その気配を最初に感じたのは、猟師のロイだった。
 夜明け前、森の獣道を巡回していた彼は、異様な静けさに足を止めたという。

「鳥の声も、虫の音も、何ひとつなかったんだ。まるで森全体が息を潜めているようで……」

 報告を受けた俺は眉をひそめた。
 森に潜む気配は、確かにただの魔物ではない。
 大きな力が、何かを呼び寄せている――そんな不穏な気配が、村を覆っていた。

「アルト様、畑の柵をもっと高くすべきでしょうか?」
「子供たちは地下倉庫に避難させますか?」

 村人たちの声は震えていた。
 王都騎士団の影に怯えていた矢先、今度は森からの脅威。
 不安が積み重なり、広場の空気は張り詰めていた。

「慌てるな」
 俺は手を挙げ、皆の視線を受け止める。
「魔物の群れが来るのは確かだ。だが、俺たちには準備する時間がある」

 その言葉に、人々の呼吸が少しだけ整う。

 俺は村長と幾人かの若者を集め、地図を広げた。
 指先で村の周囲をなぞりながら、声を低める。

「東は川、西は崖。守るなら北と南だ。魔物の群れは広がって押し寄せる。全員で受ければ突破される。だから――“一点突破を誘う”」

「一点突破……?」

「こちらから“弱そうな隙”を見せる。狭い路地に魔物を誘い込み、罠と支援魔法で叩く」

 若者たちが息を呑む。
 俺は続けた。

「これは賭けだ。だが、無策で広く守れば全滅する。――勝ち筋は、俺が作る」

 その日の午後。
 村人たちは一斉に動き出した。
 木を切り出し、柵を補強し、落とし穴や杭を仕掛ける。
 女たちは矢を削り、布に油を染み込ませて火矢を準備する。

 そして、子供たちにまで役割が与えられた。鐘を鳴らすこと。水を運ぶこと。声を上げて仲間に合図を送ること。

「アルト様、本当に子供まで……」
 村長が不安げに漏らす。

「戦わせるんじゃない。生き残るために“居場所”を作ってやるんだ」

 そう言いながらも、胸の奥は重かった。
 だが選んだ以上、引くことはできない。

 夜。
 広場に焚き火が灯り、疲れ切った村人たちが腰を下ろす。
 火の粉を見つめながら、俺は彼らに言った。

「恐れるのは当然だ。俺だって怖い。だけど、思い出してくれ。俺たちは魔物にも盗賊にも勝った。なぜか――“皆で”戦ったからだ」

 人々の視線が集まる。
 俺は拳を握り、声を強めた。

「俺がいる限り、誰も見捨てない。支援魔法で全員を支える。だから最後まで戦い抜こう」

 その言葉に、村人たちの瞳に光が戻った。
 「はい!」と声が重なり、炎が夜空を照らした。

 翌朝。
 偵察に出ていたロイが駆け戻ってきた。
 その顔は蒼白だった。

「……来る。森の奥に、百を超える気配がうごめいてる!」

 広場が凍り付く。
 大規模な魔物襲撃――その前触れは、確かに迫っていた。