日曜日。空はまだ朝の薄い青さを保っていて、風は明るい方向へだけやさしく吹いていた。私は台所の椅子に浅く腰をかけ、ゆっくり噛む。ご飯粒のひとつひとつが舌の上でほどけ、喉の奥に落ちるまでの秒を数える。ひとつ、ふたつ。昨日より、すこしだけ正確に。母は「遠出なら、水多めに持っていきなさい」と言って、冷蔵庫から小さな保冷材を二つ取り出した。透明の袋越しに冷たさを受け取り、バッグの底に沈める。蓮とは駅で待ち合わせ。午前中だけの短い遠出。市外の小さな動物園と古い博物館が隣り合ったレトロな施設へ行く。

 最寄り駅の改札の脇には、注意書きの紙がいくつも重なっている。いちばん新しい一枚の端に、赤いスタンプで「夏のイベント開催中」。インクは濡れてもいないのに艶っぽく見え、日付の横で小さく光る。蓮は時間ぴったりに現れて、「約束、守った」といつもの声で笑う。私は同じ角度で笑い返し、小指を一秒だけ絡めてから改札を抜けた。ホームの白線の内側、右寄り。線路に降りる風は薄く、遠くのトンネルの口の黒さが今日に限って丸い。

 二両編成の電車は、中途半端に古く、窓枠の金具が指のひらにひんやりした感触を残す。座席に腰を置くと、背中はちょうどよく吸いこまれ、車輪とレールの噛み合う規則が背骨に伝わる。すこしだけ眠そうな子どもを連れた家族、新聞を広げるおじいさん、日傘を畳んだ女性。車内はまばらで、会話のかけらが床に落ちては車輪の音に撫で消されていく。

「動物園、久しぶりやな」と蓮が窓の外を見た。「前来たの、いつやっけ」

「小学校の遠足。カピバラの名前、投票した」

「結衣、なににした?」

「“しゃぶしゃぶ”」

「なんでや」

「温泉に入ってる写真があって……湯気のイメージで」

「ほな、今日会うやつも、しゃぶしゃぶかもな」

 そんなやりとりの軽さが、朝の緊張の余白をひとつ埋める。駅をいくつか越えるごとに、見える家の屋根の色が少しずつ違って、電柱の間隔がまばらになっていく。電車が滑るように停まり、降りた小さな駅の改札口は木の香りをまだ覚えていた。外へ出る。夏草の匂いと、遠くの油の匂いが同じ風に混ざる。

 施設は、駅から坂を少し下った先にあった。入口の看板の文字は昔の書体で、角の丸さが妙にやさしい。入園口の手前に貼られたポスターには、小さな星のスタンプが何個も踊っている。「夏のイベント開催中」。けれど、園内は人がまばらだ。遠くで子どもが一人、風車をゆっくり回している。カン、カン、と鳴る打音は、誰の遊具にも結びつかないのに、夏の真ん中に正確に当たっていた。

 カピバラの囲いの前は、ちいさな柵で区切られていて、餌やりの葉が紙のコップに詰まれている。「指を入れないでね」と手書きの札。私たちは百円玉を二枚、古い機械に落とす。金属が落ちる音は短く、ドラム缶の底に触れて小さく反響する。蓮がコップから草をひとつつまみ、指先から慎重に差し出す。ふわり、と湿った鼻先が近づき、ゆっくりと草が消えていく。音はほとんどしない。歯のかすかな擦れる気配と、舌の温度が指先にだけ残る。

「……かわいい」と私が言うと、蓮は「おいしいんやろな」と同じ速さで返す。私は笑う。笑うと、さっきまで背中に薄くたまっていた硬さが、ゆっくり溶けていく。生き物に触れる実感は、理屈の前に心をほどく。この感覚だけで、今日はじゅうぶん来た価値があると思える。

 隣接する博物館は、空調の音が昔の時計の音みたいに低く響いていて、床の木のきしみが足の裏から耳へと移動する。特設の地方民話展。壁のパネルに、見覚えのある題があった。「境界の民話」。けれど記されている文句は、別のいいまわしになっている。〈約束は、過去と未来の両方に効く薬〉〈薬は効きすぎると副作用を呼ぶ〉。私はメモ帳を開いて、その二文を写した。文字にすると、意味の角が可視化される。角は鋭すぎず、曖昧すぎず、今日の私の喉を通りやすい形で立っている。

「こっちは古いカメラやって」と蓮が声を小さく弾ませる。ガラスケースの中で、黒い箱のような機械が前列後列と並ぶ。蛇腹、金属のつまみ、小さなレンズ。「このシャッターの音、絶対いいやつ」と蓮は笑い、私が移動するのを待つあいだ、説明書きの図を指でなぞっていた。指先の速度は、私が昨日まで「止まる」を多めにして身体に馴染ませた速度と少し似ている。

 昼は芝生の広場で弁当を広げた。母の卵焼き、昨日の唐揚げの残りを甘酢にさっとくぐらせたもの、胡瓜の浅漬け、私の握ったおにぎり。梅と昆布。日差しは強すぎず、風は紙ナプキンをほどよい角度で持ち上げて、また落とす。遠くで小さな機械の唸りが聞こえる。たぶん噴水のポンプ。

「写真、何選ぶ?」蓮が口をもぐもぐさせながら訊く。

「海の夕日と、昨日の雨上がり。それと――橋の『約束』」

「欄干の文字のやつ?」

「うん。あの角度、今年のわたしたちの目線だから」

「いいね。文字って、写真に写ると急に“物”になるよな」

 言われてみればそうだ。言葉は空気を媒介にして人から人へ運ばれるものだと思っていたけれど、写されることで物質の側に引っ張られ、触れるものへと変わる。欄干の鉄に刻まれた「約束」。画面に収まったそれは、時間を並べて比較できる形で、私たちに返ってくる。去年の「約束」、今年の「約束」。同じ文字なのに、別の物。私は頷き、手帳の余白に「言葉→物(写真)」と短く書いた。

 帰りの電車。座席はさっきより人が増え、向かいの席で幼児が母親の膝で眠っている。小さな胸が規則正しく上下し、ときどき喉が小さな音を立てる。母親の手は、子の背中を一定のリズムで撫でている。そのリズムを見ているだけで、胸の痛みが薄まるのを感じる。世界は、守られてもいる。守られていない場所ばかりを見てしまう癖に、守られている場面は気づかないとすぐ通り過ぎる。私はその小さな上下を二十まで数え、呼吸の間に身を任せる。

 駅に着いて改札を抜けると、掲示板にテカテカの新しいポスターが貼られていた。色の青がまだ乾いていないみたいに鮮やかだ。「海辺の灯籠流し 8/15」。盆の行事。次の“境界”の合図が、視界の中心を射抜く。紙の角度がわずかに斜めで、誰かが急いで貼った気配が残っている。

「行ってみる?」と蓮が無邪気に言う。私は一瞬、言葉を失う。灯り――水――夜――人の流れ。胸の奥で短い針が同時に二本、わずかに跳ねた。けれど、私は頷く。「行こう。灯り、きれいだと思う」

 怖れに名前を与えると、少しだけ飼いならせる。そう教えてくれたのは、この夏の出来事の全部だ。私はポスターの片隅に小さく記された「雨天決行・荒天中止」を目に入れてから、歩き出した。

 夕方、別れ際の交差点。青信号の点滅が始まっても走らず、私は横断歩道の手前で立ち止まった。蓮が横顔のまま言う。「結衣。来年の夏も、一緒に仕事して貯めて、また海行こう」

 “来年”を今、具体にする。行く先と手段を同時に言い切ることで、未来は現在形に近づく。私は頷き、「うん。言葉にしてくれてありがとう」と返した。言葉は、言われるまで現れない。現れてから、どこに置くかを選べる。置き場所は、来年の海の近くにしようと思う。

 家に戻り、窓を少しだけ開ける。午後の熱がまだ薄く残っている。机に座って共通日記を開いた。いつもの行の高さに、いつもの角度でペン先を置く。私はページの上に、灯籠の絵を描く。四角い紙の薄さ、蝋燭の炎、川面の流れ。紙の上では水が濡れない。けれど、絵を描くと、ページが少し温度を持つ気がする。描くという行為の体温が紙に移って、指の腹で触れると微かな違いが分かる。

 絵の隣に「8/15」と自分で書き込み、「願い=“無事に帰る”」と添える。鉛筆の芯が紙を軽く掴む感触。数秒後、ページの下から文字が浮かびあがる。これまでより少しだけ角ばった、強気な線。「任せろ」。頼れる声が、紙の向こうから届く。私は息をひとつ長く吐き、「お願い」と小さく書き足した。任せる、という言葉は、依存とは違う。任せるために準備する。準備のひとつひとつが、祈りの骨組みになる。

 ふと、昼の博物館で写した文を思い出す。〈約束は、過去と未来の両方に効く薬〉。薬は効く。効きすぎれば副作用がある。だから、用量は自分で測る。今夜の私は、用量の単位を「止まる」にする。止まる回数。振り返る秒。右側、内側、明るい道。私は手帳に小さく丸を並べ、明日の段取りを静かに組み立てていく。

 スマホが震いた。瑠衣からのメッセージ。「8/15、わたしも行く。三人で行こうよ」――心強い。けれど、すこし怖い。三人の動きは複雑になる。守るべき“今”がひとつ増える。私は「行こう」と返し、アラームを二つセットした。「行き」の時間と、「帰り」を始める時間。アラームは未来の私に短い合図を送る器具で、過去の私が背中にそっと触れる仕組みでもある。今日の願いは、明日の段取りに変換されていく。祈りは、準備で強くなる。

 ベッドに横になり、目を閉じる。まぶたの裏に川面が現れ、流れに沿って小さな灯りがいくつもいくつも漂う。灯籠は、それぞれの名前を内側に隠している。名前は声にしなくても、灯りの重さとして水に伝わる。重さは軽い。軽いのに、沈まない。私はその並びを目で追いながら、呼吸を数える。ひとつ、ふたつ。昨日より、すこしだけ正確に。指先に、祠のしめ縄の結び目――あの青い糸――の手触りを思い出す。強く結びすぎない、けれどほどけない、ちょうどよさ。

 眠りの縁で、今日をもう一度、低い声で読み返す。改札の赤いスタンプ、カピバラの湿った鼻先、草の消える速度、ガラスケースの古いカメラ、民話展の二文、芝生の卵焼き、欄干の「約束」の物化、眠る幼児の胸の上下、ポスターの青、「行こう」と言った自分の声、交差点の横顔、来年の海、紙の上の灯籠、任せろ、瑠衣のメッセージ、アラームの時間。読み終えると、ページはゆっくり閉じた。音はしない。閉じたという事実だけが、部屋の温度を半度下げ、胸の中心に小さな余白を作る。

 その余白に、願いをひとつ置く。――来年の夏も、一緒に。働いて、貯めて、海へ。灯籠の灯りは、水面の皺をひとつひとつ縫い合わせて、暗い水をやさしく束ねていく。束ねられた水は、夜の冷たさをほんの少しだけ失い、触れる指を拒まない。世界は相変わらず揺れているし、ひずみはどこかで生まれ続ける。それでも、重ねた願いは厚みを持ち、厚みは橋になる。橋には、もう誰の落書きもいらない。ただ、渡るときの静かな靴音だけが、次の頁の前で合図になる。

 私はその橋の手前で立ち止まり、いま一度、今日の合図を胸に並べ直す。右側。内側。明るい道。数える。止まる。ありがとうを増やす。ごめんを減らす。任せるための準備を怠らない。頁は、肺の奥の薄い膜の上で静かに温まり、やがて眠りが来る。秒針は進む。風鈴は鳴らない。鳴らない静けさの中で、私は確かに願った。来年の夏も、一緒に。そうして、ゆっくり、その願いを抱えたまま、眠りへ沈んでいった。