「どうして陸部に入りたいって言い出したの?」
「それは、その……、準備しているときに、たまたま先輩の走ってる姿がぱっと視界に入って……。まるで風になったみたいに、軽々とハードルを越えていく姿に目を奪われました」
「っ、」
「美しいって、人に対して思ったのは初めてで……」
この子は自分が何を言っているのか理解しているのだろうか。「速いね」とか「すごーい」とか、中身のない褒め言葉は耳にタコができるほど聞いてきたから慣れている。
だけど、これはちょっと……。冗談を言っているような口ぶりでもない。「美しい」なんて、さすがに初めて言われた。あまりにもまっすぐな褒め言葉にぶわっと顔が熱くなる。
「それで、自分でもよくわかんないんですけど、気づいたらここに立ってました」
「うんうん、鳴海少年よ、君の気持ちはよくわかる。遥の走ってるところって惚れ惚れするんだよなぁ」
「…………」
芝居がかった口調で大袈裟に同意する水野谷はスルー。たぶん、こいつのこれはからかいが八割。素直に褒めてくれている大和くんとは大違いだ。むっとして水野谷を睨んでいると、大和くんは「でも」と言葉を続ける。
「遥先輩の後輩になれないのはやっぱり残念です」
「うーん、でもさ、同じ学校なんだから俺の後輩であることに変わりはないんじゃない?」
「っ! 遥先輩、優しい、好き……」
絞り出すような声で漏れ出た言葉に思わず笑ってしまう。全部出てるよ、聞こえてるよ。
ここまで素直に感情を表に出すタイプの人間は、俺の周りにはいない。ストレートな物言いに、まっすぐな視線。俺を慕ってくれているらしい彼の好意が直球で突き刺さる。
「遥先輩、今後もし『仲良い後輩は?』って誰かに聞かれたら、一番に俺の名前出してくださいね」
「お前、サッカー部なんだから、一番は無理だろ」
「山野井先輩、うるさいですよ」
「こいつ……」
「お宅のとこの後輩、すごいね」
「だろ? 中学時代はもうちょっとピュアだったんだけどな」
水野谷と山野井が大和くんの話で盛り上がり始める。どうやら、山野井は中学校から同じだったらしい。へぇ……と思いながら聞いていると、つんつんと袖を引っ張られる。
「ん?」
「遥先輩、今度試合観に来てくれますか?」
「うーん、大和くんが出るなら観に行こっかな」
なーんて、冗談っぽく言ったつもりだったのに、その言葉を額面通りに受け取った大和くんに火をつけてしまったらしい。撫でられ待ちの大型犬のようにニッコニコだったのに、スイッチが入ったのか、一瞬で捕食者のような真剣な目つきに変わった。
「絶対にすぐにレギュラーになります」
「うん、待ってるね」
「はいっ!」
「おい、俺と同じポジションなんだから、あんま焚き付けんなって」
「え、そんなのますますおもしろいじゃん。レギュラー争い、頑張って」
「頑張ります!」
「いや、今のは俺に言ったんだよ」
「え、そうなんですか?」
「ふふ、二人とも応援してる」
「ほら」
「何だよ、そのドヤ顔」
「はいはい、後輩の顔にグダグダ言ってないで、早く練習しますよ」
「ったく、元はと言えばお前が……って、聞いてねぇし。はぁ、風間と態度違いすぎるだろ。じゃあな、練習の邪魔して悪かった」
新人に置いていかれた山野井の背中は、どこか哀愁が漂っている。言うことの聞かない大型犬の面倒を見るのは骨が折れるだろうと思うけれど、決して他人事ではない。
まるで春疾風が通り過ぎたみたいに、俺の心の中はぐちゃぐちゃだ。ただそこにいるだけで、ぱあっと場の空気が明るくなる存在。まるで太陽みたいな笑顔が眩しくて、この直射日光をずっと浴び続けていたら、いつかどうにかなってしまいそう。
太陽に焦がれたら、きっと自分が自分じゃなくなっちゃうんだ。だからそうならないようにしたくても、強烈なファーストインプレッションのせいですっかり俺の心のど真ん中を陣取ってしまっているのだから、もう、どうしようもないのかもしれない。



