「お前、ほんと俺のこと好きだな」
 冗談まじりに笑いながら言ったつもりだった。
 けど――握っていた高良(たから)の手が、ぐっと強くなる。
「好きですよ、湊先輩」
 体育館のライトが一部だけ灯っていて、天井の明かりが高良の横顔を照らしている。
 冗談で返す空気じゃなかった。
 息が詰まるほどまっすぐな目で、俺を見ていた。
 ......たぶん、この瞬間を俺は一生忘れない。
 俺、和泉湊(いずみみなと)
 高校三年、バレー部キャプテン。
 そして今――
 人生で初めて“告白”された。
 それも、同じ部活の男の後輩に。



 帰りのSTが終わり、みんながガタガタと席を立ち始める。
 俺もリュックを肩に背負って、廊下に出ようとしたその時――
「湊ー!部活いくぞー!」
 廊下から顔を出した陽稀(はるき)が、にかっと笑って手を振ってきた。
「おう、今行く!」
 俺は急いで駆け寄る。
「なぁ湊、今日の練習メニューなんだっけ?」
「ブロックとレシーブ中心。顧問が“気合い入れ直せ”ってさ」
「うっわ、またあのスパルタモード?」
「たぶん。昨日あんなに走らされたのに、まだ足りねーらしい」
「マジ鬼畜。ま、うちの顧問、バレー愛が重いからな」
 笑いながら靴箱に向かう途中、窓から見える青空は雲ひとつない。
 他の部の掛け声、笛の音、砂の匂い――放課後って感じだ。
「なぁ湊、思わね?もうすぐ最後の大会なんだぜ」
「......ああ。なんか、早かったな」
「だよな。最初の頃なんて、まともに試合も出してもらえなくてさ」
「お前はな」
「それ言うか?」
 くくっと笑い合う。
 ――陽稀。
 こいつは同じバレー部の副キャプテン。2年間ずっと一緒に頑張ってきた仲間だ。
 1年のときは同じクラスで、部活外でもよくつるんでた。
 明るくて、チームを引っ張ってくれるタイプ。
 対して俺は、バレー部キャプテン。
 気づけばバレーが生活の真ん中にあって、今じゃ“生きがい”って言ってもいいくらいだ。
 更衣室で陽稀とふざけ合いながら、部活着に着替える。
 Tシャツの背中にプリントされた「城南バレー部」の文字を見て、なんとなく胸が熱くなった。
 体育館に入った瞬間、汗とワックスの匂いが混ざった“部活の空気”に包まれた。
「湊先輩ー!!」
 声のする方を向くと、ボールを抱えた一年の稲富高良(いなとみたから)が駆け寄ってくる。
 短く切った前髪が額に張り付いて、目がキラキラしてる。
「湊先輩、やっと来た! 部活始まる前にトス上げてくださいよ!」
 そう言って、期待に満ちた顔でボールを差し出してくる。
 ......ほんと、昔から変わらねぇな。
「お前、早いな」
「はい! 湊先輩にトス上げてほしかったんで、いっっっそいできました!」
 素直すぎる後輩に、思わず笑ってしまう。
 そこに、陽稀が横から口をはさんだ。
「おいおい、俺のことは見えてないのか〜? なんなら俺がトス上げてやろーか?」
 高良は即答した。
「いや、陽稀先輩は下手だし、遠慮します」
「おいっ、先輩に向かって“下手”とはなんだ!」
「だって、とても打ちやすいとは言えないですよ」
「それはそうだよな」
「おい湊! 味方すんな!」
 俺が笑うと、陽稀はわざとらしく頭をかいてため息をついた。
「お前、こいつのことしっかり躾けとけよ」
「俺も手に負えねぇんだよな」
「先輩、また犬扱いですか!!」
 高良が口を尖らせる。
 それを見て、陽稀と俺は顔を見合わせて笑った。
 こいつ稲富高良は中学も同じで、あの頃からやたらと俺を尊敬してくれていた。
 まぁ......満更でもなくて、俺もよく可愛がっていた。
 それが今年の春、また同じチームでバレーをすることになって。
 相変わらず慕ってくれるのは嬉しいけど――もう“可愛い”とか言ってられないサイズになってやがる。
 昔は俺の肩ぐらいしかなかったのに、今じゃ173cm。いや、自称175cmの俺よりもデカくなって、気づいたら、完全に見上げる側になってた。
 そんなことを思ってたら、体育館のドアのほうから声がした。
「高良ー!」
 顔を向けると、1年生らしく女子が手を振ってる。
「おいお前ら! 部活の邪魔しにくるな!」
「見てるだけだもーん!」
 陽稀がニヤニヤしながら肘で高良をつついた。
「さすがモテてんなぁ〜高良」
「そんなんじゃないです」
 慌てて手を振る高良。
「でもあの子たち、毎日見に来てるだろ?」
「すみません、来るなって言ってるんですけど......」
「いや、いいんじゃね? 見られてるほうが他のやつらのやる気すごいし」
「それにしてもさ〜」と陽稀がため息をついた。
「俺たち、このまま恋愛もできねぇまま卒業かよ」
「俺はできないんじゃなくて、しないんですー」
 わざと軽く返すと、
「わぁ、先輩言い訳だー!」
 笑いながら俺も肩をすくめる。
 ほんと、高良がモテるのもわかる。
 高身長に自然体な笑顔、サラッとした茶髪が光を反射してる。
 優しい雰囲気で、男女問わず惹かれるタイプだ。
「――よし、そろそろ始めるか!」
 話しているうちに時間になり、俺は手を叩いて声を張った。
「集合ー!」
「お願いしまーす!!」
 体育館に響く声。
 いつも通り、活気に満ちた空気が広がる。
 スパイク、レシーブ、トス。
 ボールの音と、仲間の声。
 あぁ、やっぱりバレーって最高だ――そう思える時間だった。
 その日の練習も無事に終わり、みんなが「お疲れっしたー!」と元気よく帰っていく。
「じゃあなー!」
「また明日っす!」
 声が遠ざかって、体育館は一気に静かになる。
 気づけば俺ひとり。
 なんとなくまだ帰りたくなくて、ボールをひとつ手に取る。
 ガラガラとカゴを引き寄せる音だけが、広い体育館に響いた。
 そのとき――
 ガタッ。
 重たいドアが開く音に振り向くと、そこに高良が立っていた。
「......高良? まだ帰ってなかったのか」
「先輩こそ、コソ練ですか?」
「コソ練言うな。居残り練習だ」
 そう言うと、高良は少し笑って体育館に入ってきた。
「俺も混ざっていいですか?」
「帰らなくていいのか?」
「ふたりのほうが、できること増えるじゃないですか」
 その言葉に苦笑して、俺は肩をすくめる。
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、トス上げてください!」
 眩しい笑顔。
 反射的に、俺もボールを構えた。
「はいはい、ちゃんと打てよ?」
「もちろんです!」
 夜の体育館に、ボールの弾む音と二人の声が響く。
 高良にトスを上げるの、俺も何気にけっこう楽しんでる。
 強豪って言われるこの学校で、一年にしてAチーム入りしてる。中学では優勝選手賞に選ばれたらしい。
 監督も高良に期待をしている。
 こいつに上げれば、きっと決めてくれる――
 そんな信頼が自然と生まれてる。
「いくぞ、高良」
「はいっ!」
 トスを上げると、高良が鋭く踏み込み、スパイクを打ち抜いた。
 ボールが綺麗に決まって、体育館の床に“ドン”と響く。
「ナイストスです、先輩!!」
 満面の笑顔で振り返る高良。
 その顔見たら、なんか無性に嬉しくなって――
 気づいたら、手が勝手に動いてた。
「ははっ、こんなでかくなりやがって」
 わしゃわしゃ、と乱暴に頭を撫でまくる。
 いつもみたいに、ちょっと拗ねた感じで「また犬扱いですか!」って返してくるかと思ったのに――
 今日は違った。
 高良は何も言わず、顔を真っ赤にして俯いてる。
「お前照れてんのか」と笑って覗き込むと、視線がぶつかる。
 その瞬間、思わず息をのんだ。
 汗で頬に張りついた髪。
 熱を帯びた瞳。
 その中に、何か――今までと違う色があった。
「お前、ほんと俺のこと好きだな」
 冗談っぽく言うと、高良が一瞬笑って──次の瞬間、俺の手首をぎゅっと掴んだ。
「......好きですよ。湊先輩のこと」
 体育館が、しんと静まり返る。
 冗談にしては、目が真剣すぎた。
「は、ははお前、なに言って──」
 笑ってごまかそうとしたけど、高良の視線は逸れない。
「本当に好きなんです」
 その一言が、胸の奥に落ちてくる。
 冗談でも軽口でもない。真っ直ぐで、逃げ場のない声だった。
「え、えっと、それって......」
 高良の目が、笑ってなかった。
 まっすぐ、俺だけを見てる。
「すみません。困らせたかったわけじゃなくて」
「いや、困ってるっていうかその、初めてで......」
 自分でも何言ってるかわからないくらい焦ってるのに、高良はくすっと笑って、目尻が少し下がった。
 いや、でもちゃんと返事したほうがいいやつなんだよな?
 深呼吸して、真面目に言う。
「......その嬉しいけど、今は部活を優先したいっていうか」
 一拍の沈黙。
 次の瞬間、高良がふっと笑い出した。
「なっ、お前、なんで笑うんだよ!」
「すみません。なんだか、模範解答みたいだなって思って」
 笑いながらも、目は優しかった。
「でも......“嬉しい”って言ってくれたの、ちゃんと覚えときますね」
「......え?」
「じゃあ、俺これから頑張るんで。先輩が、俺のこと意識するくらいに」
「おい、俺いま、振ったよな!?」
「はい。でも“諦めろ”とは言われてません」
 にやっと笑って、手を離す。
 その指先の温度が残ってて、心臓の音が止まらなかった。
「......なんなんだよ、もう」
 苦笑いしたつもりが、うまく笑えなかった。
 胸の奥が、じわっと熱い。
『......好きですよ。湊先輩のこと』
 あいつの声が、まだ耳の奥に残ってる。