狭い浴室内に朝靄のように水蒸気が漂って、喉が一気に潤っていく。夕陽の丘の入浴は午後一時から順番に始まる。

「あえー、いい湯っこだあー」

 と、キヨさんがユニットバスにたっぷり張った四十一度のお湯に肩まで浸かりながら、ふううー、と息を長く吐き出した。決壊したダムのように浴槽の縁からあふれたお湯が、くるくると渦を巻きながら排水溝に吸い込まれていく。

「千翠ちゃん、いつも、ありがとうね」

「なんもだよ。キヨさん、ちゃんと温まってね」

「どうもどうも。ああ、幸せ」
  
 おかげさま、とキヨさんが微笑むと目じりに数えきれないほどのしわが出来た。

 やっぱりいつもの二木キヨさんだった。今となってはもうしわしわで垂れ下がっているけど、若い頃はきっときれいな幅の広い平行二重まぶただったであろう、大粒の目。爪楊枝二本なら軽々と持ち上げられるような、太く長く、扇状にカールした立派なまつ毛。白内障を患っている瞳は少し白濁気味だけど、くるくると黒く輝いている。ぷくぷくと柔らかそうな福耳。ちょこんと小ぶりな可愛らしい鼻。やや色気の悪い薄い唇。いつも穏やかに上品に微笑む、二木キヨさんだ。

「キヨさん、湯っこ、熱っつぐない? 大丈夫?」

 ユニットバスの淵を左手でつかみ右手で湯船を軽く掻き回していると、キヨさんが両手で私の右手を湯舟の中で捕まえた。目が合うとキヨさんが微笑みながら首を傾げた。

「千翠ちゃんこそ、どんだ? 大丈夫?」
 
「え? 私?」

 首を傾げながら、同じ目線になるようにしゃがむと、キヨさんがこくっとうなずいた。

「千翠ちゃん、それ以上痩せでどっするった?」

 背中がギクッと音を立てたような感覚だった。この仕事に就いて8年になった。毎日驚かされることばかりだ。私たちスタッフの言動、表情ひとつひとつを利用者さんたちは、隅々まで本当によく見ているなと思う。それはもう、観察レベルでよく見ている。

 例えば、キヨさん今日ちょっと歩行時に足の運びが良くないね、とか、キヨさん朝から傾眠傾向だね、だとか。私たち介護スタッフは意識的にアンテナを張り巡らせて、利用者さんたちの様子を観察する。

 萌音ちゃんなんだか疲れた顔してるね、とか、佐倉くん髪の毛切って男振り上げたね、だとか。利用者さんたちは無意識に私たちの表情ひとつや仕草で、醸し出すオーラのその向こう側まで見抜いていて、一枚も二枚も上手だなと思うことが多々ある。さすが人生の大先輩だと思い知らされる。

「なんもだず。ダイエットしてらったのー」

 とカラカラと笑って返すと、キヨさんが捕まえた私の右手をぎゅっと握って「大丈夫」とたおやかに微笑んだ。

「人生は長いったよ。やまこえて、たにこえて、長ったよ」

 こんなふうに逆に心を救われる瞬間が山ほどある。

「今の苦労は、必ず実を結ぶったよ。だから、頑張るしかねえったよ」

 そうだねえ、と返しながらさっきの佐倉くんの話をふっと思い出して、何気なく、本当に深く考えることもせずに聞いてしまった。

「ねえ、キヨさん。太陽だか月だかの宿? に行ったことあるの?」

 次の瞬間だった。キヨさんはぎょっと目を見開いて「あば!」と声を漏らし、白濁した黒目をキョロキョロと泳がせて、

「やんだあー、佐倉くんから聞いだず?」

 おしゃべりだものなあ、と小さな肩をさらに小さくすくめて、口元を両手でそっと押さえると、うふふっと恥ずかしそうに笑った。まるでそよ風に揺れるたんぽぽの綿毛のように。

「千翠ちゃん、佐倉くんからその話っこ聞いで、とうとうキヨさんもボゲだってねがー、って思ったぁず?」

 ほら。こういうところにドキッとする。

 私たちスタッフが思っている以上に、私たちの考えている事を利用者さんたちに見透かされていたりする。

わりばって(ごめん)、キヨさん。思った」

「んだべ。千翠ちゃんけ、素直だがら、好き」

 私とキヨさんはお互いに顔を見合わせれば、同時にぷはっと吹き出して笑った。

「長がった戦争も終わって、縁談話が舞い込んできた二十歳の秋だったず。戦争で命を落とした正春さんと、再会でぎる機会が突然やって来たず」

 語り出したキヨさんの口振りが写実的なものだから、逆に心配になったくらいだ。

「正春さんっけ十六歳の時、自ら特攻部隊に志願して、十七歳で出撃して亡くなったず。亡くなった後も、忘れるごどだっけ出来ねがったった。本当に大好きだったず。正春さん以外の男の人さ嫁ぐなんて、絶対にやんたがった(いやだった)

 痩せた頬を少女のようにほんのりと桜色に染め、活舌良くすらすらと話すキヨさんはどう見てもいつもの彼女で、いよいよ認知症なんじゃないかなんて一ミリも疑うことなんて出来なかった。とてもしっかりされているのだ。

「正春さんが亡ぐなって、戦争も終わって、三年が過ぎた秋だったず。私宛に封書が届いだず。東京にある宿からだったず。中さ入ってらったのは、招待状。みるー(すごく)綺麗な……紙でねったよ、布みだいな生地で太陽とお月さんが綺麗な糸っこで、刺繍されでらったの」

 普段であれば「へえー、んだのー」「そった事あったず?」「そっかあ、うんうん」なんて、右から左へ聞き流したり、笑ってごまかしてこの場を切り抜けて、介護記録に入力しているところだけど。聞き流そうにも流せない、妙なリアルさが私の心を引き付けて離さなかった。最初は軽い気持ちでキヨさんの話に耳を傾けていたのに、気付けば前のめりになって真剣に聞き入っていた。

「招待状の他にも、列車の片道切符も入ってらったず。当時っけ、まだ国鉄だったがら、東京まで一日がかりで行ったもんだよ」

 朝九時に出発して翌朝七時に着いたのだと、身振り手振りを交えて話すキヨさんの声が、浴室にもわんと滲んで反響する。

「戦後復興期で、洋服が流行し始めで、長い丈のワンピースなんかが流行ってでなあ。私も一着しか持ってねがった水色のワンピースで、正春さんさ会いに行ったず」

 佐倉くんが話していた通りだった。キヨさんは普段は物静かで、お話もするけれど、ここまで語るような人じゃない。どちらかと言うと人のお話を聞いてうなずいているような人だ。今日はめずらしく多弁だ。でも、作話とも思えなかった。

「そったバカみたいな話あるわげないって思いながらも、勘当される覚悟で、お金かき集めて、両親さ内緒で行ったず」

 目を輝かせてそれはそれは楽しそうに……というより、生き生きしていると言った方がしっくりくるかもしれない。小さい子供が家族でディズニーランドに遊びに行って来た、楽しかったんだと興奮して話すように、キヨさんは当時のことを語り続けた。

「奇妙な宿だったず。戦後だのに、職員は皆さん見だごどもない洋服着て、部屋は洋室だったず。その宿っけ、自殺した人があの世さ逝く前に立ち寄るごどがでぎる宿だったず」

 会った時、彼は飛行服であったものの、顔や体には傷ひとつ見当たらず、特攻隊を志願したと告げて別れたあの日のきれいな姿だった、とキヨさんは恋する乙女のように頬を桃色に染めて教えてくれた。

「なして特攻隊なんて志願したのか、なして私ど一緒に逃げでくれねがったのがって聞いだよ。このまま私も一緒にあの世さ連れで行って欲しいって、泣ぎながら正春さんさ訴えだず。したけど、だめだった。断られでしまったの」

 会える時間は決められていて、日が暮れてからの8時間だけ。夜が明ける前、まだ暗いうちに二度目の別れはやって来たそうだ。

「その時、何かを飲んだ記憶っけぼんやりあるったあ。んだけど、何を飲んだのかはもう忘れでしまったず。全部飲まねで残してしまった気がするったけど。忘れでしまったなあ。でも、消える間際に正春さんが言ったことは、何十年経っても、絶対に忘れられねったよ」

 キヨ。どうか幸せになって欲しい。キヨを守る為と思って、私は特攻隊を志願し出撃したず。他の誰でもねえ、キヨを守りたくてだ。キヨに生きて欲しくてだ。キヨを大切にしてくれそうな優しくて親切な男が現れたら、その時は私に遠慮せずその人と一緒になりなさい。私はあの世へ逝き、キヨの幸せを見守ってるがら、人生を全うしておいで。もし、生まれ変わりまた出逢えたら、その時は、今度こそ一緒になろう。

「約束だって。それが正春さんの最期の言葉だったず」

 それで? その時、正春さんはどんなふうに消えたの? 消えたあと、キヨさんはどうしたの? なんで? どうして?

 なんでなんで星人の月紬のように、キヨさんに聞きたいことだらけだった。でも、聞くことが出来なかった。どうしてなのかは自分でも説明できないのだけど、聞いてはいけないような気がした。

「千翠ちゃん……千翠ちゃん?」

 千翠ちゃん、とそれが果たして何度目なのか定かではないけど、何度か呼ばれた時にハッとして我に返ると、もくもくと水蒸気が煙る中で、キヨさんが丸い額にじんわりと汗を滲ませて、不思議そうに首を傾げていた。

「……えっ? ああ、ごめん、キヨさん。どっしたの?」

「そろそろ上がろがな」

「あっ、んだよね! のぼせだら大変だ。ごめん、ごめん」

 転倒しないように細心の注意を払いながら、一部介助で浴槽から出てもらったキヨさんの背中に大判のバスタオルを掛け、軽く全身の水分を拭き取り、手引き歩行でゆっくり脱衣場の椅子まで誘導した。手すり付きの椅子に深く座って、しっかりと髪の毛を拭くキヨさんは、やっぱりしっかりされているいつもの彼女で、だからこそ、さっきの話が妄想や作話とは到底思えずますます困惑してしまう。

「それで、続きなんだず」

 とリハビリパンツに右、左の順に足を通して、軽く腰を浮かせて履いたあと、キヨさんは続けた。

「どっして帰って来たが覚えでねず。気付いだっけ家の前さ立ってらったず。秋田さ帰って来た翌日だ。私は縁談話、受けるごどさしたんだよな。それが四年前に亡ぐなった旦那だず」

「あっ、(みのる)さん?」

 二木実さんはキヨさんの旦那さんで、四年前に誤嚥性肺炎が原因で亡くなった。生前は、ショートステイ夕陽の丘をふたりで利用してくれていた。実さんは男らしい無口な方だった。でも、とても優しくて穏やかで、どんな時もキヨさんの傍を片時も離れず、廊下もふたり横並びで歩いているのが微笑ましかった。

 午後になるとふたりで西側の日当たりの良い窓辺の長椅子に腰掛けて、外の景色を眺めながら仲良く話している姿が印象的だった。私もこんなふうに歳を重ねたいと憧れたものだ。だから、今でも鮮明にその時の光景が目に焼き付いている。

「んだんだ。初めで顔合わせした日だっけ、最悪。なんだって無口で不愛想な人だべど思って、これだばお断りさせでもらうべど思ってらったず」

 サーモンピンク色の下着シャツを二枚重ねて着て、ズロースを履く。いつものルーティンでキヨさんはテキパキと衣類を身に着けていく。

「んだったの? せば、どっして実さんど結婚したず?」 

 聞くと、キヨさんは当時を思い出したのだろう、可笑しそうにクククと肩を上下させて笑って、教えてくれた。

「向こうから、どっしてももう一回、食事だげでも良いがらってお誘いがあって、仕方なぐ行ったんだあ。ついでにその時、お断りするつもりだったず」

「えー、んだったず? 実さんの何が、キヨさんのハートをつかんだず?」

 どさ食べに行ったど思う? と問うておきながら、私が答える前にキヨさんがフライングした。小っさい大衆食堂だったずよ、と。

「ふたりで肉鍋定食たべだず。最っ高まずがったぁず。びっくりすったげ美味しぐねがったの。したけど、あの人っけ、美味しいですねって。顔っこ、引きつらせながら言うったよー」

 可笑しくて、可笑しくて、と両手を叩き鳴らしながらひとしきり笑ったあと、キヨさんはひとつ咳ばらいをして、

「んだがらだったず」

 と実さんと結婚した理由を教えてくれた。

「この人だったら、私が失敗してしまった料理を出しても、美味しいって食べでけるんでないべがなあーど思ったず。だがら、この人ど一緒になろうど思ったず」

 おかげさんで幸せだったず、とキヨさんがにっこり微笑んだ時、脱衣場の引き戸がカラカラと開いて、佐倉くんがひょっこりと顔を覗かせた。

「失礼しまーす。キヨさん、この後、カラオケ大会あるったすけど、参加しませんか? 帰りまでまだ時間あるし、どんだっすか?」

 オレ、もののけ姫歌うっすよ、と佐倉くんが言うと、キヨさんはぱあっと花開くような笑顔になった。

「あば! それだば行がねばねなあ。髪の毛乾がしてもらったら、すぐ行ぐよ」

「はーい! したら、ホールで待ってらっすね! 急がねでゆっくり来てくださいね」

 引き戸がパタと閉まると、キヨさんが「楽しみ」と口元を指先で押さえてクスクスと笑った。

 キヨさんはいつも明るくてよく笑う。でも、今日は特にそうかもしれない。いつもの二倍多弁でよく笑う気がする。真っ白で猫っ毛の細い髪の毛をドライヤーで乾かし、ブラシで整えると、キヨさんは歩行器に捕まりよいしょと立ち上がる。

「キヨさん、ゆっくりだよ。足元気を付けてね」

「うん。ありがとねえ」

「なんもだよ。ホールさ行ったら、水分補給してね」

 うん、とうなずいて引き戸へ向かって一歩ずつ向かっていくキヨさんが、「あばい」と何かを思い出した様子ではたと立ち止まり、振り返った。

「千翠ちゃん」

「どっしたの?」

「楽しがったったよ。お世話になったいねえ」

 キヨさんがにこりと微笑んで、膝をかくりと曲げてまるで舞妓さんのように小さく会釈をした。

「ええー、なんだずそれー。お別れでないんだがらさあ。また来月ね。待ってらよ、キヨさん」

 またね、と念を押すように言うと、キヨさんは頷くわけでもなく首を横に振るわけでもなく、ただにこにこと笑顔を残してホールに歩いて行った。それが二木キヨさんとの最期の会話になってしまった。

「失礼しまーす」

 再び脱衣場の引き戸が開いて、今度は萌音ちゃんが顔を覗かせる。

「え、早っ、キヨさんもう居ない。したら次、サタヨさん呼んで来ても大丈夫ですか?」

「んだね。お願いします」

「了解でーす」

 次の順番の利用者さんが来るまでの間、タオルやお湯の温度を確かめたりと準備を整えながら、ぼんやりと考える。

 もし、本当にそんなチャンスが巡って来るなら、私だってたあくんに会いたいと思う。たあくんに、もう一度だけでいいから、会いたい。会って、どうして死ななければならなかったのか、聞きたい。責めたり怒ったりなんて絶対にしないから、聞きたい。どんな思いを抱えて、毎日を過ごしていたのか、本心を知りたい。

 人命救助という仕事に就いて、何度もそういう悲惨な現場に向き合って来たたあくんは、まだ元気だった頃、よく言っていた。首吊りという死に方だけは選びたくないんだと。それなのに、どうして選りによっていちばん選びたくなかった方法を選択してしまったのか。

 どうして私のことも一緒に連れて逝ってくれなかったのか。聞いてみたい。

 キヨさんが亡くなったことを知ったのは、それから一週間後のことだった。新聞のお悔やみ欄を見ていた介護主任が気付いた。同日、キヨさんの担当ケアマネからも急性心不全だったと連絡があった。胸の苦しさを訴え入院し、そのまま回復せずあっという間に息を引き取ったそうだ。ただ、亡くなる時は一切苦しまず、本当に眠るように息を引き取ったそうだ。葬儀に参列した施設長と介護主任がご家族からいただいたお言葉に、私はなんだかとても救われる思いだった。

 うちのばあちゃん、夕陽の丘に行くのが楽しみで、毎月、入所日を待ちわびていだったんです。スタッフの皆さんとの写真が宝物だったんだすよ。とても良くしていただいて、本当にありがとうございました。じいちゃんもばあちゃんもお世話さなりました。夕陽の丘さんを利用させでもらって、いがったです。ありがとうございました。

 こんなことはもう慣れっこのはずだった。この仕事は常に死と隣り合わせだから、慣れっこのはずだったのに、自分でも信じられないくらい後悔した。あの日、微笑むキヨさんを力いっぱい抱きしめておけばよかったと、泣きたくなるくらい後悔した。佐倉くんが事務所の片隅で、こっそり、声を殺して泣いていた。