王都軍を退けてから数週間。
 村には静けさが戻っていたが、それは決して安堵ではなかった。むしろ、次に来る嵐を知っているからこそ、人々は一層懸命に働いていた。

 オルグを中心に畑はさらに広がり、穀物の穂が風に揺れる。カイルはアレンに鍛えられ、短槍を自在に扱うほどに成長していた。
 子どもたちは小さな見張り台に登って森を警戒し、女たちは布を織り、老人たちは歌を紡いで若者に勇気を与えた。

 リディアはその姿を見渡し、胸の奥で震えるような感覚を覚えていた。
 ――これはただの村ではない。
 人が集い、畑が広がり、互いを守るために役割を分け合う。これはすでに「国」と呼べる形に近づいている。

 夕暮れ、広場に人々を集めてリディアは語った。

「皆さん、私たちは王都から見れば“追放者”にすぎません。けれど、ここでこうして生きている。それは一人一人が力を尽くしているからです。だから……私は思います。この村はもう村ではない。私たちの“国”の始まりなのです」

 ざわめきが広がる。だがその目は恐れではなく、期待に揺れていた。

 アレンが立ち上がり、剣を高く掲げる。
「俺はリディア様に従う! この地を治める者は、王都の誰でもない。共に血を流したこの方だ!」

 カイルが声を張り上げ、子どもたちが拳を突き上げる。
 歓声は夜空を震わせ、辺境の村はついに「国」としての意識を芽生えさせた。

 一方その頃、王都。
 玉座の間で王太子アルベルトは怒りに震えていた。

「百の兵で足りぬなら、千を送ればよい。リディアを“辺境の反逆者”として討ち滅ぼすのだ!」

 将軍たちが跪き、進軍の準備を整える。
 セリーヌは隣で微笑みを浮かべながらも、心臓が凍りつくような恐怖を感じていた。

(リディア姉さま……どうしてあんなにも人を惹きつけるの……? 王都すら揺らしてしまうなんて……)

 彼女の胸には嫉妬と恐怖、そして言葉にできぬ劣等感が渦巻いていた。

 夜。
 リディアは廃屋の屋根に登り、星空を見上げていた。
 胸元のコンパスは淡い光を放ち、針は北を示している。

「祖母……もし生きていたら、きっと笑ってこう言うでしょうね。“あんたはもう侯爵家の娘じゃない。国を起こす者だ”って」

 微笑みながら呟いた声は、風にさらわれて夜空へ溶けていった。

 遠く、街道の向こうでかすかな土煙が上がっている。
 それはやがて、辺境に迫る大軍の影となるのだろう。

 リディアは目を閉じ、深く息を吸った。

「来るなら来なさい。私たちはもう逃げない。――この地を、私たちの国を守る」

 星々が瞬き、まるでその誓いを祝福するかのように輝いていた。