昨日のことを考えないようにしてた。それなのにそうおもえばおもうほど――無理だった。
高良の「好きです」が、頭ん中ぐるぐる回ってて、寝不足確定。
おまけに、朝からそいつ本人はケロッとして「おはようございます!」とか言ってくるし。
......いや、なんで俺が気まずがってんだよ!!
そうやってモヤモヤしてるうちに、試合形式の練習が始まっていた。
ブロックに跳んだ瞬間――高良と目が合った。
ドクンッと心臓が鳴って思わず、手の力が抜ける。
「......っッ!」
あ、って思った時にはボールが直撃、鈍い痛みに顔をしかめた。
「湊先輩、大丈夫ですか!?」
すぐに駆け寄ってきた高良が俺の手を取って、眉を寄せる。
「見してください」
「いや大丈夫、ちょっと当たっただけ――」
「ダメです、動かさないで」
そんな大したことでもないのに、周りの奴らも集まってくる。
「おい、大丈夫かよ?」
「大丈夫、ちょっと突き指しただけだって」
「俺、あっちでテーピングしてきます」
「じゃあ、高良頼んだ。こっちは練習続けるからな」
「悪い、すぐ戻るわ」
俺たちはコートを出て、体育館の端へと移動する。
「手、貸してください」
真剣な顔で、高良が俺の指を包み込み、指先が触れるたびに心臓が跳ねた。
どうしてこんなに落ち着かねぇんだ、俺。
触れられたところから熱が伝わってきて、指先がじんじんする。
「先輩、指は大事にしてください」
ぎゅっと握られた瞬間、息が止まった。
温かい手のひらが、現実味を帯びて――呼吸の仕方がわからなくなる。
「......高良」
「はい?」
「近いって......」
「ちゃんと巻くには、これくらい必要です」
「......そーですか」
言い返したものの、明らかに意識している自分がいた。
くそ、情けねぇ。
そんな俺を見上げながら、高良が小さく笑った。
「......先輩、昨日のこと、考えてました?」
「っ――なっ!」
反射的に顔を上げる。
図星。完全に。
「なんか、そんな顔してたんで」
嬉しそうに笑う高良に、胸の鼓動がまた高まった。
「......そりゃ、考えるなってほうが無理だろ」
「嬉しいですけど、ちゃんと集中してくださいね」
そう言って、最後にもう一度、俺の手を包み込む。
両手で、やさしく。
触れられてるだけなのに、どんどん心臓が忙しくなってくる。
「......誰のせいだと思ってんだよ」
「俺の、ですよね?」
「うるせぇ」
言葉では突き放したのに、顔の熱はぜんぜん引かない。
「はい、完成です」
「......サンキュー」
俺は目を逸らして笑った。
手の温度だけが、しばらく残っていた。
◆
練習が終わるころには、指の痛みもほとんど引いていた。
汗を拭いながら片づけをしていると、体育館の扉が開く。
「おーい、お前らー!」
監督が体育館に入ってくると、全員が反射的に姿勢を正す。
「来月の夏合宿の日程が決まったぞ」
その一言で、空気がざわついた。
「またその時期がきたか......」
二年と三年は一様に渋い顔。
地獄の走り込みと、寝不足の地獄メニューを、俺たちはよく知っている。
けど――まだ何も知らない一年たちは、目を輝かせていた。
「合宿ちょーー楽しみです!」
特に高良はテンション爆上がりで、遠足前みたいな顔をしている。
......おい、それ、今だけだからな。
そんな中、監督が意味深に口角を上げた。
「お前ら、そんな呑気なこと言ってるが、大丈夫なのか?」
「え、なんでですか?」
首をかしげる高良に、監督の笑みが深くなる。
「もうすぐ期末テストだろ」
――その瞬間、全員の動きピクっと止まった。
「うちは“文武両道”だかな!」
監督の声が体育館中に響いた。
「赤点がひとつでもあれば、合宿の参加は認めんぞ!!」
高笑いしながら、監督は「じゃあ頑張れよ!」とだけ言い残して去っていく。
バン、と閉まる扉の音。
静まり返る体育館。
「......地獄の前に地獄かよ」
「数学もう終わった......」
「英語が......」
全員が絶望の表情を浮かべる中――
誰よりも顔が真っ青なのは、高良だった。
「湊先輩......助けてください! 俺、本当に勉強できないんです......!」
高良が涙目で俺にしがみついてくる。
「最初のテストはそんな難しくないから大丈夫だと思うぞ? それより俺の日本史の方がやばい」
「ぜっっったい俺の方がやばいので!」
「いや、絶対に俺だから。こっちの日本史の範囲なめんなよ」
そう言うと、横から陽稀が笑った。
「何張り合ってんだよ、お前ら」
「いや、俺ほんとに英語がやばくて!」と高良が焦って言う。
そこに、同じ一年の翔が顔を出した。
「先輩、こいつの英語力はほんっっっとに壊滅的ですよ!」
「そうなのか?」
「こいつ、この間の授業で“game”を“ガミー”って読んだんですよ」
「ちょ、お前それ言うなっての!」
その衝撃発言に、一瞬の沈黙。
次の瞬間、俺と陽稀は顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「ガミーって......! 腹いてぇ!」
「お前それでよく入学できたな!」
高良は耳まで真っ赤にして反論する。
「ここに入るために必死で勉強したんです! でも受験終わったら全部忘れてました......」
「忘れるのはやすぎだろ」
「そもそも先輩がこんな偏差値高いところにいるのが悪いんですよ!」
「なんで俺のせいなんだよ!」
「もっとバカな学校だったら受験も楽だったのに!」
「その英語力じゃ、どこも無理だと思うぞ」
俺が呆れ気味に言うと、陽稀がニヤリと笑った。
「じゃあ、お前が教えてやれよ」
「は? なんで俺なんだよ」
「お前、文系だろ? 英語得意だっつってたじゃん」
「そうなんですか!」
高良が目を輝かせて、俺を見上げる。
「......お前こそ、英語得意だろ」
「俺はほかがやばすぎて教える余裕ねぇよ」
「先輩、お願いします! 俺、本気で合宿行きたいんです!」
高良が合宿に来れないのは、正直キツいな。でも、こいつと2人っきりなのは少し気まずい。悩んだ末に俺ははぁ、とため息をつく。
「......仕方ねぇ俺が見てやるよ。ちょうど明日は体育館の点検で部活休みだし。......放課後、勉強会でもやるか」
「本当ですか!?」
高良が子犬みたいに目を輝かせる。
「その代わり、寝たら即退場だからな」
「はい、絶ッ対に寝ませんから!」
俺は笑いながら、「なんだ、いつも通りに話せるじゃん」なんて思っていた。
そんなことを思いながらふと顔を上げると、高良と目が合った。
その瞬間、高良は――俺にしかわからないような、やわらかい笑みを浮かべた。
その笑顔は、昨日の“好き”をまだ胸の奥に残しているみたいで調子が狂う。
「......大丈夫。これは、ただの勉強会だ」そう言い聞かせながら、俺は視線を逸らした。
それでも、心臓の音だけは、ごまかせなかった。
◆
次の日の放課後。
教室でノートをまとめていると、廊下の窓から顔を出した高良が、満面の笑みで叫んだ。
「湊せんぱーーい!」
その声に、クラスの数人が一斉にこっちを見る。
......おいおい、まただよ。
「お前、ただでさえ目立つんだから静かにしろよ」
「え、そんなことないですよ?」
悪びれもなく笑う高良を見て、俺はため息をついた。
俺が一年のときは、先輩のクラスに行くだけで緊張してたもんだけどな。
こいつ、ほんとに人見知りとか知らねぇタイプだ。
「先輩の席ってどこなんですか?」
「ああ、こっちだ」
俺は自分の席へと案内する。窓際のいちばん後ろそこが今の俺の席だった。
「じゃあ、さっそくやるか」
「お願いします!」
高良が勢いよく椅子を引いて、俺の机に自分のをくっつけた。
机の上には教科書とノート。俺たちは並んで腰を下ろす。
「その感じで授業も頑張ればいいじゃないのか?」
「どうも授業は寝ちゃうんですよ。そもそも朝練から走らされたら寝るしかないです」
「まぁ、それはわかる。でも前提として、お前が頑張らないと話にならないんだから。今からテストまでは、せめて起きとけ」
「はーい」
返事だけはいい。
「で、テスト範囲わかるか?」
「はい、写真撮ってきました!」
スマホを差し出され、俺は画面を覗き込みながら教科書をめくる。
「まず、単語が十点分出るから、そこは絶対に取っとけよ」
「簡単に言いますね、先輩」
「単語なんて暗記なんだ。ひたすらター〇ットやるんだな」
「できるならやってるんですけど......」
情けない声を出す高良に、つい笑いそうになる。
「お前、他の科目は大丈夫なのか?」
「はい、他はなんとか。そもそも英語なんて、日本人なんだからやれなくて当然ですよ」
「そんなこと言ってたってテストあるんだから。で、どこがわかんないんだ」
「今、時制やってて」
「あー、時制か。これややこしいよな」
そこから俺は、課題のプリントを取り出して、ひとつひとつ解説を始めた。
最初はふざけたような顔をしていた高良も、次第に真剣な表情に変わっていく。
ペンを握る手が止まらず、頷きながらノートを取る姿。
意外と――ちゃんとやるんだな、こいつ。
一通り教え終わると、高良がペンを置いて、ぱっと顔を上げた。
「湊先輩、教えるのめっちゃ上手ですね! すごいわかりやすいです!」
「お前ほんとにわかってんのか?」
呆れたように笑って、俺はシャーペンでプリントの端を軽く叩く。
「じゃあ今度はこの問題、同じ感じでやってみろ」
「はい!」
高良は元気よく返事をして、再びノートに向かった。
「俺は数学やってるから、終わったら教えろよ」
「わかりました!」
その声を聞きながら、俺も自分の課題に取りかかる。
シャーペンの走る音だけが、静かな教室に響いた。
気づけば、いつの間にか他のやつらはみんな帰っていて、教室には俺と高良の二人きり。
放課後の西日がカーテン越しに差し込んで、机の上をオレンジ色に染めていた。
少しの間、静寂が続く。
ふと、自分のワークと答えを見比べると――どうも答えが違う。
「......どこで間違えたんだ?」
独り言のように呟いた瞬間、横から声が飛んできた。
「これ、こっちの公式じゃありません?」
顔を上げると、高良が俺のワークを覗き込んでいた。
近い......思わず姿勢を正すと、高良はペンを取って、俺のノートの隅にさらさらと式を書き出す。
「これはこの公式を使って......答えは、えっと――120分の1238通りです」
その答えは、ちゃんと合っていた。
「お前、すごいな。計算も早いし」
「ちょうど、俺も今ここやってるんですよ。なんで一緒なんですか?」
「俺は文系だから、数学A・B終わったあとに復習で3年はAに戻るんだよ」
高良は「なるほど」と頷いた。
「お前、数学できたのか」
「一応、数学は得意科目です! 計算するだけなんで」
「それ、頭いいやつが言うセリフだぞ」
そう言って笑うと、高良も口元を緩めた。
「俺とは真逆だな」
「じゃあ、ふたりでちょうどぴったりですね」
そう言って、高良が頬に手を添えながらこちらを見つめて微笑む。
柔らかい光の中、その笑顔が妙に近く感じて、胸の奥がざわついた。
――なんだ、この感じ。
頬がじわりと熱くなる。誤魔化すように、俺は話を逸らした。
「お、お前は終わったのか?」
「それが、スラスラ解けました!」
満足そうに笑う高良を見て、俺は小さく息をついた。
「先輩は、受験勉強とかしてるんですか?」
問題を解き終えたあと、不意に高良がそう聞いてきた。
顔を上げると、さっきまでの明るさはそのままに、どこか探るような目をしていた。
「あー、登校中に一問一答見たりはしてる」
そう答えると、高良の笑顔がほんの少しだけ陰った気がした。
気のせい......ではなかった。
「それがどうしたんだよ」
「......せっかく先輩と一緒なのに、またすぐ先輩は次に行っちゃうんだなって」
言葉がやけに静かだった。
放課後の光が傾いて、教室の影が長く伸びていく。
夕焼けの色の中で、彼の横顔が少し遠く感じた。
「まぁ、それはしょうがないだろ。年が違うんだから」
自分でも、薄っぺらい返しだとわかっていた。
だけど、それしか言えなかった。
「俺があと二年早く生まれてればよかったのに」
ぽつりと呟いた高良は、笑っているようで、寂しそうだった。
――そういう顔、すんなよ。
胸の奥が、少しだけざわつく。
しばらく沈黙の続いたあと、先に口を開いたのは俺だった。
「......お前はさ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
「なんで俺なんだ。女子にもモテるのに」
高良が少し驚いたように俺を見る。
高良は顔も整ってるし、誰にでも明るくてモテるのに。言い方は悪いが高良からすれば選びたい放題だろ?
そんなやつが、なんで俺なんだ。
問いかけながら、自分の心臓がわずかに高鳴っていくのを感じた。
少しの間、言葉が消えた。
高良は視線を落としたまま、机の角を指でなぞっている。
沈黙が、夕焼けと一緒にゆっくりと広がっていった。
「......そんなの、関係ないですよ」
「え?」
「俺が欲しいのは先輩だけですから」
一瞬、呼吸を忘れた。
真っすぐすぎるその言葉が、胸の奥をかき乱してくる。
「ずっと先輩を見てました。バレーしてる時の顔も、笑う時も、怒る時も......どれも好きなんです」
心臓の音が、やけにうるさく響く。
“好き”という単語が、ゆっくりと耳の奥に沈んでいった。
「......高良」
名前を呼んでも、次の言葉が出てこない。
どう言えばいいのか、わからなかった。高良は小さく息をついて、少しだけ笑った。
「すみません、変なこと言いましたね」
何かを言いかけたけど、声にならない。
カーテンが風に揺れて、紙の端がカサリと鳴った。
それでも、俺は動けなかった。
そんな俺を見て高良がいつもように笑う。
「赤点取らなかったら、ご褒美下さいよ」
「随分と低い目標だな......平均以上あったらな」
「じゃあ、ちゃんと頑張ります」
そう言いながらも、どこか照れ隠しみたいに笑う高良。
......俺はその視線から、逃れられなかった。
高良の「好きです」が、頭ん中ぐるぐる回ってて、寝不足確定。
おまけに、朝からそいつ本人はケロッとして「おはようございます!」とか言ってくるし。
......いや、なんで俺が気まずがってんだよ!!
そうやってモヤモヤしてるうちに、試合形式の練習が始まっていた。
ブロックに跳んだ瞬間――高良と目が合った。
ドクンッと心臓が鳴って思わず、手の力が抜ける。
「......っッ!」
あ、って思った時にはボールが直撃、鈍い痛みに顔をしかめた。
「湊先輩、大丈夫ですか!?」
すぐに駆け寄ってきた高良が俺の手を取って、眉を寄せる。
「見してください」
「いや大丈夫、ちょっと当たっただけ――」
「ダメです、動かさないで」
そんな大したことでもないのに、周りの奴らも集まってくる。
「おい、大丈夫かよ?」
「大丈夫、ちょっと突き指しただけだって」
「俺、あっちでテーピングしてきます」
「じゃあ、高良頼んだ。こっちは練習続けるからな」
「悪い、すぐ戻るわ」
俺たちはコートを出て、体育館の端へと移動する。
「手、貸してください」
真剣な顔で、高良が俺の指を包み込み、指先が触れるたびに心臓が跳ねた。
どうしてこんなに落ち着かねぇんだ、俺。
触れられたところから熱が伝わってきて、指先がじんじんする。
「先輩、指は大事にしてください」
ぎゅっと握られた瞬間、息が止まった。
温かい手のひらが、現実味を帯びて――呼吸の仕方がわからなくなる。
「......高良」
「はい?」
「近いって......」
「ちゃんと巻くには、これくらい必要です」
「......そーですか」
言い返したものの、明らかに意識している自分がいた。
くそ、情けねぇ。
そんな俺を見上げながら、高良が小さく笑った。
「......先輩、昨日のこと、考えてました?」
「っ――なっ!」
反射的に顔を上げる。
図星。完全に。
「なんか、そんな顔してたんで」
嬉しそうに笑う高良に、胸の鼓動がまた高まった。
「......そりゃ、考えるなってほうが無理だろ」
「嬉しいですけど、ちゃんと集中してくださいね」
そう言って、最後にもう一度、俺の手を包み込む。
両手で、やさしく。
触れられてるだけなのに、どんどん心臓が忙しくなってくる。
「......誰のせいだと思ってんだよ」
「俺の、ですよね?」
「うるせぇ」
言葉では突き放したのに、顔の熱はぜんぜん引かない。
「はい、完成です」
「......サンキュー」
俺は目を逸らして笑った。
手の温度だけが、しばらく残っていた。
◆
練習が終わるころには、指の痛みもほとんど引いていた。
汗を拭いながら片づけをしていると、体育館の扉が開く。
「おーい、お前らー!」
監督が体育館に入ってくると、全員が反射的に姿勢を正す。
「来月の夏合宿の日程が決まったぞ」
その一言で、空気がざわついた。
「またその時期がきたか......」
二年と三年は一様に渋い顔。
地獄の走り込みと、寝不足の地獄メニューを、俺たちはよく知っている。
けど――まだ何も知らない一年たちは、目を輝かせていた。
「合宿ちょーー楽しみです!」
特に高良はテンション爆上がりで、遠足前みたいな顔をしている。
......おい、それ、今だけだからな。
そんな中、監督が意味深に口角を上げた。
「お前ら、そんな呑気なこと言ってるが、大丈夫なのか?」
「え、なんでですか?」
首をかしげる高良に、監督の笑みが深くなる。
「もうすぐ期末テストだろ」
――その瞬間、全員の動きピクっと止まった。
「うちは“文武両道”だかな!」
監督の声が体育館中に響いた。
「赤点がひとつでもあれば、合宿の参加は認めんぞ!!」
高笑いしながら、監督は「じゃあ頑張れよ!」とだけ言い残して去っていく。
バン、と閉まる扉の音。
静まり返る体育館。
「......地獄の前に地獄かよ」
「数学もう終わった......」
「英語が......」
全員が絶望の表情を浮かべる中――
誰よりも顔が真っ青なのは、高良だった。
「湊先輩......助けてください! 俺、本当に勉強できないんです......!」
高良が涙目で俺にしがみついてくる。
「最初のテストはそんな難しくないから大丈夫だと思うぞ? それより俺の日本史の方がやばい」
「ぜっっったい俺の方がやばいので!」
「いや、絶対に俺だから。こっちの日本史の範囲なめんなよ」
そう言うと、横から陽稀が笑った。
「何張り合ってんだよ、お前ら」
「いや、俺ほんとに英語がやばくて!」と高良が焦って言う。
そこに、同じ一年の翔が顔を出した。
「先輩、こいつの英語力はほんっっっとに壊滅的ですよ!」
「そうなのか?」
「こいつ、この間の授業で“game”を“ガミー”って読んだんですよ」
「ちょ、お前それ言うなっての!」
その衝撃発言に、一瞬の沈黙。
次の瞬間、俺と陽稀は顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「ガミーって......! 腹いてぇ!」
「お前それでよく入学できたな!」
高良は耳まで真っ赤にして反論する。
「ここに入るために必死で勉強したんです! でも受験終わったら全部忘れてました......」
「忘れるのはやすぎだろ」
「そもそも先輩がこんな偏差値高いところにいるのが悪いんですよ!」
「なんで俺のせいなんだよ!」
「もっとバカな学校だったら受験も楽だったのに!」
「その英語力じゃ、どこも無理だと思うぞ」
俺が呆れ気味に言うと、陽稀がニヤリと笑った。
「じゃあ、お前が教えてやれよ」
「は? なんで俺なんだよ」
「お前、文系だろ? 英語得意だっつってたじゃん」
「そうなんですか!」
高良が目を輝かせて、俺を見上げる。
「......お前こそ、英語得意だろ」
「俺はほかがやばすぎて教える余裕ねぇよ」
「先輩、お願いします! 俺、本気で合宿行きたいんです!」
高良が合宿に来れないのは、正直キツいな。でも、こいつと2人っきりなのは少し気まずい。悩んだ末に俺ははぁ、とため息をつく。
「......仕方ねぇ俺が見てやるよ。ちょうど明日は体育館の点検で部活休みだし。......放課後、勉強会でもやるか」
「本当ですか!?」
高良が子犬みたいに目を輝かせる。
「その代わり、寝たら即退場だからな」
「はい、絶ッ対に寝ませんから!」
俺は笑いながら、「なんだ、いつも通りに話せるじゃん」なんて思っていた。
そんなことを思いながらふと顔を上げると、高良と目が合った。
その瞬間、高良は――俺にしかわからないような、やわらかい笑みを浮かべた。
その笑顔は、昨日の“好き”をまだ胸の奥に残しているみたいで調子が狂う。
「......大丈夫。これは、ただの勉強会だ」そう言い聞かせながら、俺は視線を逸らした。
それでも、心臓の音だけは、ごまかせなかった。
◆
次の日の放課後。
教室でノートをまとめていると、廊下の窓から顔を出した高良が、満面の笑みで叫んだ。
「湊せんぱーーい!」
その声に、クラスの数人が一斉にこっちを見る。
......おいおい、まただよ。
「お前、ただでさえ目立つんだから静かにしろよ」
「え、そんなことないですよ?」
悪びれもなく笑う高良を見て、俺はため息をついた。
俺が一年のときは、先輩のクラスに行くだけで緊張してたもんだけどな。
こいつ、ほんとに人見知りとか知らねぇタイプだ。
「先輩の席ってどこなんですか?」
「ああ、こっちだ」
俺は自分の席へと案内する。窓際のいちばん後ろそこが今の俺の席だった。
「じゃあ、さっそくやるか」
「お願いします!」
高良が勢いよく椅子を引いて、俺の机に自分のをくっつけた。
机の上には教科書とノート。俺たちは並んで腰を下ろす。
「その感じで授業も頑張ればいいじゃないのか?」
「どうも授業は寝ちゃうんですよ。そもそも朝練から走らされたら寝るしかないです」
「まぁ、それはわかる。でも前提として、お前が頑張らないと話にならないんだから。今からテストまでは、せめて起きとけ」
「はーい」
返事だけはいい。
「で、テスト範囲わかるか?」
「はい、写真撮ってきました!」
スマホを差し出され、俺は画面を覗き込みながら教科書をめくる。
「まず、単語が十点分出るから、そこは絶対に取っとけよ」
「簡単に言いますね、先輩」
「単語なんて暗記なんだ。ひたすらター〇ットやるんだな」
「できるならやってるんですけど......」
情けない声を出す高良に、つい笑いそうになる。
「お前、他の科目は大丈夫なのか?」
「はい、他はなんとか。そもそも英語なんて、日本人なんだからやれなくて当然ですよ」
「そんなこと言ってたってテストあるんだから。で、どこがわかんないんだ」
「今、時制やってて」
「あー、時制か。これややこしいよな」
そこから俺は、課題のプリントを取り出して、ひとつひとつ解説を始めた。
最初はふざけたような顔をしていた高良も、次第に真剣な表情に変わっていく。
ペンを握る手が止まらず、頷きながらノートを取る姿。
意外と――ちゃんとやるんだな、こいつ。
一通り教え終わると、高良がペンを置いて、ぱっと顔を上げた。
「湊先輩、教えるのめっちゃ上手ですね! すごいわかりやすいです!」
「お前ほんとにわかってんのか?」
呆れたように笑って、俺はシャーペンでプリントの端を軽く叩く。
「じゃあ今度はこの問題、同じ感じでやってみろ」
「はい!」
高良は元気よく返事をして、再びノートに向かった。
「俺は数学やってるから、終わったら教えろよ」
「わかりました!」
その声を聞きながら、俺も自分の課題に取りかかる。
シャーペンの走る音だけが、静かな教室に響いた。
気づけば、いつの間にか他のやつらはみんな帰っていて、教室には俺と高良の二人きり。
放課後の西日がカーテン越しに差し込んで、机の上をオレンジ色に染めていた。
少しの間、静寂が続く。
ふと、自分のワークと答えを見比べると――どうも答えが違う。
「......どこで間違えたんだ?」
独り言のように呟いた瞬間、横から声が飛んできた。
「これ、こっちの公式じゃありません?」
顔を上げると、高良が俺のワークを覗き込んでいた。
近い......思わず姿勢を正すと、高良はペンを取って、俺のノートの隅にさらさらと式を書き出す。
「これはこの公式を使って......答えは、えっと――120分の1238通りです」
その答えは、ちゃんと合っていた。
「お前、すごいな。計算も早いし」
「ちょうど、俺も今ここやってるんですよ。なんで一緒なんですか?」
「俺は文系だから、数学A・B終わったあとに復習で3年はAに戻るんだよ」
高良は「なるほど」と頷いた。
「お前、数学できたのか」
「一応、数学は得意科目です! 計算するだけなんで」
「それ、頭いいやつが言うセリフだぞ」
そう言って笑うと、高良も口元を緩めた。
「俺とは真逆だな」
「じゃあ、ふたりでちょうどぴったりですね」
そう言って、高良が頬に手を添えながらこちらを見つめて微笑む。
柔らかい光の中、その笑顔が妙に近く感じて、胸の奥がざわついた。
――なんだ、この感じ。
頬がじわりと熱くなる。誤魔化すように、俺は話を逸らした。
「お、お前は終わったのか?」
「それが、スラスラ解けました!」
満足そうに笑う高良を見て、俺は小さく息をついた。
「先輩は、受験勉強とかしてるんですか?」
問題を解き終えたあと、不意に高良がそう聞いてきた。
顔を上げると、さっきまでの明るさはそのままに、どこか探るような目をしていた。
「あー、登校中に一問一答見たりはしてる」
そう答えると、高良の笑顔がほんの少しだけ陰った気がした。
気のせい......ではなかった。
「それがどうしたんだよ」
「......せっかく先輩と一緒なのに、またすぐ先輩は次に行っちゃうんだなって」
言葉がやけに静かだった。
放課後の光が傾いて、教室の影が長く伸びていく。
夕焼けの色の中で、彼の横顔が少し遠く感じた。
「まぁ、それはしょうがないだろ。年が違うんだから」
自分でも、薄っぺらい返しだとわかっていた。
だけど、それしか言えなかった。
「俺があと二年早く生まれてればよかったのに」
ぽつりと呟いた高良は、笑っているようで、寂しそうだった。
――そういう顔、すんなよ。
胸の奥が、少しだけざわつく。
しばらく沈黙の続いたあと、先に口を開いたのは俺だった。
「......お前はさ」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
「なんで俺なんだ。女子にもモテるのに」
高良が少し驚いたように俺を見る。
高良は顔も整ってるし、誰にでも明るくてモテるのに。言い方は悪いが高良からすれば選びたい放題だろ?
そんなやつが、なんで俺なんだ。
問いかけながら、自分の心臓がわずかに高鳴っていくのを感じた。
少しの間、言葉が消えた。
高良は視線を落としたまま、机の角を指でなぞっている。
沈黙が、夕焼けと一緒にゆっくりと広がっていった。
「......そんなの、関係ないですよ」
「え?」
「俺が欲しいのは先輩だけですから」
一瞬、呼吸を忘れた。
真っすぐすぎるその言葉が、胸の奥をかき乱してくる。
「ずっと先輩を見てました。バレーしてる時の顔も、笑う時も、怒る時も......どれも好きなんです」
心臓の音が、やけにうるさく響く。
“好き”という単語が、ゆっくりと耳の奥に沈んでいった。
「......高良」
名前を呼んでも、次の言葉が出てこない。
どう言えばいいのか、わからなかった。高良は小さく息をついて、少しだけ笑った。
「すみません、変なこと言いましたね」
何かを言いかけたけど、声にならない。
カーテンが風に揺れて、紙の端がカサリと鳴った。
それでも、俺は動けなかった。
そんな俺を見て高良がいつもように笑う。
「赤点取らなかったら、ご褒美下さいよ」
「随分と低い目標だな......平均以上あったらな」
「じゃあ、ちゃんと頑張ります」
そう言いながらも、どこか照れ隠しみたいに笑う高良。
......俺はその視線から、逃れられなかった。



