初バイト、先輩バイトが同じ学校の後輩でした。

「はよーっす! アサくん、おはよ」

 俺がバイトを始めて、約一週間。
 俺は、平日の学校終わりではなく、土日のシフトにもはいることになった。この店舗では、主婦層と大学生とフリーターが多いそうで、主婦が働けない土日の午前中からの人員が今日はやや不足していたらしい。

 よって、大学生のマツさん(本名は松山と言うらしい)とシフトに入った俺は、少し困っていた。
 高校生の俺からすれば、大学生は大人である。だがマツさんは妙に軽いというか――人としてつかみどころがなかった。
 今までの俺の周りにはいなかったタイプ。飄々として、何を考えているかわからない。へらへらしているようだけど、仕事はちゃんとこなしているようにも見える。

「じゃあ俺、アサくんが対応できないやつサクッと返してくるから。ちょっとだけ一人にするけど頑張ってね。もし困ったことがあったら、コレで呼び出してくれていいから」

 マツさんは、そう言うとトランシーバーをつけたイヤホンを軽く叩いた。
 この店独自かどうかは分からないけれど、このレンタルビデオ店では、全員が作業中これをつけていて、連絡がしやすくなっている。
 
「はい。ありがとうございます」

 俺がそう言うと、マツさんはR18作品を棚から取って、二階へと登っていった。
 R18作品は、二階の暖簾の向こう側にある。
 R18作品の返却は、高校生の俺ができない仕事の一つだ。そしてどうやら女性スタッフも担当していない作業らしく、成人した男性スタッフのみが、そのエリアには足を踏み入れていいことになっているようだった。
 数も少なかったこともあり、マツさんはすぐに帰ってきてくれた。

「ただいま〜。新人ちゃんを1人にしたらかわいそうだから、ささっと返して戻ってきたよ!」
「おかえりなさい」

 掴みどころはないけれど、ちゃんと優しい。
 にこ、と笑いかけられて、俺はつられて笑って返した。すると、マツさんはふっと笑って、何故か俺の肩に腕を回してきた。

「アサくんさあ……暖簾の向こう側、入りたいって思ったことある?」
「へ?」

 レジとは反対の方向を向かせられ、密談でもするかのような小声で囁かれた言葉に、俺は意味が理解できずに間抜けな声を漏らしてしまった。

「気になる? 気になっちゃう??? 男なら気になるよねぇ……。あの布の向こうにめくるめく世界が広がっているんだと思うと……」
「いや、それは別に……」

 俺は返答に困った。マツさんに何とこたえるべきか分からない。初バイトなのだ。相手の気を損ねるような真似はしたくない。
 でもそもそも、お客さんも聞いているかもしれない場所で、こんな話を振らないでほしいとも思う。

「男なら仕方ないよね。ね、ちなみにアサくんって巨乳派?」
「えっ!?」

 だが困惑する俺を置いて、話は更にディープな方向へと向かう。

「ちなみに俺はきょ」
「わー! わー!  わーっ!」

 俺は、思わず声を上げてマツさんの口を塞いだ。

「い……っいきなり何いうんですかっ!」

 顔が真っ赤になる。公共の場で、なんてことを聞くんだこの人は。しかもこっちは高校生だぞ!?
 しかし年齢の差もあってか、俺の行動はマツさんには逆効果らしかった。まるで面白いオモチャでも見つけたかのように、マツさんは楽しそうににっこり笑って俺を見ていた。

「えー? ふーん。随分初心《うぶ》な反応するじゃん。もしかしてアサくんって童貞?」
「エ゛……!? な、なっ。ど、どう……っ!?」
「はーん。その様子だと、彼女もいたことないでしょ?」

 すぐに言葉が出てこない。高校二年になったばかりなら普通の筈なのに、からかわれるとおかしいのかと思ってしまう。
 そもそも初心って、男に使う言葉じゃないだろ!?
 それはさておき、痛いところを突かれて俺は焦った。幼い頃から、兄さんという分厚すぎる壁に阻まれてきた俺の恋愛経験はゼロである。童貞どころか、女子に告白されたことすらない(兄さんには繋いでほしいという話なら何度もされている)。動揺を隠せない俺を前に、マツさんは失礼極まりないが、声を上げて笑っていた。

「ははっ。アサくんって、やっぱからかいがいあるタイプかあ。覚えとこっ」
「やめてください! 覚えとかないでくださいっ!」
「やーだ。だって面白いもん」
「だ、駄目ですってば!」

 へらっと笑われて、俺は焦って声を上げた。マツさんは、そんな俺がまた面白いのか、にやにやとしたあとに――すっと目を細めて俺を見た。
 突然の変化に、俺は少し萎縮する。うまく言えないけれど、観察されているようにも感じる。
 まるで心に輪郭というものがあるなら、それを指先でそっとなぞられてあるような――年上の相手に、心の底を見透かされているような、妙な感覚だ。
 上手く声が出ない。
 蛇に睨まれた蛙のように俺が立ちすくんでいると、マツさんの頭が丸めたチラシでぽんと軽く叩かれた。

「こぉーら。私語が大きすぎるよ。二人とも」

 明るい女性の声。
 俺やマツさんたちとは一回り以上小さなその人は、小柄ながら独特の貫禄がある。

「すいません。ハラさん」
 ハラさんは、書籍と中古商品を担当している主婦さんだ。ただ主婦と言っても、お子さんはすでに大学生なので手はかからないということで、土日のシフトにはいることもあるらしい。

「へーい」

 俺とは違い、マツさんが反省の色のない返事をする。ハラさんが怒らないかと俺が焦っていると、ハラさんは子供のいる母親だからかはあとため息を吐いて苦笑いした。

「まったくもう……。相変わらず、学生組は元気ねぇ」

 その言葉を聞いて、俺はとあることが気になった。

「学生組って……俺たち以外にもいるんですか?」

 バイトとして入って、まだ数回しか出勤できていない。他にもどのくらいスタッフがいるのだろうと思って訪ねれば、ハラさんは頷いてこたえてくれた。

「そーよ。うちは今、大学生の男の子が二人と、高校生の男の子が二人いるのよ。本当は少し前までもう少しいたんだけど、皆川ちゃんが辞めた時に少し減っちゃって。店長もそれで、穴埋めに忙しいみたいで大変よね」
「ああ……なるほど」

 俺は、俺もその一人になりかけていたとは言えなかった。仕方ない。全てミナミさんが魅力的なのが悪いのだ。

「因みに、俺以外の高校生って誰ですか?」
「ほら、貴方の教育係の子。あの子もそうだったはずだけど――」
「え!? ツキさんって高校生なんですか!? てっきり大学生かと」

 衝撃の事実に、俺は聞き返してしまった。
 身長があるし、俺よりずっとしっかりしているし、明らかに俺より年齢は上だと思っていた。精神面だとマツさんより年上だと思っていた。……勿論、口には出さないけれど。

「確か、今はそうだったはずだけど。今どきの子はほんと体格がいいわよねえ」
「知らなかった……」

 この間身長を測った時は173センチだった俺は、その言葉に複雑な気持ちになった。
 高校2年生の平均身長からすると低くはないはずだが、ツキさんと並ぶと、どうしても俺は低く見えてしまう。
 
「牛乳……牛乳ちゃんと飲んでるのに」

 因みに兄さんは183センチだ。ツキさんは兄さんと同じかやや低いくらいに見えるから、それくらいは身長があるだろう。こうなると、ツキさんの年齢が俺は気になってきた。
 高校一年……二年だろうか。流石に三年でバイトはしてないと思うし……?

「とりあえず、マツくん。可愛い子が入ったからって、からかっちゃ駄目でしょ。せっかく来た新しいバイトなんだから、すぐやめないように繋ぎ止めないと。せっかく店長もいい子が入ってきたって喜んでたのに、可哀想でしょ」
「へーい。すいませーん」

 マツさんが気の抜けたような返事をする。ハラさんはそれだけ言うと、自分の担当エリアへと戻っていた。マツさんと二人残された俺は、ツキさんの年齢と、店長からそれなりに好感度が良かったという嬉しい事実に、頭がいっぱいだった。