リディアが廃村で目を覚ましてから三日。
 夜は焚き火の熱で寒さをしのぎ、昼は畑を掘り返す日々が続いた。井戸は少しずつ水量を取り戻し、蒔いた種は小さな芽を伸ばしている。家の修繕はまだ手つかずだが、雨を避けられるだけの屋根があるだけで心強かった。

 だが、孤独は重い。
 焚き火の炎を見つめる夜になると、ふいに胸の奥で冷たい空洞が広がる。王都では常に人に囲まれていた。侍女の声、楽団の音、父の叱責さえも――今は何もない。
 リディアは祖母のコンパスを握り、そっと囁いた。

「一人でも、やれる。必ず……」

 その日、畑で石を取り除いていると、遠くから小さな声がした。

「……誰か、いるの?」

 顔を上げると、雑草の茂みから幼い影が覗いている。十歳ほどの少年。痩せ細り、衣服は破れ、泥で覆われていた。
 リディアが近づくと、少年は怯えた目で後ずさる。

「待って。怪しい者ではないわ」

 静かに声をかけると、少年は唇を震わせながら言った。

「……お腹が、すいた」

 リディアは家へ駆け戻り、マリアンヌから託された乾燥肉を取り出す。小さな欠片を差し出すと、少年は一瞬ためらったのち、むさぼるように口へ運んだ。
 涙で濡れた頬を拭いながら、彼は名を告げた。

「ぼく、カイル。戦争で、村をなくした」

 その声はかすれ、けれど確かに生きる意志が宿っていた。

 翌日には、少女が現れた。
 髪は煤け、裸足のまま、森から飛び出してきたのだ。リディアとカイルが追いかけて保護すると、少女は泥の中で必死に叫んだ。

「お願い、弟を助けて!」

 導かれて行った小屋の中には、衰弱した幼子が横たわっていた。高熱で息は荒い。
 リディアは即座に薬草袋を開き、煎じ薬を作り始める。火にかけ、冷やし、少しずつ口へ流し込む。夜を徹して看病し、翌朝、幼子の熱はようやく下がった。

「……ありがとう」
 少女――ミラは深々と頭を下げ、涙を落とした。

 それからの日々、廃村には少しずつ人が集まった。
 戦で親を失った孤児、領主に虐げられて逃げ出した農民、行き場をなくした老人。彼らは偶然のように、だが確かに、リディアの元へ流れ着いたのだ。

「ここで暮らしていいのか?」
「畑を耕せるなら歓迎します。皆で手を取り合いましょう」

 リディアはそう答え、共に土を耕した。畑の列は倍に広がり、廃屋には火が灯る。
 夜、焚き火の周りには笑い声が戻った。カイルとミラがじゃれ合い、老人が昔話を語る。リディアはその光景を眺め、胸に熱を覚えた。

 ――孤独は、もう終わった。

 数日後。
 集落に一人の旅商人が現れた。馬に荷を積み、薄汚れた外套をまとった男だ。

「おや、こんな辺境に人が集まってるとはな。水と作物があると聞いて来たんだが」

 商人は驚きつつも興味深げに周囲を見回す。
 リディアは彼に干した薬草と木の実を渡し、代わりに鍋や釘を手に入れた。
 それは彼女たちの「初めての交易」となった。

 商人は帰り際に言った。

「噂はすぐ広まるぜ。『辺境に奇跡の村あり』ってな」

 リディアは微笑む。
 ここは廃墟ではない。すでに芽吹いた新しい居場所。
 追放され、奪われたはずの未来は、今確かに別の形で生まれ始めていた。

 夜空を仰ぐ。
 星々は静かに瞬き、村の焚き火を見守っていた。
 リディアは胸元のコンパスを握りしめる。

「ここから始まるのよ。必ず、この村を……国を、築いてみせる」

 その決意を風がさらい、草原の奥へと運んでいった。