第四話 覚醒
〇ひとけのない住宅街。ひとりでたたずむ真紅。夕暮れが夜に変わる時間。真紅、唇を噛んで耐えている。
真紅(過去の『私たち』の記憶……いや、これはあくまで情報として入って来てるだけだ……これは『私の記憶』じゃない……)
『記憶』は一人のものではない。人がひとり、生まれてから死ぬまでの光景が、映像と音だけで何人分も頭の中を駆けめぐる。そのときの気持ちや感情などは入ってこない。
真紅、自分に念じて平静を保とうとする。
そのとき、真紅の頭上から声がする。
あやかし『ああ、やっと見つけた』
おぞましい声がして、真紅は空を振り仰ぐ。
真紅「なに……!?」
あやかし『やっと見つけた、小路の幼な子』
真紅の頭上の朱い空を、黒いものが覆っていく。夜のとばりではない。
真紅(逃げなきゃ――動いて! 指一本でもいいから!)
真紅、身体が動かない。
真紅の前に、黒い物体が降りてきて人のような形を作る。
あやかし『こちらへ……小路の幼な子』
真紅(ダメ……絶対に行っちゃダメ……!)
真紅の意思に反して、足が黒い物体の方へ動いてしまう。
真紅(なんで! 止まって、停まって!)
泣きそうになる真紅。黒い物体に雷のようなものが落ちる。
白桜「駄目だろう、一般人巻き込んじゃ」
知らない声に、真紅は目だけ動かす。黒藤と同じ制服の青年が、手の上に雷光のようなものを弾けさせている。
あやかし『御門……!』
白桜「次その子に何かしたら脳天に雷撃するよ」
白桜が手を動かすと、真紅の前にいた黒い物体に雷撃が串刺しのように刺さる。
あやかし『……っ!』
次の瞬間には黒いものたちはいなくなっていて、夕暮れの空になっている。
白桜「大丈夫か? いきなりあんなのに遭ってびっくりしただろう。喋れる?」
白桜に声をかけられて、真紅はやっと体を動かすことが出来た。途端、ぺたんと座り込んでしまう。
真紅「あ、ありがとう、ござ……」
真紅、口が震えていてはっきり音にならない。
白桜「怖かったよな……紅緒様?」
真紅に目線を合わせるように膝を折る白桜。白桜、真紅を見て首を傾げている。
真紅「い、え……真紅、です」
真紅、まだはっきり喋れない。白桜、安心させるような顔をする。
白桜「無理して喋らなくても大丈夫だよ。……真紅? もしかして、黒が当主押し付けようとしてる子?」
真紅(黒藤さんの、関係者? この人も小路流の、とか?)
真紅「桜木、真紅、です」
白桜「やっぱり。俺は月御門白桜。黒の昔馴染みで、真紅嬢とは同い年だよ」
真紅(やっぱり黒藤さんの知り合い……ぁ、れ?)
白桜「真紅嬢? 真紅!? ――――」
真紅、意識が遠のく。
〇真紅、夢を見ている。古い時代の風景の中、夢の中で和服姿の一人の女性が真紅に向かって手を伸ばしている。女性の口元のアップの絵。哀しそうに口を開く女性。
真紅「―――っ」
真紅、目覚める。和室の天井が目に入る。知らない天上。
続けて、年頃の近そうな女子が真紅の顔を覗き込んでくる。
百合緋「大丈夫っ? あ、目が覚めたわね。天音、白桜に伝えてくれる?」
天音「はい」
真紅、状況を把握しようと上体を起こす。
百合緋「わあっ、いきなり起きちゃだめよ、本気で意識失ってたのよ? 白桜も理由がわからないって言うから、絶対に安静にしてなきゃだめっ」
真紅、百合緋に肩を押さえられて布団に押し戻される。
真紅「あの、私、桜木真紅といいます……」
百合緋「水旧百合緋よ。白桜の幼馴染なの。黒藤とも知り合いよ」
真紅(ゆりひさん……やっぱりさっきのはくおうさんが助けてくれたんだ……)
真紅、百合緋がまだ肩を押さえつけてくるので、横になったまま問いかける。
真紅「さっきの……白桜さんも、陰陽師って人なんですか……?」
真紅が抵抗しないとわかった百合緋、手を離して正座に戻る。
百合緋「そうよ。御門流当主、月御門白桜」
真紅「御門流……小路流ではないのですか?」
百合緋「現在、陰陽道の流派は複数あるわ。その中で御門流と小路流は二大大家と呼ばれて、完全に別格扱いされているの。白桜は御門流を統率する月御門家の人間で、黒藤は小路流宗家の影小路家の人間。敵対しているわけではないけれど、完全に別の組織ね」
真紅(黒藤さんと同じとこの人じゃないの!? それってまずいんじゃ……っ)
真紅「あの、ごめんなさい、すぐに帰りますっ」
真紅、再び体を起こそうとする。百合緋が慌てて腕に抱きつく。
百合緋「えっ!? だめよ、絶対に部屋から出すなって白桜に言われているんだからっ」
真紅「きっと私がいちゃダメな場所です。ご迷惑をおかけする前に――」
白桜「気分はどうだ、真紅」
襖が開いて白桜が入ってくる。続けて銀髪和服の女性が入ってきて襖をしめる。慌てる真紅を見て、白桜は口元を柔らかくする。
白桜「月御門の家だから申し訳ないと思った?」
白桜の落ち着いた様子に、真紅も冷静さを取り戻す。
真紅(こうじとかみかどとか、そういうの気にしなくていいのかな……?)
真紅「……はい」
白桜「そんなこと、気にする必要はない」
白桜、笑顔で言う。真紅、拍子抜けした顔。
真紅「え?」
白桜、縁側の障子戸を開ける。
白桜「こいつほとんどここに入り浸っているから」
黒藤「よ、真紅。さっきぶりー」
縁側で横になってくつろいでいる黒藤。ひらひらと手を振ってくる。
真紅(黒藤さん!?)
真紅の腕から離れた百合緋、ため息とともに話す。
百合緋「本当なのよ、黒藤ってば故郷から戻って来てから、白桜に会うためによくここに来て――」
天音「うふふ、今日も鎌を研いでおかないいけませんわね」
銀髪美女の天音がうっそりと笑む。
百合緋、ジト目になる。
百合緋「白桜の式の天音に何度も命をとられそうになってるわ」
真紅(どういうこと!?)
白桜、特に説明せずに話を次へ進める。
白桜「百合姫、真紅の付き添いありがとう。そろそろお休み」
白桜が促すと、百合緋は眉根を寄せて不満な顔になる。
百合緋「え~、もっとお話ししたい……」
白桜「真紅とは必ずまた会えるし話せるから、今日ももう遅いから。天音」
天音「御意に御座います。さ、百合緋様」
百合緋、不満げな顔をしながらも部屋を出る。出るとき真紅に笑顔で「またね、お大事に」と言う。真紅、百合緋に軽く頭を下げる。天音、百合緋についていく。
真紅、布団を出て畳に頭を下げる。ふらつく様子などはない。
真紅「あの、助けていただき本当にありがとうございました」
白桜「怖かっただろう。そう畏まる必要はないよ」
白桜は優しい声で返す。
黒藤「そうそう、ここは白が主人の家だからさー。全然気ぃ使う必要ないよ」
黒藤、一切の緊張感のない態度。
白桜「黒は少し畏まれ」
じとっとした目で黒藤を睨む白桜。笑顔で受け流す黒藤。
真紅(わ、仲いい感じがすごい……さっきのゆりひさんも、対立してるわけじゃないって言ってたっけ……)
寝転がっていた黒藤、身体を起こして胡坐をかく。
黒藤「それより真紅、俺が助けに行けなくて悪かった。何かに襲われたんだって?」
白桜、真紅と黒藤の間に胡坐をかく。
白桜「俺もはっきりとは確認出来なかったんだけど……」
黒藤「人間狙った系?」
白桜と黒藤の間で話が進んでいく。
気になることがあった真紅、口を開く。
真紅「私を、『小路の幼な子』って呼んでました……」
黒藤、白桜、顔を見合わせる。
黒藤「ってことは真紅だとわかって……?」
真紅自身、影小路の関係者と知ったのは今日なので、首を傾げる。
白桜「けど真紅の誕生日はあと二か月も先だろう? 紅緒様に異変は?」
黒藤「逆仁じいさんが本家にいるけど、連絡はない」
真紅(さかひとおじいさん? 黒藤さんのおじいさんかな……)
少しだけ考えた真紅。片手を挙げる。
真紅「あの、白桜さんはみかどりゅうさんの当主さんなんですよね?」
白桜「ああ」
白桜、うなずく。
真紅「なら黒藤さんは小路の跡継ぎではないんですか?」
真紅(こんなに対等に話しているし、宗家の人、なんだよね?)
真紅の問いを聞いて、黒藤、ぐっとこぶしを握って感極まった様子を見せる。
黒藤「よくぞ聞いてくれた真紅! 俺は白と結婚するから小路の当主はやりたくない!」
白桜「お前本当黙れよ」
真紅(やりたくない、ってことはその資格はある人なんだ)
真紅「そうなんですか。恋人さんなんですね」
白桜、真紅の反応に驚く。
白桜「いや待て真紅なんで納得する。今の時代だけど男同士だと色々問題が――」
慌てる白桜を見て、真紅、驚く。
真紅「ええっ!? 白桜さん、男の人なんですかっ……!? ごめんなさい!?」
真紅(超絶美人さんだと思ってた……そう言えばさっき男子の制服だった……!)
真紅が白桜に助けてもらったときのコマ、回想。
黒藤「ん? その反応は、白のことなんだと思ったの?」
眉根を寄せる黒藤に、真紅、恐る恐る口にする。
真紅「美形な女性だと……」
黒藤、白桜、即座に障子を閉めて真紅のもとへ寄る。びくっと肩を跳ねさせる真紅。白桜、黒藤、真紅に顔を近づけて声もひそめる。
白桜「何故わかった」
白桜、今までになく堅い声。顔も少し強張っている。真紅、白桜が怒っているのかと思う。
黒藤「俺、白のこと何も言ってないよな?」
黒藤も、昼間と先ほどの軽い調子はない。真剣な顔で訊いてくる。真紅、内心びくびくする。
真紅(わ、私やらかしちゃった……!?)
真紅「な、なんとなく……? ですけど……ごめんなさいっ」
反射的に謝る真紅。真紅が身を縮めるのを見た白桜、怖がらせてしまったと気づく。黒藤の肩を小突くと黒藤が見てきたので『少し離れろ』と目で伝える。白桜、黒藤、真紅から少しだけ身を遠ざける。
白桜「怒ってるわけではないんだ。真紅、俺はな、性別がないんだ」
真紅「……性別が?」
真紅、意味がわからずきょとんとする。
白桜は背筋を伸ばして話しだす。少し悲しそうな顔で。
白桜「生まれる前に、奪われてしまった。母の腹の中では女だったんだけど、生まれてからは男の身体でもないし、女性の機能もない」「祖父が俺を男として育てたから、今も対外的には男で通している」
黒藤「この通り制服もずっと男物だしな。カッコいいけど可愛い服も俺は見たい」
白桜「俺が女装なんかしてみろ、錯乱したと思われるわ」
真紅(白桜さんがする女子の恰好は女装になるんだ……)
黒藤「白、真紅以外に女だって見破ってきた奴いる?」
白桜、首を横に振る。
白桜「いや、母様の友人関係以外では知られていないから、俺が生まれてから指摘されたことはない。だから本当になんでだ、という感想しか……」
真紅(そ、そんなに極秘事項だったんだ……)
黒藤「百合姫には白から話したんだっけ?」
白桜「ああ。一緒に暮らしていくのに、隠したままでは申し訳なくてな……。百合姫なら口外しないとわかっていたし」
黒藤「俺、ときどき、百合姫に妬く」
白桜「百合姫は性別を超えた親友だ。それで真紅、このあと来客があるんだ」
真紅「私、帰った方がいいですよね?」
白桜「いや、来客というのは――」
無炎「白桜、黒藤、連れて来たぞ」
黒藤とよく似た面差しの青年がふすまを開けて入ってくる。その後ろに紅亜の姿を見止めて目を見開く真紅。
真紅「ママ?」
真紅(なんでママがここに? ……いや、ママは影小路の人だったんだっけ。やっぱり、何か知ってるんだ――)
紅亜「真紅ちゃん……! ごめんなさい……っ」
紅亜、半分泣きながら真紅を抱きしめる。
真紅「あ、あの、ママ――」
真紅(訊かなくちゃ――)
白桜「紅亜姫、お久しぶりです」
何から口にしていいか迷う真紅が戸惑っている隙に、白桜が話しかける。
紅亜「白ちゃん……無炎さんから聞きました。真紅ちゃんのことを助けてくれて、ありがとう」
紅亜、真紅を抱きしめる腕を少し緩めて白桜に礼を言う。
白桜「いえ、たまたまです。しかし今はそれよりも話すべきことがあるかと」
真紅(……私のこと、だよね……)
真紅、心臓がどくんと鳴る。
紅亜、真紅から体を離して畳に正座する。
紅亜「ええ、そうね。黒ちゃんも、いいわね?」
黒藤「紅亜姫にお任せします」
真紅(? なに……昼間聞いた、以上のことがあるの……?)
緊張する真紅を前に、紅亜は一度目を閉じる。
紅亜「真紅ちゃん、全部話すわ」
〇ひとけのない住宅街。ひとりでたたずむ真紅。夕暮れが夜に変わる時間。真紅、唇を噛んで耐えている。
真紅(過去の『私たち』の記憶……いや、これはあくまで情報として入って来てるだけだ……これは『私の記憶』じゃない……)
『記憶』は一人のものではない。人がひとり、生まれてから死ぬまでの光景が、映像と音だけで何人分も頭の中を駆けめぐる。そのときの気持ちや感情などは入ってこない。
真紅、自分に念じて平静を保とうとする。
そのとき、真紅の頭上から声がする。
あやかし『ああ、やっと見つけた』
おぞましい声がして、真紅は空を振り仰ぐ。
真紅「なに……!?」
あやかし『やっと見つけた、小路の幼な子』
真紅の頭上の朱い空を、黒いものが覆っていく。夜のとばりではない。
真紅(逃げなきゃ――動いて! 指一本でもいいから!)
真紅、身体が動かない。
真紅の前に、黒い物体が降りてきて人のような形を作る。
あやかし『こちらへ……小路の幼な子』
真紅(ダメ……絶対に行っちゃダメ……!)
真紅の意思に反して、足が黒い物体の方へ動いてしまう。
真紅(なんで! 止まって、停まって!)
泣きそうになる真紅。黒い物体に雷のようなものが落ちる。
白桜「駄目だろう、一般人巻き込んじゃ」
知らない声に、真紅は目だけ動かす。黒藤と同じ制服の青年が、手の上に雷光のようなものを弾けさせている。
あやかし『御門……!』
白桜「次その子に何かしたら脳天に雷撃するよ」
白桜が手を動かすと、真紅の前にいた黒い物体に雷撃が串刺しのように刺さる。
あやかし『……っ!』
次の瞬間には黒いものたちはいなくなっていて、夕暮れの空になっている。
白桜「大丈夫か? いきなりあんなのに遭ってびっくりしただろう。喋れる?」
白桜に声をかけられて、真紅はやっと体を動かすことが出来た。途端、ぺたんと座り込んでしまう。
真紅「あ、ありがとう、ござ……」
真紅、口が震えていてはっきり音にならない。
白桜「怖かったよな……紅緒様?」
真紅に目線を合わせるように膝を折る白桜。白桜、真紅を見て首を傾げている。
真紅「い、え……真紅、です」
真紅、まだはっきり喋れない。白桜、安心させるような顔をする。
白桜「無理して喋らなくても大丈夫だよ。……真紅? もしかして、黒が当主押し付けようとしてる子?」
真紅(黒藤さんの、関係者? この人も小路流の、とか?)
真紅「桜木、真紅、です」
白桜「やっぱり。俺は月御門白桜。黒の昔馴染みで、真紅嬢とは同い年だよ」
真紅(やっぱり黒藤さんの知り合い……ぁ、れ?)
白桜「真紅嬢? 真紅!? ――――」
真紅、意識が遠のく。
〇真紅、夢を見ている。古い時代の風景の中、夢の中で和服姿の一人の女性が真紅に向かって手を伸ばしている。女性の口元のアップの絵。哀しそうに口を開く女性。
真紅「―――っ」
真紅、目覚める。和室の天井が目に入る。知らない天上。
続けて、年頃の近そうな女子が真紅の顔を覗き込んでくる。
百合緋「大丈夫っ? あ、目が覚めたわね。天音、白桜に伝えてくれる?」
天音「はい」
真紅、状況を把握しようと上体を起こす。
百合緋「わあっ、いきなり起きちゃだめよ、本気で意識失ってたのよ? 白桜も理由がわからないって言うから、絶対に安静にしてなきゃだめっ」
真紅、百合緋に肩を押さえられて布団に押し戻される。
真紅「あの、私、桜木真紅といいます……」
百合緋「水旧百合緋よ。白桜の幼馴染なの。黒藤とも知り合いよ」
真紅(ゆりひさん……やっぱりさっきのはくおうさんが助けてくれたんだ……)
真紅、百合緋がまだ肩を押さえつけてくるので、横になったまま問いかける。
真紅「さっきの……白桜さんも、陰陽師って人なんですか……?」
真紅が抵抗しないとわかった百合緋、手を離して正座に戻る。
百合緋「そうよ。御門流当主、月御門白桜」
真紅「御門流……小路流ではないのですか?」
百合緋「現在、陰陽道の流派は複数あるわ。その中で御門流と小路流は二大大家と呼ばれて、完全に別格扱いされているの。白桜は御門流を統率する月御門家の人間で、黒藤は小路流宗家の影小路家の人間。敵対しているわけではないけれど、完全に別の組織ね」
真紅(黒藤さんと同じとこの人じゃないの!? それってまずいんじゃ……っ)
真紅「あの、ごめんなさい、すぐに帰りますっ」
真紅、再び体を起こそうとする。百合緋が慌てて腕に抱きつく。
百合緋「えっ!? だめよ、絶対に部屋から出すなって白桜に言われているんだからっ」
真紅「きっと私がいちゃダメな場所です。ご迷惑をおかけする前に――」
白桜「気分はどうだ、真紅」
襖が開いて白桜が入ってくる。続けて銀髪和服の女性が入ってきて襖をしめる。慌てる真紅を見て、白桜は口元を柔らかくする。
白桜「月御門の家だから申し訳ないと思った?」
白桜の落ち着いた様子に、真紅も冷静さを取り戻す。
真紅(こうじとかみかどとか、そういうの気にしなくていいのかな……?)
真紅「……はい」
白桜「そんなこと、気にする必要はない」
白桜、笑顔で言う。真紅、拍子抜けした顔。
真紅「え?」
白桜、縁側の障子戸を開ける。
白桜「こいつほとんどここに入り浸っているから」
黒藤「よ、真紅。さっきぶりー」
縁側で横になってくつろいでいる黒藤。ひらひらと手を振ってくる。
真紅(黒藤さん!?)
真紅の腕から離れた百合緋、ため息とともに話す。
百合緋「本当なのよ、黒藤ってば故郷から戻って来てから、白桜に会うためによくここに来て――」
天音「うふふ、今日も鎌を研いでおかないいけませんわね」
銀髪美女の天音がうっそりと笑む。
百合緋、ジト目になる。
百合緋「白桜の式の天音に何度も命をとられそうになってるわ」
真紅(どういうこと!?)
白桜、特に説明せずに話を次へ進める。
白桜「百合姫、真紅の付き添いありがとう。そろそろお休み」
白桜が促すと、百合緋は眉根を寄せて不満な顔になる。
百合緋「え~、もっとお話ししたい……」
白桜「真紅とは必ずまた会えるし話せるから、今日ももう遅いから。天音」
天音「御意に御座います。さ、百合緋様」
百合緋、不満げな顔をしながらも部屋を出る。出るとき真紅に笑顔で「またね、お大事に」と言う。真紅、百合緋に軽く頭を下げる。天音、百合緋についていく。
真紅、布団を出て畳に頭を下げる。ふらつく様子などはない。
真紅「あの、助けていただき本当にありがとうございました」
白桜「怖かっただろう。そう畏まる必要はないよ」
白桜は優しい声で返す。
黒藤「そうそう、ここは白が主人の家だからさー。全然気ぃ使う必要ないよ」
黒藤、一切の緊張感のない態度。
白桜「黒は少し畏まれ」
じとっとした目で黒藤を睨む白桜。笑顔で受け流す黒藤。
真紅(わ、仲いい感じがすごい……さっきのゆりひさんも、対立してるわけじゃないって言ってたっけ……)
寝転がっていた黒藤、身体を起こして胡坐をかく。
黒藤「それより真紅、俺が助けに行けなくて悪かった。何かに襲われたんだって?」
白桜、真紅と黒藤の間に胡坐をかく。
白桜「俺もはっきりとは確認出来なかったんだけど……」
黒藤「人間狙った系?」
白桜と黒藤の間で話が進んでいく。
気になることがあった真紅、口を開く。
真紅「私を、『小路の幼な子』って呼んでました……」
黒藤、白桜、顔を見合わせる。
黒藤「ってことは真紅だとわかって……?」
真紅自身、影小路の関係者と知ったのは今日なので、首を傾げる。
白桜「けど真紅の誕生日はあと二か月も先だろう? 紅緒様に異変は?」
黒藤「逆仁じいさんが本家にいるけど、連絡はない」
真紅(さかひとおじいさん? 黒藤さんのおじいさんかな……)
少しだけ考えた真紅。片手を挙げる。
真紅「あの、白桜さんはみかどりゅうさんの当主さんなんですよね?」
白桜「ああ」
白桜、うなずく。
真紅「なら黒藤さんは小路の跡継ぎではないんですか?」
真紅(こんなに対等に話しているし、宗家の人、なんだよね?)
真紅の問いを聞いて、黒藤、ぐっとこぶしを握って感極まった様子を見せる。
黒藤「よくぞ聞いてくれた真紅! 俺は白と結婚するから小路の当主はやりたくない!」
白桜「お前本当黙れよ」
真紅(やりたくない、ってことはその資格はある人なんだ)
真紅「そうなんですか。恋人さんなんですね」
白桜、真紅の反応に驚く。
白桜「いや待て真紅なんで納得する。今の時代だけど男同士だと色々問題が――」
慌てる白桜を見て、真紅、驚く。
真紅「ええっ!? 白桜さん、男の人なんですかっ……!? ごめんなさい!?」
真紅(超絶美人さんだと思ってた……そう言えばさっき男子の制服だった……!)
真紅が白桜に助けてもらったときのコマ、回想。
黒藤「ん? その反応は、白のことなんだと思ったの?」
眉根を寄せる黒藤に、真紅、恐る恐る口にする。
真紅「美形な女性だと……」
黒藤、白桜、即座に障子を閉めて真紅のもとへ寄る。びくっと肩を跳ねさせる真紅。白桜、黒藤、真紅に顔を近づけて声もひそめる。
白桜「何故わかった」
白桜、今までになく堅い声。顔も少し強張っている。真紅、白桜が怒っているのかと思う。
黒藤「俺、白のこと何も言ってないよな?」
黒藤も、昼間と先ほどの軽い調子はない。真剣な顔で訊いてくる。真紅、内心びくびくする。
真紅(わ、私やらかしちゃった……!?)
真紅「な、なんとなく……? ですけど……ごめんなさいっ」
反射的に謝る真紅。真紅が身を縮めるのを見た白桜、怖がらせてしまったと気づく。黒藤の肩を小突くと黒藤が見てきたので『少し離れろ』と目で伝える。白桜、黒藤、真紅から少しだけ身を遠ざける。
白桜「怒ってるわけではないんだ。真紅、俺はな、性別がないんだ」
真紅「……性別が?」
真紅、意味がわからずきょとんとする。
白桜は背筋を伸ばして話しだす。少し悲しそうな顔で。
白桜「生まれる前に、奪われてしまった。母の腹の中では女だったんだけど、生まれてからは男の身体でもないし、女性の機能もない」「祖父が俺を男として育てたから、今も対外的には男で通している」
黒藤「この通り制服もずっと男物だしな。カッコいいけど可愛い服も俺は見たい」
白桜「俺が女装なんかしてみろ、錯乱したと思われるわ」
真紅(白桜さんがする女子の恰好は女装になるんだ……)
黒藤「白、真紅以外に女だって見破ってきた奴いる?」
白桜、首を横に振る。
白桜「いや、母様の友人関係以外では知られていないから、俺が生まれてから指摘されたことはない。だから本当になんでだ、という感想しか……」
真紅(そ、そんなに極秘事項だったんだ……)
黒藤「百合姫には白から話したんだっけ?」
白桜「ああ。一緒に暮らしていくのに、隠したままでは申し訳なくてな……。百合姫なら口外しないとわかっていたし」
黒藤「俺、ときどき、百合姫に妬く」
白桜「百合姫は性別を超えた親友だ。それで真紅、このあと来客があるんだ」
真紅「私、帰った方がいいですよね?」
白桜「いや、来客というのは――」
無炎「白桜、黒藤、連れて来たぞ」
黒藤とよく似た面差しの青年がふすまを開けて入ってくる。その後ろに紅亜の姿を見止めて目を見開く真紅。
真紅「ママ?」
真紅(なんでママがここに? ……いや、ママは影小路の人だったんだっけ。やっぱり、何か知ってるんだ――)
紅亜「真紅ちゃん……! ごめんなさい……っ」
紅亜、半分泣きながら真紅を抱きしめる。
真紅「あ、あの、ママ――」
真紅(訊かなくちゃ――)
白桜「紅亜姫、お久しぶりです」
何から口にしていいか迷う真紅が戸惑っている隙に、白桜が話しかける。
紅亜「白ちゃん……無炎さんから聞きました。真紅ちゃんのことを助けてくれて、ありがとう」
紅亜、真紅を抱きしめる腕を少し緩めて白桜に礼を言う。
白桜「いえ、たまたまです。しかし今はそれよりも話すべきことがあるかと」
真紅(……私のこと、だよね……)
真紅、心臓がどくんと鳴る。
紅亜、真紅から体を離して畳に正座する。
紅亜「ええ、そうね。黒ちゃんも、いいわね?」
黒藤「紅亜姫にお任せします」
真紅(? なに……昼間聞いた、以上のことがあるの……?)
緊張する真紅を前に、紅亜は一度目を閉じる。
紅亜「真紅ちゃん、全部話すわ」



