七月三十一日の朝は、空がやけに高かった。窓を開けると、風はいつもより強く、カーテンの端を大きく持ち上げる。曇りでも快晴でもない、洗いざらしの空色。私は意識して、いつもよりゆっくり朝食をとった。米の粒を数えるみたいに、噛む。味噌汁をひと口ごとに置く。唐揚げの昨夜の油がうっすら舌に残るのを、水で流して、また戻す。時間をゆっくりにすることは、怖れを薄めるための古くて個人的な方法だ。

「行ってらっしゃい」と母が言う。私はいつもより少し大きな声で「行ってきます」を重ねた。玄関で靴ひもを結び直す。結び目がうまくできなくて、指先が小刻みに震える。深呼吸。鼻から吸って、口から吐く。ひとつ、ふたつ。昨日より、すこしだけ正確に。背中を伸ばし、鍵の音を一度だけ鳴らして外に出た。

 待ち合わせは、橋のたもと。欄干の鉄は朝の風を吸って、冷たさよりも軽さを持っている。川面は薄い灰と青で、風が通るたび筋が走る。二分前に着いた私は、欄干にそっと指先を置いて、文字の傷を確かめた。刻まれた「約束」の二文字は、去年よりすこしだけ浅く見える。見えるだけで、本当は変わっていないのかもしれない。人は、変わってほしいものと変わってほしくないものを、同じ目で見ない。

 ぴったりの時間に、蓮が現れた。自転車を押して、少しだけ息を弾ませている。「約束、守った」と笑う。私は笑い返し、小指を差し出した。絡める。骨の細さ、皮膚の温度。指先で確かめるたび、世界の輪郭がゆっくり安定していく。私たちは神社へ向かって歩き出す。歩道の内側を選ぶ。横断歩道では、青になっても走らない。朝の光はまだ硬く、鳥居の赤はそれをやわらかく受け止める準備をしていた。

 昼前、屋台をひととおり巡ったあと、境内の端のベンチでペットボトルの水を飲む。口の中に残る砂糖とソースを、透明な味で薄める。太鼓の音が舞台から届き、提灯の布が、まだ昼なのに、少しだけ光をやわらげる。

「さ」と蓮が、いつになく真面目な声で言う。私はペットボトルを膝に置き、顔を向けた。

「来年の夏、旅に出よう。バイトして、安い宿でいい。海も山も行きたい。写真撮って、くだらないもの集めて、さ。十年後に見返して笑うやつ」

 胸の奥が、内側から熱を持った。「来年」「十年後」――その言葉は、祝福にも刃にもなる。言葉は未来に輪郭を与え、輪郭は形を持つ。形は、守るべきものになる。蓮は続ける。

「二十年後は、もっとくだらない写真が増えてたらいい。しわくちゃのやつ。ピンぼけとか、指入ってるとか。で、結衣が“下手”って笑う」

「いまでも言ってるよ」と私は笑い、笑いながら、涙をこぼしそうになるのを一度飲み込む。「いいね」と返す。彼の“未来の声”は、空へじゃなく、私の胸の底に沈んでいく。沈む音はしないのに、確かに沈む。未来は、言葉にされることで形になる。だからこそ、ここに刻む。刻んだものは、私が忘れても、どこかで勝手に呼吸を続ける。

 午後、私たちは一度解散した。夜にまた集合する段取り。私は家に戻り、母に「夜は自転車で行く」と告げる。母はうなずいて、玄関でライトの点灯を一緒に確認した。ライトは新しく入れたアプリのテストも済み。反射材のベルトを腕に巻く。ヘルメットのあごひもをしっかり締める。安全の手順を、指差し確認のようにひとつずつ声に出す。声に出すのは、勇気のためというより、恐れを居場所から少しだけずらすためだ。

 夕暮れ、再び橋へ。空が薄紫に染まり、風が昼より冷たい粒を混ぜてくる。欄干の「約束」を指で一度なぞり、私は息を整えた。すこし遅れて、蓮が自転車を押して現れる。「行こうか」と笑う。二人でゆっくりと漕ぎ出す。私たちは車道から距離をとり、歩道を選ぶ。明るい道を選ぶ。人の多いほうを選ぶ。危険を避ける選択を、石を並べるみたいに積み上げていく。

 会場に近づくころ、遠くで救急車の赤い点滅が見えた。音が風に切り取られ、短く耳に届く。体が反射で固まる。足が止まる。喉が乾く。蓮はすぐに気づいて、肩をそっと寄せ、「大丈夫。俺らは俺らの道、行こう」と言った。簡単な文の形なのに、その言葉は、運命の線に小さな傾きを与える。傾いた線は、戻ろうとして癖を出す。その癖こそが、私たちの歩幅だ。

 神社の周りは、昨日よりも密で、しかし不思議と呼吸の場所がある。提灯の灯りが次々と点き始め、舞台の太鼓が、夜になる合図を何度も送る。屋台の列に並ぶ人の背中の熱、浴衣の布の擦れる音、笑い声の粒の大きさ。すべてが、去年と少しだけ違う。違うことを、私は去年より静かに喜べる。

 最初の花火が上がる。胸の奥まで響く音。色は、空の黒を借りて咲き、そして消える。消えたあとの暗さが、さっきより深いことを、みんな忘れたふりをする。蓮が「きれいだな」と呟く。私は「うん。生きてるね」と答えた。言ってから、自分で驚く。今日この言葉が自然に出ることが、私の辞書の裏表紙にもう一枚、紙を継ぎ足したみたいで、少しだけ誇らしい。

 終盤にさしかかる。帰りの人波が、舞台の裏から通路へ押し寄せ始める。ここで事故が起きた――はずの時間。私の手の中で、スマホのロック画面が開く。時刻は二十時三十七分。私は蓮の手をぐっと強く握り、立ち止まった。

「ここで、少しだけ待とう。人が減るまで。たい焼き、もう一個、食べよう」

 言い訳はいつでも役に立つ。蓮は「了解」と笑い、屋台の端のベンチを見つける。二人でラムネの栓を抜く。ビー玉の落ちる音が、喧騒の隙間にすべり込む。私は呼吸を数える。ひとつ、ふたつ。花火は間隔を少しだけ空けて上がり、音の谷間に、おしゃべりと砂利の足音が広がる。私の指先は、蓮の手の骨の位置を、繰り返し確かめる。骨は変わらない。変わらないものに触れていると、変えたいものの位置が、紙の上で正しく測れる。

 二十時三十九分。二十時四十……風が一段階強く吹く。提灯が一斉に鳴って、金具の触れ合う高い音が、隣り合う空気の層を薄く軋ませる。世界が、ほんの少しだけ、通り過ぎていく。私の胸の中で、時が「通過」するのを確かに感じた。予定されていた「事故の時刻」が、何も起こさず、私たちの上を越えていった――確信ではない。けれど、身体の奥が知っている。骨の内側の静かな膜がうなずく。

 二十分、待った。人が引きはじめる。私たちは立ち上がり、道の端を選んで歩き出す。押さない、走らない、近づかない。いくつもの「ない」を重ね合わせて、帰路を縫う。橋の上で、また立ち止まった。川の黒さは、夜が深まるほどやわらかくなる。不思議だ。闇は固いと思っていたのに、今夜のそれは、少しだけ体温に似ている。

「来年も、その先も、ここで」と私は囁く。蓮は、迷わず小指を差し出す。絡める。結び目は、青い糸みたいに見えた。強く結びすぎない、けれどほどけない、ちょうどよさ。風が髪を後ろへ集め、提灯がまた鳴る。空はもう、花火の煙をすっかり混ぜ込んで、星を隠していた。けれど、見えない星は、見えないまま在る。

 家に帰り、鍵を回す。台所の明かりが、金属の引き手を白くしている。靴を脱ぎ、喉に残ったラムネの甘さを水で洗い流す。机に座り、共通日記を開いた。青い表紙は、夜の湿度を吸って少し重い。「生きて帰った」と書く。書いた途端、喉のどこかがかすかに震えた。数秒後、ページの下に、これまででいちばん濃く強い筆圧で、二文字が現れる。「守った」。紙の繊維が、その重みを受け止めきれず、ほんの少しだけ、文字の縁が毛羽立つ。私は嗚咽と笑いの中間の呼吸を繰り返し、額をページにつけた。紙の匂いは、海の匂いよりあっという間に体内に馴染む。馴染んでしまうのが、少しだけ怖い。けれど今夜は、その怖さも味方にしたい。

 顔を上げると、スマホが震えた。画面に一枚の写真通知。「自動生成の思い出アルバムを作成しました」。指で開く。「一年前の今日」。去年の夜空と、泣き顔の私。今年の夜空と、笑っている私。二つの夏が、同じ画面で重なる。泣いている私と笑っている私の間に、目には見えない橋が架かる。橋には、誰の落書きもない。あるのは風の音だけだ。私は初めて、涙を流して笑った。頬を伝う水と、口角の形が、喧嘩をしない夜がある。今日が、その夜だ。

 手帳を開く。「7/31=境界」。その文字は、紙の繊維に深く沈んだまま、静かに光沢を失っていく。境界は厚みを増し、同時に幅を持つ。その幅は、朝より少し広がっている。私はその幅の内側で、今日を置いた。置いたものは、明日にはまた別の名を持つかもしれない。けれど、今は「守った」でいい。「生きて帰った」でいい。

 電気を消し、窓を少し開ける。風は昼より静かで、遠くの祭りが完全に終わったことを、音の不在が教える。枕元の共通日記に指を置き、呼吸を数える。ひとつ、ふたつ。耳の奥で、二つの鼓動が重なる。速度は同じ。私の心臓は、変わらない笑顔と、変わってしまった夏と、変わり続ける明日のために、規則正しく拍つ。その規則の中に、小さな遊びがある。遊びは、余白を作る。余白があると、人は笑える。

 目を閉じる。まぶたの裏で、花火の色はもう出てこない。代わりに、昼のベンチの上で、君の声がする。「来年」「十年後」「二十年後」。未来を語る君の声は、風のように私を通り抜けるのではなく、胸の底に小さく沈む。沈んだものは、そこからまた、内側の空気を少しずつ温める。温まった空気は、明日の朝、私の「行ってきます」に混ざるだろう。母の「行ってらっしゃい」に、もう一度重ねるために。

 ――未来は、今日、ほんの少し書き換わった。そう信じることができた夜は、たぶん長く残る。残る夜が増えるたび、私の辞書は静かに重くなり、ページの端は指に馴染む。重くなった辞書を枕元に置いて、私は眠りへ滑り込んだ。秒針は進む。風鈴は鳴らない。鳴らない沈黙が、今夜の正確な輪郭だった。