夕暮れ、西門を抜けて王都へ向かう街道に出た。
 荷車が列をなし、商人たちが荷を固めて進む。馬蹄が石を叩く音が、暮れなずむ空に乾いて響いた。

 俺たちの一行は、小さな商隊に紛れ込む形で道を進んでいた。俺とリクが警戒を担い、ルナとエリシアは荷車の影に身を寄せる。

「これから先は平野だが、茂みや林が多い。賊が出やすい道だ」とリク。
「賊だけならまだいい。問題は……影だ」

 俺はそう答え、掌を影に沈めていた。痣になった手の甲はまだじりじりと疼く。王都の影に触れた証。その痕跡は、まるで目印のように俺を狙わせる気がしてならなかった。

 夜半、最初の異変が訪れた。

 街道脇の林から、矢が一本飛んだ。商人の荷車の幌に突き立ち、悲鳴が上がる。

「待ち伏せだ!」

 リクが短剣を抜き、俺も影に沈んだ。闇に目を凝らすと、林の中に五人ほどの影が動く。普通の盗賊なら、これまでと同じように片付けられるはずだった。だが違った。

 林の奥から歩み出た一人。外套の胸に黒い印章を縫い込んでいる。三日月と十字を組み合わせた印——神殿印だ。

「……やはり来たか」

 声は落ち着き、響きに揺れがない。訓練された影術師だ。
 奴は指先をひらりと動かした。地面に落ちた松明の影が細く伸び、矢のように突き出す。
 俺は反射で影を張り合わせ、盾のように受け止めた。衝撃が腕に響く。

「影潜り。神殿はお前を“観測対象”と定めた。抵抗するな」

「観測対象? 無能と切り捨てておいて、今度は観測か……都合のいいことだな」

「人の意志などどうでもいい。我らが測るのは、神が残した秩序だ」

 言葉は冷たく、血の温度を持たない。

「ルナ、エリシアを守れ!」

 俺は影をつなぎ、林と街道を縫う。リクが先に飛び出し、一人の賊を短剣で仕留める。残りが散開し、商人たちを狙う。俺は影から飛び出し、拳で二人を殴り倒した。

 だが神殿印の男は揺るがない。
 奴の影が地面に広がり、まるで網のように俺の影を捕らえにかかる。

「影は神の言葉だ。勝手に弄ぶことは許されない」

 張り付く影の網に足を取られ、膝が沈む。血が逆流するような感覚。網に触れた部分から、力を吸われていく。

「ちっ……!」

 リクが駆け寄ろうとするが、別の賊に阻まれる。ルナが影から石を投げるが、神殿印は影を壁にして弾いた。

 このままでは——。

 俺は痣のある手を影に沈めた。あの時、王都の影が噛みついた跡。
 そこに意識を集中すると、黒い川がざわめいた。網の目が逆に震え、裂け目が走る。

「……ッ、何をした!?」

 初めて神殿印の声が揺れた。
 俺は裂け目から身を抜き、逆に奴の影を縫い合わせる。網を閉じるのではなく、網の目を互い違いに重ね、絡め取る。

「影は布でもあり、糸でもある。縫うことも、ほどくこともできる」

 奴の動きが止まる。影の網が足元に絡みつき、逆に奴を縛った。

 リクが最後の賊を倒し、ルナが駆け寄る。エリシアは蒼白になりながらも立っていた。

「大丈夫?」

「ああ。……だが」

 俺は縛り付けられた神殿印を睨む。奴はなおも余裕を崩さない。

「今日の目的は、お前を殺すことではない。観測だ。——影潜り、お前は確かに“逸脱”した」

「逸脱……?」

「神に無能と断じられた者が、影を縫うなどあり得ぬこと。……やはりお前は“例外”だ。王都は喜ぶだろう」

 ぞっとする言葉を残し、奴は影に沈んで姿を消した。縛りを施したはずなのに——縫い目ごと焼き切られたように。

 戦いの後。
 商人たちは恐怖に顔を青くしながらも、俺たちに感謝を告げた。だが俺の胸には不安が残る。

 神殿は、俺を“例外”と呼んだ。
 無能と切り捨てたのは神か、人か。
 いずれにせよ、俺は望まぬ形で注目を浴びている。

「おじさん……こわい顔してる」

 ルナが袖を引いた。
 俺は笑みを作り、頭を撫でる。

「大丈夫だ。……影はまだ、俺の味方だ」

 痣に触れると、影が低く唸った。
 救済か、呪いか。どちらでもいい。
 俺はこの力で、守る。そう決めた。

 王都まで、あと三日の道のり。
 影の旅は、ますます深みに入ろうとしていた。