森を覆う瘴気が、夜空をも侵していた。
 黒い霧の中から現れたのは、人の背丈をはるかに超える異形。
 六本の腕を蠢かせ、頭部には顔とも仮面ともつかぬ影が浮かび、赤い裂け目のような眼がぎらついていた。

「な、なんだあれは……!」
「人間……じゃない……!」

 村人たちの悲鳴が広場を満たす。
 だが俺は、心臓が鷲掴みにされるような恐怖を押し殺し、前に出た。

「皆、退くな! ここを越えられたら村は終わりだ!」

 異形の主が一歩踏み出すたびに、大地が鳴動する。
 ただの圧だけで、周囲の魔物がひれ伏すように地を這い始めた。
 支配――これは“群れの王”だ。

「【支援魔法・身体強化(フィジカルブースト)】!」

 俺は前衛に魔法を重ねる。
 だが次の瞬間、異形の眼が赤く瞬き、光が霧散した。

「……消された!?」

 愕然とする。
 補助魔法が通じない――いや、“看破”に似た力で無効化されたのだ。

「アルト様……!」
 村人たちが怯えた瞳で俺を見つめる。

 異形の主が六本の腕を振り下ろす。
 地面が裂け、柵が一瞬で粉砕された。
 衝撃で前列が吹き飛ばされ、悲鳴が響く。

「【支援魔法・衝撃吸収(ダメージシェア)】!」

 俺は急ぎ結界を張り、衝撃を自らの体に引き受けた。
 胸が焼けるように痛み、膝が崩れそうになる。

(くそっ……一撃でここまで……!)

 それでも倒れるわけにはいかない。
 俺が立っていなければ、皆の心が折れる。

「アルト様! もう無理だ、撤退を!」

「駄目だ! 退けば村が呑まれる! ここで止める!」

 声を張り上げながら、俺は頭を回転させる。
 補助魔法が無効化されるなら――直接戦うしかない。
 だが俺一人の力では到底敵わない。

(なら……“織り合わせる”んだ)

 俺の魔法は単発で使うものじゃない。
 補助と補助を重ね、新たな効果を生み出す――これまで培った“応用”こそが武器だ。

「全員、聞け!」
 俺は声を張り上げた。
「俺の魔法は一部を無効化される。だが、組み合わせれば突破できる! 俺の指示に従え!」

 村人たちの顔に、再び光が戻る。
 不安の奥にある信頼が、彼らを踏みとどまらせた。

「まずは――【支援魔法・防御結界(シールドオーラ)】と【支援魔法・反響の幕(カウンターカーテン)】を重ねる!」

 透明な壁に赤黒い腕が叩きつけられた瞬間、衝撃が逆流し、異形の体をのけぞらせた。
 村人たちがどよめく。

「効いた……!」
「アルト様の魔法が……通じた!」

 だが、異形の主は呻き声を上げ、さらに大きな瘴気を放った。
 空気が歪み、肌が焼けるように痛む。
 まだ本気を出していない――直感が警鐘を鳴らしていた。

(こいつを倒さなきゃ、王都の騎士団が来る前に村は壊滅する……!)

 全身を震わせながら、俺は剣を握り直した。

「英雄と呼ばれた以上……俺は、逃げない」

 夜の闇の中、異形の主との決戦が幕を開けた。