は矛盾を使って生き延びる。矛盾が多いほど、生存の技術は洗練される。洗練は、孤独の別名だ。
遠くで雷が鳴る。世界が、ほんの少しだけ、ふたりに同意したような気がした。気がしただけだ。それで十分だ。気がした、という小さな勘違いを足場に、人は明日をやり過ごす。やり過ごしているうちに、明日がこちらを見返す。見返した目が、杉浦の目に似ていると、悠は思ってしまう。思ってしまったことは取り消せない。取り消せないものの数が増えるたびに、人は大人になる。なりたくなかった大人に、なっていく。なっていく途中で、年下に手を引かれる。手を引く年下の掌が温かい。温かさは、平等に残酷だ。
雨は、やみそうで、やまない。
やまない音の下で、的の中心は黙っている。
黙っている中心に、彼らは何度でも狙いをつける。
狙いをつけるのは、生きていくということの、いちばん単純な練習だった。
(第二章・了)



