辺境の廃村に火が灯ってから、ひと月が経った。
 井戸は安定して水を供給し、畑には青々とした苗が並んでいる。村人たちは力を合わせ、崩れた家屋を修繕し、焚き火の代わりに石竈を築き始めた。
 リディアは疲労にまみれながらも、日々確かな手応えを感じていた。

「……すごいな、リディア様。本当に村になってきた」

 カイルが土に汚れた手を拭いながら言う。少年の頬はかつての陰りを失い、日に焼けて健康そうだ。
 リディアは笑みを返し、額の汗を拭った。

「皆が力を出してくれるからよ。私ひとりでは到底ここまで来られなかった」

 その言葉に、ミラや老人たちが頷く。小さな共同体は確かに形を成し始めていた。

 そんなある日、馬の蹄の音が村に近づいた。
 現れたのは、以前訪れたあの商人だった。前回よりも大きな荷馬車を引き、笑みを浮かべている。

「おや、随分と人が増えたじゃないか! 噂は本当だったな」

 商人は村をぐるりと見回し、畑の苗を興味深げに眺める。

「王都で『辺境に奇跡の村あり』って囁かれてるぜ。水が湧き、作物が育つ、追放者が集まってるってな」

 リディアは一瞬、胸を締めつけられた。王都の噂は、いつか自分の存在をあの人々に思い出させる。
 だが、もう怯えるつもりはなかった。

「ええ、その通りです。ここは追放された者たちが集まる場所。そして……生き直す場所です」

 堂々と答えると、商人は満足げに頷いた。

「気に入った! 取引をしようじゃないか。薬草や干し肉と交換に、鍬や布地を持ってきた」

 交易は村を潤した。鍋や釘、塩や油――暮らしを支える品々が手に入る。村人たちの顔に笑みが広がった。

 商人が去った翌日。
 森の入り口で、二人の男が倒れているのをカイルが見つけた。片方は鎧を纏い、剣を握ったまま意識を失っている。もう片方は農夫風の青年だった。

「敵かもしれない!」
 村人が警戒する。

 だがリディアは膝をつき、男の傷を確かめた。鎧の男は深い切り傷を負っていたが、呼吸はまだある。
 薬草を煎じて包帯を巻くと、やがて男は薄く目を開いた。

「……ここは……?」

 かすれた声。だがその眼差しには鋭い光が宿っている。

「ここは追放者の村。あなたは?」

「俺は……王都騎士団、第二隊副長――いや、元副長だ。理不尽な罪で除隊され、逃げ延びてきた」

 名をアレンと名乗った。彼の隣にいた農夫は、領主に土地を奪われたという。二人は道中で山賊に襲われ、この村に辿り着いたのだ。

 アレンは剣を握り直し、ゆっくりと身を起こした。

「この命を救われた恩は忘れん。……もし許されるなら、俺もここに残りたい。剣を振るう場所が、もうここしかない」

 リディアは微笑み、手を差し伸べる。

「歓迎します。あなたの剣は、この村を守る力になる」

 その夜。
 焚き火を囲み、皆が食事をとる。新たな仲間が加わったことで、笑い声は一層大きくなった。
 リディアは炎を見つめ、胸の奥で思う。

(王都に捨てられた者たちが、こうして手を取り合って生きている……)

 彼らを守る責任は、自分にある。追放されたからこそ掴んだ絆を、決して手放してはならない。

 焚き火の光が頬を照らす。リディアは静かに誓った。

「――ここを必ず、誰にも奪わせない」

 その言葉を、星々が見守っていた。