白城の医療事務所は、島国の霧が窓を濡らす夕暮れ、沈黙の重さに満ちていた。深山蓮は机に寄りかかり、白い髪を指で払いながらカルテを広げる。屈強な体躯に白い瞳が静かに輝き、赤ピンクのネクタイが胸元で締まり、黄緑と赤ピンクのマフラーが肩を温める。彼は白城の医療の番人として、愛の共鳴がもたらす記憶の崩壊を記録する。患者の名は速吸——白城の白の上級保安官。三笠への重度片想いが、自己の境界を溶かす病を呼び寄せた。
深山はペンを滑らせ、カルテに克明に記す。手は確かだが、瞳に微かな哀悼が差す。

症例番号:WC-0260 
患者名:速吸

性別:男性 / 職業:白城の上級保安官

主訴:進行性記憶喪失、言語障害、感情喪失、運動機能低下

既往歴:特記事項なし。三笠(同僚)への重度片想いを自認(詳細非開示)
診断名:
愛情共鳴性記憶浸蝕症(Affectional Resonance-Induced Memory Erosion)
•恋愛感情が相手の記憶を流入させ、自己記憶を侵食。自己境界崩壊の象徴。
発症経過:
患者は約30日前、三笠への想いが発端で発症。初期:物忘れ出現。患者自陳「三笠の記憶が、僕の頭に流れ込む」との記述あり。7日目:縁遠い人・物忘却。15日目:過半数忘却。16日目:言語忘却開始。20日目:単語断片的発話。25日目:感情・欲求喪失。26日目:肉体操作忘却開始。27日目:自己忘却。28日目:最重要人・物忘却。29日目:完全運動喪失。30日目:呼吸忘却による死。
進行の特徴:愛と記憶の融合が自己曖昧化を加速。治療法なし、進行不可逆。
治療経過:
支持療法(記憶刺激、言語訓練)施行も効果なし。想いの断絶試みるが拒否。予後不良。
予後:
発症から30日で呼吸停止による死。愛と自己の同化が、消失を招く。
所見:
本症は愛の共鳴が記憶を蝕む。白城の霧のように、境界が溶け、存在が失われる。追跡調査要。
担当医:深山蓮

深山はカルテを閉じ、事務所の奥室へ向かう。患者のベッドは淡いランプの下にあり、速吸は白いシーツに横たわる。かつての屈強な保安官の体は今、虚脱し、白い髪が枕に散らばる。白い瞳は虚空を彷徨い、記憶の欠片を探すように揺れる。深山はベッド脇に座り、黄緑のマフラーを指で弄びながら観察する。赤ピンクのネクタイが彼の胸に影を投げる。
「速吸くん、覚えているか。三笠くんの名を」
深山の声は柔らかだが、患者の反応は薄い。20日目の単語発話で、速吸は呟く。
「三笠くん……僕……忘れ」
言葉が途切れ、25日目の感情喪失が明らか——瞳に喜びも悲しみも宿らず、欲求なくただ横たわる。深山は脈を測り、記憶浸蝕の痕を記録。26日目の運動忘却で、手がわずかに震え、29日目には体が動かぬ。患者の瞳に、三笠の記憶が流入した影が映る。
「愛は、自己を溶かすよ」
深山は囁き、刺激を試みるが、無駄。霧の夜が訪れ、30日目の呼吸忘却が始まる。速吸の胸が止まり、白い瞳は閉じる。深山はシーツを整え、カルテに「病死」と記す。愛情共鳴性記憶浸蝕症は、記憶を奪い、存在を消す。白城の医療事務所に、また一つの消失が刻まれた。
(終)