初バイト、先輩バイトが同じ学校の後輩でした。

 夢を見た。

 それは、二匹の犬の夢。
 俺の夢の中で、二匹の犬たちは、だだっ広い野原を走り回っていた。
 先頭を走るのは、コーギー。そしてその少し後ろを、ドーベルマンが追いかける。

 小さな体のコーギーは、蝶を追いかけたり、花の匂いを嗅いだり、水たまりの上を飛び跳ねたりして遊んでいる。

 白と茶色の体には少しだけ傷があって、それは、俺が好きなキャラクターとよく似ていた。コーギーを追いかけるドーベルマンの体は、黒く大きくしなやかで、でもその姿はまるで、コーギーを見守っているようにも見えた。
 
 元気いっぱいに過ごしていたコーギーは、ある時小さな石ころに躓いて転んでしまう。コーギーはそのまま、なかなか顔をあげない。すると、ドーベルマンはコーギーに静かに近付くと、ちょこんと隣に座って体を寄せてから、慰めるようにそっとその体を舐めた。

『大丈夫ですか。紫苑さん』

 ドーベルマンの声は、玲の声とよく似ていた。

「…………なんで俺がわんぱ犬なんだよ!」

 夢から目を覚ました俺は、開口一番叫んでいた。
 どう考えてもおかしな夢だ。
 そもそも俺は、あのキャラみたいに別にわんぱくじゃないし。ポンコツでもない! ……よな?

 眠気眼をこすって時計を見ると、思っていたより時間が過ぎていて、俺は焦って跳ね起きた。

「やばっ!」

 学校はないけれど、今日はバイトがあるのだ。
 立ち上がった俺は二階の部屋のそばにある洗面台で顔を洗うと、服を着替えて、学校兼バイト用のリュックを手に持った。

 ドタドタと音を立てて階段を降りれば、兄さんが今日も優雅にご飯を食べていた。でも、テーブルに並ぶ食べ物はちょっと違う。
 ドーナツ。しかも、ちょっとジャンキーなやつ。 
 珍しいこともあったものだ。自己管理に厳しい兄さんが、今日はサラダじゃないなんて。
 ……て、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「朝ごはんは?」
 母さんの質問に、俺は急いで首を振った。

「要らない! バイトの時間ヤバいから!」
 俺がそのまま玄関に直行して靴をはいていると、食事中だったはずの兄さんが、なぜか俺にパンを手渡してきた。

「せめて、これは持っていきなさい」
「ありがと。……兄さんっ!」

 俺はそれを受け取ると、リュックに詰めて家を出た。
 昨日の夜は雨だった。俺は地面を強く蹴って水たまりの上を飛び越えると、そのまま駅へと走った。

■

「おはようございます」

 なんとか電車に間に合ってバイト先に着くと、片手にバインダーを持っていた店長が、いつもみたく穏やかに笑って俺に挨拶してくれた。

「おはようございます!」

 俺が元気よく挨拶をすれば、マツさんがおやおやという様子で俺を見てきた。

「あれぇ? もしかして、今日寝坊した? 頭、寝癖で来てるよ。店に出る前にできるだけなおしなね」

 マツさんは、トントン、と指差すように人差し指で自分の頭を叩いた。俺が、マツさんと同じ位置の自分の髪に触れると、確かにその場所から、ぴょこんと髪が飛び出ていた。

「うわ。本当だ……」
「ね〜〜?」

 俺が苦い顔をすると、マツさんは俺を見てころころ笑う。そして、俺たちがそんなやりとりをしていると、返却作業を終えたらしい玲が二階から降りてきた。

「おはようございます」

 バイト中の玲は、今日も素顔を隠している。

 多分素顔を知るのは俺だけ――だと思うのだけど、顔は隠れていても玲はタッパがあるし、声が低いのにどこか柔らかいから、いつか顔は隠していても、女の子たちが玲を好きになるのではと、俺はちょっと心配になってしまった。
 ……と、いうか。

「ん? 階段から降りてきた……?」

 怪我をしてから、ずっと玲は二階の作業を休んでいたはずだ。本人は大丈夫と言ったけれど、店長判断というか。

「そうそう! 今日から二階に復帰なんだよ! やっぱりツキくんがいないとうちは回らないからね〜〜。これまでの分も、こき使ってあげるから期待しといてね! ビシバシいくから。俺」

 マツさんが、玲にとんでもないことを言う。

「なんてこというんですか! 玲は怪我で二階を休んでたのにっ!」

 俺が反論すると、マツさんはケラケラ笑っていた。

「ふはっ。相変わらず、仲良いね。でもさあ、これは仕事だから。ツキくんにはちゃんとお仕事してもらうだけ。分かるでしょ?」

 子どもに話すように言われると、やっぱり少しムカッとする。マツさんに弟は居ないらしいから、弟分代わりの俺に兄ぶりたいのだろうか。

「わかりました。任せてください」
「でも……俺が変わったほうが」
「……『アサさん』」

 怪我は俺のせいだから、これまで通り二階は俺が担当したほうがいいかなと思って言えば、玲は静かに俺の名前を呼んだ。
 それは、バイトの時の俺たちの呼び方だ。

「これでも俺のほうがバイトでは『先輩』なので。アサさんより俺のほうがはやく返却作業ができます。引き継ぎのときに商品がまだ棚に残っていたら、次のシフトの人に迷惑がかかります。俺は、誰かに仕事を残したくないです」
「……うっ」

 正論を述べられて俺は黙った。
 そう言われては言い返せない。
 確かに、俺一人で二階の返却作業を担当した時、引き継ぎの時にまだ作業が終わっていないことはあったのも事実だ。
 仕方ない。だって俺は、この店で一番の新人で、まだまだへっぽこ店員なのだから。

「ハハッ。ツキさんよく言った! まあ、ほら。アサくんはツキさんより年は上でも、ここでは一番下っ端だからね」
「な……なんてこと言うんですかっ!」

 マツさんが笑いながら、玲の背中を軽く叩く。
 そういえば玲が怪我をしたあたりからだろうか。
 少しだけマツさんと、玲との距離が近づいたように俺には見えた。玲も、以前よりもバイト中の口数が増えたようだ。
 玲の怪我は俺のせいだから、あんまりこの表現は使いたくはないけれど、誰かに頼ろうとしない玲にとっては、怪我の功名ともいえる変化なのかもしれない。

「アサさん、しー。今は静かにしてください。接客中は、声を上げたら駄目ですよ」

 黒マスク越しに、玲が人差し指を立てる。
 二人して俺を子ども扱いするなと思うけど、二対一もあり言い返せない。悔しくて少し下を向くと、玲は俺に一歩近づいて、そっと耳打ちした。

「俺たちは任された仕事を綺麗に片付けて、時間通りに帰りましょう」

 その声がどこか甘く聞こえて、俺は思わず玲から離れた。よくわからないけれど、ちょっとゾクッとしてしまった。
 すると、俺たちの様子を見ていたマツさんが、何か興味深いものでも見たとでもいう表情をして、俺たちに話しかけてきた。

「なーに? 何話してたの?」
「内緒です」
 
 マツさんの質問をさらりとかわす。玲はそう言うと、さっさと作業に戻ってしまった。

■

「あれ? 次のバイトのシフト、ほとんど玲と一緒なんですね」 

 二人と別れて二階の事務所に行くと、先に事務所に戻って椅子に座っていた店長が、俺に紙を差し出した。
 来週のシフトが決まったらしい。

「うん。二人とも、仲が良さそうだから。そっちのほうがいいかなって思って。同じ学校なんだよね? 彼、仕事はできるけどあんまり馴染めてないところがあったからさ。でも最近は、笑顔も増えて僕も嬉しいよ。朝比奈くんが入ってくれたおかげかな?」

 にこり、と店長が俺に笑いかける。俺はその言葉を聞いて胸が熱くなった。

 ――店長に褒められた……!

 嬉しい。
 まあ、理由は俺の仕事ぶりというより玲との関係だけど。
 俺がここにいて、何かこの店にプラスになることが増えたのなら、俺はそれもまた嬉しいと思った。

 我ながら昔より前向きな思考だ。
 バイトを始めてから、俺は少しだけ前に進めたような気がした。俺という人間は、見た目は変わっていないかもしれないけれど。その――『中身』、みたいな? 兄さんと和解できたし、少し前よりも自立できてる、とは言ってもいいように思える。

「今日もまた、頑張ろう」

 俺はそう呟くと、ロッカー室へと向かった。仲は無人だ。今日は俺と同じ時間にハラさんが出勤する予定ではあるが、一応早めの電車に間に合ったから、まだ彼女が来るまでに、時間には猶予があるはずだ。

 そう思って、俺が余裕をかまして試着室を使わずに服を着替えていたら、突然ガチャッとドアノブを回す音が聞こえた。

 ――やばい! このままでは、軽いセクハラになってしまう!

 俺が慌てて制服のシャツを羽織ってボタンをはめると、ハラさんではないよく知る声が、俺の姿を見るなり言った。

「何やってるんですか」
「れ、玲……?」

 どうして、玲がここに。
 そう尋ねたかったけれど、言葉より先に予想外なことが起きて、俺は体をこわばらせてしまった。

 玲は、急いで服を着たせいでかけちがえた俺の服のボタンに手を伸ばすと、一つ一つ丁寧にはずして、それを正しい位置に戻してくれた。

 一つ年上の先輩に対する高校生男子の行動とはとても思えない。
 おかしい。兄さんから離れて自立すると決めたのに、兄さんとは違う過保護な相手に甘やかされている気がするのは気のせいだろうか。

「あ、あの。玲」

 ――『俺、一人でできるよ』。

 そう言いたかったけれど、俺は言葉が出なかった。だって玲が――あまりに幸せそうに、笑って言っているように見えたから。

「本当、目が離せない人ですね」

 いつもの光景。いつものバイト先。なのに俺はその瞬間、世界がきらきらと光ったように見えた。
 
 玲は俺の大切な人。
 俺の――家族以外で、一番大好きな人。
 俺は玲が一番大切だし、玲にも俺のことを一番に考えてほしいとも思う。

 今日も俺たちのリュックとカバンには、お揃いのアイテムが揺れている。
 自分のリュックでわんぱ犬をみて、俺はふと、今朝の夢を思い出した。

 一緒に仲良く遊ぶ二匹の犬。走り回っていたコーギーが転べば、黒いドーベルマンはすぐ側に寄り添って、慰めるように体を舐めた。
 その夢の続き。
 ぺしょ顔のコーギーは起き上がると、御礼にと、ドーベルマンの顔を勢いよく舐めていた。
 その光景を思い出して――俺はその犬たちを、俺と玲に変換して想像した。


 走っていたら盛大に転ぶ俺。すると玲が、俺に手を差し出す。
『大丈夫ですか。紫苑さん』
 自分に差し伸べられた手。本当はその手を引いて立ち上がればいいのだろうが、俺が玲の手を強く引っぱれば、玲は体勢を崩して地面に転がった。

『何するんですか。紫苑さん』
『いいから。見てみて』

 俺はそう言って空を指差す。
 空は青くて、緑は綺麗で。野原には心地よい風が吹いている。
 その空を見上げていると、これからの俺たちには、無限の可能性が広がっているかのように思えた。

『――玲』
 そうして甘えるように、『俺』は玲に腕を伸ばす。
 抱きしめるように引き寄せて、『俺』は玲に微笑む。

『好き』
 すると何故か、想像上の俺が、玲にそう囁いた。
 その声は、友だちに対するものとしてはあまりに甘い。
 想像の中の俺たちの距離は妙に近くて、玲はその言葉を聞いて優しく俺に微笑むと、そっと俺の頬に手を添えた。
 そして、玲は俺に顔を近付けて、その唇は俺の――……。


「どうしたんですか? 紫苑さん」
「わわっ!」

 一瞬で現実に引き戻される。
 覗き込むように顔を見られて、俺は思わず体をはねさせた。

「なんでそんなに驚いてるんですか?」
「えっ!? あっ。な、なんでもないっ!」

 俺は、慌てて平静を取り繕った。
 と……友だち! 友だち相手に何を想像しているんだ俺は!

 こんなこと一瞬でも考えたなんて、玲に知られたら俺はどう思われてしまうんだろう。ひかれる? 驚く? それとも――違う反応が、玲からは返ってくるのだろうか。

 悶々とする俺を見て、玲は首を傾げながら、トランシーバーを手に取った。充電完了のランプがついているのを確認してから、玲は俺にそれを渡す。

「どうぞ。紫苑さん」 
「……ありがと」

 事務所の扉の前で、俺はトランシーバーを服にセットすると、ドアの前の鏡で髪を整える。
 よし。いける。準備はもう完璧だ。

「じゃあ、そろそろいきましょうか」

 玲がドアノブをひねれば、そこには俺たちの仕事場が広がっている。

 たくさんのDVD、CDにコミック。俺たちの日常は、そんな平凡な、代わり映えのない日々の中にある。
 でもその日常の中で、俺や俺たちの関係は、少しずつ変わっていく。
 
 玲は俺にとって、バイト先の先輩から、学校の後輩。そうして今、玲は――俺の、一番大切な人になった。

 これから先、この関係に違う名前がつけられたとしても、今の俺にはその名前はわからない。

「今日も宜しくお願いします。『アサさん』」

 ただ、名前を呼ばれるだけで高鳴るこの胸が、俺に確かな変化を教えていた。

「……よ、宜しくお願いします」

 初めてのアルバイト。
 バイト先では先輩の、一つ年下の後輩に心を乱される日常はまだ始まったばかりだということを――その時俺はまだ、ちゃんと理解してはいなかった。


了





■あとがき
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
初めて書いた青春BLだったのですが(青春BLというか青春×高校生BLを目指して書いたお話でした)、たくさんの方にいいねをいただき、パワーをいただきながら執筆することができました。
玲の過去編についても現在執筆中なのですが、コンテスト期間中には間に合いそうにないため、番外編としていつか投稿する予定です。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

朝霧いお