初バイト、先輩バイトが同じ学校の後輩でした。

「アサくんってさあ、ツキさんと仲いいの?」
「え?!」

 それはツキさんがバイトが休みで、マツさんとシフトに入った日のことだった。

 突然のマツさんの直球の質問に、一瞬頭の整理ができず俺はびくっと少し肩を上げて驚いてしまった。

「何驚いてるの? 仲いいかって聞いてるんだけど。ツキさんと」
「それはどう、なんですかね……。邪険にはされてないから、嫌われてはないと思うんですけど」

 改めて聞かれると困る。
 冷静になって考えたら、俺の行動はツキさんにとって鬱陶しかった可能性が頭に浮かんで、俺の心がざわめいた。
 電話の件があってからというもの、俺はバイトでツキさんと会うのが楽しみになってしまっていた。
 だって、安心するのだ。ツキさんの隣は。居心地がいい――というか。俺の成長を見守りながら、褒めてくれる雰囲気が柔らかい。相変わらず顔は見せてくれないし、黒マスクではあるけれど。

「いや~。俺、ツキさんがあんなにしゃべってるのはじめて見たからさあ」
「え……? そうなんですか? 俺には最初と変わらないからわからないですけど、多分教育係だからじゃないですかね?」
「え〜? ホントにそれだけ? 年近いし、昔同じ学校だったりしない? 同じ高校ではないんだよね?」
「学校で、ツキさんみたいな人は見かけたことないです。昔、までいれられると、流石にわからないですけど……」

 同じ学校の生徒なら、俺を『朝比奈尊の弟』だと知っているはずだ。でも、俺はツキさんに、兄さんの名前を出されたことはない。まあ、単に興味がないだけの可能性はあるけれど。 
 ツキさんは、これまでの他の人間とは違って、ちゃんと「俺」と目線を合わせて話してくれているような気がした。

「……というか、なんで俺は『アサくん』でツキさんは『ツキさん』なんですか?」

 それはさておき、一つ納得のいかない点に気がついて、俺はマツさんに尋ねた。
 ツキさんの性格な年齢は分からないが、俺と同い年以上の可能性が高いなら、俺だって『アサさん』でいいはずなのに!
 
「だって、ツキさんのことツキくんって呼ぶのしっくりこないっしょ? アサくんは『アサくん』って感じするけど」
「その、『感じ』ってなんですか」

 よくわからないが、妙に心に引っかかる。
 『くん』というのは、小学生への呼び方みたいに思える。

「ん? ほら。なんか、可愛い感じ」
「男に可愛いと言われても嬉しくないんですけど!?」

 マツさんにさらっと言われ、俺は反論した。
 なんだその、可愛いって。それ、男に使う言葉じゃないだろ!?

「いや、外見的な話じゃなくてさ。なんか『弟』っぽいじゃん。ね。アサくんさ、お兄ちゃんいるでしょ?」
「うっ」

 痛いところを突かれて、俺は胸を押さえた。
 なんで!? なんでバレたんだ。俺は普通にしてたはずなのに、兄さんのことを話してないマツさんがなんで!?

「アサくんはさあ、周りに大事にされて育った感あるよね〜〜」
「……」

 一人ダメージを受ける俺を見て、マツさんはにっといたずらが成功したみたいな表情をすると、例を上げて話しだした。

「ツキさんとはタイプが違うけど。アサくんはとにかく一生懸命! 頑張ってます! って感じで、年上と思った相手には礼儀正しくしようとするし。たださあ、なんていうか? 年齢相応、っていうか。アサくんに怒るタイプの人とは、関わってこなかった感じするんだよね。そういう人とあったらテンパりそうな感じするから。アサくん」

 マツさんの言葉は、切実に遅滞連絡のときの俺のことを見事に言い当てていた。

「な……なんですか、それ。もしかして、マツさんってエスパーなんですか?!」

 すごい。なんで分かったんだ!? あの時マツさんは、もうあの場にいなかったはずなのに! 
 気になって俺が尋ねると、マツさんはそんな俺を見てくすっと笑った。

「ほら、そういうとこ。言葉とか仕草とかさあ、ちょっと抜けてるとことか、他の人にちゃんと頼るとことか。感謝したときのお礼の言い方とか、なんか反応が弟感あるんだよねぇ」
「……確かに兄さんなら、ひとりいますけど……」

 芸能人朝比奈尊の弟です、とは言えない。
 でも、マツさんに嘘をつくことはできなくて俺がそう絞り出せば、予想があたったことが、マツさんは嬉しかったようだ。

「えー? やっぱり? 俺正解しちゃった? やっぱいると思ってたんだよねえ」

 少しだけ楽しそうなマツさん。機嫌が良さそうに見えたので、俺はもう一つ、マツさんに尋ねてみた。

「……あの。因みに、なんですけど。マツさんから見て、ツキさんはどういう人に見えるんですか?」

 俺はツキさんを困らせてはいないだろうか。
 俺の態度がツキさんの迷惑になっているなら、俺は態度を改めるべきなのかもしれない。

「んー」

 マツさんは、ややあってこう答えた。

「あの人は、基本そこまで人と関わりたくない人だろ」
「……え?」

 俺は、マツさんの返答に思わず声を漏らした。
 頭の中をドカンと殴られたような感覚。もしマツさんの評価が正しいなら、俺はツキさんに、かなり迷惑な行動をとってしまってるんじゃないだろうか。
 俺が焦っていると、マツさんは次に、こうつけ足した。

「正確には『だった』が正しいかな。少なくとも、ここではそういう人に見えたかな。アサくんが来るまでは、ね」
「えっ」

 二度目の衝撃の事実。
 俺は、人差し指で自分の顔を指さした。

「お……俺ですか?」
「うん」

 マツさんが頷く。

「最近はさあ、なんか柔らかいよね。アサくんには優しいし」
「ツキさんって、ここのバイト長いんですか?」
「いや、普通に今年の四月からだよ。有能なのは間違いないけど、この店の中だと二番目の新人」 
「え!? なんでそんな人が俺の教育係を!?」

 衝撃の事実再び。
 つまり俺はずっと、二ヶ月間の先輩相手に、守られて庇われていたことになる。
 それっていいことなんだろうか。許されていいんだろうか。というか、それならツキさんはあまりに有能すぎる。そして店長からの信頼もあつすぎる。
 俺とは大違いだ。

「…………それはまあ、世の中人手不足ってことだよ」

 俺がそんなことを考えていると、「頑張れ」とでも言うようにマツさんが俺の肩をポンと叩いた。
 その時俺は、ミナミさんが他店に移動した実害が俺のバイト生活にも及んでいる可能性に、初めて気がついてしまったのだった。



「ふあ……」

 翌日、学校。
 休み明けの学校ということで、今日は少しまだ眠い。もともとこれまでの人生でバイトなんてしたことがなかったし、少し疲れてしまっているのもあるのかもしれない。
 移動教室から自分のクラスに戻ろうとしていた俺は、眠気眼をこすっていたこともあり、階段を踏み外してしまった。

「えっ?」

 その瞬間、身体がふわっと宙に浮いた。
 教科書を手に抱えていたせいで判断が遅れて、階段をつかんで態勢を直すのに少し遅れる。
 まずい落ちる。そう俺が思って、目を瞑ってしまった時だった。

「危ない!」

 下から誰かの声が聞こえて、墜落する俺の体を、誰かの身体がつつみ込んだ。本当は、そのまま受け止められていられたらよかったんだろう。
 でも、俺は女ではなく男だ。
 体重だってそれなりにあるし、学校の怪談の幅は狭い。
 俺はそのまま、誰かの腕に抱えられたまま、階段を転がり落ちた。

「きゃああああっ!」
「誰かが階段から落ちたぞ!」

 悲鳴と大声。
 その声が、これは現実だと俺に教えてくれる。最初に階段で足を踏み外すという失態をした俺に、体の痛みは特になかった。だがそれは、俺を庇った人間が、全て痛みを引き受けたというのと同義に思えた。

「すいません! あの、大丈夫ですか!?」

 俺を抱きとめる腕の力が緩くなったのに合わせて、腕から抜け出した俺は彼にそう尋ねた。

 どうしよう。俺を庇ったせいで、人が怪我をしてしまうなんて!
 
 返事はすぐには返ってこない。もしかして、頭を打ったんじゃないかと、最悪の考えが頭に浮かんでしまう。

「大丈夫!? 望月くん!」
「どうしよう。落ちたの、望月くんだって」
「やばい。望月が階段から落ちたって。誰か早く先生呼んできて!」

 うちの学校はシューズによって学年を見分けることが可能だが、どうやら俺を庇ってくれた人は、一年生の望月というらしい。
 周囲には、女の子たちが集まっていた。その声には、彼のことを心配してか、泣きそうな声も混じっていた。

「ん…………」

 そんな、沢山の人に愛されている、俺を助けてくれた一年生。
 望月くんは目を開けると、まずは直ぐ側に座っていた俺の姿を見て、ほっとしたように息を吐いた。

 黒曜石みたいな綺麗な瞳。兄さんのアーモンドみたいな目とは違うけれど、彼は兄さんと同じくらい、見惚れるほどのイケメンだった。

「俺は平気です。朝比奈先輩は大丈夫、ですか」

 そして俺は、その超がつくほどのイケメンから、よく知った声が聞こえてきて混乱した。
 
「え?」

 まさか。まさか、この声は――。

「……ツキさん?」

 ツキさんこと望月くん。
 どうやらバイト先の先輩は、同じ学校の後輩だったようである。