初バイト、先輩バイトが同じ学校の後輩でした。

「お疲れ様。朝比奈くん、今日はありがとね」

 事務所に戻ると、店長から笑いかけられ、俺はちょっと大人らしく「大丈夫です」と返して、服を着替えるためにロッカー室へと向かった。

 セルフレジ故障事件の後、俺は問題なく仕事を終えることができた。
 マツさんは、なぜかあの後妙に俺に優しくて、「俺も紫苑くんみたいな弟が居たらなあ」なんて言っていたけれど、俺としては兄は一人でもうお腹いっぱいである。

 ――そういえば。
 あの故障事件の後、兄さんの姿を見えなくなったなと思った俺は、スマホを見て兄さんからの連絡に血の気が引いた。

【車で待ってるから、バイトが終わったら駐車場に来なさい。】

■

 服を着替えて駐車場へと行くと、兄さんが俺を待っていた。帽子とサングラスを外して俺を見た兄さんは、開口一番こう言い放った。

「いつもああやって、周りの人に頼ってばかりいるのか。迷惑かけちゃ駄目じゃないか」

 俺はその言葉を聞いた時、今日店長やマツさんにかけてもらった嬉しい言葉の全部が、頭からふき飛んだ。

「……なん……でっ。なんで、なんでそんなこと言うんだよ……っ!」

 声が震えた。
 バイトを始めてからというもの、俺はずっと、動揺したら上手く対応できなかった。そんな時、玲に助けてもらったり、マツさんに指導してもらったりして、いつも一人では俺は上手く出来なくて。
 
 でも、今日の故障は違う。
 これだけは、これまでに習ったことじゃない。新しいシステムの対応は今日一度習ったばかりで、すぐにできないのは当然だって、マツさんも言っていた。だから今日の俺の仕事は――『助けを求める』で、完結していたはずなのに。

 確かに今回、俺は兄さんから見れば、正しい対応は出来ていなかったかもしれない。
 でも、トランシーバーの故障さえなかったら、俺はちゃんと対応できていたはずなんだ。
 今日は今までよりちゃんと出来ていた……のに。

 兄さんは、そんな俺を「駄目だ」っていうのか。

 そう思うと、目から涙がこぼれで止まらなかった。泣きたいわけじゃない。高校生にもなって、人前で泣くなんてありえないって分かってる。

 でも……でも。
 俺が頑張ったこと、少しでも変われたって思えたかもしれない瞬間が、兄さんの絶対的な評価によって、一瞬で全部黒塗りされたように俺は感じてしまった。

 兄さんは絶対だから。間違えないなら。……だから、兄さんには、俺の気持ちなんか関係なくて。俺の言葉なんて届かなくて。
 俺は結局どこまで行っても、兄さんに隠れる影でしかなくて。

 ――マツさんなら。マツさんが俺の兄だったら、絶対にこんなふうには言わないのに。

 ヘラヘラしたりふざけたり、俺をからかうことはあるけれど、マツさんは年上として、年下《おれ》の気持ちを踏みにじったりなんかしない。 
 年はそう変わらないはずなのに、どうしてこんなにも違うんだろう?
 
「帰って」

 冷えた声で俺が言えば、兄さんは大きく目を見開いた。

「え?」

 兄さんが目を瞬かせる。
 『何が起きているかわからない』って表情。そういうところも、俺には兄さんの気持ちが見ればわかるのに、兄さんには俺の気持ちが届いていないんだと思えて悲しくなる。

「俺は、一人で電車で帰るから」
「……紫苑」

 俺は、俺に伸ばされた兄さんの手を振り払った。

「五月蝿い。俺のことは、もう放っておいてよ!」

 兄さんが兄さんじゃなかったら、俺はどれだけ楽に生きられただろう。
 心が痛くて、今はそんな言葉さえ頭に浮かんでしまう。

「帰って。……もう、帰ってよ……っ!」

 俺が声を上げて拒絶すると、兄さんはぐっと唇を噛んで手を下ろした。

「……わかった」

 兄さんが、車のドアに手をかける。

「遅くならないよう、気をつけて帰ってきなさい」

 そして俺を心配する言葉を口にして、兄さんは帰っていった。

「……なんで」

 一人駐車場に残された俺は、その場にうずくまって動けなかった。

 変わりたいのに。大人になりたいって、自分はできるって、大丈夫だって思いたいだけなのに。
 それだけのことがどうして、こんなにも上手くいかないんだろう。

「大丈夫ですか。紫苑さん」

 そのとき頭上から声が降ってきて、俺は泣くのをやめて顔を上げた。

「…………玲?」
「はい」

 どうしよう。今はその声を聞くだけで、安心してしまう。
 何故か今、抱きつきたくなってしまった気持ちをぐっと抑えて、俺は視界をクリアにするために袖で目元を拭って、冷静になりある事実に気がついた。

 ――やばい。玲に、泣き顔を見られた。

「……な、なんでもなくて。俺っ!」
 
 慌てて涙を拭おうとすると、玲は俺の手に、そっと自分のハンカチを置いた。

「袖で拭いたら駄目ですよ。よかったら、これを使ってください」
「……ありがと」

 うん。やはり、玲は主夫っぽい。
 さらっと綺麗なハンカチを渡された俺は、それで目元と顔を拭った。
 でも、この状況をどうしようか。
 玲がどのタイミングから見ていたかはわからないが、とりあえず俺は、玲がこれからバイトであることは把握している。

「……あの。すいません。こんな時に、言うことじゃないかもしれないんですが……」
「?」

 説明できず困っていた俺に、玲は予想もしていなかった提案をしてきた。

「明日、少し俺と出かけませんか?」