「それではみなさん、いただきまーす!」

 担任の紗枝の号令で、一斉に園児たちが箸を手に取って食事を始める。
 
「さえせんせー、カレーにピーマン入ってる!」
「ピーマンきらい!」

 園児たちの並んだ机の間を歩きながら見守りをする紗枝を、無邪気な声で数人が呼び止める。
 その度に紗枝は足を止めて、園児らに満面の笑顔を向けた。

「ピーマンさん、誰が上手に食べられるかな?」

 ♢

 新学期が始まり、山下紗枝はこども園の年長クラス『そらぐみ』の担任になった。
 今までは後輩に後れを取って悔しい思いをしていたが、今年は運よく担任のポストが空いたので、副担任だった紗枝が担任に昇格したのだ。

 シングルマザーで二人の子どもを育てている紗枝には不適任だと、園長は紗枝を担任に就かせようとしなかった。
 その園長に三月にすまなさそうな顔で担任の打診をされた時には、心の中でガッツポーズをした。   

 生活は大変になったが、承認欲求の強い紗枝は毎日が楽しくてしょうがなかった。

 ♢

「もう一年か。」

 紗枝が資料綴りをしていると、それを手伝っていた副担任の真坂が不意に呟いた。

「何が?」
「霧子先生、どこに行っちゃったんでしょうね。」
「まだ見つからないのよね。」
「彼氏さんも行方不明だとか。」
「駆け落ちなのか事件なのか…どちらにしても、心配よね。」

 真坂はニヤリと口の端を歪めた。

「でも山下先生は良かったんじゃないですか?」
「へ?」
「霧子先生、わりと正義感強くてぇ、事あるごとに園長に噛みついたりしてめんどくさかったじゃないですか。
 【いい人気どり】って感じ。」
「え〜そう?」
「山下先生にもマウント取りがちだったから、傍から観ていて嫌でした。
 …正直、霧子先生が居なくなって、せいせいしてませんか?」

 紗英は機械的にパンチを打つ手を止めて、羽織っていた黒いパーカーの前のジッパーを閉めた。

「それはないかな。」
「山下先生って、ホントにお人好しですね。
 だから霧子先生にナメられてたんですね。」
「私、優しくなんかないよ。」

 山下は急に立ち上がってパーカーのフードを目深にかぶった。

「実はね、真坂先生にだけぶっちゃけて言うけど、私、霧子先生が嫌いだった。」
「わ、やっぱりですか?」
「うん。ストレスが溜まりすぎた時にはね、霧子先生に嫌がらせしてたんだ。」
「ガ、ガチですか?」
「非通知の嫌がらせ電話とか、家に行ってピンポンダッシュしたり、先生の頭を混乱させるような嘘の情報提供をしたの。
 面白かったよ〜。
 霧子先生の様子がどんどんおかしくなっていくのが。」
「…。」

 真坂の顏から血の気が引き、眉間にシワが寄る。
 数秒の沈黙を破ったのは、フードを脱いで変顔をした紗枝だった。

「ウソぴょん!」
「えっ⁉」
「ゴメン本気にした?
 だって真坂先生があんまりにも煽るからぁ~!」
「もー山下先生ったら、驚かせないでくださいよ! 冗談キツイですよ‼」
「ウフフ、大成功。
 でも私って怒らせると何するか分かんない人間だから…気をつけてね。」
「ハハ、そうなんですね…スミマセン気をつけます。」

 真坂は笑おうとしたが、うまく口の端が動かなかった。

 ♢

 前任の透野霧子は一年前に家が火事になった後、消息不明になった。
 焼け跡からは遺体が見つからず、その安否が噂された。

 つい最近も警察が事情聴取のために園に来たが、有力な情報を誰も持っていなかった。
 当時、副担任だった紗枝は個別で部屋に呼ばれて刑事に聴取された。

♢♢

 〜警察のボイスレコーダーの記録より・抜粋〜

「一年前の霧子先生は…仕事への情熱もあり責任感も強くて、素敵な先生でしたよ。
 やり過ぎなのが玉にキズでしたけどねぇ。」
「ん? 今、『でした』って言いました?」
「あ、ごめんなさい。不謹慎ですよね。
 でももう一年も経ってるし、良いんじゃないですか?」
「あなた、透野さんとは仲が良かったのでは?」
「別に。
 仕事なんで、誰とでも仲良くはさせてもらってます。霧子先生だけが特別じゃありません。」

            以上
♢♢

 若い刑事は門を出る前に短く舌打ちして出て行った。

 紗枝が鍵を閉めようと門に近づくと、門の横の花壇に黄色のチューリップとともに黒百合が咲いているのを見つけた。

「黒? 珍しい。」

 用務員の川口が大事に育てている花壇は季節ごとにたくさんの種類の花が咲き誇り、保護者や近所の評判も良かった。
 
 紗英は周りに人が居ないのを確認すると、一本の黒百合を乱暴に引き抜いた。

「霧子なんて知らないって言ってるのに、しつこい!」

 左手の親指で花の頭を抑えつつ右手の親指で上に弾くと、黒百合の花は首を切られたように宙に飛んだ。

「あ。」

 黒百合の花が落ちた先は、いつの間にか門の向こうに居た一人の男の子の前だった。
 紗枝は素っ頓狂な声を上げた。

「あら、げんくん!」

 交通安全の黄色いカバーをかけた茶色いランドセルを背負った男の子は、今年の三月に卒園した元希だった。
 もはや幼児のあどけない儚さは消えていて、しっかりとした体格のいい小学生になっていた。

「せんせーこんにちは!」

 ニコニコ笑いながら紗枝に大きく手を振る元希。
 その笑顔と明るい瞳には、一点の曇りもなかった。

「今帰り? 」
「うん、4時間じゅぎょう。」
「学校の勉強は楽しい?」
「うん。ぼくねぇ、この前百点取った!」
「わぁ、スゴイね。」
「ぜんぜん。もっともっと勉強して、警察官になるんだ。」
「警察官?」
「探してるものがあるんだけど、なかなか見つからなくて。」
「へぇ、そうなんだ。どんなもの? 家の鍵とか⁇」
「ううん。でも、次の母の日までには見つけるつもり。」

 そう言いながら、アスファルトにしゃがみ込んだ元希は白い軽石をチョークがわりに絵を描き始めた。

 大きく描いた顔。
 頭にリボンがついているので、辛うじて女だとは思う。

 その横に小さな顔が二つ。
 紗枝はどこかで見たことのあるような構図だと思ったが、どこで見たかは思い出せない。

「そう、頑張ってね。」

 俯いていた元希が、上目遣いにを見上げた。

「せんせー、優しいね。
 僕のこと、好き?」
「モチのロンよ。大好きよ。」

 何の話か分からないが、紗枝は話を合わせるのは得意だった。
 だいたいの子どもは空想が好きで、その世界の住人だからだ。

「せんせーは、子どもいるの?」
「二人もいるよ。
 中学生と高校生のお兄ちゃん。」 
「二人とも好き?」
「うーん。
 昔はげんくんみたいに可愛かったけど、今はねー。
 生意気だし言うこと聞かないから、あんまり好きじゃないかな。」

 冗談として言ったつもりだったが、元希はまじめな顔でこっくりと頷いた。

「分かった。」

 元希は立ち上がった。
 ポケットに手を突っこみながら、スタスタと紗枝の前に来てにっこりとほほ笑む。

「せんせー、手ぇ見せて。」
「?」

 赤い油性ペンで、紗枝の手のひらに記号が書かれる。

 

 XX9XXdXX

 意味が不明の文字の羅列。
 紗枝は思わず息を飲んだ。
 
「わ、やったな~!」

 苦笑した紗枝は怒ったフリをして頭の上に拳を振りかざした。

「コラ‼」
「幸せになれるおまじないだよ!
 母の日を楽しみにしていてね‼」
「え、何を? もう一回言って!」
「サプライズだよー‼」
 
 元希は足元に転がる黒百合の花をグシャリと踏みつけてから、ロックをし忘れたランドセルの蓋をカチャカチャ言わせて走り去った。



 母の日当日。

 ピコン

 自宅で子どもたちに貰ったカーネーションを花瓶に生けていた紗枝が、スマホのショートメッセージの着信に気がついた。

「えっ、何これ?」



〈終〉