辺境に旗が立てられてから、数日。
 空は澄み渡り、畑の麦は豊かに実りを迎えていた。
 だがその穏やかな光景の裏で、人々の胸に広がるのは、王都が次に何を仕掛けてくるのかという不安だった。

 リディアは広場に人々を集め、声を張り上げた。

「王都は必ず総力を挙げて攻めてくるでしょう。千の兵で足りなかったなら、万の兵を動かすはず。ですが、私たちも手をこまねいてはいられません」

 アレンが一歩前に出て頷いた。
「防衛だけでは限界がある。戦える兵を訓練し、柵を城壁に近い形に作り替えるべきだ」

「わしら農夫も槌を持とう! 畑を守るためなら命を惜しまん!」
 オルグの言葉に、農夫たちが声を合わせる。

 カイルが槍を掲げ、少年らしい高い声で叫んだ。
「僕も! 剣でも槍でも練習します!」

 リディアは胸の奥に熱を覚えた。
 もはや彼らは“寄せ集め”ではない。確かに「国の兵」となりつつあった。

 夜。
 リディアはアレンと共に地図を広げていた。
 古い羊皮紙に描かれた街道と森の道。その上に小石を置きながら、敵の進軍路を想定する。

「街道から大軍が押し寄せれば、真正面では受け止めきれぬ」
 アレンの声は低く険しい。
「だが、森の獣道や峡谷を利用すれば、数を削げる」

 リディアは頷き、コンパスを地図の上に置いた。針は北を示し、微かに光る。
「祖母の教えがあります。地脈と風の流れを読めば、軍勢を翻弄できる。ここを……“要塞”に変えましょう」

 一方、王都。
 宮殿の広間には重臣たちが集められ、ざわめきが渦巻いていた。

「辺境が旗を掲げたなど、前代未聞!」
「すでに商人や兵士の間では“女王リディア”と呼ばれております」

 王は玉座に沈黙し、ただアルベルトを見つめた。
 王太子は冷たい笑みを浮かべ、剣を掲げた。

「父上。ここで決断を。万の軍を動かし、辺境を地図から消すのです」

 重臣の一人が躊躇いがちに口を挟んだ。
「ですが殿下……辺境を攻めれば、民の反感を買いましょう。既に“リディアの方が民を守っている”との声が……」

「黙れ!」
 アルベルトの怒声が広間を震わせた。
「民が何を囁こうと関係ない。王家に逆らう者はすべて反逆者だ!」

 その叫びを聞きながら、セリーヌは唇を噛んだ。
(姉さま……あなたはもう、殿下の恐怖そのものになっているのね)

 辺境の夜。
 リディアは焚き火の前で人々に語った。

「王都は大軍を動かすでしょう。ですが、私たちは国として立ち向かいます。畑を守り、家を守り、互いを守る。――そのために、役割を決めましょう」

 農夫は兵と食料を、女たちは薬草と布を、子どもたちは見張りを。
 皆が役割を口にするたびに、炎が揺れ、士気は高まっていった。

 アレンが剣を掲げ、言葉を添える。
「これは防衛ではない。俺たちがこの地を治める初めての戦だ。――国の戦だ」

 その言葉に歓声が沸き上がった。

 リディアは焚き火を見つめながら、心に誓った。

「王都よ、来るなら来なさい。私たちはもう追放者ではない。この国の名のもとに、必ず迎え撃つ」

 胸元のコンパスが強く輝き、星空の下で辺境の旗が大きくはためいた。