王都騎士団が来る――。
 その言葉が村を覆ってから、日々の空気は一変した。

 人々は怯えてはいなかった。
 だが、不安は確かに存在し、その裏返しのように誰もが必死に動き始めていた。

「もっと腰を落とせ! 槍は突いてすぐに引け!」

 広場で若者たちに声を張り上げる。
 昨日まで鍬しか握ったことのない手が、ぎこちなく槍を構えている。
 彼らの額には汗、腕には震え。だが、その目は真っ直ぐだった。

「アルト様! こうですか!?」

「悪くない。だが突いたあとに隙が大きい。そこで敵に斬られるぞ」

 俺は槍を取り、模範を示す。
 補助魔法で強化した体がしなやかに動き、土埃を巻き上げながら鋭く突き、すぐさま後退する。

「大事なのは“生き残ること”だ。勝つことじゃない。生きて戻る、それが最優先だ!」

 若者たちは一斉に声を上げた。

「はいっ!」

 訓練は槍や剣だけではない。
 女たちは火矢や投石器の準備を進め、子どもたちですら警鐘の合図を繰り返し覚えている。

 その光景を見ながら、俺は胸の奥に重みを感じていた。

(俺は……彼らを戦わせようとしている)

 追放されたとき、俺はただ静かに暮らすことを望んだ。
 畑を耕し、隣人を助け、穏やかに生きていきたかった。

 だが今、俺は剣を握らせ、槍を構えさせている。
 彼らを戦場に立たせているのは、間違いなく俺の意思だ。

「……それでも」

 呟く。
 この村を守ると誓った。奪われたまま生きるより、共に抗って未来を掴むほうがいい。
 そのためには、俺が先頭に立たなければならない。

 夜、焚き火を囲む。
 村長が杯を手に、静かに言った。

「アルト様……村の者たちは、皆あなたを“英雄”と呼んでおります」

 俺は息を呑んだ。

「英雄……俺が?」

「そうです。魔物を退け、盗賊をも追い払い、皆を導いた。あなたでなければ、この村はもう存在していなかったでしょう」

 その言葉に、周りの人々も頷く。
 子供たちの瞳は憧れに輝き、若者たちは誇らしげに肩を張る。

「……英雄、か」

 心の奥に重く響く。
 王都では役立たずと呼ばれた俺が、今は英雄と呼ばれる。
 その違いに戸惑いながらも、俺は目を閉じた。

(ならば、その名に応えよう。俺は“英雄”として、皆を守る)

 深夜、星空を仰ぎながら剣を振るう。
 補助魔法で鍛えた身体は滑らかに動き、呼吸は一定に保たれていた。
 だが頭の中では、別の思考が渦巻いていた。

(“看破の勲章”……相手は俺の魔法を見抜いてくる。単純な強化や治癒だけでは、必ず破られる)

 だからこそ、新たな術式が必要だ。
 組み合わせ、重ね合わせ、敵の読みを上回る補助。

「見抜かれる前に、俺が見抜く」

 剣先が夜気を裂き、乾いた音を残す。
 その音が、俺の覚悟を刻むように思えた。

 翌朝。
 村人たちが再び集まり、訓練を始めようとする。
 その中心に立つ俺に、自然と視線が集まった。

 期待、信頼、そして未来を託す眼差し。
 その重さに押し潰されそうになりながらも、俺は笑った。

「さあ、今日も始めよう。英雄なんて柄じゃないが……皆のために、俺はそう在り続ける」

 声を張ると、広場に力強い声が響き渡った。

「はいっ!」

 英雄の物語は、こうしてまた一歩前へ進んでいく。