七月三十日。朝の空は、洗い立ての白いTシャツみたいに薄く明るいのに、教室の空気は昼前から妙に重かった。湿度のせいだけではない。掲示板の前では、何人かが模試の結果をのぞき込み、ため息と安堵が同時に漏れる。紙の端が、風もないのにかすかに揺れている。私は近づかない。背伸びもしない。視線だけを伸ばして、名前の列のなかに蓮の二文字を探す――あった。黒いインクの簡潔な形。点数でも偏差値でもないそれが、胸のどこかで金具みたいに「かち」と鳴った。存在の証明。紙の上の二文字だけでも、人は今日を持ち直せる。

 昼休み、クラスの後ろの黒板には「屋台の巡り方」と書かれたチョークの字が現れ、その下に手書きのマップが生まれていた。入口から左に曲がって、焼きそば→冷やしパイン→かき氷→金魚すくい→射的。矢印の先に「推し!」と丸が付いている。書いたのは男子二人で、やたらと真剣な顔をしている。みんな笑って、適当にツッコミを入れる。私はノートの余白に小さく、今日のための個人的な地図を作った。鳥居、参道、境内のベンチ、舞台、橋へ続く道。内側を歩く、横断歩道は走らない、帰宅連絡。小さなルールをマス目に置く。明日は境界。だから、今日は笑う日。自分にそう言い聞かせる。笑い方を忘れたときのために、口角の上げ方を鏡で一度だけ練習した。誰にも見られていないことを確かめてから。

 放課後の空は、うっすらと色味を増やし、赤味の手前で足踏みしている。家で制服のままではなく、普段着に着替えた。白い綿のワンピースに、紺の薄いカーディガン。浴衣はやめた。今日は走れる靴がいい。髪は高い位置でひとつに結び、母から借りた薄い金のピンをひとつだけ挿す。鏡に映る自分は、昨日より少しだけ軽い表情をしていた。バッグには、小さなボトルの水、ハンカチ、予備の絆創膏、携帯のライト。手帳の該当ページ――「7/31=境界」の欄に、鉛筆で点をもうひとつ。意識の位置を、今日から明日にまたぐための小さな支点。

 夕方、神社へ向かう道は、いつもより短かった。鳥居の赤が、まだ灯りの入っていない提灯を前に、夕方の光を掬っている。砂利の上を歩くと、足音はいつもより軽く跳ね、参道の両脇からは屋台の匂いが重なって波になってくる。焼きそばのソース、焼きとうもろこしの醤油、綿あめの甘さ、りんご飴の透明な糖、たこ焼きの青のり。どの匂いも、鼻の奥に別々の棚を持っていて、棚同士がぶつかる音まで聞こえそうだった。

「おーい!」と誰かが手を振る。蓮と瑠衣、それからクラスの男子女子二人ずつ。私たちは自然に合流し、まずはみんなでぐるぐると回った。金魚すくいの水面には小さな月の破片みたいな光が揺れていて、すくい網の紙は、最初から少しだけ弱っている。輪投げの屋台の前で、蓮が一歩前に出る。

「見とけよ」と言って、輪っかを握る手首を軽く回す。最初の一投は気持ちよく外れる。二投目も外れる。三投目、惜しくも外れる。「下手」と私が笑うと、蓮は口を尖らせて「見てろ」ともう一回。男子のひとりが「コツやで、コツ」と言い、誰かが「いや、運や」と肩を叩く。くだらない勝ち負けが、今ここに生があることの証明になる。五投目、輪っかは、棚の端の小さなピンに引っかかった。小さなぬいぐるみ――金魚の形の赤い布――が手のひらに乗る。蓮は照れくさそうにそれを私に渡して、「結果オーライ」と笑った。布の軽さが、掌の体温でゆっくり重さを増す。

 屋台を二、三巡したあと、瑠衣が私の耳元に顔を寄せ、小声で言った。「明日、気をつけて。なんか、今日の結衣見てたら、そう言いたくなった」

 勘の鋭さに、胸の奥の小さな鈴が鳴った。私は「ありがとう」とだけ返し、瑠衣の手をぎゅっと握る。握った指の骨が心地よく固くて、その固さに救われる。言葉にしなくても伝わる種類の合図が、確かにある。

 日が落ちると、提灯に灯が入る。赤い布越しに灯りは丸くやわらぎ、境内全体が薄い膜で包まれたみたいになる。舞台では太鼓が鳴り、音の粒が空気の層を通るたびに輪郭を少しずつ変える。人の流れはゆっくりで、時々ぶつかり、またほどける。蓮と二人きりになったのは、綿あめの列とりんご飴の列が交差した手前、参道の端っこだった。

「手、迷子になるな」と蓮が自然に言って、手を差し出す。私は何のためらいもなく、手を重ねた。掌と掌が触れる。皮膚の温度は、音より先に世界の輪郭を安定させる。親指の付け根の小さな筋肉が、相手の鼓動の代わりにゆっくり動いているのが分かる。私は呼吸を整え、笑う。笑い方はもう、鏡の練習を要らなかった。

 花火の試し打ちが、突然、空の端で上がる。短い光と、短い音。人々のざわめきが一瞬だけ揃い、すぐばらける。蓮が「明日は、もっとすごい」と言って笑う。私は「ね」と頷き、胸の中で、明日も一緒に見る、と固く念じる。念じる行為には体力が要るけれど、今日の私はそれを惜しまない。屋台の隅に空いた暗がりで、二人だけの写真を一枚撮った。去年と同じ構図――提灯が斜めに入って、私たちの肩が触れている。保存先のフォルダも、去年と同じ名前。でも、違うのは、画面に映る今の私の表情。痩せた頬に宿る光の位置が、去年とは違う場所にある。涙の影が作るへこみは薄くなり、かわりに口角の癖が新しい線を描いている。

「見せて」と蓮が言い、スマホを覗き込む。「ええやん。二人とも、去年よりちょっと大人」

「ちょっと、だけね」

「ちょっと、がちょうどええ」

 帰り道、橋のたもとで私たちは一度立ち止まった。明日はここで、願掛けをする約束。欄干には、去年見た「約束」の落書きがまだ残っている。指でなぞると、鉄の冷たさの奥に、ほんの少しだけ温かい気配がある。誰かの願いが、金属の薄い肌にまだ残っているみたいだ。橋の下を流れる川は暗くて、けれど暗いからこそ、遠くの灯りが細く伸びる。蓮が隣で、何も言わずに同じ文字をなぞった。二人の指の動きが、偶然同じ速さになる。

「明日、待ってる」と蓮が言い、私は「遅刻しないで」と笑う。会話は軽い。軽いのに、言葉の裏で「明日」が特別な密度を帯びていることを、二人とも知っている。軽さの下に、水脈みたいに濃い層がある。そこに触れないまま、私たちは分かれた。分かれることができるうちは、まだ大丈夫だ。

 家に帰る道では、内側を歩く。横断歩道の手前で一度止まり、青になってからも走らない。コンビニの角を曲がる前に、一度深呼吸。こういう小さな所作のひとつひとつが、今日の笑いを長持ちさせる。

 部屋に戻ると、窓の外の空は、黒一色ではなく、薄い紫が底に沈んでいる。風鈴は鳴らず、代わりに冷蔵庫の小さな唸りが夜の中心になる。机に座り、共通日記を開く。青い表紙は、夏の湿気を少し吸って、指先にぬるい。私はページの上に、最初の一行を書いた。「笑った」。それから、間を置かずにもう一度。「笑った」。書きながら、今日の場面が細かく立ち上がる。輪投げの外れる音。金魚の赤。りんご飴の硬い糖のひび。太鼓の皮の張り。蓮の横顔の、目尻。私は「笑った」を何度も書く。十回、十一回。数える必要はないのに、数える。数えると、体のどこかが落ち着く。

 インクの乾かない行のすぐ下に、文字が現れた。「笑ってる結衣が好き」。細いけれど、確かな筆圧。私は胸の中で軽く息を吸い、「笑わせてくれる蓮が好き」と返す。文字と文字の間に、見えない糸が渡される。糸は、祠のしめ縄の結び目に似た青で、強く結びすぎず、ほどけもしない。

 時計は二十三時五十九分を指している。秒針の音が、いつもより一回ぶん大きく聞こえた気がした。日付が変わる直前、ページの余白が微かにざわり、と揺れ、七月三十一日の文字が、紙の繊維に深く沈む。音はしないのに、たしかに「厚み」が増したのがわかる。境界が厚くなるときの音は、耳ではなく、胸骨の内側で聞こえる種類の音だ。私はページの縁に指を置き、その厚みを確かめる。境界は幅を持つ。幅の内側で、私は息をゆっくり浅くし、ひとつ、ふたつ、数える。昨日より、すこしだけ正確に。

 ベッドに潜る前に、明日の準備を再確認する。自転車の鍵。ライト。ヘルメット。手帳の「境界」の欄に、さらに小さな印――「明るい道/人の多いほう」。窓を少し開けると、遠くの祭りの残り香が夜風に混ざって入ってきた。甘いのに、どこか塩辛い、屋台の終わりの匂い。私は枕元の日記をもういちど撫で、「明日も」と小さく囁く。返事はない。ないけれど、紙の奥のどこかで、繊維同士がやわらかく擦れ合う気配がした。それは、約束が呼吸する音に似ていた。

 電気を消す。闇は均一ではなく、天井の角にだけ少しばかりの濃淡が残る。耳の奥で、鼓動が二つ重なる。私の、それから、どこか近くの、たぶん蓮の。姿は見えないけれど、速度は同じだ。私は胸に手を置き、目を閉じる。笑いの筋肉は、今日の分だけ良い具合に疲れている。疲れは眠りの入口に近い。私はそこに身を置き、境界の厚みの上にそっと背を預けた。

 ――笑った。笑うことは、今日を選び続けることだ。明日が境界だとしても、笑いの形は、境界の内側から外側へ、静かに滲む。滲むものは、いつだって強い。私はそう思いながら、眠りに落ちた。提灯の灯りの残像が、まぶたの裏で丸くほどけ、やがて消える。消えたあとに残る静けさが、明日へ渡るための、軽い橋になった。