俺がたどり着いた辺境の村――フィオラは、想像以上に荒れ果てていた。
 馬車を降りた瞬間、鼻を突いたのは血と煙の匂い。壊れた柵の隙間から、負傷した男が担ぎ込まれ、村人たちが必死に介抱している。

「……魔物が襲ってきたのか?」

 俺の問いに、白髪混じりの老人が深く頷いた。

「数日前から森の奥で異変が起きておった。獣たちが暴れ回り、昨日ついに大群が柵を破ったんじゃ」

 老人は肩を震わせ、涙を浮かべる。
 その隣で小さな少女が母の手を握りしめていた。母親の足は血に染まり、立つことすらできない。

「癒し手は……もういないのか?」

「……王都に呼ばれてしまった。『辺境より王都が優先だ』と」

 老人の声はかすれていた。
 見捨てられた村。そこに残ったのは、傷つき、絶望に沈む人々ばかり。

 俺は迷った。
 俺が持つのは【補助魔法】。仲間の力を引き出し、毒や呪いを解除し、体力を回復させる。
 だが、直接攻撃力を持つわけではない。
 俺が助けても、一時しのぎにしかならないのではないか……?

 ――いや。

 目の前の少女の怯えた瞳を見て、迷いは消えた。

「任せろ。俺がやる」

 少女が驚いて顔を上げた。
 その瞬間、俺は右手を掲げる。

「【支援魔法・全体治癒(パーティリジェネレーション)】」

 淡い光が辺りを包む。
 負傷した者の出血が収まり、折れた骨がつながり、衰弱していた顔色に生気が戻る。

「な、なんだこれは……!」
「体が、軽い……!」
「痛みが消えていく……!」

 村人たちが次々と声を上げた。
 老人は震える手を胸に当て、涙を流しながら言う。

「おお……神よ……いや、この人こそ……!」

 俺はかぶりを振った。
 神じゃない。ただの“追放者”だ。

 だが治癒を終えた矢先、村の若者が駆け込んできた。

「大変だ! 森から、また魔物が来る!」

 村人たちが一斉に青ざめる。
 俺は深呼吸して立ち上がった。

「戦える者は?」

「十人……いや、十五人か。しかし皆、剣の素人だ……」

「十分だ」

 俺は即答する。
 驚く村人たちの前で、再び手を掲げた。

「【支援魔法・身体強化(フィジカルブースト)】!」

 光が剣士たちの身体を包み、筋肉が膨れ上がり、脚は鋼のように力強くなる。
 さらに続けて――

「【支援魔法・防御結界(シールドオーラ)】!」

 淡い結界が村の入口に張り巡らされる。

「これで数刻は持つ。俺が指示する。……生き残るために、剣を取ってくれ」

 村人たちは一瞬たじろいだが、やがて拳を握った。

「わ、わかった!」
「守るんだ……俺たちの村を!」

 森の奥から、唸り声とともに黒い影が現れた。
 牙をむいた狼型魔物が十数体。赤い目を光らせ、こちらに殺到してくる。

「前衛三人、横に広がれ! 後ろは槍を構えて突け!」

 俺は声を張り上げた。
 村人たちは慣れないながらも必死に従い、結界の前に布陣を敷く。

 魔物が飛びかかる。
 だが、強化された村人の剣が鋭く閃き、狼を弾き飛ばした。

「う、嘘だろ……俺の剣で、魔物が……!」

 驚愕する若者。
 俺は笑みを浮かべて頷いた。

「信じろ。お前たちの力を、俺が引き出してる」

 次々と倒れる魔物たち。
 最後の一体が呻き声を上げて逃げ出すと、村人たちの間に歓声が湧いた。

「やった……! 本当に勝てたんだ!」
「アルト様だ……アルト様が救ってくださったんだ!」

 ――様、か。
 俺はそんな呼ばれ方をしたことがなかった。
 胸の奥に、熱いものが込み上げてくる。

 戦いを終えた夜。
 焚き火を囲んで、村人たちが俺に食事を振る舞ってくれた。

「アルト様、本当にありがとうございました」
「これで希望が持てます」

 感謝の言葉が尽きない。
 だが、俺は首を振った。

「俺は追放された身だ。ただの補助術師だよ」

「いいえ、あなたは英雄です」

 そう言って、あの少女が小さな手で俺の袖を握った。
 怯えた目は、もうどこにもない。

 ――英雄、か。
 俺には似合わない言葉だ。
 だが、この村でなら……俺は本当に“必要とされる存在”になれるのかもしれない。

 夜空に輝く星を見上げながら、そう思った。