薄い布一枚に仕切られた脱衣場で服を脱いで、それから浴室にはいる。
家のそれと違って、中は少し狭かった。玲が言っていた通り、中には銀のラックが置かれていて、一段目と二段目に、それぞれシャンプーやボディーソープなどが置かれていた。
女物のメーカーは俺はよくわからないけれど、二段目のボトルはピンクだとかオシャレで、一段目は俺もよく知るメーカーだった。
「……下のやつが、玲がいつも使ってるやつなのかな」
ということは、やはりこの部屋に女の人が住んでいるのは間違いないらしい。
玲は顔がいい。高校一年だけど、ちょっと怪しげな女の人っぽい部屋に住んでいるし、もしかして居候――だとしたら、その女の人とはどういう関係なんだろう。一瞬、浮かんではいけない不純な言葉が頭に浮かんで、俺はそれを頭から打ち消した。
あの玲が、そんなことをするはずがないじゃないか。大体、自分に言い寄る女性は嫌いだと、本人が言っていた。
なら――……?
「……あーー!」
モヤモヤする頭をすっきりさせるために、まずは濡れた髪を急いで洗った。それから体を洗ってシャワーで流し、浴槽にどぼんと浸かる。
お湯は溢れない。肩まで体を沈めると、ちょうど溢れるくらいにピタピタになって、俺は少しの間、目を瞑って体を温めた。
「ん?」
風呂から上がると、洗濯機の上に、綺麗に畳まれた服が置かれていた。それと、真新しそうな下着。正直友だちから借りるのは恥ずかしいと思って手に取ったら、「新しい奴なので使ってください」というメモが床に落ちた。
相変わらずマメというか、玲は丁寧だ。
「……新しいの買って返せばいいか」
せっかく風呂に入ったのに、濡れた下着は着たくない。俺はありがたく用意されたものを着て、玲の部屋へと向かった。
■
「おかえりなさい。……あ。やっぱり少し大きかったですよね」
玲は俺を待つ間、制服を乾かしてくれていたらしい。風呂から上がった俺に気づいて顔を上げた玲は、俺を上から下まで見て苦笑いした。
「玲……服ってこれしかなかった?」
俺と玲は、10センチほどの身長差がある。加えて、玲が用意してくれたのは玲の部屋着のうちのひとつなんだろう。ゴムパンツだからずり落ちることはないけれど、ズボンは床に余っているし、俺は完全に服に着られていた。
「すいません。この家、昔の服置いてなくて。俺、普段ゆるめの服が多くて……」
男として負けた気分だ。悔しい。
「少しだけ我慢してください。紫苑さんの制服は、今乾かしているので」
制服のそばには、大きめのタオルが何枚も山になっていた。たぶん、水分を吸おうとしたんだろう。そのうえで、ドライヤーで乾かす。
……俺が風呂で体を温めていた間も、玲は俺のために働いてくれたらしい。
「ありがとう」
「いいえ」
俺が礼を言うと、玲は何でもないことのように笑った。普通の男子高校生なら、そんな気遣いなかなか出来ないと思うけれど――玲はまるでそれを、当然だと思っていそうに見えた。
「このドライヤー、借りていい?」
玲が用意してくれていた、吸水性の高そうなタオルで髪を拭く。俺はソファーに座らせてもらって、その隣にあったドライヤーを指さした。
「はい」
「ありがと」
延長コードのコンセントに挿してスイッチを入れたら、俺の家のドライヤーの二倍くらいの風量が、ドライヤーからでて驚いた。この違いはなんだろう。業務用? なんだろうか。よく見ると、美容室で使われるそれと、なんとなく形が似ている気もする。
俺が首を傾げなら髪を乾かしていたら、その間に風呂に入っていた玲が上がってきた。カラスの行水。濡れた玲の髪は、いつもより黒が深く見えた。
「紫苑さん。雨の予報、1時間くらいしたらあがるみたいですよ」
髪を拭きながら、スマホを手にした玲が俺に言う。玲が見せる見れば、確かに玲の言うとおりのようだった。
「あ。ほんとだ」
「……なので、よければもう少しうちにいませんか?」
玲の提案に、俺は一瞬ポカンとしてしまった。
「いいの?」
「はい。紫苑さんなら」
玲はそう言うと、子どもみたいに嬉しそうに笑った。
■
雨がやむまであと少し。
玲の家で過ごすことにした俺は、質問するか少し考えたあとに、意を決して玲に尋ねた。
「玲はここに、誰かと一緒に住んでるの?」
両親と一緒に住んでいる部屋には見えない。
置かれているものも室内も、どちらかというと若い人間だけが住んでいるという方が納得だ。……特に、若い女の人とか。
「姉と住んでます」
玲は、すぐにそうこたえてくれた。
「彼氏さんはよく来てて。半居候、みたいな感じですね」
室内の様子と、玲の説明のイメージは一致する。確かに、彼氏がいる大人の女の人の部屋――なのかもしれない。
そう思うと、俺は少し緊張した。
「大丈夫? 俺、ここ来てよかった?」
「姉にはここに来る前に話しています。紫苑さんのことは……俺も、姉には話しているので」
玲はそう言って、照れくさそうに頬をかいた。
俺は母さんに玲の事を話していたけれど、玲はお姉さんに話していたんだろうか? そんな疑問が頭に浮かぶ。
「姉は美容師をしています」
「へえ」
お姉さんのことを語る玲の声は、いつもの玲とは違う意味で柔らかい。
「それで、朝は俺のセットをしないと気がすまないみたいで。バイトから帰ると俺が崩してるのは少し気に食わないらしいです」
俺が知る、しっかり者の玲とは違う。弟としての玲が、確かにそこには存在していた。
玲がどんな環境で育ったのかは俺は知らない。別に、知らなくてもいいことだ。他人の過去のすべてを知らなきゃ友達になれないなんてことはないんだから。
ただ俺は、玲の真っ直ぐさは、そのお姉さんがいたおかげなのだろうと思った。
「でも、毎日ちゃんとセットしてくれます」
「優しいお姉さんなんだ」
「はい。――自慢の姉です」
本当に、心の底からそう思っている。
その言葉を聞くだけで、俺にはそれがわかってしまった。
だから玲の言葉を聞いて、俺は胸の奥が一瞬つきりと痛んだ。
『自慢の兄』。
俺も兄さんのことを、そう真っ直ぐに言えたらどれほどいいだろう。
「……? 紫苑さん、どうかしましたか?」
俺の異変に気付いたのか、玲が不思議そうな目で俺の顔を見た。
本当に、玲はよく気がつく。それだけ普段から、人をよく見ているんだろう。
そういうところも含めて、玲は俺より「大人」なのかもしれない。
「なんでもない。玲が自分のこといっぱい喋ってくれるの、なんか嬉しくて」
■
玲が髪を乾かし終わってから、制服はハンガーにかけ、俺たちは一緒に映画を見ることにした。
テレビは、サイズは大きかったけれど、型は少し古そうにも見えた。部屋の中には棚があって、そこには沢山のDVDが並んでいた。
「いろいろあるじゃん!」
時間潰しにはちょうどいい。俺は、ワクワクしながらラインナップを確認した。背表紙を確認しながらジャンルを読み上げる。
「韓流、恋愛ドラマに、恋愛ドラマに、ホラーにホラーにホラー……」
なんなんだこのラインナップは!
「すいません。俺は基本借りてみるので、ここにあるのは姉が集めたもので」
確かにその前情報はあったけれども!
お姉さんは成人済みだから、購入して保管しているのかもしれない。
「どれが見たいですか?」
男二人で恋愛ドラマや韓流を見るのは微妙すぎる。となると――。
「一緒にホラーでも見ます?」
「えっ」
玲の提案に、俺はビクッと体をはねさせてしまった。
そこから、少しの沈黙。
「……すいません。ホラー、もしかして苦手ですか?」
「そっ。そンなわけないだろ!」
声が裏返った。
まずい。男なのにホラーが苦手なんて、友達にバレるとか恥ずかしすぎる。
「……やっぱりホラーはやめときましょうか?」
「貸せ! 俺がセットする!」
「あっ」
俺は虚勢を張って、棚からホラー作品をとると、機械にセットした。
「ほら! 玲。ここに座れ! 一緒に見るぞ!」
ソファーの自分の隣を、いつもより強めに叩く。玲はそんな俺を見てくすっと笑ってから、「はいはい」と言わんばかりに俺の隣に座った。
家のそれと違って、中は少し狭かった。玲が言っていた通り、中には銀のラックが置かれていて、一段目と二段目に、それぞれシャンプーやボディーソープなどが置かれていた。
女物のメーカーは俺はよくわからないけれど、二段目のボトルはピンクだとかオシャレで、一段目は俺もよく知るメーカーだった。
「……下のやつが、玲がいつも使ってるやつなのかな」
ということは、やはりこの部屋に女の人が住んでいるのは間違いないらしい。
玲は顔がいい。高校一年だけど、ちょっと怪しげな女の人っぽい部屋に住んでいるし、もしかして居候――だとしたら、その女の人とはどういう関係なんだろう。一瞬、浮かんではいけない不純な言葉が頭に浮かんで、俺はそれを頭から打ち消した。
あの玲が、そんなことをするはずがないじゃないか。大体、自分に言い寄る女性は嫌いだと、本人が言っていた。
なら――……?
「……あーー!」
モヤモヤする頭をすっきりさせるために、まずは濡れた髪を急いで洗った。それから体を洗ってシャワーで流し、浴槽にどぼんと浸かる。
お湯は溢れない。肩まで体を沈めると、ちょうど溢れるくらいにピタピタになって、俺は少しの間、目を瞑って体を温めた。
「ん?」
風呂から上がると、洗濯機の上に、綺麗に畳まれた服が置かれていた。それと、真新しそうな下着。正直友だちから借りるのは恥ずかしいと思って手に取ったら、「新しい奴なので使ってください」というメモが床に落ちた。
相変わらずマメというか、玲は丁寧だ。
「……新しいの買って返せばいいか」
せっかく風呂に入ったのに、濡れた下着は着たくない。俺はありがたく用意されたものを着て、玲の部屋へと向かった。
■
「おかえりなさい。……あ。やっぱり少し大きかったですよね」
玲は俺を待つ間、制服を乾かしてくれていたらしい。風呂から上がった俺に気づいて顔を上げた玲は、俺を上から下まで見て苦笑いした。
「玲……服ってこれしかなかった?」
俺と玲は、10センチほどの身長差がある。加えて、玲が用意してくれたのは玲の部屋着のうちのひとつなんだろう。ゴムパンツだからずり落ちることはないけれど、ズボンは床に余っているし、俺は完全に服に着られていた。
「すいません。この家、昔の服置いてなくて。俺、普段ゆるめの服が多くて……」
男として負けた気分だ。悔しい。
「少しだけ我慢してください。紫苑さんの制服は、今乾かしているので」
制服のそばには、大きめのタオルが何枚も山になっていた。たぶん、水分を吸おうとしたんだろう。そのうえで、ドライヤーで乾かす。
……俺が風呂で体を温めていた間も、玲は俺のために働いてくれたらしい。
「ありがとう」
「いいえ」
俺が礼を言うと、玲は何でもないことのように笑った。普通の男子高校生なら、そんな気遣いなかなか出来ないと思うけれど――玲はまるでそれを、当然だと思っていそうに見えた。
「このドライヤー、借りていい?」
玲が用意してくれていた、吸水性の高そうなタオルで髪を拭く。俺はソファーに座らせてもらって、その隣にあったドライヤーを指さした。
「はい」
「ありがと」
延長コードのコンセントに挿してスイッチを入れたら、俺の家のドライヤーの二倍くらいの風量が、ドライヤーからでて驚いた。この違いはなんだろう。業務用? なんだろうか。よく見ると、美容室で使われるそれと、なんとなく形が似ている気もする。
俺が首を傾げなら髪を乾かしていたら、その間に風呂に入っていた玲が上がってきた。カラスの行水。濡れた玲の髪は、いつもより黒が深く見えた。
「紫苑さん。雨の予報、1時間くらいしたらあがるみたいですよ」
髪を拭きながら、スマホを手にした玲が俺に言う。玲が見せる見れば、確かに玲の言うとおりのようだった。
「あ。ほんとだ」
「……なので、よければもう少しうちにいませんか?」
玲の提案に、俺は一瞬ポカンとしてしまった。
「いいの?」
「はい。紫苑さんなら」
玲はそう言うと、子どもみたいに嬉しそうに笑った。
■
雨がやむまであと少し。
玲の家で過ごすことにした俺は、質問するか少し考えたあとに、意を決して玲に尋ねた。
「玲はここに、誰かと一緒に住んでるの?」
両親と一緒に住んでいる部屋には見えない。
置かれているものも室内も、どちらかというと若い人間だけが住んでいるという方が納得だ。……特に、若い女の人とか。
「姉と住んでます」
玲は、すぐにそうこたえてくれた。
「彼氏さんはよく来てて。半居候、みたいな感じですね」
室内の様子と、玲の説明のイメージは一致する。確かに、彼氏がいる大人の女の人の部屋――なのかもしれない。
そう思うと、俺は少し緊張した。
「大丈夫? 俺、ここ来てよかった?」
「姉にはここに来る前に話しています。紫苑さんのことは……俺も、姉には話しているので」
玲はそう言って、照れくさそうに頬をかいた。
俺は母さんに玲の事を話していたけれど、玲はお姉さんに話していたんだろうか? そんな疑問が頭に浮かぶ。
「姉は美容師をしています」
「へえ」
お姉さんのことを語る玲の声は、いつもの玲とは違う意味で柔らかい。
「それで、朝は俺のセットをしないと気がすまないみたいで。バイトから帰ると俺が崩してるのは少し気に食わないらしいです」
俺が知る、しっかり者の玲とは違う。弟としての玲が、確かにそこには存在していた。
玲がどんな環境で育ったのかは俺は知らない。別に、知らなくてもいいことだ。他人の過去のすべてを知らなきゃ友達になれないなんてことはないんだから。
ただ俺は、玲の真っ直ぐさは、そのお姉さんがいたおかげなのだろうと思った。
「でも、毎日ちゃんとセットしてくれます」
「優しいお姉さんなんだ」
「はい。――自慢の姉です」
本当に、心の底からそう思っている。
その言葉を聞くだけで、俺にはそれがわかってしまった。
だから玲の言葉を聞いて、俺は胸の奥が一瞬つきりと痛んだ。
『自慢の兄』。
俺も兄さんのことを、そう真っ直ぐに言えたらどれほどいいだろう。
「……? 紫苑さん、どうかしましたか?」
俺の異変に気付いたのか、玲が不思議そうな目で俺の顔を見た。
本当に、玲はよく気がつく。それだけ普段から、人をよく見ているんだろう。
そういうところも含めて、玲は俺より「大人」なのかもしれない。
「なんでもない。玲が自分のこといっぱい喋ってくれるの、なんか嬉しくて」
■
玲が髪を乾かし終わってから、制服はハンガーにかけ、俺たちは一緒に映画を見ることにした。
テレビは、サイズは大きかったけれど、型は少し古そうにも見えた。部屋の中には棚があって、そこには沢山のDVDが並んでいた。
「いろいろあるじゃん!」
時間潰しにはちょうどいい。俺は、ワクワクしながらラインナップを確認した。背表紙を確認しながらジャンルを読み上げる。
「韓流、恋愛ドラマに、恋愛ドラマに、ホラーにホラーにホラー……」
なんなんだこのラインナップは!
「すいません。俺は基本借りてみるので、ここにあるのは姉が集めたもので」
確かにその前情報はあったけれども!
お姉さんは成人済みだから、購入して保管しているのかもしれない。
「どれが見たいですか?」
男二人で恋愛ドラマや韓流を見るのは微妙すぎる。となると――。
「一緒にホラーでも見ます?」
「えっ」
玲の提案に、俺はビクッと体をはねさせてしまった。
そこから、少しの沈黙。
「……すいません。ホラー、もしかして苦手ですか?」
「そっ。そンなわけないだろ!」
声が裏返った。
まずい。男なのにホラーが苦手なんて、友達にバレるとか恥ずかしすぎる。
「……やっぱりホラーはやめときましょうか?」
「貸せ! 俺がセットする!」
「あっ」
俺は虚勢を張って、棚からホラー作品をとると、機械にセットした。
「ほら! 玲。ここに座れ! 一緒に見るぞ!」
ソファーの自分の隣を、いつもより強めに叩く。玲はそんな俺を見てくすっと笑ってから、「はいはい」と言わんばかりに俺の隣に座った。


