朝靄に包まれた街道を、無数の足音と蹄の響きが埋め尽くしていた。
 鎧の光は朝日を反射し、盾と槍の列は果てしなく続く。
 王都はついに万の兵を動かしたのだ。

 軍旗の下に立つ王太子アルベルトは、冷ややかな眼差しを辺境の方向に向けていた。
「女ごときに二度も辱められた。今度こそ、地図からその名を消してやる」

 兵たちは雄叫びを上げ、地響きが王国全土を震わせるように響いた。

 一方その頃、辺境の村――いや、辺境の国。
 リディアは高台に立ち、迫る大軍に備える人々を見渡していた。

 畑は刈り入れが済み、余った藁は城壁代わりの柵に編み込まれた。
 農夫たちは槌を剣に持ち替え、女たちは薬草と矢を準備し、子どもたちは合図のための角笛を抱えている。

「これが……国の戦い」
 リディアは胸元のコンパスを握りしめ、深く息を吸った。

 アレンが隣に立ち、剣を肩に担ぐ。
「リディア様。これまで幾度も死地を越えてきた。今回も必ず勝ちましょう」

 彼の言葉に、リディアは力強く頷いた。
「ええ。ここは私たちの土地。奪わせはしない」

 夜。広場には焚き火が焚かれ、人々が集まっていた。
 リディアは旗の前に立ち、静かに語りかける。

「皆さん。王都はついに本気を出しました。けれど、私たちは恐れる必要はありません。これまで毒も、刃も、軍勢も退けてきました」

 その声は震えていなかった。
 彼女の背にある旗が夜風にはためき、炎に照らされる。

「明日から始まる戦いは、ただの防衛ではありません。――この国が王国に並び立つための、最初の戦です!」

 アレンが剣を掲げ、カイルが槍を振り上げ、民の声が重なって夜空を震わせた。

 一方、王都の宮殿。
 セリーヌは高い塔の窓から、出陣する軍勢を見下ろしていた。
 旗が揺れ、兵の歌が響く。だが、その光景は彼女に誇りではなく、不吉な影を感じさせた。

(姉さま……。王都は万の軍を動かした。けれど、私は知っている。あなたは必ず抗う。負けるどころか、この戦で――王都を揺るがす)

 胸の奥で渦巻くのは嫉妬か、恐怖か、それとも別の感情か。
 セリーヌは唇を噛みしめ、震える声で呟いた。

「どうして……どうしてあの時、あの場で姉さまを完全に葬れなかったの……」

 答えのない問いは夜風にさらわれ、王都の闇に消えていった。

 翌朝。
 遠くの地平線に、黒い煙の帯が見えた。王都軍の進軍が辺境に迫っている。
 見張り台の子どもたちが角笛を吹き鳴らし、村中に緊張が走った。

「皆、配置につけ!」
 アレンの号令に、兵も農夫も子どもも走り出す。

 リディアは高台に立ち、迫る軍勢を見据えた。
 胸元のコンパスは強く輝き、針が震えている。

「これが……運命の時。辺境の国は今日、本当に“国”になる」

 風が吹き、旗がはためいた。
 その瞬間、戦いの幕が上がろうとしていた。