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 お昼前までは雲ひとつない気持ちのいい晴れ模様だったのに、五限目を迎える頃にはどんどん空が分厚い雲で覆われていって、六限目が終わって放課後になったら遂にザーザーと音を立てて大粒の雨が降り始めた。

 あっという間に、グラウンドにいくつもの水溜まりが作られていくのを窓から眺める。さすがにこの天気じゃいつものメニューはできそうにない。中で筋トレかなぁ、と考えていれば、隣にやってきた山野井も空を見上げてため息を吐き出した。

 「今日は無理だな」
 「だね」
 「練習続きだし、今日ぐらい休みにしてくれたらいいのに」
 「雨の日に休みだったら何もできないんじゃない?」
 「いや、それよりもこんなもわんとした空気のときに汗かきたくねー」
 「たしかに」

 ただでさえ湿度が高い空間。そこにそれなりの人数が集まったら、余計に不快感を覚えるだろう。想像だけでちょっと気が乗らなくなってしまう。

 「遥、今日は自主練だから別に帰ってもいいって」
 「お、やった」
 「いいなぁ、陸部は」
 「サッカー部もそうしてもらったら? どうせまた野球部と場所取り争いしてんじゃないの?」

 先輩とやりとりしていた水野谷が部活中止を教えてくれるけれど、隣でそれを聞いていた山野井が恨めしげに見てくる。サッカー部はちょっと特殊というか面倒だもんな、と少しだけ同情した。

 うちのサッカー部と野球部はあまり仲がよろしくないらしく、何かにつけて張り合ってくるからいわゆるライバル関係にあると前に聞いたことがある。室内練習できる場所は限られている。ある程度この部活はこの場所でというのは暗黙の了解として決まっているが、サッカー部と野球部だけは毎回じゃんけんやあみだくじで決めているらしい。それって、一周まわって仲がいいのでは? と思わんでもないけれど。

 「あ、先輩から連絡きた」
 「どうだった?」
 「よっしゃ、俺んとこも自主練だ。かーえろっと。じゃあな!」
 「はっや」

 水野谷が呆れるほどのスピードでかばんを引っ掴んだ山野井は、勢いよく教室を飛び出していく。あいつ、傘持ってんのかな。そんな心配が浮かんでくるけれど、まぁなんとかするだろう。もう子どもじゃないんだし。

 「で、遥はどうする?」
 「んー、どちらかというと帰りたい気持ちの方がちょっと大きいかな」
 「今んとこね、みんなもほぼほぼ帰るって言ってるからそこは気にしなくていいよ」

 さすが次期部長。俺が何を気にしているのかを察するのが早い。だって、みんなの理想の「風間遥」なら、こんな雨の日でも、たとえひとりだったとしてもストイックに練習に打ち込むんだ。そうした方がいいってわかっているのに、ちょっとだけ理想から逃げたい気持ちが漏れてしまった。

 「よし、帰ろう」
 「え?」
 「俺も帰るから。遥は俺のワガママに付き合ってくれたってことで」
 「そんな、水野谷を盾にできないって」
 「いいから、ほらかばん持って」

 有無を言わさず、先に歩き出した水野谷の後を慌てて追いかける。結局は俺が決めたことなのに、水野谷のせいみたいになるのは嫌だった。

 「なぁ、水野谷」
 「いいから。俺も帰りたかったのは嘘じゃないんだし」
 「でも……」
 「遥先輩?」

 こちらの言い分を一向に聞こうとしない水野谷に話しかけながら階段を下りていると、背後から声をかけられた。この呼び方をするのは、世界中にひとりだけ。くるりと振り返れば、想像通り、大和くんがかばんを持って立っていた。

 「お、遥に憧れてる後輩じゃん」
 「どうも」

 いや、先に山野井のところの後輩って出てくるのが普通だから。大和くんも誇らしそうにしながら会釈しないで。否定して。

 「君も帰るところ?」
 「いえ、今日は自主練だって聞いたんですけど、ちょっと体動かしていこうかなって」
 「偉いなぁ」
 「早くレギュラーを勝ち取らないといけないので」
 「へぇ……」
 「レギュラーになったら見に来てくれるんですよね、遥先輩?」
 「え、あ、うん」

 やっぱり真の実力者は彼のようなことをいうんだ。練習もサボらず、ただひたむきに努力して。俺が自分のことを恥じている間に、一歩近づいた大和くんが俺の顔を覗き込んで問いかけてくる。そういえば、そんな話をしたかもしれない。圧に押されるまま、深く考えずに頷けば、大和くんは満足そうに笑った。

 「まだ遥にお熱なんだ」
 「もちろん、むしろどんどん気持ちは大きくなってますよ」
 「人気急上昇中だっていうのに、ブレないね」
 「俺のことですか? 遥先輩しか見てないので、他の人からの人気とかはどうでもいいです」
 「っ、」

 まるで告白でもされたのかというぐらい、顔に熱が集中する。からかっているわけではない、本気の言葉だってわかっているからこそ、どんな顔をすればいいのかがわからない。ニヤニヤした水野谷が「へぇ……」と言いながらこっちを見てくるけれど、「なんだよ」とつっこむことすらできない。

 「じゃあ、俺らは帰るね。自主練頑張って」
 「はい、ありがとうございます」
 「遥、傘持ってる?」
 「うん、折りたたみならあるよ」
 「あ、」

 水野谷の言葉にかばんから折りたたみ傘を取り出せば、大和くんが思わず出たというように口元を手で抑えている。ん? と見つめれば、何でもないですと言いたげに首を横に振る。