第三話 小路流
〇前話から引き続き公園の広場。固まる真紅、真紅に手を差し出している黒藤、ため息をつく澪、緊張の面持ちの架。
真紅、戸惑いながら口を開く。
真紅「え……と、人違い? じゃないですか? 私、母しか家族いませんけど……」
黒藤「紅亜姫のことだろう?」
真紅「……姫!?」
真紅、母の名前を当てられたことに驚くが、その呼び方の方が驚いた。
真紅(え、姫ってなに、どういうこと!?)
黒藤「紅亜姫は俺の母、影小路紅緒の双子の姉上だ。紅亜姫はわけあって桜木家に養子に出されてしまったけど、陰陽道小路流宗家、影小路家の直系長姫(ちょっけいちょうき)であられる」
黒藤、すごく丁寧な口調で説明する。
真紅、呆然とする。
真紅「………」
真紅(な、なにひとつ頭に入ってこない……理解が追い付かない……)
真紅、意味が分からなさ過ぎて絶望のような顔。
架「黒藤様、少し僕からいいですか」
架が一歩前に進み出る。
黒藤「うん?」
架「真紅ちゃん、陰陽師ってのはわかる?」
真紅「う、うん……ドラマとか小説とかで……」
真紅、戸惑いながらも小さくうなずく。
架「陰陽師は政府の公的な役職で、明治時代まで陰陽師が務める陰陽寮ってのがあったんだ」「今では影小路家率いる小路流と、月御門家が統治する御門流というのが陰陽道二大大家として存在を続けてる」「黒藤様は小路流宗家の方で、間違いなく真紅ちゃんと従兄だよ」
真紅「でも、……私、ママにそんな話聞いたことない……」
架「僕の桜城の家も、澪さんの小埜家もどっちも影小路家の配下で、真紅ちゃんを見守るように影小路家から言いつかっていたんだ。僕が真紅ちゃんの近くにいた理由はそれ」
真紅「桜城くんは、私が、かげのこうじ? って家の人だって知ってったってこと……?」
架「なんで桜木家にいるか、とかの詳細は知らされていなかったけどね。必ずお守りするように言われていたんだ。……それなのにすごく面倒なことに巻き込んでごめん」
真紅「……澪さんも、知ってたんですか?」
澪「当然。知らないのは黎だけだよ」
架「兄貴は桜城の血筋なんだけど、ちょっと複雑で……陰陽師の家系である小埜家に籍を移したんだ。桜城と小埜、両方に関わっているけど意図的に知らされていないことの方が多いはずだ」
真紅「……」
真紅、まだ呆然としている顔。
黒藤「架、澪、説明もういい?」
澪、苦い顔で黒藤に提言する。
澪「お嬢さんの理解はまったく追い付いていないと思いますが? 来るにしても事前に話しておくのが筋でしょう」
黒藤「簡単に言えないんだって。真紅、大体のことは二人が話した通りだ。真紅はじき、『影小路真紅』になる。お前が嫌だと言おうとな。そんで、今日はその挨拶」
明るく話す黒藤に、真紅は胸の辺りを右手のこぶしを握る。
真紅「……さっき、迎えに来たって言いましたよね?」
黒藤「ああ」
真紅「私……どっかに行かなくちゃいけないんですか……? ここを、離れなくちゃいけないんですか?」
真紅(ここには海雨がいる。私のたった一人の友達で親友。簡単に離れたくない。それに、ここには……)
黒藤「別にそんな必要ないよ」
黒藤、あっけらかんとした態度で軽く手を振る。
「え?」と拍子抜けする真紅。
黒藤「迎えに来た、ってのは単に『影小路家に迎えに来た』って意味だし」
架が片手を挙げる。
架「黒藤様、僕たちにも説明してもらえませんか? どうしてそこまで真紅ちゃんに対して過保護になるのか。理由を知らされず、ただお守りしろとは――」
黒藤、笑顔だけど高圧的な目をする。
黒藤「架? お前は何様だ? ――控えろ」
びくっと肩を跳ねさせる架と澪。二人の額に汗が伝う。
架「も……申し訳ございません。出過ぎた真似を……」
澪「俺が止めるべきでした。ご無礼を」
真紅(え、なになになに、怖い怖い怖い。澪さんも桜城くんも今にも死にそうな顔してる……)(本当に私の従兄だったとしたら、なんなの、この人……)
黒藤、真紅に邪気のない笑顔を向ける。
すっと、黒藤が片手をあげる。
それと同時に、風景が完全な森の中に変わる。
真紅「なに……!?」
黒藤「ちょっとさっきの場所を離れた。澪と架がいると話進まないからなー」
真紅「ほ、本当なんなんですか……」
黒藤「真紅の従兄だよ。真紅の誕生日は十二月だったな?」
真紅「そう、ですけど……」
黒藤「今は十月だから、まだ少し余裕はある。真紅は誕生日を迎えたら霊力一気に戻るだろうから、そのままでいては危険なんだ。あやかしたちが真紅の存在に気づく前に手を打ちたい。そういうわけで真紅には選んでもらいたい。影小路姓となり、小路流に入るか。桜木姓のまま、徒人として生きるか」
真紅「ただびと? って、なんですか?」
黒藤「真紅の場合生まれ持った霊力がでかすぎるから、それを全て放棄して霊感のまったくない人間になるってことかな」
真紅「私、霊感なんてないですよ? 見えたことも聞こえたこともない……」
黒藤「母上がそうしたんだ。ただ、どちらにも代償はつく。影小路家に入れば陰陽師として生きていく道以外は選べなくなるだろう。徒人になれば、守護を失った真紅はあやかしに殺されるかもしれない。どっちを選ぶ?」
真紅(片方死ぬの!? 選択の余地ない――あれ? 私、黎には命あげるって言ったのに、今『死にたくない』って思った……?)(海雨のことはいつだろうと心残りになっちゃうけど……今、私が『生きたい』って思った理由は……)
真紅、腕を下げる。
真紅「……詳しい事情を聞かないことには、選べる話じゃないです」
黒藤「重畳。警戒心があって何より」「俺の身元は、紅亜姫に訊いてもらえばわかるはずだ」
真紅「ママは……知ってるんですね」
黒藤「こちらの母上が話した範囲で、だろうけどな」
黒藤が再び手をあげると、風景はさっきまでいた公園の中に変わる。
真紅、きょろきょろする。
真紅(こんなことが普通にできる人なんだ……)
架「真紅ちゃん大丈夫だった!?」
澪「黒藤様いきなり隠さないでくださいよ心臓に悪い!」
さっきまでびびっていった黒藤に噛みつく架と澪。
黒藤、またもへらっと笑う。
黒藤「心配すんなってお前ら。そういうわけでさ、真紅、なってみない? 小路流の当主」
真紅、澪、架「へ?」
にかっと笑う黒藤。間抜けな声を出した真紅、澪、黒藤。
〇小埜病院への帰り道。少し先を歩く澪。真紅はうつむきがちに歩いている。
真紅(帰ったらまず、ママに連絡しないと……。黒藤さんが本当に私の従兄なのか、だとしたらなんで今まで教えてもらってなかったのか……)
澪がいきなり口を開く。真紅のことは振り返らず、前を向いたまま、足の速度も緩めない。
澪「黎はさ、心療医一択なんだよね」
真紅「? それは……進路の話ですか?」
澪「そう。昨日、『お前の進路はうちの病院に関わってくる』って言った意味、わかる?」
真紅「……病院のお医者さんになるから、ですか?」
澪「そう。小埜はね、小路流の中のひとつの家で、俺の祖父は陰陽師なんだ」
澪、足を停めて真紅を振り返る。真紅、目を大きくする。
澪「でも祖父より下――俺の父や叔父の代、その下の俺の代では、霊力がある者が生まれていない。だから陰陽師小埜家は、祖父を最後に終わる」「その分、家業として病院が中心になっていく。俺に兄弟はいないから、俺が跡取りに決まってるけどね」
真紅「……黎は養子だから、扱いが違うということですか?」
澪「そんなんじゃないよ。黎は血を見ちゃダメだろう?」
澪、からかいではなくただ真剣な眼差し。真紅、ぞくっと背筋が冷える。
真紅(澪さん……私が知ってるって、知ってる……)
澪、先を歩きだす。真紅、遅れてついていく。
澪「まあそういうのを抜きにしても、天才型なんだ、あいつ」「大学どうでもいいとか言ってお嬢さんにだけやたらアホっぽくなってるの、俺は笑い話になるからいいけど、父や叔父からしたらお嬢さん、期待されてる黎の足引っ張ってる邪魔者になるよ」
澪、今度は目だけで真紅を見てくる。鋭い眼差しを向ける。
澪「しかもお嬢さん、『お嬢さん』だし」
真紅(澪さん、私のこと最初から知ってたんだ……だからその呼び方……)
真紅「わからないですよ。私も選ぶ道、全然検討ついてないですから」
前を向いて、はあ、とため息をつく澪。
澪「お嬢さんって結構気ぃ強いね。でもやっぱりわかってない。陰陽師って、祓魔師であり退鬼師だよ」
真紅「え……」
澪「黎は、混血と言えど鬼に分類される」
真紅、手が少し震えだす。
澪「お嬢さんが選ぶ道次第ってのもあるけど、今後のことを考えるならそれは忘れちゃいけない。よく、考えて」
真紅の顔色が悪いのを見て、澪は「そういえば」と話し出す。
澪「黎が女嫌いって知ってる?」
真紅「え? そうなんですか?」
真紅、知らない話に首を傾げる。真紅は黎に冷たい態度を取られたことがないのでにわかには信じられない。
澪「中学んときにね、黎、女子から手紙をもらったんだ」
真紅「ラブレターですか!?」
真紅、それはちょっと嫌だ、と思ってしまう。
澪、にやりと悪そうな笑みを見せる。
澪「だったらよかったんだけどね。下駄箱に入ってた手紙の中には、『澪くんとの密やかな恋を影ながら応援しています。もっといちゃついても大丈夫ですよ』って書いてあったんだ」
真紅「………はあっ!?」
想定外の内容に、真紅、素っ頓狂な声をあげる。
澪「それをあいつは『不愉快だ!!』つってビリビリに破いちゃってさ。廊下の陰には書いた当人とその友達の女子がいて、当人は泣き出すし友達は責めてくるしで、女子に対してすっかりやさぐれちゃって」
真紅「ごめんなさい、黎と澪さんには笑い話じゃないですけど、ちょっとだけ笑いそうになりました」
真紅、笑いそうになるのを押し殺しながら真面目な顔を保とうとする。
澪「いいよ、俺にとっっても笑い話だし。なんで俺が黎なんかを好きならなきゃいけないの?って勘ぐってきた奴脅すネタにするだけだよ」
真紅「じゃあ、お二人の間にそういう心配は……」
澪「あるわけないだろう、馬鹿らしい」
真紅「……なんでいきなりそんな話をしてくれたんですか?」
不思議そうな顔をする真紅に少しだけ視線をやって、澪はまた前を向く。
澪「まあ、全く救いのないことの方が珍しいからね。お嬢さんは何も知らないから、まず知ることから始めていいんじゃない?」
真紅(え? もしかして澪さん、私のこと励ましてくれてるの……?)
真紅「……澪さんが励ましてくれたことに、申し訳ないですが驚いてます。嫌われているのだと思っていたので」
澪「お嬢さんが色々知らなすぎるからイライラしてただけだよ。同じように黎も、影小路のことはろくに知らないし」
真紅「……」
小埜病院に着く。関係者入口へ入る澪と、入院棟へ向かう真紅は別れる。別れ際、澪が真紅を見ながら一言。
澪「よく、考えて」
真紅「……はい」
〇海雨の病室から帰る真紅。時刻は夕暮れ時。
真紅、小埜病院の人がまばらなロビーをひとりで歩いている。
真紅(海雨には会えたけど……私、態度に出てなかったかなあ……海雨に心配させるのは嫌だ……)
黎「真紅」
やってきて声をかけてきた黎を見上げる真紅。
真紅「……黎」
黎、少し息を切らしていて、申し訳なさそうな顔。
真紅(もしかして、急いできてくれた?)(でも黎って女嫌い、なんだよね? 全然知らなかった。いつも優しいなあって思ってたから……)
黎「今日、悪かった。澪がヘンなこと言わなかったか? 架には連絡しておいたんだけど……」
黎、自分の頭に手をやって、もどかしそう。
真紅(桜城くんが来るようにしてくれたの、黎だったんだ……)
真紅、落ち着いた様子で答える。
真紅「大丈夫だったよ。たぶんみんな、澪さんの顔面に圧されてた」
黎「顔面」
思うものがあるのか、複雑そうな顔の黎。
真紅「でも、桜城くんと黎が兄弟ってのは驚いた」
黎「あー……悪い、伝えてなくて。たぶん架かなあと思って訊いたら真紅のこと知ってたから」
真紅「黎と桜城くん、あんまり似てないよね?」
真紅(それに、黎が吸血鬼という存在なら、桜城くんもそういうことになってしまう。でも今日はそんな話はしてなかった……。それどころか、祓魔師である小埜の家やその上の影小路の家と協力関係? してるみたいだった)
黎「まあ、血は繋がってないからな。架は知らないけど」
真紅「え」
それはかなり爆弾発言では、と身構える真紅。黎は複雑そうな顔をしている。
黎、一度目を閉じてから真剣な顔で言ってくる。
黎「それが、俺が小埜にいる理由だから――真紅、今度、ちゃんと話したいんだ」
黎、真紅を真正面に捉える。真紅の瞳に映る、険しい面持ちの黎。
黎「真紅と、にせもので終わらせたくないと思ってる。俺の状況を受け入れるのは難しいと思うけど、真紅には知っておいてほしいんだ」
真紅、真っすぐに黎を見つめ返す。真紅の口元のアップのコマ。少し口元が開いている。
真紅(それは……私からも言わないといけない。私が、黎とにせもので終わらせたくないと思っているのなら……私の、理由になるのなら……)
真紅、顔を伏せ気味に話し出す。
真紅「……黎の中学次代のお話聞いたよ。黎が女子のこと嫌いになった理由とか」
口にしてから、顔をあげてにこっと黎を見る。
黎、驚きと焦りの混じった顔になる。
黎「はあ!? 何喋ってんだあいつ……!」
しかし真紅は少しだけ嬉しそうな顔。
真紅「でも、私嬉しかったよ。年齢はどうにもならないから、知らなかった黎のこと、知れて」
黎「……だからってその話しなくても……」
黎、苦いものを口に含んだような顔になる。
真紅「あのね、たぶん、私も話さなきゃいけないこと、あると思うんだ」
黎「真紅が? まあ、真紅の全部知ってるわけじゃないしな……」
真紅(私も知らない、私のこと)
真紅、一瞬顔に陰が出来るが、顔をあげて黎を見る。
真紅「黎に聞いてほしいし、黎のお話も聞きたい」
黎「うん、今日はもう遅いから、また日を改めて」
真紅「うん」
真紅、笑顔で答える。
黎「送って行こうか?」
真紅「人通りの多い道通るから大丈夫だよ。勉強とお仕事、頑張って」
黎「ああ。じゃあ、気を付けて」
〇夕暮れから夜になる住宅街。真紅が一人で帰っている。
真紅(澪さんや桜城くんの反応からして、黒藤さんは本当に私の従兄なんだろう)(みんなで私を騙す理由もないし、二人の黒藤さんへのビビり方は演技じゃないと思う……)
真紅、黒藤の姿が脳裏に浮かぶ。
真紅(親戚に……あんまりいい思い出ないんだよなあ……。黒藤さんが従兄だったら、ママの実家? 方面の親戚が増えるってことだよねえ)
真紅、重たい気持ちになる。
真紅(父親の方の家に追い出された身としては……)
真紅、気持ちを切り替えるように頭を振る。
真紅(いや、父親とはもう縁が切れてるし、二度と会うことないからそこで私が落ち込む必要はない。うん、そう)(それより黎のこと……澪さんがなんか不穏なこと言ってたから不安になってくる……)(でも、ちゃんと話さないと。私、黎のことほとんど知らないし、黎も私のこと、知らないから――)
真紅、顔をあげる。真っ赤な夕日が目に入る。
真紅「あ――――」
真紅の脳内に映像が一気に頭に流れ込む。時代を幾つも超えたような、長い記憶。
真紅(これ、は……)
真紅、頭を片手で覆う。
真紅「過去の『私たち』の記憶だ……」
〇前話から引き続き公園の広場。固まる真紅、真紅に手を差し出している黒藤、ため息をつく澪、緊張の面持ちの架。
真紅、戸惑いながら口を開く。
真紅「え……と、人違い? じゃないですか? 私、母しか家族いませんけど……」
黒藤「紅亜姫のことだろう?」
真紅「……姫!?」
真紅、母の名前を当てられたことに驚くが、その呼び方の方が驚いた。
真紅(え、姫ってなに、どういうこと!?)
黒藤「紅亜姫は俺の母、影小路紅緒の双子の姉上だ。紅亜姫はわけあって桜木家に養子に出されてしまったけど、陰陽道小路流宗家、影小路家の直系長姫(ちょっけいちょうき)であられる」
黒藤、すごく丁寧な口調で説明する。
真紅、呆然とする。
真紅「………」
真紅(な、なにひとつ頭に入ってこない……理解が追い付かない……)
真紅、意味が分からなさ過ぎて絶望のような顔。
架「黒藤様、少し僕からいいですか」
架が一歩前に進み出る。
黒藤「うん?」
架「真紅ちゃん、陰陽師ってのはわかる?」
真紅「う、うん……ドラマとか小説とかで……」
真紅、戸惑いながらも小さくうなずく。
架「陰陽師は政府の公的な役職で、明治時代まで陰陽師が務める陰陽寮ってのがあったんだ」「今では影小路家率いる小路流と、月御門家が統治する御門流というのが陰陽道二大大家として存在を続けてる」「黒藤様は小路流宗家の方で、間違いなく真紅ちゃんと従兄だよ」
真紅「でも、……私、ママにそんな話聞いたことない……」
架「僕の桜城の家も、澪さんの小埜家もどっちも影小路家の配下で、真紅ちゃんを見守るように影小路家から言いつかっていたんだ。僕が真紅ちゃんの近くにいた理由はそれ」
真紅「桜城くんは、私が、かげのこうじ? って家の人だって知ってったってこと……?」
架「なんで桜木家にいるか、とかの詳細は知らされていなかったけどね。必ずお守りするように言われていたんだ。……それなのにすごく面倒なことに巻き込んでごめん」
真紅「……澪さんも、知ってたんですか?」
澪「当然。知らないのは黎だけだよ」
架「兄貴は桜城の血筋なんだけど、ちょっと複雑で……陰陽師の家系である小埜家に籍を移したんだ。桜城と小埜、両方に関わっているけど意図的に知らされていないことの方が多いはずだ」
真紅「……」
真紅、まだ呆然としている顔。
黒藤「架、澪、説明もういい?」
澪、苦い顔で黒藤に提言する。
澪「お嬢さんの理解はまったく追い付いていないと思いますが? 来るにしても事前に話しておくのが筋でしょう」
黒藤「簡単に言えないんだって。真紅、大体のことは二人が話した通りだ。真紅はじき、『影小路真紅』になる。お前が嫌だと言おうとな。そんで、今日はその挨拶」
明るく話す黒藤に、真紅は胸の辺りを右手のこぶしを握る。
真紅「……さっき、迎えに来たって言いましたよね?」
黒藤「ああ」
真紅「私……どっかに行かなくちゃいけないんですか……? ここを、離れなくちゃいけないんですか?」
真紅(ここには海雨がいる。私のたった一人の友達で親友。簡単に離れたくない。それに、ここには……)
黒藤「別にそんな必要ないよ」
黒藤、あっけらかんとした態度で軽く手を振る。
「え?」と拍子抜けする真紅。
黒藤「迎えに来た、ってのは単に『影小路家に迎えに来た』って意味だし」
架が片手を挙げる。
架「黒藤様、僕たちにも説明してもらえませんか? どうしてそこまで真紅ちゃんに対して過保護になるのか。理由を知らされず、ただお守りしろとは――」
黒藤、笑顔だけど高圧的な目をする。
黒藤「架? お前は何様だ? ――控えろ」
びくっと肩を跳ねさせる架と澪。二人の額に汗が伝う。
架「も……申し訳ございません。出過ぎた真似を……」
澪「俺が止めるべきでした。ご無礼を」
真紅(え、なになになに、怖い怖い怖い。澪さんも桜城くんも今にも死にそうな顔してる……)(本当に私の従兄だったとしたら、なんなの、この人……)
黒藤、真紅に邪気のない笑顔を向ける。
すっと、黒藤が片手をあげる。
それと同時に、風景が完全な森の中に変わる。
真紅「なに……!?」
黒藤「ちょっとさっきの場所を離れた。澪と架がいると話進まないからなー」
真紅「ほ、本当なんなんですか……」
黒藤「真紅の従兄だよ。真紅の誕生日は十二月だったな?」
真紅「そう、ですけど……」
黒藤「今は十月だから、まだ少し余裕はある。真紅は誕生日を迎えたら霊力一気に戻るだろうから、そのままでいては危険なんだ。あやかしたちが真紅の存在に気づく前に手を打ちたい。そういうわけで真紅には選んでもらいたい。影小路姓となり、小路流に入るか。桜木姓のまま、徒人として生きるか」
真紅「ただびと? って、なんですか?」
黒藤「真紅の場合生まれ持った霊力がでかすぎるから、それを全て放棄して霊感のまったくない人間になるってことかな」
真紅「私、霊感なんてないですよ? 見えたことも聞こえたこともない……」
黒藤「母上がそうしたんだ。ただ、どちらにも代償はつく。影小路家に入れば陰陽師として生きていく道以外は選べなくなるだろう。徒人になれば、守護を失った真紅はあやかしに殺されるかもしれない。どっちを選ぶ?」
真紅(片方死ぬの!? 選択の余地ない――あれ? 私、黎には命あげるって言ったのに、今『死にたくない』って思った……?)(海雨のことはいつだろうと心残りになっちゃうけど……今、私が『生きたい』って思った理由は……)
真紅、腕を下げる。
真紅「……詳しい事情を聞かないことには、選べる話じゃないです」
黒藤「重畳。警戒心があって何より」「俺の身元は、紅亜姫に訊いてもらえばわかるはずだ」
真紅「ママは……知ってるんですね」
黒藤「こちらの母上が話した範囲で、だろうけどな」
黒藤が再び手をあげると、風景はさっきまでいた公園の中に変わる。
真紅、きょろきょろする。
真紅(こんなことが普通にできる人なんだ……)
架「真紅ちゃん大丈夫だった!?」
澪「黒藤様いきなり隠さないでくださいよ心臓に悪い!」
さっきまでびびっていった黒藤に噛みつく架と澪。
黒藤、またもへらっと笑う。
黒藤「心配すんなってお前ら。そういうわけでさ、真紅、なってみない? 小路流の当主」
真紅、澪、架「へ?」
にかっと笑う黒藤。間抜けな声を出した真紅、澪、黒藤。
〇小埜病院への帰り道。少し先を歩く澪。真紅はうつむきがちに歩いている。
真紅(帰ったらまず、ママに連絡しないと……。黒藤さんが本当に私の従兄なのか、だとしたらなんで今まで教えてもらってなかったのか……)
澪がいきなり口を開く。真紅のことは振り返らず、前を向いたまま、足の速度も緩めない。
澪「黎はさ、心療医一択なんだよね」
真紅「? それは……進路の話ですか?」
澪「そう。昨日、『お前の進路はうちの病院に関わってくる』って言った意味、わかる?」
真紅「……病院のお医者さんになるから、ですか?」
澪「そう。小埜はね、小路流の中のひとつの家で、俺の祖父は陰陽師なんだ」
澪、足を停めて真紅を振り返る。真紅、目を大きくする。
澪「でも祖父より下――俺の父や叔父の代、その下の俺の代では、霊力がある者が生まれていない。だから陰陽師小埜家は、祖父を最後に終わる」「その分、家業として病院が中心になっていく。俺に兄弟はいないから、俺が跡取りに決まってるけどね」
真紅「……黎は養子だから、扱いが違うということですか?」
澪「そんなんじゃないよ。黎は血を見ちゃダメだろう?」
澪、からかいではなくただ真剣な眼差し。真紅、ぞくっと背筋が冷える。
真紅(澪さん……私が知ってるって、知ってる……)
澪、先を歩きだす。真紅、遅れてついていく。
澪「まあそういうのを抜きにしても、天才型なんだ、あいつ」「大学どうでもいいとか言ってお嬢さんにだけやたらアホっぽくなってるの、俺は笑い話になるからいいけど、父や叔父からしたらお嬢さん、期待されてる黎の足引っ張ってる邪魔者になるよ」
澪、今度は目だけで真紅を見てくる。鋭い眼差しを向ける。
澪「しかもお嬢さん、『お嬢さん』だし」
真紅(澪さん、私のこと最初から知ってたんだ……だからその呼び方……)
真紅「わからないですよ。私も選ぶ道、全然検討ついてないですから」
前を向いて、はあ、とため息をつく澪。
澪「お嬢さんって結構気ぃ強いね。でもやっぱりわかってない。陰陽師って、祓魔師であり退鬼師だよ」
真紅「え……」
澪「黎は、混血と言えど鬼に分類される」
真紅、手が少し震えだす。
澪「お嬢さんが選ぶ道次第ってのもあるけど、今後のことを考えるならそれは忘れちゃいけない。よく、考えて」
真紅の顔色が悪いのを見て、澪は「そういえば」と話し出す。
澪「黎が女嫌いって知ってる?」
真紅「え? そうなんですか?」
真紅、知らない話に首を傾げる。真紅は黎に冷たい態度を取られたことがないのでにわかには信じられない。
澪「中学んときにね、黎、女子から手紙をもらったんだ」
真紅「ラブレターですか!?」
真紅、それはちょっと嫌だ、と思ってしまう。
澪、にやりと悪そうな笑みを見せる。
澪「だったらよかったんだけどね。下駄箱に入ってた手紙の中には、『澪くんとの密やかな恋を影ながら応援しています。もっといちゃついても大丈夫ですよ』って書いてあったんだ」
真紅「………はあっ!?」
想定外の内容に、真紅、素っ頓狂な声をあげる。
澪「それをあいつは『不愉快だ!!』つってビリビリに破いちゃってさ。廊下の陰には書いた当人とその友達の女子がいて、当人は泣き出すし友達は責めてくるしで、女子に対してすっかりやさぐれちゃって」
真紅「ごめんなさい、黎と澪さんには笑い話じゃないですけど、ちょっとだけ笑いそうになりました」
真紅、笑いそうになるのを押し殺しながら真面目な顔を保とうとする。
澪「いいよ、俺にとっっても笑い話だし。なんで俺が黎なんかを好きならなきゃいけないの?って勘ぐってきた奴脅すネタにするだけだよ」
真紅「じゃあ、お二人の間にそういう心配は……」
澪「あるわけないだろう、馬鹿らしい」
真紅「……なんでいきなりそんな話をしてくれたんですか?」
不思議そうな顔をする真紅に少しだけ視線をやって、澪はまた前を向く。
澪「まあ、全く救いのないことの方が珍しいからね。お嬢さんは何も知らないから、まず知ることから始めていいんじゃない?」
真紅(え? もしかして澪さん、私のこと励ましてくれてるの……?)
真紅「……澪さんが励ましてくれたことに、申し訳ないですが驚いてます。嫌われているのだと思っていたので」
澪「お嬢さんが色々知らなすぎるからイライラしてただけだよ。同じように黎も、影小路のことはろくに知らないし」
真紅「……」
小埜病院に着く。関係者入口へ入る澪と、入院棟へ向かう真紅は別れる。別れ際、澪が真紅を見ながら一言。
澪「よく、考えて」
真紅「……はい」
〇海雨の病室から帰る真紅。時刻は夕暮れ時。
真紅、小埜病院の人がまばらなロビーをひとりで歩いている。
真紅(海雨には会えたけど……私、態度に出てなかったかなあ……海雨に心配させるのは嫌だ……)
黎「真紅」
やってきて声をかけてきた黎を見上げる真紅。
真紅「……黎」
黎、少し息を切らしていて、申し訳なさそうな顔。
真紅(もしかして、急いできてくれた?)(でも黎って女嫌い、なんだよね? 全然知らなかった。いつも優しいなあって思ってたから……)
黎「今日、悪かった。澪がヘンなこと言わなかったか? 架には連絡しておいたんだけど……」
黎、自分の頭に手をやって、もどかしそう。
真紅(桜城くんが来るようにしてくれたの、黎だったんだ……)
真紅、落ち着いた様子で答える。
真紅「大丈夫だったよ。たぶんみんな、澪さんの顔面に圧されてた」
黎「顔面」
思うものがあるのか、複雑そうな顔の黎。
真紅「でも、桜城くんと黎が兄弟ってのは驚いた」
黎「あー……悪い、伝えてなくて。たぶん架かなあと思って訊いたら真紅のこと知ってたから」
真紅「黎と桜城くん、あんまり似てないよね?」
真紅(それに、黎が吸血鬼という存在なら、桜城くんもそういうことになってしまう。でも今日はそんな話はしてなかった……。それどころか、祓魔師である小埜の家やその上の影小路の家と協力関係? してるみたいだった)
黎「まあ、血は繋がってないからな。架は知らないけど」
真紅「え」
それはかなり爆弾発言では、と身構える真紅。黎は複雑そうな顔をしている。
黎、一度目を閉じてから真剣な顔で言ってくる。
黎「それが、俺が小埜にいる理由だから――真紅、今度、ちゃんと話したいんだ」
黎、真紅を真正面に捉える。真紅の瞳に映る、険しい面持ちの黎。
黎「真紅と、にせもので終わらせたくないと思ってる。俺の状況を受け入れるのは難しいと思うけど、真紅には知っておいてほしいんだ」
真紅、真っすぐに黎を見つめ返す。真紅の口元のアップのコマ。少し口元が開いている。
真紅(それは……私からも言わないといけない。私が、黎とにせもので終わらせたくないと思っているのなら……私の、理由になるのなら……)
真紅、顔を伏せ気味に話し出す。
真紅「……黎の中学次代のお話聞いたよ。黎が女子のこと嫌いになった理由とか」
口にしてから、顔をあげてにこっと黎を見る。
黎、驚きと焦りの混じった顔になる。
黎「はあ!? 何喋ってんだあいつ……!」
しかし真紅は少しだけ嬉しそうな顔。
真紅「でも、私嬉しかったよ。年齢はどうにもならないから、知らなかった黎のこと、知れて」
黎「……だからってその話しなくても……」
黎、苦いものを口に含んだような顔になる。
真紅「あのね、たぶん、私も話さなきゃいけないこと、あると思うんだ」
黎「真紅が? まあ、真紅の全部知ってるわけじゃないしな……」
真紅(私も知らない、私のこと)
真紅、一瞬顔に陰が出来るが、顔をあげて黎を見る。
真紅「黎に聞いてほしいし、黎のお話も聞きたい」
黎「うん、今日はもう遅いから、また日を改めて」
真紅「うん」
真紅、笑顔で答える。
黎「送って行こうか?」
真紅「人通りの多い道通るから大丈夫だよ。勉強とお仕事、頑張って」
黎「ああ。じゃあ、気を付けて」
〇夕暮れから夜になる住宅街。真紅が一人で帰っている。
真紅(澪さんや桜城くんの反応からして、黒藤さんは本当に私の従兄なんだろう)(みんなで私を騙す理由もないし、二人の黒藤さんへのビビり方は演技じゃないと思う……)
真紅、黒藤の姿が脳裏に浮かぶ。
真紅(親戚に……あんまりいい思い出ないんだよなあ……。黒藤さんが従兄だったら、ママの実家? 方面の親戚が増えるってことだよねえ)
真紅、重たい気持ちになる。
真紅(父親の方の家に追い出された身としては……)
真紅、気持ちを切り替えるように頭を振る。
真紅(いや、父親とはもう縁が切れてるし、二度と会うことないからそこで私が落ち込む必要はない。うん、そう)(それより黎のこと……澪さんがなんか不穏なこと言ってたから不安になってくる……)(でも、ちゃんと話さないと。私、黎のことほとんど知らないし、黎も私のこと、知らないから――)
真紅、顔をあげる。真っ赤な夕日が目に入る。
真紅「あ――――」
真紅の脳内に映像が一気に頭に流れ込む。時代を幾つも超えたような、長い記憶。
真紅(これ、は……)
真紅、頭を片手で覆う。
真紅「過去の『私たち』の記憶だ……」



