「もしかして、大和くん」
 「…………」
 「傘、持ってない?」
 「……はい」

 気まずそうに頷いた大和くんは、自主練のことしか頭に入ってなくて、傘のことをすっかり忘れていたのかもしれない。きっと、人望のある彼ならいくらでも傘を貸してくれるひとはいるだろう。むしろ、彼と相合傘をしたい女子がこぞって名乗りを上げている光景が目に浮かぶ。だけど……。

 「……俺の傘、入る?」
 「え」

 なんだか無性に胸の奥がモヤモヤして、気づけばそんなことを口走っていた。大和くんも全く想像していなかったのか、困惑の表情を浮かべている。

 あ、やらかした。引かれたんだ。
 仲良くなったと勘違いして、距離感を見誤っていた。そりゃ、ただの同じ高校の先輩に言われたら戸惑うよな。一気に血の気が引いて、羞恥心に襲われる。

 「ごめん、今のなし」
 「いや待ってください、ちょっと理解が追いつかなくて反応が遅れただけなので」
 「でも」
 「んふふ、喜びを噛み締める時間ぐらいくださいよ」
 「え?」
 「だって、遥先輩と一緒に帰れるなんて、何度夢見てきたことか」

 全身からハッピーオーラを醸し出して、「やったー」と無邪気に喜ぶ大和くん。その姿に偽りはなく、ほっと息を吐いた。知らず知らずのうちに、俺、大和くんに嫌われたくないと思うようになっていたんだ。

 「じゃあ、遥は置いて帰ろっかな」
 「遥先輩のことは俺にお任せください!」
 「おーし、頼んだぞ。じゃあ、また明日」
 「あ、うん、またね」

 ビシッと敬礼をした大和くんと呆けたままの俺にひらひらと手を振って、水野谷は先に帰っていく。その後ろ姿を見送っていれば、大和くんが俺の手をとって歩き出した。

 「そんなに長いこと待たせるわけにはいかないので、パパっと筋トレだけ終わらせちゃいますね」
 「ちょ、大和くん、手!」

 慌てて指摘すれば、パッと呆気なく離される。俺に残されたのは、手のひらの温もりと寂寥感。きっとすぐにこの温もりを忘れてしまうのだと思ったら、途端に名残惜しくなった。

 そんな俺の心も知らず、はしゃぐ大和くんは部室まで猛スピードで歩みを進める。猪突猛進、早く筋トレ終わらせることしか考えてない。しかたないなぁ、俺もちょっとは付き合うか。

 「あれ、先輩も着替えてる」
 「大和くんの筋トレ姿を観察しようかなとも思ったんだけど、やっぱり体動かしたくなってさ、一緒にやってもいい?」
 「もちろん。俺、遥先輩と同じ部活に入れなかったから、一緒に放課後を過ごすことはないと思ってました」
 「まぁ、部活によって終わる時間も違うしね」
 「だから、めっちゃ嬉しいです。みんなの遥先輩を独り占めしてるんだって、自慢して回りたいぐらい」
 「俺はそんな風に言ってもらえるような人間じゃないよ」
 「そんなことない! 遥先輩はいつも眩しくて、一番輝いてて、だから俺はずっと貴方から目が離せないんです」

 軽い準備運動をしていたのを止めて、大和くんが真剣な眼差しを向けてくる。勝手に周りが囃し立てているだけなのに、俺にそこまでの魅力はないのに。理想の人じゃなかったと、いつか大和くんに失望される日がくるのがこわい。

 「遥先輩」

 落ちた視線。穏やかな声が俺を呼ぶ。ゆっくりと顔を上げると、少しかさついた手が頬を撫でた。びくっと、一歩後ろに下がった俺を見て、大和くんは悪戯な笑みをこぼす。

 「みんなの遥先輩は完璧人間だから、こうして弱ってるところを見せられるとたまらなくなります」
 「大和くん……」
 「今はまだ我慢しますけど、そんな顔、他の人には絶対に見せないでくださいね」
 「っ、」

 またひとつ、新たな場所に熱を残して離れていく。ずるい、ずるいよ、大和くん。俺には思わせぶりなことを言っておいて、自分は俺の知らないところで無意識に魅力を振りまいて、あっという間にみんなの人気者になったくせに。

 「よし、さっさと自主練は終わらせて、ちょっと遠回りして帰りましょう」
 「うん、いいよ」

 出会ったときからずっと、彼のペースだ。俺は大和くんの言いなり。それでもいい、細く頼りない糸でも大和くんと確かに繋がっているならそれでいい。