朝のSHR、担任は出欠を確かめ終えると、黒板の前で一拍だけ背筋を伸ばした。「連絡。通学路の工事、今日から迂回路です。川沿いは通れません。安全のために校門前の交差点から商店街を回ってください」
川沿い――胸の奥で小さな輪がきゅっと縮む。昨日、私が「安全の道」と名づけて、自転車で辿った道。鳥居の赤へ、橋へ、明るい道へ。あれが封じられる偶然。世界のほうが、こちらを見て先回りするみたいな手つきで道に赤いバツ印を置いた。「ひずみは別の場所で起こる」。昨夜、民俗学の頁で見た行が、黒板のチョークよりも白く胸に浮かんだ。
チャイムが鳴る前、私はノートの端に小さく「右側/内側/明るい道」と書き、鉛筆の腹でそっと消した。消すと、紙の繊維だけがわずかに光って残る。残った痕は、ルールが身体に移った印のようで、少し救われる。
一限が終わって廊下に出たとき、瑠衣が歩幅を合わせてきた。ポニーテールが左右に小さく揺れる。
「ねえ。昨日さ、帰りに救急車多かったらしいよ」
背に冷えが走る。「どこで?」
「花火会場の反対側。駅前のバス通り。軽いのばっかって聞いたけど」
「そっか……」
胸の中で「ほっとした」が、「ごめん」に変わる。言葉は同じ場所から出てくるのに、湿度だけが別物になる。私たちが逸らした流れが、別の誰かの上に降りかかったかもしれないという想像。想像は、石みたいに重いときと、霧みたいに軽く見せかけて奥で重くなるときがある。今朝のそれは後者だ。私は壁に手の甲を軽く当て、冷たい感触で呼吸の出口を確かめる。
「結衣?」瑠衣が顔を覗き込む。「顔色、またよくなくなった」
「平気。……ありがとう」
ありがとう、は便利な言葉だ。ひとまず今の位置を正しく示す印になる。「また昼に」と瑠衣が離れていく。私は廊下の窓から外を見た。校庭の砂は、風に薄く撫でられて、まだ誰の足跡も持っていない。世界はいつも通りに見える。見えるけれど、耳の奥では昨日から続く小さな軋みが止まらない。
放課後、私はひとりで神社へ向かった。商店街の角を曲がるたび、店の奥から漂う匂いが短い帯で外へ伸びてきて、足首を撫でる。コロッケ、洗い立ての布、古い本の紙。鳥居の赤は、午後の光をすこし薄めにまとい、参道の砂利は靴底の下で乾いた音を繰り返す。境内の端、祠の前。昨日も見上げた「時戻しの木」の肌は、今日の風の粒を吸いこんで、灰色の中に青みをひと匙増したように見えた。
祠の賽銭箱の横に、小さな紙片が折りたたまれて置かれている。人の気配はない。拾い上げると、指の腹に砂の薄い膜が移った。紙を開く。汚れた鉛筆の字。〈明日、無事に帰れますように〉。日付は昨夜。花火の夜。
指先が、勝手に震える。知らない誰かの文字の角度。私の胸の中に、見知らぬ扉がひとつ、音もなく開く。「私だけ、守られてごめんなさい」――声にならない声で祠に手を合わせた。ごめんなさい、と言うと、空気のほうが先に頭を下げたみたいに、風がひとつ弱くなった。祠のしめ縄の結び目は、光の加減でやはり青い糸のように見える。昨日は確かに温度を持っていた紙の上の「守った」の二文字。それに救われた自分の軽さが、今は刃の裏面みたいに冷たく感じられた。
帰路、橋の上で立ち止まる。欄干に刻まれた「約束」の文字。昨日、指でなぞったときは鉄の下に体温の残り火があった。今日は冷たい。同じ金属なのに、同じ指なのに、結び目の手触りが違う。温度の反転が、胸の奥の罪悪を輪郭化する。輪郭ができると、扱える。扱えるものには名前が要る。けれど、今日はまだ、ふさわしい名前が喉まで上がってこない。
暮れは早い。家に着くと、リビングで父がニュースを見ていた。テロップは短く、声はいつもより軽い。「昨夜、イベント会場近くで軽い接触事故。大きな怪我はなし」
胸の底が、わずかに温くなる。温くなったところで、別の箇所が冷える。ニュースにならない小さな擦り傷。帰宅してからずっと手すりを握りしめて眠れなかった誰か。あの赤い点滅を見た肩の緊張。統計にならない痛みは、世界の床下に降り積もる。床下が静かだからといって、何もないわけではない。
自室に戻り、共通日記を開く。白紙のページの真ん中に、薄い「ごめん」の字が浮かんでは消える。息をのむ。私の字ではない。今日の私の喉から出たはずの言葉が、先に紙の向こうに沈んで、その亡霊がこちらに滲んでいるみたいだ。慌ててペンを取る。けれど、何を書けばいいのか分からない。謝るという行為は、誰に、何に対してなのかで意味が変わる。祠の紙に書いた誰か? 昨日すれ違った無数の肩? 未来の私? 言葉が定まらない。やがて、ゆっくり「ありがとう」と書く。ありがとう、と書くと、胸の中のいくつかの場所でバランスが動き、傾きの角度がゆるまる。ページを閉じた。閉じる音はしない。静かに閉じたという事実だけが、部屋の温度を半度下げた。
その夜は、いつもより早く眠った。眠りのふちに指先が触れた瞬間、耳の奥で紙をめくる音がした。枕元の共通日記は閉じたまま。電気をつけると、何も動いていない。消すと、また音がする。恐怖は紙の端にすべり落ち、かわりに「読まれている/読んでいる」という双方向の感触が勝った。ページは向こうからこちらを読み、こちらも向こうを読む。読み合うことは、境界の幅の中央で目を合わせる作法だ。
翌日、午前の授業はいくつかの板書で過ぎ、休み時間の会話はふわふわと上澄みを行き来した。昼前、校内放送で「川沿いの迂回は継続。下校時は安全に」と再度アナウンスが流れる。世界のリズムは、時々、擬音語のないところでズレる。
放課後、私は蓮と公園で会った。ベンチは日陰を具合よく供給していて、周りの遊具は幼い子どもで賑やかだ。鳩は二羽、芝生の色に飽き飽きしたように歩き、ベビーカーの影と影の間に風が薄く通る。蓮は足元の小石を指で弾き、短い弧を描かせて砂の上に落とした。
「結衣、なんか、背負いすぎ」蓮は笑う。笑う、と言いながら、目はよく見ている。「首、固い」
「“もしも”を考えすぎて、息が浅くなる」正直に吐く。吐くと、体のどこかの蓋が一枚、内側から外れる。
「じゃあ、深呼吸」と蓮。「今を数える」
「今を、数える?」
蓮は立ち上がって、遊具の上の低い台にするりと乗る。少し高い場所から見える景色を、指で順に刺し示す。「車、三台。鳩、二羽。赤い帽子の人、ひとり。すべり台の階段で、靴ひも結び直してる子、ひとり。風で回ってる風車、三つ。雲、薄いのが……二、いや三。ほら、今だけを数える。未来は後で」
私は頷き、彼の声のテンポに合わせて呼吸を整える。数える間、胸がきちんと上下する。数え終えると、首の後ろのこわばりが少しゆるむ。「今を数える」を手帳に書く。小さな字で、ページの下のほうに。罪悪感の穴に、「数える」という詰め木を押し当てる。完全に塞ぐことはできなくても、深さを測る基準になる。
「代償、ってさ」私は言う。昨日の頁の、鉛筆の「代償=?」が喉に残っている。「もし、あったとして、私たちは、それを見つける責任があるのかな」
「“ある”って決めると、しんどいな」と蓮は正直に言った。「でも、“ない”って言い切るのも違う気がする。……今は、“あるかもしれない”にしとく? で、見つけたら、その都度、ちゃんと向き合う」
「その都度、ちゃんと」
「うん。数えるみたいにな」
夕暮れ、別れて駅へ向かう。ホームのアナウンスが乱れる。別路線で信号トラブル――列車の遅延。時間のリズムがまたずれる。スピーカーの音は空気に拡散する前にいったんくしゃっと潰れて、それから薄まって耳に届く。私はバッグの中の共通日記の端に親指を当てる。厚みを確かめる。ホームを渡る風は、さっきの公園より少し乾いていて、髪を一度だけ後ろへ撫で、すぐにいなくなる。目を閉じる。「私だけじゃない。世界全体が、少しずつ揺れている」。揺れは誰かのせいでも、ひとつの選択のせいでもない。たぶん、たくさんの小さな選択の重なりが、時間の表面に波紋を作る。私たちは、その波の上で足場を選び続ける。
夜。部屋に戻ると、窓の外の夏は、別人のふりをして同じ顔をしていた。風鈴は鳴らず、代わりに冷蔵庫の唸りが音の序列を整える。ベッドに横になり、天井の角をぼんやり眺める。昨日感じた「他方にずれる痛み」への無力感が、眠りの縁で戻ってくる。目を閉じるだけでは、うまく離れていってくれない。私は、声に出して名づける。
「これは、“罪”じゃない。選んだ結果の“責任”」
言い換えは小手先ではない。言葉を替えることは、感じ方の土台を替える作業だ。土台が替われば、同じ重さでも、沈み方が違う。私はその新しい土台に体を寝かせ直し、枕の位置を指先で少しだけ調整する。右側、内側、明るい道――今日、何度も自分に言い聞かせた小さなルールを、息の数に合わせて並べ直す。ひとつ、ふたつ。昨日より、すこしだけ正確に。
机の上の共通日記は閉じたまま、なのに、ページの繊維の奥で「ありがとう」が薄く呼吸しているのがわかる。祠の紙に書いた「明日、無事に帰れますように」。私が知らずに誰かと並んだ「明日」。昨日、世界が逸れた音。今日、世界がまた別の方向へ微かに傾いた気配。すべては私ひとりの功績でも、私ひとりの過失でもない。けれど、私の手の届く範囲だけは、ちゃんと選ぶ。選んだことの責任は、今日の眠りの材質を変える。柔らかいほうへ、ほんの少し。
まぶたの裏で、風車が三つ回る。鳩が二羽、砂を踏む。赤い帽子の人がひとり、去っていく。数え終えると、胸の中で薄くページがめくられ、「守った」が遠くから一度だけ光る。光は大きくない。小さいけれど確かで――その小ささのまま、私を温めた。私はその温度を胸の真ん中に置き、眠りへと滑り込んだ。秒針は進む。風鈴は鳴らない。鳴らない静けさが、今夜の正確な輪郭だった。
川沿い――胸の奥で小さな輪がきゅっと縮む。昨日、私が「安全の道」と名づけて、自転車で辿った道。鳥居の赤へ、橋へ、明るい道へ。あれが封じられる偶然。世界のほうが、こちらを見て先回りするみたいな手つきで道に赤いバツ印を置いた。「ひずみは別の場所で起こる」。昨夜、民俗学の頁で見た行が、黒板のチョークよりも白く胸に浮かんだ。
チャイムが鳴る前、私はノートの端に小さく「右側/内側/明るい道」と書き、鉛筆の腹でそっと消した。消すと、紙の繊維だけがわずかに光って残る。残った痕は、ルールが身体に移った印のようで、少し救われる。
一限が終わって廊下に出たとき、瑠衣が歩幅を合わせてきた。ポニーテールが左右に小さく揺れる。
「ねえ。昨日さ、帰りに救急車多かったらしいよ」
背に冷えが走る。「どこで?」
「花火会場の反対側。駅前のバス通り。軽いのばっかって聞いたけど」
「そっか……」
胸の中で「ほっとした」が、「ごめん」に変わる。言葉は同じ場所から出てくるのに、湿度だけが別物になる。私たちが逸らした流れが、別の誰かの上に降りかかったかもしれないという想像。想像は、石みたいに重いときと、霧みたいに軽く見せかけて奥で重くなるときがある。今朝のそれは後者だ。私は壁に手の甲を軽く当て、冷たい感触で呼吸の出口を確かめる。
「結衣?」瑠衣が顔を覗き込む。「顔色、またよくなくなった」
「平気。……ありがとう」
ありがとう、は便利な言葉だ。ひとまず今の位置を正しく示す印になる。「また昼に」と瑠衣が離れていく。私は廊下の窓から外を見た。校庭の砂は、風に薄く撫でられて、まだ誰の足跡も持っていない。世界はいつも通りに見える。見えるけれど、耳の奥では昨日から続く小さな軋みが止まらない。
放課後、私はひとりで神社へ向かった。商店街の角を曲がるたび、店の奥から漂う匂いが短い帯で外へ伸びてきて、足首を撫でる。コロッケ、洗い立ての布、古い本の紙。鳥居の赤は、午後の光をすこし薄めにまとい、参道の砂利は靴底の下で乾いた音を繰り返す。境内の端、祠の前。昨日も見上げた「時戻しの木」の肌は、今日の風の粒を吸いこんで、灰色の中に青みをひと匙増したように見えた。
祠の賽銭箱の横に、小さな紙片が折りたたまれて置かれている。人の気配はない。拾い上げると、指の腹に砂の薄い膜が移った。紙を開く。汚れた鉛筆の字。〈明日、無事に帰れますように〉。日付は昨夜。花火の夜。
指先が、勝手に震える。知らない誰かの文字の角度。私の胸の中に、見知らぬ扉がひとつ、音もなく開く。「私だけ、守られてごめんなさい」――声にならない声で祠に手を合わせた。ごめんなさい、と言うと、空気のほうが先に頭を下げたみたいに、風がひとつ弱くなった。祠のしめ縄の結び目は、光の加減でやはり青い糸のように見える。昨日は確かに温度を持っていた紙の上の「守った」の二文字。それに救われた自分の軽さが、今は刃の裏面みたいに冷たく感じられた。
帰路、橋の上で立ち止まる。欄干に刻まれた「約束」の文字。昨日、指でなぞったときは鉄の下に体温の残り火があった。今日は冷たい。同じ金属なのに、同じ指なのに、結び目の手触りが違う。温度の反転が、胸の奥の罪悪を輪郭化する。輪郭ができると、扱える。扱えるものには名前が要る。けれど、今日はまだ、ふさわしい名前が喉まで上がってこない。
暮れは早い。家に着くと、リビングで父がニュースを見ていた。テロップは短く、声はいつもより軽い。「昨夜、イベント会場近くで軽い接触事故。大きな怪我はなし」
胸の底が、わずかに温くなる。温くなったところで、別の箇所が冷える。ニュースにならない小さな擦り傷。帰宅してからずっと手すりを握りしめて眠れなかった誰か。あの赤い点滅を見た肩の緊張。統計にならない痛みは、世界の床下に降り積もる。床下が静かだからといって、何もないわけではない。
自室に戻り、共通日記を開く。白紙のページの真ん中に、薄い「ごめん」の字が浮かんでは消える。息をのむ。私の字ではない。今日の私の喉から出たはずの言葉が、先に紙の向こうに沈んで、その亡霊がこちらに滲んでいるみたいだ。慌ててペンを取る。けれど、何を書けばいいのか分からない。謝るという行為は、誰に、何に対してなのかで意味が変わる。祠の紙に書いた誰か? 昨日すれ違った無数の肩? 未来の私? 言葉が定まらない。やがて、ゆっくり「ありがとう」と書く。ありがとう、と書くと、胸の中のいくつかの場所でバランスが動き、傾きの角度がゆるまる。ページを閉じた。閉じる音はしない。静かに閉じたという事実だけが、部屋の温度を半度下げた。
その夜は、いつもより早く眠った。眠りのふちに指先が触れた瞬間、耳の奥で紙をめくる音がした。枕元の共通日記は閉じたまま。電気をつけると、何も動いていない。消すと、また音がする。恐怖は紙の端にすべり落ち、かわりに「読まれている/読んでいる」という双方向の感触が勝った。ページは向こうからこちらを読み、こちらも向こうを読む。読み合うことは、境界の幅の中央で目を合わせる作法だ。
翌日、午前の授業はいくつかの板書で過ぎ、休み時間の会話はふわふわと上澄みを行き来した。昼前、校内放送で「川沿いの迂回は継続。下校時は安全に」と再度アナウンスが流れる。世界のリズムは、時々、擬音語のないところでズレる。
放課後、私は蓮と公園で会った。ベンチは日陰を具合よく供給していて、周りの遊具は幼い子どもで賑やかだ。鳩は二羽、芝生の色に飽き飽きしたように歩き、ベビーカーの影と影の間に風が薄く通る。蓮は足元の小石を指で弾き、短い弧を描かせて砂の上に落とした。
「結衣、なんか、背負いすぎ」蓮は笑う。笑う、と言いながら、目はよく見ている。「首、固い」
「“もしも”を考えすぎて、息が浅くなる」正直に吐く。吐くと、体のどこかの蓋が一枚、内側から外れる。
「じゃあ、深呼吸」と蓮。「今を数える」
「今を、数える?」
蓮は立ち上がって、遊具の上の低い台にするりと乗る。少し高い場所から見える景色を、指で順に刺し示す。「車、三台。鳩、二羽。赤い帽子の人、ひとり。すべり台の階段で、靴ひも結び直してる子、ひとり。風で回ってる風車、三つ。雲、薄いのが……二、いや三。ほら、今だけを数える。未来は後で」
私は頷き、彼の声のテンポに合わせて呼吸を整える。数える間、胸がきちんと上下する。数え終えると、首の後ろのこわばりが少しゆるむ。「今を数える」を手帳に書く。小さな字で、ページの下のほうに。罪悪感の穴に、「数える」という詰め木を押し当てる。完全に塞ぐことはできなくても、深さを測る基準になる。
「代償、ってさ」私は言う。昨日の頁の、鉛筆の「代償=?」が喉に残っている。「もし、あったとして、私たちは、それを見つける責任があるのかな」
「“ある”って決めると、しんどいな」と蓮は正直に言った。「でも、“ない”って言い切るのも違う気がする。……今は、“あるかもしれない”にしとく? で、見つけたら、その都度、ちゃんと向き合う」
「その都度、ちゃんと」
「うん。数えるみたいにな」
夕暮れ、別れて駅へ向かう。ホームのアナウンスが乱れる。別路線で信号トラブル――列車の遅延。時間のリズムがまたずれる。スピーカーの音は空気に拡散する前にいったんくしゃっと潰れて、それから薄まって耳に届く。私はバッグの中の共通日記の端に親指を当てる。厚みを確かめる。ホームを渡る風は、さっきの公園より少し乾いていて、髪を一度だけ後ろへ撫で、すぐにいなくなる。目を閉じる。「私だけじゃない。世界全体が、少しずつ揺れている」。揺れは誰かのせいでも、ひとつの選択のせいでもない。たぶん、たくさんの小さな選択の重なりが、時間の表面に波紋を作る。私たちは、その波の上で足場を選び続ける。
夜。部屋に戻ると、窓の外の夏は、別人のふりをして同じ顔をしていた。風鈴は鳴らず、代わりに冷蔵庫の唸りが音の序列を整える。ベッドに横になり、天井の角をぼんやり眺める。昨日感じた「他方にずれる痛み」への無力感が、眠りの縁で戻ってくる。目を閉じるだけでは、うまく離れていってくれない。私は、声に出して名づける。
「これは、“罪”じゃない。選んだ結果の“責任”」
言い換えは小手先ではない。言葉を替えることは、感じ方の土台を替える作業だ。土台が替われば、同じ重さでも、沈み方が違う。私はその新しい土台に体を寝かせ直し、枕の位置を指先で少しだけ調整する。右側、内側、明るい道――今日、何度も自分に言い聞かせた小さなルールを、息の数に合わせて並べ直す。ひとつ、ふたつ。昨日より、すこしだけ正確に。
机の上の共通日記は閉じたまま、なのに、ページの繊維の奥で「ありがとう」が薄く呼吸しているのがわかる。祠の紙に書いた「明日、無事に帰れますように」。私が知らずに誰かと並んだ「明日」。昨日、世界が逸れた音。今日、世界がまた別の方向へ微かに傾いた気配。すべては私ひとりの功績でも、私ひとりの過失でもない。けれど、私の手の届く範囲だけは、ちゃんと選ぶ。選んだことの責任は、今日の眠りの材質を変える。柔らかいほうへ、ほんの少し。
まぶたの裏で、風車が三つ回る。鳩が二羽、砂を踏む。赤い帽子の人がひとり、去っていく。数え終えると、胸の中で薄くページがめくられ、「守った」が遠くから一度だけ光る。光は大きくない。小さいけれど確かで――その小ささのまま、私を温めた。私はその温度を胸の真ん中に置き、眠りへと滑り込んだ。秒針は進む。風鈴は鳴らない。鳴らない静けさが、今夜の正確な輪郭だった。



