大広間のシャンデリアは、まるで星空を切り取ったように輝いていた。貴族たちが着飾って集う夜会の場。王太子殿下の誕生を祝う舞踏会は、きらびやかな笑い声と音楽に満ちていた。
 けれど、その中心で告げられた言葉は、あまりに冷酷だった。

「――リリアーナ・フォン・グレイス。お前との婚約を破棄する!」

 音楽が止まり、笑い声が凍りついた。
 わたくしは一瞬、息が止まるような錯覚を覚えた。けれど次の瞬間には、にこりと口元を整える。

「……まあ。殿下、そのような重大なことを、この場で?」

「当然だ! お前の悪行は、もはや見過ごせぬ。舞踏会で他の令嬢を侮辱したこと、薬草ばかりにかまけて淑女の務めを怠ったこと、数え上げればきりがない!」

 ざわめきが広間を満たす。誰かが扇子で口を隠し、誰かが面白がるように視線を向ける。
 わたくしは、静かに胸に手を置いた。

「薬草を学ぶことが、悪行だと?」

「そうだ! 王太子妃となるべき者が、泥にまみれて草を摘み、平民の真似事をしてどうする! お前のような女は、王家にふさわしくない!」

 殿下の背後に立つのは、栗毛の髪を揺らす侯爵令嬢セレスティア。
 ――ああ、そういうこと。
 殿下が誰に心奪われているのか、これで誰の目にも明らかになった。

「……承知いたしました」

 わたくしは、ゆっくりと腰を折って一礼した。
 広間がどよめく。反論も、抗議も、涙も見せぬわたくしの態度に、人々は驚いたらしい。

「ちょ、ちょっと待て! なぜ何も言わぬ!」

「殿下のご決断ならば、従うのみ。――ですが」

 顔を上げ、真っ直ぐに殿下を見据える。
 その眼差しの奥に、笑みをひそめた。

「薬草は人を救います。いずれ殿下も、その意味を知る時が参りましょう」

 広間がざわめきに包まれる。殿下の顔が怒りに染まったが、もうどうでもよかった。
 わたくしはただ、自由の風を感じていた。

 数日後。
 追放処分を言い渡されたわたくしは、馬車に揺られて辺境の地へと向かっていた。

 窓の外には、果てしなく広がる荒れ地。雑草もまばらで、農作物が育つとは思えない。村々はひどく痩せ、子どもたちは栄養失調で顔色が悪い。
 けれどわたくしは、胸の奥で小さな期待が芽吹いていた。

「……ようやく、自分の薬草園が作れる」

 誰にも邪魔されず、自由に研究できる環境。
 王都では「泥臭い」と嘲笑され、父母からも見向きされなかった薬草学。けれど、わたくしにとっては人生そのものだった。

 辺境の領主館――といっても、瓦屋根の落ちかけた粗末な館だ。出迎えたのは、壮年の執事ひとり。

「リリアーナ様、ようこそお越しくださいました。……正直に申し上げます。この地は貧しい。人も病に苦しみ、医者も薬もありません」

「ふふ……でしたら、私の出番ですわね」

 わたくしは荷車から、革の鞄を抱え下ろす。その中には、乾燥させた薬草、調合器具、そして膨大なノートが詰まっている。
 王都では誰も見向きもしなかった宝物。

「さあ――この荒れ地を、薬草園に変えてみせます」

 最初の一週間。
 わたくしは村を歩き、子どもたちや病人の症状を調べ、必要な薬草を土に植えていった。

「この葉は熱冷ましに……こちらの根は咳止めに。あら、君は栄養不足ね。干した野菜と一緒に煎じて飲むといいわ」

「お、お嬢様……本当に、こんな草で病が治るんですか……?」

「ええ。草は草でも、神の与えた贈り物。正しく使えば、人の命を救いますわ」

 村人の目に、わずかな光が宿る。
 その瞬間、わたくしは確信した。――この地でなら、きっと薬草学は役立つ。

 そして二ヶ月後。
 小さな薬草園には緑が芽吹き、村人たちの頬には血色が戻り始めていた。

 だが。

「リリアーナ様! 大変です! 隣国から疫病が……!」

 駆け込んできた使者の声に、館がざわめく。
 胸が高鳴る。恐怖ではない。

「……いよいよ、私の知識を国のために役立てる時が来たのですわね」

 わたくしは薬草園を振り返り、拳を握った。
 婚約破棄? 追放? ――むしろ好機。
 これからが、本当の第二の人生。