高校を卒業して、私は青森県の介護福祉専門学校へ進学し、たあくんは高卒で難関の消防士採用試験に合格した。私は慣れない土地でアパートでのひとり暮らしをしながら、専門学校に通ったし、たあくんは半年の間、全寮制の消防学校へ通い、訓練の日々を送った。たあくんは消防学校を卒業すると、地元の消防署に配属され、私も介護福祉の勉強が楽しくなってきて、お互いに忙しい日々を送っていた。なかなか会えなかったけれど、休みになるとたあくんが車を走らせて会いに来てくれたし、幸せだった。

 付き合ってすぐ、たあくんは小学校の職場体験学習の時から、消防士を志していたのだと教えてくれた。たあくんは火災はもちろん、人命救助の現場で働くことが好きだった。消防士は体が資本だからと食事にも気を配るほどだった。火災、事故、時には悲惨な現場に直面して落ち込んだりした時期もあったけれど、命を救えた時は「この仕事に就けて本当に幸せだと思う」と話していた。そんなたあくんが私の誇りでもあった。

 私は二十歳で専門学校を卒業し、地元に帰った。そして地元の小規模な介護施設、ショートステイ夕陽の丘で働き始めた。いざお互い社会人になると、以前のように会う時間を作るのが難しくなった。

――いっしょに暮らさない?

 ようやく仕事にも慣れてきた頃、夜勤明けのスマホに、たあくんからメッセージが入っていた。その日は家に帰って、夜になっても少しも眠くなくて、嬉しくてわくわくして、ひとりでそわそわしていた。次の休みにはふたりで不動産会社へ行って、翌週にはアパートを契約した。築一年、立地も良くて、アイランドキッチンの部屋。その一か月後には同棲が始まった。

 一緒に暮らしてみたら夢みたいに楽しくて、ますますたあくんが大好きになった。

「私っけさ、たぶん、中高年のおばちゃんさなっても、たあくんのごど大好きだど思うった。なんか、いつまで経っても好きだと思う」

 そんな浮かれポンチの私を、莉花は「うっざー」と笑い飛ばしていたけど、本当にどんなに月日が過ぎて、いつまで経っても、私はたあくんのことが大好きだった。

 二十二歳になったばかりの春、たあくんの口から結婚の話が飛び出した。

「えっ! 私、たあくんと結婚すんの? 森本千翠さなれるってごど?」

 嬉しくて「キャー!」と発狂した。大好きなたあくんの妻になれるんだと思うと、三日くらい興奮が覚めなくて、絶賛寝不足の状態で遅番と夜勤をこなした。

 結婚して一年後には妊娠、二十四歳で結月、翌々年には月紬が生まれた。ふたりの名前は、たあくんが考えてくれた。ああでもないこうでもない、この漢字はだめだとか、響きが違うとか。結局名付けの本を五冊も買って、悩んで悩んで、決めてくれた。

 結月は顔のパーツパーツが私にそっくりで、性格は物静かで本当に手が掛からなくて、逆に心配になるほどだった。逆に月紬は好奇心の塊で、おてんばなところが私にそっくりなのに、顔はたあくんに瓜二つ。ふたりとも可愛くて毎日抱き締めた。本当に絵に描いたように幸せな毎日だった。

 月紬が一歳になってほどない春の日だった。

 四月も下旬、葉桜の季節。春雨が町を濡らしたひんやりと肌寒い朝、突然、それは始まった。同棲時代は二度寝が大好きで寝起きもそんなに良いわけではなかったけれど、結月が生まれてからはいつもシャキッと起きて来るたあくんが、初めて寝坊した。

 冬眠から覚めたばかりの熊のように背中を丸めて、のそのそと寝室から出て来て、

「千翠」

 青白く覇気のない顔で胸を手で押さえながら言った。

「俺、心臓の病気だがもさね。なんか、すっげえ動悸するったよ」

「え、いつから? なんか顔色悪いよ」

「ああ、んだ? 実はここ最近、ずっと。特に朝に動悸するったけどや」

 二十七歳なんていう若さで心筋梗塞でも起こしちゃあたまらん、と思った私は急遽休みをもらって、ひとまず近くの内科医院へ渋るたあくんを引きずって行った。

 レントゲンも心電図も、結果はどこにも異常はなし。ただ、その内科の医師は言った。

「専門の先生に診てもらった方がいいと思うから、紹介状書きます」

 内科医師が紹介状を書いてくれたのは、車で一時間ほどの総合病院の精神科だった。1時間弱の問診と検査で医師から告げられたのは、パニック障害とうつ病という診断結果だった。

「え……俺がですか?」

 私より驚いていたのは、当の本人のたあくんだった。まさか、自分が精神疾患だと診断されるとは微塵も思っていなかったようだった。

「奥さん、この病気は十分な休息と、ご家族の理解と協力がいちばんの薬です。まずはストレスの元から離れて、焦らず、気長に向き合っていきましょう」

 抗うつ薬と抗不安薬、頓服薬、胃腸薬と数種類の薬が処方された。同時に長期の休養が必要、三ヵ月の休職を要する、と診断書も出された。

 泣きたかった。

「わりばって、千翠……俺、情けなくてごめんな」

 あんなに明るくて朗らかで前向きなたあくんがこんな事になってしまうまで、どうして気付けなかったんだろう。悔しくて、泣きたかった。気付けなかった自分に腹が立って、泣きたかった。

「なんも! なんもだよ! 少し休もう。神様がたあくんさ、少し休めって、羽根のばせって言ってらったよ!」

 でも、そう言われてみれば、新年度になってから、なんか元気ないなと思う日が何度かあった。

 その春からたあくんは現場勤務から本部勤務へと異動になり、事務所での仕事がメインになった。現場で火災救急対応の業務に長年携わり、経験が豊富な人材が事務方として専門部署に配属になることがあるらしい。十八歳から二十七歳まで現場経験が豊富なたあくんが、まさにそれだった。

 現場勤務をしていた時は同じような年代の若者が多くて、良き相談相手もいて、時々仲間と居酒屋で飲んだりして、生き生きと仕事に向かっていたけど。本部に異動してからは、年配の大先輩方がたくさんいて気を遣う、失敗できない、毎日書類が山のようにある、早く仕事覚えないと迷惑がかかる、とただただ仕事の心配をするようになっていた。

 だから、まだ事務方の仕事に慣れなくて戸惑っているんだろうな、とは思っていたけれど、前向きなたあくんのことだからとそんなに深くは気に留めていなかった。

 でも、今回の精神疾患発覚を期に、次々と原因が明るみになった。本部での仕事にまだ慣れないこともあったようだけれど、たあくんはある上司から、パワハラを受けていたのだ。

 消防本部の、歳は五十二歳、独身、主任の佐藤という人物だった。

 高卒で十年も現場勤務して経験豊富だから期待していたわりに、全然使えない。良かったのは前評判だけだな。がっかりした。そんな情けなくて妻、子供をどうやって養っていくつもりだ。現場でよく勤まっていたな。給料泥棒はするもんじゃないぞ。体調が悪いのは自己管理不足だ。明日までに治すように努力しろ。精神から鍛え直せ。考えが甘い。情けない。よく結婚できたなあ。そっちだけは得意なんだろうな、まったく。

 毎日、毎日、時には業務終了後に別室に呼ばれて、ねちねちと言われ続けていたそうだ。

「なんっだぁずそれ! 私がやっつけてやる! イラつく!」

 激怒する私を見て、「強っ」と弱々しく笑ったあと、たあくんはどんどん顔つきが変わって、受診の一カ月後にはほとんど笑わなくなってしまった。週一回の定期受診以外、外出することもなくなった。

「こった情げねえ顔、誰っさも見られってぐね。誰っさも会いってぐねった」

 だから、カーテンを閉め切ったうす暗い部屋でぼんやりと一日を過ごす。テレビはおろか、スマホを確認することさえしなくなってしまった。心配して顔を見に来てくれる仲が良い同僚にも、高校から仲のいい友人たちにも会いたがらなくなって、別人になっていく一方だった。まるで廃人だった。

  薬は真面目に飲んでいたし、受診もさぼらずに通った。でも、症状は一向に改善せず、お盆明けには更に追加で睡眠導入剤が追加処方された。同時に、休職の診断書も追加で出された。その診断書を職場に提出して一週間ほど経った頃だった。

 現場勤務していた時、毎日のように会話に登場させるほど気心の知れる同僚の渋谷拓斗(しぶやたくと)さんが、アパートを訪ねて来てくれた。彼は消防学校時代に仲良くなって、配属先も同じで、歳も一緒だった。よほど信頼し、心を許していたのだろう。誰が来ても
絶対に会いたがらなかったたあくんの表情に、変化が見えた。

「え……渋谷? 来たな?」

 感情を失ったかのようにズシッと座っていた黒目に微かな光がぽっと宿り、僅かに微笑んでいるように見えた。

「なんっだぁずや、森本! ポッキーみだいに痩せでらんで。まま(ごはん)けって!」

 渋谷さんはとても気さくで明るくて、本当にいい人だった。

「奥さんさあんまり心配かげるなって。大丈夫だがらよ、良ぐなるんだがら!」

「したばってや、頑張ってるんだどもや。治らねんだ」

「なんも、頑張るがらダメなんだべ。頑張らねばいいべ」

 渋谷さんと話すたあくんが少しだけど、生き生きしていて、救われる思いだった。キッチンでコーヒーを準備しながら、少し泣きそうになって必死に我慢した。

「森本、異動願い出してみだらどんだ?」

 と渋谷さんは、たあくんにきっかけを持って来てくれたのだった。

「佐藤ハゲのパワハラのせいで、今までも何人も若い奴ら辞めでるらしいった。森本もそうなったら嫌だがらよ。あんだげ頑張って消防士さなったのに、もったいねえべよ。あんたハゲのせいで辞めるなんて」

 彼の存在と言葉と熱意が、たあくんの心を動かしたのは間違いなかったようだった。

「おれも協力すっからよ。森本、労災認定って知ってらが? 労基さ通報して、労災認定申し立てしてみねが?」

「……なんだずや、それ」

「佐藤ハゲっけや、あの年で独身で、若い奴にパワハラしまくって、許せねえべ。おれも一緒に証言して、おれも森本ど一緒に戦うがら」

「渋谷……それ、俺なんかさ出来っかなあ?」

「なんかじゃねえべ。出来るったよ。大丈夫だ。また一緒に、働くべ、森本」

 それから、たあくんは佐藤さんの直属の上司に当たる鈴木係長にパワハラを訴え、同時に現場勤務への移動を志願した。そして、労働基準監督署にパワハラを通報し、労災認定を申し立てた。パニック障害とうつ病と向き合いながら、パワハラ上司と戦うことを決意したのだった。

 そして、体調も悪化したり落ち着いたり、気持ちも下がったり戻ったり、改善して来たかもと思った矢先にドーンと落ち込んで、そんなふうに波を繰り返しながら、ゆっくり、本当にゆっくりと症状は落ち着いていった。

 季節は秋から冬になり、年が明けて2月になると、鈴木係長がアパートを訪ねて来た。良い報せだった。

「痩せだなぁ、森本。気付いてやれず申し訳ながったな」

 新年度から、現場に異動できるように動いているという内容の話だった。

「佐藤がな、どっしてもパワハラを認めなくてな。労基署の調査にも非協力的で。あいつ、他のやつらさも口裏合わせるように、裏で動いでいだらしくてな」

「そうなんですか……」

「本人が認めて反省しない限り、どうにもでぎねった。無力で、申し訳ない。すまない、森本。したばって、四月から、森本が現場勤務に戻れるように話は進んでらがら。体調整えでおぐようにな。私も渋谷と同じ気持ちだ。森本に戻って来て欲しい。渋谷、お前のごど待ってらったよ」

「はいっ……ありがとうございます」

 鈴木係長が帰ったあと、たあくんが久しぶりに感情を漏らした。泣いたのだ。ぽつぽつと、テーブルの上に涙が止めどなく落ちて、小さな水たまりが出来ていた。

 翌朝から、たあくんはまた早起きをするようになった。体調が優れず昼まで起きれなかったけれど、ちゃんと起きて朝ご飯を食べるようになった。さらに翌日には身だしなみに気を配るようになった。髭をそり、二十四時間同じスウェット姿で過ごしていたけど、日中は私服、夜はパジャマ、とメリハリをつけるようになった。また次の日には、ひとりで外出した。まずは行きつけの理容室で髪を切り、書店に行って、救急救命士の問題集とノートを購入して帰って来た。資格を取ると言い出し、毎日勉強をするようになった。

 さらにその翌日は、仕事を終えて、結月と月紬を保育園に迎えに行って帰ると、カレーライスを作ってくれていた。

「わりばってや、なんか、じゃが芋溶げでやー。なしてだず? 結月にごしゃがれる(おこられる)ってねがや」

 なんて笑っていた。

「おっがしいな。千翠みだいに上手に作れねったぁ。なんとしてゴロゴロにしてらった?」

「秘密」

 私の大好きなたあくんが、半年以上振りにそこに立っていた。大好きなたあくんの笑顔に、えくぼ。嬉しくて、こっそり泣いてしまった。

 そして冬が終わって、春の足音が聞こえ始めた三月。ようやく、主治医から仕事復帰の許可が下りた。

「でも、治ったわけじゃないよ。きっとこれからも上がったり下がったり、気持ちの波は必ずあるから。過信しないこと。少しずつね」

 以前のように外出するようになったし、友人と食事に行ったりできるようにもなった。お薬も減って、夜もぐっすり眠れるようになっていたから、一安心だなって思っていたのに。

 一週間後に職場復帰を控えていたあの日。

 たあくんは、なごり雪の日に、たったひとりで決断し、たったひとりでいなくなってしまった。