日ごとに強まる風が、村に張り詰めた気配を運んでいた。
 遠くの街道から立ちのぼる土煙――それは王都軍が着々と辺境へ進軍している証だった。
 村の子どもたちが見張り台から報告するたび、広場の空気は重くなる。

「千を超える軍勢だと……」
 アレンが剣を磨きながら低く呟く。
「これまでの戦とは比べものにならん。本来なら勝ち目はない。だが……俺たちは退けない」

 その声に、集まった村人たちは黙り込む。恐怖は確かにある。だがそれ以上に、守りたいものがあった。

 リディアは昼間、畑の端に立っていた。
 穂を膨らませた麦の列が風に揺れる。ほんの数か月前、この土地はただの荒廃した廃村にすぎなかった。
 それが今では、子どもが笑い、老人が歌い、火が絶えずともる場所になっている。

(絶対に奪わせない……)

 胸元のコンパスを握りしめる。光が針先に集まり、微かに脈打っているように見えた。

「祖母、どうか見ていて。私はもう逃げない」

 その夜。
 村の広場には全員が集められた。焚き火がいくつも焚かれ、炎に照らされた人々の顔には決意と不安が入り混じっていた。

 リディアは一歩前へ出る。
「皆さん。王都軍は迫っています。数は千。けれど、私たちは退くわけにはいきません。ここは私たちがやっと見つけた居場所です」

 ざわめきが広がるが、彼女は続ける。
「私たちは寄せ集めではありません。追放された者、傷ついた者、行き場を失った者――それぞれが力を持ち寄り、ここに国を築きました。だから、この戦は“ただの防衛”ではない。私たちの国の最初の戦いなのです!」

 その声に、カイルが短槍を掲げて叫んだ。
「僕は逃げない! ここで生きるって決めたんだ!」

 ミラが弟を抱きながら涙を浮かべて続ける。
「私も! 守りたい人がいるから!」

 アレンが剣を掲げ、力強く言い放つ。
「この村の主はリディア様だ! 俺はその剣として戦う!」

 炎に照らされた村人たちの声が一つになり、夜空を震わせた。

 一方その頃、王都。
 宮殿の一室でセリーヌはドレスの裾を握りしめ、王太子アルベルトの言葉を聞いていた。

「明日には辺境に大軍が到着する。あの女――リディアは終わりだ」

 アルベルトの笑みは冷酷そのものだった。
 セリーヌは微笑みを返しながらも、胸の奥で凍えるような予感に捕らわれていた。

(……姉さま。きっとただでは倒れない。むしろ――殿下をも飲み込んでしまうのでは……)

 嫉妬と恐怖がないまぜになり、彼女の心は静かに軋んでいた。

 夜明け前。
 リディアは廃屋の屋根に立ち、星の消えかけた空を仰いでいた。
 村のあちこちから準備の音が聞こえる。矢を削る音、鍬を打ち直す音、祈りの歌。

 東の空が白み始めた。街道の向こうからは、すでに地鳴りのような蹄の音が響きはじめている。

 リディアは深く息を吸い込み、コンパスを掲げた。
「これが……私たちの国の夜明けになる」

 冷たい風が吹き抜け、炎が揺れた。
 決戦の朝は、すぐそこまで迫っていた。