今日は珍しく部活が休みの日。テスト前とかじゃなく、何でもない日に休みになるのはあまりないから、逆に何をしようかなと悩んでしまう。
こういうときこそ、真面目に勉強でもするか。
普段なら絶対に浮かんでこない選択肢なのに、「よし、やるぞ」と思ったらどんどんやる気に満ち溢れてくる。「やめろよ、勉強なんて」と引き止める水野谷を無視して、俺は図書室まで足を運んだ。
自習スペースも用意されているけど、今日は誰も使っていないらしい。金曜日なんて早く家に帰りたいもんなぁ。そんなことを考えながら俺はかばんから古文の教科書を取り出して、月曜日の授業の予習を始めた。
十五分程経っただろうか、いつになく集中して取り組んでいれば外が何やら騒がしい。ん? と顔を上げると同時に、勢いよくドアを開けた大和くんと目が合った。俺を見つけた瞬間にぱあっと表情を輝かせるけど、すぐにハッとして辺りを警戒する素振りを見せながら部屋の中に入ってくる。
「どうしたの?」
「ちょっと、今、追われてて」
誰もいないとはいえ図書室だし……と、ひそひそと尋ねれば大和くんも俺に倣って小さな声で返事をする。確かに耳をすませば「ねぇ、どこいったの?」という声が聞こえてくる。隣はゼーゼーと息を切らしているっていうのにタフだな。どうやら人気者は女子に追われているらしい。しょうがない、匿ってやるか。
「こっち、おいで」
外から見えないようにカーテンをさっと閉めて、大和くんを手招きする。荷物は置いたままだけど、まぁここには来ないかもしれないし、きっと大丈夫。それでも念には念を、入口からは死角になる奥の書棚に隠れるようにしてふたりでしゃがみこむ。
「で、何やらかしたの?」
「……ちが、」
「しーっ、声おっきいよ」
「…………」
思ったよりも大きな声を出すものだから、慌てて指摘すれば口を噤んでしまう。そして少しの沈黙の後、大和くんは改めて口を開いた。
「すみません、勉強してたのに」
「いいよ、別に。こんな数分の休憩で成績を落とすような勉強のしかたはしてないから」
冗談っぽくそう言うと、大和くんは目をぎゅっと瞑る。
「どしたの」
「先輩が眩しくて……」
「はは、変なの」
つい笑い声をあげると同時に、図書室のドアが開く音。はっと、ふたりして息を飲む。「いるかなぁ」という声が聞こえてきて、大和くんの視線が「マズイ」と訴えかけてくる。
このまま隠れていても、見つかる可能性は大いに有り得る。それならいっそ俺が出ていった方がいいのでは? そうと決まればすぐに大和くんを庇うために立ち上がると、くいっとブレザーの裾を掴まれた。そちらに視線を落とせば、不安を瞳に滲ませた大和くんが見上げている。
珍しい、いつだって余裕そうなのに。
ふっと、微笑が溢れる。落ち着かせるためにその頭を撫でれば、するりと裾を掴んでいた手は離れていった。よしと気合いを入れて、「今気づきましたよ」なんて顔をしながら入口の方に歩いていくと、まさに三人組の女子が図書室内を捜索しようとしているところだった。
「みんな、元気だね。どうかしたの?」
「あ、風間先輩。今日もかっこいいですね」
「ありがとう」
作り笑いで苦手な言葉をスルーすれば、三人のうちのふたりは変な声を出して顔を覆った。それを見かねて、もじもじとふたりの影に隠れていたもうひとりがおずおずと話し出す。
「あの、鳴海くん見ませんでしたか?」
「鳴海……?」
「鳴海大和くん」
「ああ、大和くんね。ここには来てないなぁ。部活行ったか、今日はもう帰ったんじゃない?」
「そうですか……」
「見つけたら何か伝えておこうか?」
「いや、」
「先輩、聞いてください。実はこの子、鳴海に告白しようとしてて」
「ちょっと、やめてよ!」
「へぇ……」
よくわからないままに、一気にモヤモヤした黒いもので心の中が塗り潰されていく。恥ずかしそうにしながらも、顔を赤らめて恋をしているってわかる表情だ。
「いないならもういいよ、帰ろう」
「すみません、お邪魔しました」
「あ、うん……」
ニヤニヤしているふたりの背中を押して帰っていく姿を見送っても、大和くんのいるところに戻れない。どんな顔をして戻れっていうんだ。
だって、俺……、あの子のことを「いいなぁ」って思っちゃったんだ。駄目だ、これ以上気づいたらだめだ。自分の感情から目を逸らそうと、無意識にぎゅっと握りしめていたせいで、手が痛む。
すると、いつまでも戻ってこない俺を不思議に思ったのか、大和くんがやってきて「先輩?」と呼んだ。せめてバレるな、いつも通りの俺でいよう。深く息を吐き出してから振り返った俺の顔を見て、大和くんは少し目を瞠った後、「すみません、ありがとうございました」と頭を下げた。
謝られると余計にモヤモヤして、なんだか無性に泣きたくなった。今は取り繕えているけれど、もう持たない。こんな顔、大和くんには見せられない。
「ほら、今なら帰れるよ」
「え?」
強引に彼の背中を押す。告白ならそんなに必死になって逃げなくてもよかったじゃん、なんて。たとえ冗談でも言えなかった。
「じゃあね、気をつけて帰りなよ」
「ちょ、先輩?」
酷い言葉を投げかける前に強引に図書室から追い出した。最後まで、大和くんの目は見れなかった。



