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「遅くなりました、おはようございます」
すでに出来上がりかけている朝食。
台所に立っている田沼さんにそう声をかけると、少し驚いたようにこちらをみた。
「今日はもう少し遅くに起きられると思っていました」
「なんでですか?」
「昨夜、あやかしが出たでしょう」
返事に困っていると、田沼さんが小さな笑みをこぼす。
「私も助けに行こうと思ったのですが、あやかしを狩れるほどの能力もございませんし足手纏いになるかと」
「でも、あのあと一緒に部屋を片付けてくれたじゃないですか、眠れていないのはお互い様です」
そう言って袖を上げて田沼さんの隣に立った。嫁いだ以上こういったことも私の仕事の1つなると父から口酸っぱく言われている。
「大丈夫ですよ、和香様。こういったことしか私はできませんので」
「でも」
「ただでさえ、昨日のように和香様は1人であやかしと対峙しないといけないのに家事などを押し付けることはできません」
棚に置かれている調味料の箱を取ろうとした田沼さんの片手は、力が入らないのか箱を掴むことができていない。
来た時から気になっていたそれ、田沼さんの右手には黒い手袋がはめてある。
私は手を伸ばし、箱を掴んで引き寄せて蓋を開ける。
「ああ、ありがとうございます」
「…右手、義手ですか?」
その問いに田沼さんの手がピタリと止まった。
どこか仮面を被ったような笑みを貼り付けて田沼さんは「ええ」と頷く。
「まさか、田沼さん」
「あやかしと契約を結んでなどおりませんよ」
芽生えた疑心をすり抜けるように再び手を動かし始めた田沼さん。私は「そうですか」と返事をするがその瞳は田沼さんの腕からは離さない。
「では、腕は何故」
豪勢な料理が盛り付けられた皿を持ち上げた田沼さんは私の問いに「なぜ、か」と小さく呟きながらゆっくりと歩いていく。
「私に説明したくないですか」
「そういうわけでは」
「この家の事件と関係している、とか」
振り返った田沼さんの瞳はどこか冷たさを宿している。
「違いますよ、それよりもっと前から腕をなくしています」
「では、緋瑠人さんと関係していますか」
一線を引かれているのは分かっていたが、この疑心を私は確たるものに変えたいとは思っていない。ただ、ここで暮らしていく以上信用したいだけ、それだけ。
田沼さんは踵を返して私の方に近づいた。
そしてにこりと笑う。
「緋瑠人さんが小さい頃、あやかしが襲ってきた時に持っていかれました。契約などは結んでいない、ただ喰われただけです」
「…喰われた」
「よほどお腹が空いていたのでしょうね」
と、皿を私に差し出す。私はそれを受けとりなんとも言えない顔で田沼さんを見上げた。信用、していいのだろうか。
「和香様」
「はい」
「疑うべきは、もっと別にあります」
「え?」
「緋瑠人さんは、あなたを」
「おはよう2人とも」
寝起きの少し掠れた声がして、田沼さんと声の方に顔を向ける。
「緋瑠人さんおはようございます」
田沼さんは何事もなかったようにそう彼に声をかけて、準備ができている朝食たちを向かい側の部屋のテーブルへと持って行き始めた。
すっきりしない気持ちのまま私はせわしなく動き始めた田沼さんを見つめた。
「和香さん、どうかした?」
しばらく考え込む私に、心配そうに顔を覗き込んだ緋瑠人さん。
「いえ、大丈夫です」
「そう…それ俺が運ぶよ」
私の両手にある皿を持ち上げてそう言った緋瑠人さん。この家は、やはりまだ謎が多い。
田沼さんの続きの言葉を聞ける時がくるんだろうか、そもそも、緋瑠人さんが私にたいして何か企んでいる可能性があるとしても、緋瑠人さんはあやかしが苦手な臆病者だ。どうしたって私が守らなければいけないのは確か。
それに、これからずっとこの家にいなければいけないのだ。つまり嫌でもこの家のことを知り尽くすことになるのだろう。
「…急ぐ時じゃないわね」
ふうっと息を吐く。
「和香さん、はやくこっちおいで。朝食にしよう」


