朝の空気は、昨夜の屋台の匂いを薄め切れずに残していた。焼きそばの油の甘さと、線香花火の終わり際みたいな焦げの匂いが、玄関のドアを開けた瞬間ふっと鼻を掠める。サンダルの鼻緒が足の甲に触れ、そこだけがやけに生々しくて、現実と夢の境目を指でなぞられたみたいに痛かった。

 母の携帯が鳴ったのは、朝食のトーストがちょうどきつね色になった頃だった。普段はスピーカーにしない母が、慌てていたのか卓上に置いたまま通話ボタンを押して、相手の声が狭い台所に溢れた。「……交通事故で、搬送されて……」という言葉の切れ端だけが、やけに鮮明に耳に刺さる。蓮の名前が出た瞬間、トーストの香りは消毒液みたいな臭いに変わった。心臓が一度、体の中心で跳ねて、それから遅れて世界が傾いた。

 病院の白い廊下は、夏の朝の光を跳ね返し過ぎていた。足音が吸い込まれていくはずの床が、鏡みたいに硬くて、私のサンダルの音は場違いなほど軽い。受付の人が何かを説明している。母は「はい」とうなずくたびに、涼しげな前髪の奥の額に汗を滲ませる。声はいつも通り落ち着いているのに、細い指先がトートバッグの持ち手を撫でながら、小刻みに震えていた。私は、握りしめたスマホの振動が止まらないような錯覚に囚われていた。震えていたのはスマホではなく、私の手の内側の、名前のつかない場所だ。

 案内された扉の前で、白衣の医師は一瞬だけ言葉を探した。夏の朝には似合わない、冬の曇り空みたいな目だった。「ご家族の方に……」と続いた声の温度は低すぎも高すぎもしなくて、規定の温度で保たれた輸液みたいに均一だ。淡々と告げられる数値――到着時の状態、心拍の乱れ、瞳孔反射なし。単語の意味は知っているのに、意味として胸に入って来ない。最短距離で届くはずの矢印が、どこかでずっと周回している。

 ベッドの上の蓮は、たしかに蓮だった。昨日、河川敷の屋台の列で笑いながら私の帯を直してくれた、人。見慣れた前髪の流れ、うっすら日に焼けた頬、左の耳たぶだけ少し小さいところ。どれも蓮のはずなのに、手の甲の透明なテープと、機械の数字の明滅が、そこにいる彼を遠くへ連れて行っていた。蓮の母が、声にならない声で名前を呼ぶたび、部屋の空気の温度が下がる。父は壁の一点を見つめて、そこに自分の責めの形を貼り付けているみたいだった。

 私は泣かなかった。泣いちゃいけない、とは誰にも言われていない。ただ、「私なんかが泣いていいのか」という疑問が、私の喉の奥にある見えない栓になっていた。彼女は家族で、私はただのクラスメイト――そんな線引きが、急にこの世界の一番の掟みたいに思えた。待合室の時計は、秒針が進むたびにひと呼吸ずつこちらを見た。ひとつ、ふたつ。私の時間だけが遅く、誰かがリモコンでスロー再生にしているみたいだ。自販機の缶コーヒーの持つ部分が熱いのか冷たいのか、判別がつかない。

 日が傾くころ、医師の口からはっきりとした区切りが告げられた。瞳孔反射なし。さっきも聞いた言葉だったのに、そのとき初めて、その四文字が私の胸の内側で音を立てた。金属音にも似た、鈍い割れる音。蓮の母が泣き崩れ、看護師が背中を支える。母はその横で唇を噛み、鮮やかな口紅が少しだけ滲んだ。父は相変わらず視線を合わせない。誰も私を見ないのが、救いであり、罰だった。

 葬儀は、夏がひとつ歳をとったみたいに静かに進んだ。黒い喪服の布はどれも熱を吸い、蝋燭の匂いが狭い部屋に重ね塗りされていく。読経の声は一定の波で押し寄せ、涙の音だけが時折それを乱した。蓮の写真は、少し前の文化祭で撮られたものらしく、ステージ衣装の黒いシャツに、笑っている。笑っているのに、そこにある笑顔が、もう二度とこの空気と混ざらないことを、花の匂いがやけに具体的に教えてくる。友人たちのすすり泣き、親族の深い礼、誰かが耐え切れずに漏らす嗚咽。そのすべてを、私は透明な膜越しに見ている感じだった。

 学校では、蓮の机に白い花が置かれた。ホームルームで担任が「黙祷」と言ったとき、教室の空気が一瞬だけ他人の家の玄関みたいな匂いになった。誰のものでもない匂い。生徒たちは一様に下を向き、椅子の脚が床を擦る音が、みんなの心の位置をばらばらに示す。友人の瑠衣が、終わってからそっと私の袖を引いた。「無理しないでね」と言われる。私は「平気だよ」と微笑む。笑う、というより、笑顔の形に筋肉を配置する。心の内側では、「平気じゃないと壊れる、平気じゃないと壊れる」と、古い機械のような音のない繰り返しが回っていた。

 自分の席に座ると、机の内側に触れた指先が、柔らかい異物に出会った。引き出しの隅に、使いかけのシャープペン。蓮に借りたまま返せなかったもの。透明の軸に、薄い青のライン。芯が中途半端に出ていて、指の腹にちくりと刺さる。私は慌てて戻そうとして、うまくいかずに余計長くしてしまい、みっともなく折れた芯が小さな音を立てた。その音が、喉の奥に乾いた風を起こす。たったそれだけで、「今」と「昨日」の間に置かれた見えない柵の高さが、もう越えられないものになっていく。

 夕飯の席で、父が「受験もあるし……」と言いかけ、向かいの母がそっと肘で合図した。父は黙り、「すまん」と小さく付け足す。その言葉が誰に向けられたものか、本人にも分かっていない気がした。テレビは、ニュース番組が「飲酒運転の疑い」というテロップを何度も繰り返す。加害者の顔も名前も出ない。モザイクの向こう側で誰かの人生が継ぎ目なく進んでいくのだと思うと、「正義」という言葉は、街中の中古レコード店の一番下の棚みたいに埃っぽい。触ると手が汚れて、それでも欲しい音は入っていない。

 自室で、私は携帯を開く。蓮とのメッセージ履歴を、親指で無言のままたどる。「明日、花火、行ける?」の文字で止まっている。打ち上げの時間、集合場所、屋台の話、浴衣の色――どれも前日までの温度のまま、そこにある。既読のつかないメッセージに宿る冷たさを、初めて指先の皮膚で知った。返信は、もう来ない。来ないのに、待つための場所だけが、私の中にぽっかり空いている。そこに座り込んで、私は待つことの形だけを続ける。

 夜、ベッドで目を閉じると、夏祭りの映像が自動再生された。屋台の赤い提灯が、風に揺れて、光の輪が彼の横顔の輪郭線をなぞる。焼きとうもろこしの醤油の匂い、金魚すくいの水面の反射、射的のコルクが外れるかすかな音。浴衣の帯が緩んだとき、蓮が笑いながら「貸して」と言って、私の背に回した手の温度。結び目の位置を整えてくれたとき、指が一瞬だけ首筋に触れた。遠くで、花火が上がる音。ドン、と空気が押されて、それから遅れて体に届く柔らかな衝撃。私は記憶の中の蓮に「またね」と言った。その「また」は、これからの約束ではなく、もう終わってしまった会話の末尾につく軽い挨拶でしかなかったことに気づいた瞬間、息が詰まる。胸の奥で空気が塊になり、それきり動かない。

 眠れないまま、窓の外が青くほどけていく。鳥の声は、几帳面な誰かが毎朝セットするアラームみたいに正確で、私はその時間に合わせて起きることを、毎年当たり前に続けてきたのだと知る。新聞配達の自転車のブレーキ音が、早朝の空気を細く切る。一日の始まりの音が、終わりを告げるサイレンより残酷に聞こえることを、初めて思った。始まりは、終わりがちゃんと始まりになってくれる相手がいる人のものだ。私の始まりは、どこへ行けばいいのか分からない。

 学校から帰ると、玄関に紙袋が置かれていた。白い、少し厚手の紙。持ち手に指を差し入れると、想像よりも重かった。机に置いて、上から覗き込む。中から出てきたのは、濃い青のビニールコーティングの表紙がついたノート。角が擦れて白くなり、ところどころに薄い汚れ――雨のにおいのしみ。蓮の母の字で、「結衣ちゃんへ。これ、蓮の机に入ってた。」と紙切れが添えられている。

 共通日記。二年の一学期、国語の先生が出した課題で始めた、二人だけの交換帳。課題が終わってからも、誰に言うでもなく、続けていた。表紙をめくると、最初の方のページに私の丸い字があって、その次のページに蓮の少し斜めの字がある。好きなアイスの味の話、テスト前の夜更かしの言い訳、体育祭の借り物競走で瑠衣が引き当てた「担任のメガネ」の話。ページをめくるたび、紙が呼吸する。何度も開かれたせいで、中央の糊はゆるんでいる。そこに、私たちの夏と春と秋と冬が挟まっている。

 最終ページの手前で、その日記は止まっていた。不自然な止まり方だった。ページの端に、別の日付の印が鉛筆で薄く書かれて、消しゴムで半分消したみたいな跡がある。触れようとして、私は自分の指が空気の中で止まるのを見た。そこだけ触れたら、何かが決定的に変わってしまう。知らないままの形で残ってくれていることが、唯一の救いになっているうちは、開けない場所がある。

 私は日記を机の引き出しにしまった。引き出しの内側には、さっき折ったシャープペンの芯が、黒い点になって残っている。小さな夜の星みたいだ、と思って、すぐにやめる。鍵を差し込み、回す。かちり、という音。鍵をかける行為は、「もう開かない」と自分に言い聞かせるための儀式だった。けれどその感触は、胸の奥にある空洞の縁をはっきりと形にしてしまう。ここに穴がある。この世界のどこにも持っていけない空洞がある、とようやく触らされる。

 夜、洗面所で顔を洗う。冷たい水がまぶたに触れるのに、涙は出ない。泣き方を忘れたみたいだ、と苦笑したくなる。けれど笑えば喉が焼ける。飲み込みそこねた薬の角が、ずっと喉の壁に引っかかっているみたいにひりつく。ベッドに戻って横になると、吐き気が、波のように静かに、何度も寄せては返した。窓の外の遠い国道を走る車の音が一台通るごとに、私の胃のなかの海が少しだけ騒ぐ。

 スマホの画面は、裏返しても生温い光を放つ。電源を落とす勇気はない。もし奇跡が起きて、画面が震えたら。そんな可能性をゼロにしてしまうのが怖い。けれど、奇跡という言葉は、今日病院で聞いた「瞳孔反射なし」の前では小さすぎる。小さすぎて、机の隅に落ちた芯よりも軽い。私は目を閉じ、まぶたの裏で、色のない花火を見た。音だけが、遠くで、かすかに鳴る。ドン、ドン、と二度。三度目は来ない。

 目を開けても、泣けない。泣けない泣き方、というものがこの世にあることを、今日初めて知った。涙は出ないのに、喉がひりつき、吐き気だけが波のように寄せては返す。体はちゃんと「失った」と知っているのに、心がそれを受け取らない。受け取らなければ、明日の朝にも「おはよう」が来るのだと信じている。信じることが嘘でも、嘘でないふりを続けることが、今の私にできる唯一のことだ。

 鍵のかかった引き出しの中で、あの共通日記は静かに眠っているはずだ。表紙の角の擦れた部分に、誰かがそっと指を添えた跡の温度が残っているかもしれない。そこに書かれた文字の最後には、たぶん「またね」がある。過去に閉じ込められた「またね」は、未来の形をしていない。未来の形をしていないのに、私の胸の真ん中でいつまでも呼び続ける。呼ばれるたび、私は返事の仕方を失っていく。

 目を閉じ直す。呼吸が浅くなる。波が引く。また寄せる。何度も。夏の終わりの夜風が、カーテンを少しだけ動かし、その影が壁を滑る。影は泣かない。泣かないことにも、形がある。私は、その形の真ん中に体を折りたたんで、眠れないまま、朝の気配を待った。