初バイト、先輩バイトが同じ学校の後輩でした。

 ――どうしよう。全く理解できない!

 店長から一通り説明された俺は、とりあえず一生懸命に書いたメモとにらめっこして顔をこわばらせた。

「アサくんわかった?」
「えっと……その」

 にこ、と笑ってマツさんが俺に尋ねてくる。俺は、じっとマツさんを見た。

 ――へるぷ! へるぴみー! ていうかこんなの一回で分かるわけないだろ!(泣)

「何その顔。おもしろ。うんうん。よくわかった。アサくんはわからなかったんだねぇ」
「……っ!」

 目は口ほどに物を言う。
 俺は、マツさんが子どもに話すような声で言うから、迷ったあとにこくんと頷いた。

 今回ばかりは、俺のことを子ども扱いしてほしい。メモは取ったけれど、流石に一回で覚えられるほど俺は性能が良くない。そもそも俺は、昔から機械が苦手なのだ。レジ対応も、最初は勝手が分からずかなり玲にお世話になった(当時はまだツキさんと呼んでいた)のに、一度で新しいシステムを覚えろというのは鬼畜の所業である。

 ……もしかして、店長って新人教育はあまり得意ではない?
 俺の中に一つの仮説が浮かんでしまった。
 昔、俺の学校にもいた。頭が良すぎて、勉強を教えてほしいと頼まれたら教えるのが下手すぎる奴。

「無理もないよ。そもそも店長一回説明するだけで行っちゃったけど、普通に考えて一回で覚えるの無理だし」

 そう。絶対に普通では無理なのだ――ということは、もしかして自分以外も、わからない人間はいるのではと俺はちょっと期待した。
 店長に、俺だけがっかりされたくない。

「じゃあ、マツさんも……まだ……?」

 上目遣いで尋ねると、マツさんはニヤッと笑った。
 
「いやあ! 俺はもう、完璧っ!」
「えっ!? なんでですか!?」

 おかしい。今の流れなら、マツさんだって店長の教え方じゃ分からなかったはずなのに!

「ほら、俺のほうが出勤時間長いし多いから。ほかの人と一緒に毎回聞いてるんだよね。店長が対応するのも何度か観察してたし」
「ズルじゃないですかっ!」
 
 俺は叫んだ。ひどい。そもそものスタートラインが違うじゃないか!
 高校生バイトと大学生バイトじゃ、働いている時間が違う。

「ズルじゃないよ? ちゃーんと働いてるってだけ。まあ、今回はイレギュラー対応もでてくるだろうし、困ったことがあったら呼んでくれればいいから。たぶん、アサくんも一回聞いて覚えられることじゃないと思うし。……これでも俺は、アサくんの先輩だからね」

 マツさんはそう言うと、トランシーバーに繋がったイヤホンを、ポンポンと指で叩いた。

 俺の顔に、『不安』と書いてあったせいだろうか。

 マツさんはいつも以上に、俺の様子を確認しながら業務を行ってくれていたように見えた。
 やっぱり、マツさんは俺を困らせることはあるけれど、人を見ている人なのは間違いないのかもしれない。
 それに安心はするけれど、少しだけ申し訳なくもあった。だって同じ仕事をしているのに、心配されてるってことなんだから。

 ――俺は迷惑、かけてるのかな。

 俺にとっては人生初めてのバイト。そのせいで不安になる。俺は俺に与えられた仕事を、どのくらいで覚えて一人前になるのが『普通』なんだろうか。
 
「紫苑」

 暗いことを考えていたら、突然聞き慣れた声が聞こえて俺は勢いよく顔を上げた。
 どうして、なんでここに――。

「兄さん……っ!?」
「やっぱり、ここで働いてたんだな」

 サングラスに帽子。顔は隠しているものの、身長と体格が明らかに一般人のそれとは違う。そして態度も、兄さんはこの空間とは浮いていた。
 玲も身長はあるし顔はいいけれど、二人の雰囲気はまるで違う。兄さんからは、俺は今日も確固たる自信を感じた。
 自分は間違っていない。
 そう、顔に書いてある。

「お前の行動なんて丸見えだから」

 兄さんはそう言うと、俺にスマホの画面を見せた。兄さんのスマホの画面には、俺の位置情報が表示されていた。
 ――なんだ。これ。

「……最悪。こんな事してたの?」
「お前が勝手にバイトを始めるからだ」

 埒が明かない。今の兄さんに、何を言っても無駄だ。俺はため息をついた。

「それで? バイトしてる俺を見に来たの?」
「ああ。――お前が、ちゃんと働けているかどうかをな」

 兄さんは偉そうに腕組みして言った。
 
「……なんでいつもそう、勝手なんだよ」

 俺は、小さな声で呟くと、兄さんに背を向けた。

「もういい。勝手にして。俺は仕事があるから」

 レジのほうへと戻ると、マツさんが手招きして、心配そうに俺を見た。

「アサくん大丈夫? さっきのお客さんと何かあった?」
「……なんでもないです」

 まさか「喧嘩している兄が自分を監視しに来ました」とも言えず、俺はそう答えるしかなかった。

■

「ね、アサくん」

 兄さんはしばらくしたら帰ると思いきや、俺の仕事の終わりまで観察するつもりのようだった。
 うちの店は立ち読みNGにしているわけじゃないから、本棚越しに兄さんの視線を感じて居心地が悪い。マツさんは、うっすら何か察しているのか、マイク越しに少し話をしたあと、ちらっと兄さんを見てから俺に言った。

「ごめん。一回返却行ってきてもいい? 少し量がたまってるから、俺に返しに行くようにって店長が」

 棚を見ると、よく貸し出されている新作から暖簾奥の商品をはじめたくさんの未対応の商品があった。返却ボックスの対応も大方終わってしまったから、店長からマツさんに指示が下されたんだろう。
 
「はい。えっと……セルフレジで困ったら、呼んでもいいですか?」
「それは勿論! すぐ戻ってくるから」
 マツさんは、明るく俺に笑いかけてくれた。
 
 そういうわけで。
 ――結局、一人になってしまった……。
 俺は、お客さんにセルフレジの対応について説明をしながら、通常レジの対応もこなした。
 今のところ順調だ。これなら、兄さんも文句はいえまい。
 俺がそう、高を括っていると。

「すいません。店員さん。お金を入れたら、レジが動かなくなってしまって」

 お客さんの一人が、小さく手をあげていった。女性の後ろには、男性客が並んでいた。

「申し訳ありません。少々お待ちいただけますか?」

 俺はお客さんにそう伝えると、マイクの近くのボタンをオンにした。
 大丈夫。マツさんが、こういうときは「呼んでいい」と言ったのだ。

「すいません。セルフレジに異常があったようです。一度降りてきてもらっていいですか?」

 小声で、マイク越しに連絡をした――つもりだった。

「……あれ?」

 だが、いつもなら音声をオンにしたときに一瞬はいる雑音が聞こえない。まるで、機械が故障しているみたいに――。

「嘘だろ」
 俺は、予想外の出来事に頭が真っ白になった。
 ……どうしよう。もしかしてトランシーバーも壊れてる!?

「おいおい遅ぇよ。何ちんたらしてるんだよ。さっさと直してくれないと、こっちも困るんだよ」

 女性客の後ろに並んでいた男客は、明らかに苛立っていた。俺がそのお客様に謝罪しようとすると、今度は以前から個別対応のレジに、別の客が並んでいた。
「すいませーん。会計お願いしたいんですけど〜」

 この場合、どうしたらいいのだろう。俺の頭の中に、玲の姿が一瞬浮かんだ。でも、今ここに玲はいない。今日の出勤時間にまでまだ時間がある。

 ――駄目だ。一人でなんとかしないと。

「す、すいませんっ! 少々お待ちください!」

 トランシーバーが壊れているなら、お客さんを放置することになるが、俺が走って人を呼ぶしかない。
 ダッシュで階段を駆け上がると、俺はマツさんを探して一回に降りてきてもらうようお願いした。

「すいません! セルフレジの故障みたいなんですが、対応お願いしたくて! 俺のトランシーバー、調子悪いのか繋がらなくてっ!」
「わかった。一緒に降りて対応する」

 俺が早口で言うと、マツさんは作業を止めて、早足で階段を降りてくれた。

「大変申し訳ございません! 私が対応します。修理に少しお時間がかかるかもしれませんので、後ろにお並びのお客様は、隣の通常レジにお並びいただいてもよろしいでしょうか?」

 マツさんはそう言うと、俺を見てレジを指さした。

「アサくんは、レジを対応して。ここは、俺がやるから」

■

「新しい機械いれるのはいいけど、スタッフの教育係はちゃんとしとけよな」

 あの男のお客様には最後にそう言われてしまったけれど、無事俺はマツさんに任されたレジ対応をミスなくこなすことができた。

「すぐにフォロー行けずにごめんね。奥にいたから、声がよく聞こえてなくて」

 マツさんは、悪くないのに俺に謝ってくれた。

「すいません。トランシーバーが使えなくて」
 俺が外してそれを見せると、マツさんはカチカチとボタンを押して、「あー。あー」と声を吹き込んでいた。
「何やってるの?」
 そこに、事務所にいたはずの店長が降りてくる。

「店長。これ、繋がらなかったみたいです」
 マツさんが店長にトランシーバーを渡す。店長は、すぐに原因がわかったらしかった。

「ああ……。たぶん前の誰かが充電器にうまく挿せてなくて、途中で充電が切れたんだと思う。ごめんね。驚いたよね」
「いえ……っ」
 店長に謝られて、俺は身構えた。この店で一番偉い人にそう言われると、反応に困る。

「あの……マツさん」
 そして俺は、よかったよかったと頷いていたマツさんに声をかけた。
 今――俺は、マツさんに伝えたいことがあった。

「ありがとう、ございました」

 深々と頭を下げる。マツさんは、そんな俺に驚いているようだった。
 たぶんマツさんにとっては普通のことだったんだろう。でも俺は、本当に嬉しかったから。

 俺が呼びに行った時に、一緒になって走ってくれたこと。そして、俺にできない仕事をフォローしたうえで、俺ならできるって、信じて違う仕事を任せてくれたこと。
 一緒になってチームで働いている感じがして、俺はそれが、心から嬉しかった。

「……どう、いたしまして」

 マツさんは俺の言葉を真っ直ぐに受け止めて、少し照れくさそうに頬をかいた。
 それから、いつもみたいに俺を観察するわけでもからかうわけでもなくて、本心からの言葉のように、俺にこう言った。

「アサくんさあ……やっぱ、なんか可愛いよね」