王都は熱を持っていた。昼の熱と夜の熱は違う。昼は噂の熱で、夜は罵声の熱だ。慈善の名で積まれた花輪は色褪せ、代わりに広場の石畳に新しい言葉が刻まれる——靴底の圧で。「ざまぁ」。短い音節は殴るのに向いている。王太子の支持は急落した。しかし群衆の熱は別の形で燃え上がる。「ざまぁだ!」の合唱、石を投げ、再起不能を願う声。エレーヌはそれを恐れた。人を潰す快楽は、次の浪費になる。快楽は市場を持っていて、いったん開市すると誰かが必ず屋台を出す。復讐の屋台は、安くて派手だ。だが、安物の火は、梁に先につく。

 「罰は必要。でも潰す快楽は、次の浪費になる」

 監査院の記録室で、エレーヌは黒板に円を描いた。円の中に三つの語——制裁、回復、抑止。回復が軽いと、制裁が重くなり、抑止は形だけになる。逆も然り。三者の和は固定ではないが、公共の忍耐の総量と緩やかに連動する。忍耐が減ると、罰が膨張する。膨張は、しばしば美しく見える。風船は美しい。割れるまで。

 「代替案を用意する」と彼女は言った。

 タニアが古い帳簿を閉じ、「嬢ちゃん、代替案の紙は香りがしないとうまく燃えないよ」と笑う。

 「燃やしたいわけじゃない。灯りにしたいの」

 エレーヌは、王太子が主宰してきた華美な舞踏会予算を、そのまま“透明舞踏会”に転用する構想を示した。会場の壁は半透明の帷で覆い、来賓の会話と支払いを場内の掲示板でリアルタイムに表示する。“見られながらの贈与”は、見栄の浪費を抑制し、必要な支援に自動で流れる。贈与は、可視化されると形を変える。光を当てると水は蒸発し、蒸気は流れを教える。蒸気で動く機械は、嘘を嫌う。

 リュカは建築図面を広げ、透明素材の配置を描く。「君の案は綺麗だ。だが王太子は参加するか?」

 「参加しなければ、彼は“名誉保全費”の納付で責任を果たす。参加すれば、透明の中で振る舞うだけ」

 「透明の中で、どうやって『顔を立てる』?」

 「顔を立てる方法はいくつもある。顔の角度を変える、影の落ち方を工夫する——照明の科目は建築の親戚よ」

 リュカは顎に手を当てた。「帷は半透明で、掲示は実時間……嘘をついた動線がすぐ照らされる。——逃げ場は?」

 「逃げ場は安全のために必要。だから、帷の裾に“退避の影”を一本引く。逃げ場がない透明は、暴力と親戚になる」

 「暴力の親戚と結婚してるのが王宮の演出部だ」

 「だから、演出を制度に戻す」

     ◇

 透明舞踏会の構成要素は、四つ。帷、掲示、流路、審計。帷は半透明で、外から内が「ぼんやり」見える。ぼんやりは重要だ。完全透明は、羞恥に似た熱を生み、熱はすぐ憎悪に変わる。ぼんやりは、謙遜の温度を保つ。掲示は、贈与と支出のリアルタイム表示。誰が誰に何を渡し、何がどこへ流れたか。流路は、支援の自動配分。孤児院、療養所、下水道の補修、読書室の電球交換——寄付は光の筋を通って配線される。審計は、舞踏会終了後の即時監査。香りのない紙に、香りのない数を置く。

 リュカは会場の断面図を描いた。柱は少なく、梁は広く、天井の吊りは軽い。「帷を支える梁は見せるべきだ。『見えない支え』は、見栄の人を不安にする。梁が見えれば、人は梁に頭を下げる」

 「梁に頭を下げる文化、好きだわ」

 「君は梁に頭を上げさせる文化の側だ」

 「上げたり下げたり、角度は状況で」

 監査長が図面を覗き込み、短く言った。「王太子派は『屈辱だ』と騒ぐぞ」

 「屈辱の代わりに透明を」とエレーヌ。「潰す代わりに、透かして働かせる方法を示します。『ざまぁ』の代替案は、都市の治安費を節約します」

 「数字か」

 「ええ。『ざまぁ』は燃料を食う。人は燃やすのが好きだけど、燃え殻の片付けを嫌う」

     ◇

 審理。王太子は壇上で、震える唇を必死に抑え、言った。「屈辱だ。王家の祭儀に“見せ台所”を持ち込むのか。愛は包むものだ」

 エレーヌは淡々と返す。「包む布が嘘を吸うのなら、布を薄くしましょう。殿下、屈辱は罰です。透明は手続です。——『ざまぁ』は、貴族にも庶民にも、同じ毒です」

 王太子は観客に向け、両手を広げた。「彼女は私を働かせようとしている。見世物にして」

 「そうです」とエレーヌ。「見世物とは『公共の前で行う労務』の古語です。公共の前で行う贈与は、もともと見世物でした。——それを詩にしたのが、殿下の祖先」

 どよめき。監査長が木槌を一度。議案が読み上げられ、採決へ。賛成多数。王都は初めて“ざまぁの代替”を制度として持つことになった。紙の上の制度は、硬い。硬さは嫌われるが、折れにくい。折れにくさは、夜の味方だ。

     ◇

 施行までの三日間は、設計と火消しで過ぎた。火消しとは言い換えの技術であり、火を嫌うのではなく、火の流れを変える。透明舞踏会は「晒し首」ではない。帷は首筋を覆い、掲示は手の動きを映す。顔ではなく、手を見る場。——それをノエミの紙面に落とし込む。見出しは香りがしない方がいい。「透明舞踏会、予算の転用で実施」。副題に「贈与の実演、支援の自動配分」。彼女は言葉の梁を渡すのがうまい。

 会場は王立温室の隣接ホールに決まった。温室のガラスは透明だが、外界の湿度を和らげる工夫がしてある。湿度は怒りに似て、下げすぎると咳が出る。ホールの床は白木に塗り直され、足音が柔らかく吸われる。吸われた音は、掲示板の方で可視化される——曲目の代わりに、支出の流れが高低で表示される。音符は貨幣の親戚だ。両方とも、拍を持つ。

 リュカは帷の裾を手繰り、仮止めの金具を確かめる。「帷は風で揺らせ。揺れは緊張をほどく。固まった透明は、鏡になる。鏡は威圧する」

 「揺れの計算は?」

「君の苦手な“感性の係数”だ。だから、俺が決める」


 「感性の係数は委託します」

 「委託料は友情費で」

 「非課税」

 「上限ありで」

 軽口は緊張の継ぎ手。継ぎ手が上手く噛むと、構造は長持ちする。

 王太子は招待状を受け取り、返事をよこした。「屈辱には参加しない。だが、名誉保全費は払う。——汚名が『制度』に勝つと思うな」。筆致は強気で、インクは少し薄い。強気は薄くなりがちだ。濃すぎる強気は、紙を破る。

     ◇

 初回の透明舞踏会は、黄昏で始まった。帷の向こうに人影が揺れる。来賓の名は音としては流れず、掲示板の端に小さく灯るだけ。誰かが誰かにグラスを差し出す。掲示に小さな丸が生まれ、線が南区に走る。「乳児用粉乳:二十缶」。別の線が下水道局へ。「排水溝清掃:一区画」。会話は「ぼんやり」と外に漏れる。言い訳は「くっきり」と外に漏れる。

 会場の隅には“反論の小部屋”が設けられた。誤解や侮辱を受けた者が、言葉を整えるための場所。内側は静かで、外側に向けては要点だけが流れる。要点は詩の敵ではない。詩は要点の横に座る。

 ノエミは“ぼんやり”の外でペンを走らせ、タニアは受付で角砂糖を砕き、若い監査官は掲示の数字の誤差を補正する。「誤差が重なると、誤解になる」。彼は覚えたことを口に出して確かめる癖がある。癖は軽い梁だ。軽い梁も、数があれば屋根を支える。

 舞踏の代わりに“歩行の儀”が行われた。来賓は順路に従って歩き、流路の図を自分の足で辿る。歩いた分だけ灯りが増え、進むほど影が薄くなる。歩く儀礼は、金銭を軽くし、責任を重くする。足は、手よりも嘘をつきにくい。

 ひときわ高価な服の紳士が、帷の隙間から外を覗こうとして係の少女に制され、苦笑いで引き下がる。その苦笑の重さが、その夜の「見栄節約額」に換算され、掲示板の隅に「見栄控除:小」と点る。小さな灯りが、幾つも。

 孤児院の院長は、帷の外で涙を拭いた。「涙の費目は?」

 「ない」とエレーヌ。「涙は『現物寄付』と相殺」

 「現物寄付?」

 「『相手が呼吸しやすくなる』という現物。課税対象外」

 院長は笑って、肩の力を抜いた。肩は、人が無意識に課税している場所だ。減税されると、呼吸が深くなる。

     ◇

 終了後の即時審計。収入と支出は合致。見栄控除の合計は、舞踏会一回分の花輪代に匹敵した。花輪は香りがするが、壁にはならない。帷は香りがしないが、壁になる。壁は梁と仲良しで、香りは梁とすぐ喧嘩する。

 広場に集まった群衆の一角で、「ざまぁだ!」の合唱は小さくなっていた。代わりに、「見えるの面白い」「線、きれい」という声が混じる。可視化は娯楽と親戚だ。娯楽は危ういが、危ういからこそ、規格が要る。規格は退屈の親戚だ。退屈は暴力を遠ざける。

 エレーヌは監査長に報告書を渡した。紙は薄く、数字は厚い。「『ざまぁ』の代替案は、今のところ成功です。破壊衝動を抑えるだけでなく、贈与の流路を整形しました」

 監査長は頷き、短く言った。「次は『定着』だ。制度が一度うまくいくと、人は『もう説明はいらない』と思う。説明のコストを毎回払え。——君は嫌われる」

 「私、きっと嫌われ続ける」

 「嫌われの費目は?」

 「未設定」

 「設定しろ。君自身のために」

     ◇

 審理後、夕暮れの橋。帷のしじまを抜けてきた風が、川面を撫でる。遠くで鐘が鳴り、手すりは暖かく、鉄の匂いは薄い。エレーヌはリュカに言った。「私、きっと嫌われ続ける」

 「俺が梁になる。嫌われは荷重だ。梁は荷重がなければ立たない」

 「梁は折れることもある」

「折れる前に補剛する。それが俺の仕事だ」


 「補剛の費目は?」

「友情費に含めるな。ちゃんと請求書を出す」


 「請求書、嫌いだわ」

 「請求書を嫌う人は、請求される側にいる」

 エレーヌは笑った。「君は本当にひどい」

 「褒め言葉として受け取る」

 橋の下を水が流れる。流れは、見えないところで合流と分岐を繰り返す。贈与も同じだ。見えないところで合流し、見えるところで分岐する。透明舞踏会は、その位相を一度だけ反転させる。見えるところで合流し、見えないところで分岐させないように。分岐の技術は詐術の親戚だ。詐術に独占させない。そのための帷、そのための掲示。

 「君は『ざまぁ』が嫌いなんだな」とリュカ。

 「嫌い。『ざまぁ』は、いつも『次のざまぁ』を孕む。繁殖力が高い」

 「繁殖を止める規格は?」

 「透明。退避の影。即時審計。そして、代替の快楽」

 「代替の快楽?」

 「線が伸びるのを見て『わぁ』ってなるやつ」

 「測りの美学」

 「君の専門ね」

 リュカは欄干に肘を置いた。「専門は橋。橋は測りと似てる。二つの岸に数字を置いて、真ん中で合意を作る」

 「合意の費目は?」

 「それは——」

 リュカが言いかけたとき、橋のたもとでざわめき。若者たちが、壊れた花輪を川に投げ込もうとしている。「ざまぁの供物だ!」と笑う。笑いは軽いが、石は重い。

 エレーヌは歩み寄り、静かに言った。「それ、捨てるなら、重さを測ってからにして」

 「は?」

 「重さの分だけ、下水道局の清掃費が上がる。『ざまぁ税』として君たちの地区に割り振る」

 若者たちは顔を見合わせ、肩をすくめ、花輪を足元に置いた。「じゃ、掲示板に『見栄控除:微』って出しといて」

 「出しておくわ」

 彼らは少し照れて笑い、走り去った。走る背中は、まだまだ軽い。軽い背中が街にある間は、都市は倒れない。重い背中は梁の上に回す。軽い背中には、線を見せる。線を見ることで、自分の重さを知る。知る重さは、責任の入口。

     ◇

 翌日。王宮から書簡。「透明舞踏会、王家の伝統に反する」との抗議。署名は王太子の叔父。政治は伝統を連れてくる。伝統は重いが、移動できる。移動できる重さは、梁に優しい。

 エレーヌは返書を短くした。「伝統は保存対象、贈与は運用対象。保存と運用は会計上、別勘定。——保存を助けるために、運用を透明に」

 返書の最後に一行、「帷の折り目に詩を書く権利は王家に帰属」。叔父は笑って矛を収めたという噂。詩は折り目に宿る。彼らの自尊は、折り目の角度で守られる。

 ノエミの紙面は、「ざまぁの代替案、初回は好転」と書いた。「贈与の線は、観客の目を遊ばせ、暴力の手を暇にした」。詩人協会は短い声明を出した。「透明は詩の敵ではない。詩の短歌の親戚だ」。短歌は帷の揺れに似る。

     ◇

 第三夜の透明舞踏会。王太子は相変わらず姿を見せないが、その側近が帷の中で固く笑い、掲示に「王室医療費の一部返納」が灯った。匿名に近い。匿名は臆病ではない。最初の橋は、匿名で渡る人のために太くする。

 同時に、反対運動の小さな集会もあった。「透明は監視だ」「愛が乾く」。乾くことを恐れる声は正当だ。乾燥は声帯に悪い。エレーヌは乾燥対策を提案した。帷の上部に湿り気を保つ植物を吊るす。香りは薄く、葉は光を散らす。監査院の費目では「空気調整」。俗に言う「感じの良さ」。感じの良さに費目を与えるのは、よいことだ。感じの良さは、いつもボランティア扱いされ、疲弊する。

 タニアが言う。「嬢ちゃん、君の制度は詩に優しい」

「詩に優しくない制度は、暴力に優しいから」


 「暴力は詩の敵?」

 「詩は暴力の敵にはならない。隣に立って、暴力の手から紙を守る」

 タニアは鼻で笑い、角砂糖をふたつ、エレーヌの掌に置いた。「甘いものは、制度の入口に撒く砂だよ」

     ◇

 王太子は最後まで、帷の内側に現れなかった。だが、名誉保全費の納付は期日に行われ、明細は香りがしない紙に整っていた。納付書の端に、短い一行。「君は恋の敵だ。だが、恋の舞台の床を抜かない」。筆致は以前より濃い。濃さは体温に比例する。

 監査長は判決の草案を机に広げ、「『婚約破棄』そのものの違法適否に入る」と言った。「だが、今日の議題は別。——透明舞踏会の恒常化。費目の固定化。『ざまぁ税』の導入可否」

 若い監査官が顔をしかめる。「『ざまぁ税』という名前は、刺激が強い」

 「名前は仮」とエレーヌ。「正式名称は『破壊的歓声抑制賦課金』」

 「余計に強い」

 「じゃあ、『祭事後清掃協力金』」

 「それだ」

 名前は梁の塗装だ。塗装が良いと、梁は長持ちする。悪い塗装は、水を呼ぶ。

     ◇

 最後の夜、橋の上で、エレーヌは砂時計を横倒しにした。砂は止まり、川は流れ、帷は揺れる。王都の音は小さくなり、風の方が大きくなる。彼女は小さく笑った。恋を量る秤はない。けれど、恋を支える梁は作れる——それが彼の専門だ。専門がある人は、孤立しない。孤立しない人は、嫌われても倒れない。

 「君は、明日も嫌われる」とリュカ。

「嫌われるコストは?」

「二人で分ける」

「半分こ?」

「梁は荷重を等分しない。配分は、断面で決まる」


 「断面の計算は君」

 「感情の計算は君」

 ふたりは、言葉の梁を渡って笑い合った。笑いは軽いが、軽い梁が支える。帷の向こうで、誰かが小さな贈り物を誰かに手渡し、掲示に「薬代:一人分」と灯り、別の灯りが「偽情報の反論:印刷費」と灯る。灯りは星に似て、川面に映る。救いは川のように流れ、流れは梁の間を通る。梁は、今日も鳴いた。鳴き声は、都市の心音。心音がある間、制度は生きる。制度が生きる間、「ざまぁ」は、趣味の屋台に追いやられる。屋台は悪くない。腹を満たすだけなら。だが、都市は腹と梁でできている。梁が先。腹はすぐに、梁に感謝するようになる。感謝は、匿名でもいい。匿名の感謝は、帷の揺れに隠れて、静かに都市を支える。

 「帰ろう」とエレーヌ。

 「請求書を忘れるな」とリュカ。

 「明細は香りがしない紙で」

 「もちろん」

 橋を渡り終えた先で、一陣の風が帷をふくらませ、夜気がほどけた。ざまあの声は、もう遠い。代わりに、線が伸びる音がした。細く、確かに。誰かの見栄が沈黙に変わり、誰かの沈黙が言葉に変わる。費目は名付け、梁は支え、帷は揺れる。明日の王都も、たぶん持ちこたえる。持ちこたえる都市は、美しい。美しさに費目はない。費目の外にあるものを、詩は拾う。詩が拾えば、制度は休める。休む制度は、また働ける。働く制度の下で、恋は、梁に寄りかかる程度に、優しくなる。そこまでいけば十分だ。十分は、いつだって、最初の線でできている。