東の空が赤く染まり始めたころ、地鳴りのような轟音が森を震わせた。
 槍を構えた兵、盾を並べた歩兵、そして馬上の騎兵。王都軍、千の兵が整然と進軍してくる。
 彼らの鎧は朝日を受けて輝き、その光景はまるで鉄の洪水だった。

 見張り台のカイルが叫ぶ。
「リディア様! ついに来ました!」

 村の入口に立つリディアは、胸元のコンパスを強く握りしめる。
 恐怖は確かにあった。だが、それを上回る決意が心を満たしていた。

「皆、構えて! ここが私たちの国の始まりよ!」

 王都軍の先頭に立つ指揮官が声を張り上げた。
「辺境の反逆者ども! 王命に背く者は皆殺しだ! 進めぇっ!」

 怒号とともに軍勢が押し寄せる。
 地響きが村を揺らし、槍の列が柵に迫った。

「今だ、放て!」
 アレンの号令で、村人たちが矢を放つ。
 森で削った矢と火矢が一斉に飛び、先頭の兵を薙ぎ倒す。火矢が敵の盾に突き刺さり、炎が走った。

 だが数は圧倒的。兵士たちは盾を組み、炎を踏み越えて進んでくる。

 柵に槍が突き立ち、木が軋む。
 オルグと農夫たちが必死に支え、カイルや若者たちが隙間から槍を突き出した。
 カイルの槍が一人の兵を押し返す。まだ幼い腕だが、その瞳は恐怖ではなく決意で燃えていた。

「僕は逃げない! ここが僕の国だから!」

 ミラは弟を背に負いながら石を投げつけ、老人たちも薬草煙を焚いて敵の視界を曇らせた。

 だが、敵の数は減らない。
 騎兵が回り込み、村の側面を突こうとしていた。

「リディア様、側面が!」
 アレンの声に、リディアはコンパスを掲げた。

「風よ――燃え広がれ!」

 南から吹き込む風が炎を巻き上げ、敵の馬列へと襲いかかった。
 馬が悲鳴を上げ、騎兵たちは混乱して転倒する。土煙のなか、数十の騎兵が瓦解した。

 村人たちの間から歓声が上がる。

 しかし、王都軍は退かない。
 指揮官が剣を掲げて叫ぶ。
「怯むな! 敵は寄せ集めだ! 数で押し潰せ!」

 兵の波が再び押し寄せ、柵が大きく揺れる。
 木が裂け、一本が折れた。敵兵がなだれ込もうとする。

「ここは通させん!」
 アレンが立ちふさがり、剣を振り抜く。火花が散り、敵兵を薙ぎ払う。
 その姿に若者たちが続き、村の入口で乱戦が始まった。

 リディアは息を切らしながらも、再び術を紡ぐ。
 コンパスが輝き、足元の大地が震えた。
 井戸から引かれた水脈を呼び出し、地面をぬかるみに変える。兵士たちの足が泥に沈み、進軍は止まった。

「今だ、押し返して!」

 カイルと若者たちが一斉に突き出し、泥にはまった兵を次々と倒す。
 村人たちの声が戦場に響き渡る。

「守れ! ここは俺たちの国だ!」
「絶対に奪わせない!」

 太陽が天に昇るころ、戦は膠着した。
 数で勝る王都軍は押しきれず、村人たちは決して退かない。
 指揮官の顔に焦りが浮かび、苛立ちの声が響く。

「なぜだ……! なぜ寄せ集めの村が、これほどまでに……!」

 その答えは明白だった。
 ここはただの村ではない。追放された者たちが手を取り合い、築いた“国”なのだ。

 リディアは剣と槍が交錯する戦場の中心で、強く叫んだ。

「王都よ、見なさい! あなたたちが捨てた者が、今ここで国を作っている! 私はもう侯爵令嬢ではない――この地の主、辺境の女王よ!」

 その声は戦場を揺らし、兵士たちの心に突き刺さった。

 王都軍の動きが鈍り、退却の号令が響く。
 土煙を上げ、千の軍勢が森の奥へと消えていった。

 静寂が訪れる。
 リディアは泥に膝をつき、胸元のコンパスを握りしめた。
 息は荒い。体は疲弊している。だが、瞳は揺るぎなかった。

「勝った……私たちの国が、初めて王都に勝った」

 歓声が村を包む。涙を流し、抱き合い、皆が笑った。
 追放された者たちは、この日を境に確かに“国の民”となったのだった。