「実和子が、ある事件に関与してるって聞きました。もしかして、あの子何かやらかしました?」
「事件の詳細については、現段階で我々からお伝えできることはありません。申し訳ありませんが、少々お付き合いください」
「ああ……そうなんですね」
篠田の言葉に、祐衣は少し残念そうに椅子の背もたれに寄りかかった。しかし、すぐに背筋を伸ばすと「わたしに答えられることなら」と、聴取に意欲的な姿勢を見せてきた。
早速、身分の確認から入る。
菅原祐衣、三十一歳。被害者夫婦と同い年だ。出身は徳島県白峯村。実和子とは幼馴染らしい。
「人口五〇〇人の小さな村でしたから。子どもは、そのうちの二割。同学年の子となると、十人もいるかいないかなので、必然的にみんなが顔見知りです。特に実和子とは、家が近いってこともあって仲良しでした」
「それで、村を出てからも頻繁に連絡を?」
藍の問いに、祐衣は頷いた。
「たまに会ったりもしてました。息子ができてからは会えてないので、かれこれ二、三年くらいは顔を合わせてません。最近は、電話やメッセージでのやり取りしか」
「菅原さんが村を出たきっかけは何だったんですか?」
「それはもちろん、大学進学のためです。県内にも一つ大学はありましたけど村からは遠かったし、せっかく一人暮らしするなら東京近辺がいいなぁ、って。両親には、大学なんて行かずに村の男に嫁げって言われましたけど」
「じゃあ、大学の費用とかはご自分で?」
「いやいや、さすがにそれは……なんとか説得して、出してもらいました。仕送りもしてもらって、結局は親の力借りないと生きていけないんだなぁ、って。刑事さんも、そう思ったことありません?」
急に投げかけられ、藍は返事に窮した。
「……菅原さん。年末は帰省はされましたか?」
「もう何年もしてませんね」
「ご両親との関係は、あまり良くない?」
「とんでもない。両親とは年に一度、必ず会うようにはしています。ただ、村の空気は息が詰まるから、毎回こっちに来てもらってるんです」
「なるほど。ちなみに、実和子さんもここ二年は帰省していなかったようです。菅原さんと同じような理由なんでしょうか……?」
うーん、と唸ると、祐衣は何やら躊躇っているのか、そっと視線を逸らした。そして、しばらく逡巡したのちに、ようやく口を開いた。
「実和子の場合は、村ってより家が嫌だったんじゃないかなぁ」
「家……? 家庭環境が悪かったんですか?」
「いやぁ、わたしの目にはそうは見えなかったですけどね。本人はかなり、コンプレックスがあったみたいです」
思わず、篠田と目を見合わせた。
家庭環境に何かしらのコンプレックスがあるのだとすれば、それはおそらく、すでに亡くなっているという父親にあることは間違いないだろう。
「……もしかして、実和子のお父さんのことですか?」
藍と篠田の反応を見て、祐衣はおそるおそるといった様子で問いかけた。
実和子の実父については、幸枝が詳細を伏せていた。祐衣が事情を知っていれば、この場で聞いておいた方が賢明だ。
「何か、思い当たることでも?」
「えっと……」祐衣が、藍と篠田を見比べる。「刑事さんたちが捜査してるのって、実和子のお父さんの……その、ご遺体が見つかった、とか……そういうことではなくて?」
慎重に言葉を選んでいるようだったが、言い切ったあとに「ごめんなさい。刑事ドラマの観過ぎですね」と恥ずかしそうに微笑んだ。
正直、そんなことはどうでもよかった。
遺体とは、いったい何のことだ。
「どういうことですか」
その問いに、祐衣は「知らなかったんですか?」と、目を丸くした。
「わたしたちが高三のときだったんで……もう十三、四年も前か。実和子のお父さん、急にいなくなっちゃって」
「いなくなった? 失踪、ってことですか」
「そうです。職場にも家族にも何も言わずに、急に姿を消しちゃったみたいで」
「……なんでそんな大事なこと」
舌を打ちたくなったが、何とか抑えた。しかし、たとえ事件に関係ないにしろ、このことを隠した幸枝に対しての憤りは湧くばかりだ。
「それ、いつの話です?」
幸枝に対する怒りを隠す様子もなく、投げるように問いかける。お世辞にもいいとは言えない若い女刑事の態度に困惑しつつも、祐衣は視線を宙に向けた。
「ええっと、たしか――二〇一二年の三月だったかと」
「実和子さん、そのときどんな感じでした? 悲しんでた、とか、逆に喜んでた、とか。幸枝さんでもいいですけど」
「どうだったかなぁ。小学校から高校まで村立の学校に通ってたから、ずっと一緒ではあったんですけど……たしかその頃にはもう卒業式が終わってたはずです。わたしも上京の準備でバタバタしてて、実和子のお父さんの話は人伝に聞いただけで」
小さい村というだけあって、噂が広まるのは一瞬だったという。
蒸発したらしい、だとか、借金取りに追われていた、だとか。憶測がさらに憶測を生み、本当の理由は誰もわからなかった。
「その話を聞いたとき、菅原さんはどう思いました?」
「どうって……」
「普段から、家族置いて逃げちゃいそうなくらい、無責任な人に見えましたか?」
藍の突っ込んだ質問に、祐衣はとんでもないと言わんばかりの表情で首を横に振った。
「役場で働いてたし、青年団のリーダーもやってたし、村民からの信頼は厚かったです。だからこそ、そのとき村は大騒ぎでした。そのあと、わたしはすぐ東京に出ちゃったので、それからの村の様子はよく知りません」
一呼吸置き、ただ、と祐衣が言葉を続ける。
「東京に出てすぐ、実和子も後を追うように上京してきました。大学には進学せずに村に残ると聞いてたので、もしかしたらお父さんのことが関係あるのかな、って思って」
「それで、理由を聞いた?」
「……聞けませんでした」
「どうして?」
「聞けませんよ。付き合いが長いと、意外とそういうもんですよ。刑事さん、まだお若いからわからないと思いますけど」
「若い若くないは関係ないと思いますけど」
祐衣の何気ない一言が癪に障ったのか、藍がすかさず言い返した。
空気が凝固する前に、篠田が話を引き取る。
「お気持ち、よくわかります。近いからこそ、踏み込めないことがある」
「ですよねぇ」
「ええ」
――なに意気投合してんの。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、自分のために助け舟を出してくれたことは明白だった。
鬱陶しいくらいに爽やかな表情を浮かべる篠田を横目に見ると、藍は乗り出してい身を背もたれにくっつけ、聴取役を譲った。一瞬、驚いたようにこちらを見てきた篠田だったが、すぐに意図を理解したのか、祐衣へと向き直る。
元捜査一課の実力とやらを、見せてもらおう。
こほん、と咳払いをし、篠田が背筋を伸ばす。
「菅原さん、先ほど実和子さんのお父様が遺体で見つかったのではないか、とおっしゃいましたよね」
「はい」
「実はここに来る前、実和子さんのお母様にお会いしています」
祐衣は、驚いた様子は見せなかった。自分のところに刑事が来ているくらいなのだから、実和子の母には、すでに会っていてもおかしくないと思ったのだろう。
「そのとき、すでにお父様が亡くなられていることを聞きました。菅原さんは、そのことをご存知ではなかったですか? 実和子さんの口から、そのような話を聞いたとか……あるいは、村にいるご家族から、とか」
記憶を辿っているのか、しばらく祐衣は黙り込んでいた。藍は思わず口を出しそうになったが、静かに待つ篠田を見て、なんとか堪えた。
そして、一分ほど経ったときだった。
何かを思い出したかのように「あっ」と、祐衣が声を上げた。「聞きました」
「本当ですか」
「はい。えっと、いつだったかな……」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。まずは、誰から、どういった内容のことを聞いたのか、教えていただけますか」
「実和子からです。実和子から『お母さんがお父さんの失踪宣告届を出した』って、直接聞きました。……ごめんなさい、いつ聞いたのかはっきり覚えてはないんですけど」
肩をすくめ、申し訳なさそうに言う祐衣に、篠田は優しく首を横に振った。
「それだけの情報があれば、いつごろのことかはわかります」
「え、刑事さんがですか?」
「はい。失踪宣告には、普通失踪と特別失踪の二種類があります。特別失踪の場合、一年間で失踪宣告が認められるのに対し、普通失踪が効力を持つのは七年後」篠田が、テーブルの上で手を組む。「お子さんを出産されてから、実和子さんとはお会いになってないとおっしゃいましたね?」
「そうです」
「となると、七年前から二、三年前の間にその話を聞いた可能性が高いと思うのですが」
「七年前――あ、ちょっと待ってください」
スマホを取り出し、操作をし始める。
しばらくして、スマホの画面をこちらに見せてきた。実和子とのトーク画面のようだ。
【今日はいろいろ話してくれてありがとね】
祐衣の方から送られたそのメッセージに、実和子と思しき相手は簡易なグッドスタンプでトークを終わらせている。
「たしか、このときです。コロナの前でした。七年前の四月に、新大久保で」
トークの日付は祐衣の言うとおり、二〇一九年四月になっている。
「なるほど」篠田が、手帳を持ち直してペンを走らせた。「そのときの実和子さんのご様子は、覚えていらっしゃいますか?」
「うーん、どうだったかなぁ。そのときも『わたしは幸せになりたい』とか、そんなことを言ってた気がしますけど」
「そのときも?」
「あぁ、実和子の口癖みたいなもんです。十歳になったときくらいからですかね、ずっと。丘の上から村を見下ろしてるときとか、夕焼けを眺めてるときとか、エモーショナルな雰囲気になったときは、まるで月9の女優みたいに言ってました」
祐衣は、自分のことのように照れて笑った。
「でもそれ以上、どう幸せになるんだろうって。優しくて綺麗なお母さんに、頼もしくてみんなから愛されていたお父さんを持ってまで、どんな幸せを求めてたのか……わたしにはさっぱり」
はぁ、と息を吐くと、祐衣は何かを自分に言い聞かせるように、何度か小さく頷いた。
「実和子がどんな事件に巻き込まれたのかは知りませんけど、こーゆーときこそ支えなくちゃいけませんよね」
何も知らない祐衣は、決心したような濁りのない笑みを浮かべている。
もう、実和子はこの世にはいない。殺されたのだ。誰かに。
この事実をどう伝えるべきか――。
藍は、左手首の腕時計に視線を落とした。
「菅原さん、テレビを点けてもらえますか?」
「……? えぇ、構いませんけど」
時刻は、十一時を三分ほど過ぎたころだった。
祐衣によって点けられたテレビには、ニュース番組が流れた。
速報の文字とともに、険しい表情のアナウンサーが即席の原稿に目を落としている。
「――遺体で発見されたのは、この部屋に住む会社員の中井岳郎さんと、妻の実和子さん」
被害者の名前が読み上げられた途端、祐衣はおぼつかない足取りでテレビの前へと歩み寄っていった。
そして、その場で腰を抜かしたように蹲った。
「う、うそでしょ……そんなっ……」
手で口を押えたかと思えば、その背中はぶるぶると震えはじめた。
異変に気付いた篠田がいち早く動き、その横で片膝をつく。祐衣の肩を支え背中を摩る篠田を見て、藍はそっと視線を逸らした。
「事件の詳細については、現段階で我々からお伝えできることはありません。申し訳ありませんが、少々お付き合いください」
「ああ……そうなんですね」
篠田の言葉に、祐衣は少し残念そうに椅子の背もたれに寄りかかった。しかし、すぐに背筋を伸ばすと「わたしに答えられることなら」と、聴取に意欲的な姿勢を見せてきた。
早速、身分の確認から入る。
菅原祐衣、三十一歳。被害者夫婦と同い年だ。出身は徳島県白峯村。実和子とは幼馴染らしい。
「人口五〇〇人の小さな村でしたから。子どもは、そのうちの二割。同学年の子となると、十人もいるかいないかなので、必然的にみんなが顔見知りです。特に実和子とは、家が近いってこともあって仲良しでした」
「それで、村を出てからも頻繁に連絡を?」
藍の問いに、祐衣は頷いた。
「たまに会ったりもしてました。息子ができてからは会えてないので、かれこれ二、三年くらいは顔を合わせてません。最近は、電話やメッセージでのやり取りしか」
「菅原さんが村を出たきっかけは何だったんですか?」
「それはもちろん、大学進学のためです。県内にも一つ大学はありましたけど村からは遠かったし、せっかく一人暮らしするなら東京近辺がいいなぁ、って。両親には、大学なんて行かずに村の男に嫁げって言われましたけど」
「じゃあ、大学の費用とかはご自分で?」
「いやいや、さすがにそれは……なんとか説得して、出してもらいました。仕送りもしてもらって、結局は親の力借りないと生きていけないんだなぁ、って。刑事さんも、そう思ったことありません?」
急に投げかけられ、藍は返事に窮した。
「……菅原さん。年末は帰省はされましたか?」
「もう何年もしてませんね」
「ご両親との関係は、あまり良くない?」
「とんでもない。両親とは年に一度、必ず会うようにはしています。ただ、村の空気は息が詰まるから、毎回こっちに来てもらってるんです」
「なるほど。ちなみに、実和子さんもここ二年は帰省していなかったようです。菅原さんと同じような理由なんでしょうか……?」
うーん、と唸ると、祐衣は何やら躊躇っているのか、そっと視線を逸らした。そして、しばらく逡巡したのちに、ようやく口を開いた。
「実和子の場合は、村ってより家が嫌だったんじゃないかなぁ」
「家……? 家庭環境が悪かったんですか?」
「いやぁ、わたしの目にはそうは見えなかったですけどね。本人はかなり、コンプレックスがあったみたいです」
思わず、篠田と目を見合わせた。
家庭環境に何かしらのコンプレックスがあるのだとすれば、それはおそらく、すでに亡くなっているという父親にあることは間違いないだろう。
「……もしかして、実和子のお父さんのことですか?」
藍と篠田の反応を見て、祐衣はおそるおそるといった様子で問いかけた。
実和子の実父については、幸枝が詳細を伏せていた。祐衣が事情を知っていれば、この場で聞いておいた方が賢明だ。
「何か、思い当たることでも?」
「えっと……」祐衣が、藍と篠田を見比べる。「刑事さんたちが捜査してるのって、実和子のお父さんの……その、ご遺体が見つかった、とか……そういうことではなくて?」
慎重に言葉を選んでいるようだったが、言い切ったあとに「ごめんなさい。刑事ドラマの観過ぎですね」と恥ずかしそうに微笑んだ。
正直、そんなことはどうでもよかった。
遺体とは、いったい何のことだ。
「どういうことですか」
その問いに、祐衣は「知らなかったんですか?」と、目を丸くした。
「わたしたちが高三のときだったんで……もう十三、四年も前か。実和子のお父さん、急にいなくなっちゃって」
「いなくなった? 失踪、ってことですか」
「そうです。職場にも家族にも何も言わずに、急に姿を消しちゃったみたいで」
「……なんでそんな大事なこと」
舌を打ちたくなったが、何とか抑えた。しかし、たとえ事件に関係ないにしろ、このことを隠した幸枝に対しての憤りは湧くばかりだ。
「それ、いつの話です?」
幸枝に対する怒りを隠す様子もなく、投げるように問いかける。お世辞にもいいとは言えない若い女刑事の態度に困惑しつつも、祐衣は視線を宙に向けた。
「ええっと、たしか――二〇一二年の三月だったかと」
「実和子さん、そのときどんな感じでした? 悲しんでた、とか、逆に喜んでた、とか。幸枝さんでもいいですけど」
「どうだったかなぁ。小学校から高校まで村立の学校に通ってたから、ずっと一緒ではあったんですけど……たしかその頃にはもう卒業式が終わってたはずです。わたしも上京の準備でバタバタしてて、実和子のお父さんの話は人伝に聞いただけで」
小さい村というだけあって、噂が広まるのは一瞬だったという。
蒸発したらしい、だとか、借金取りに追われていた、だとか。憶測がさらに憶測を生み、本当の理由は誰もわからなかった。
「その話を聞いたとき、菅原さんはどう思いました?」
「どうって……」
「普段から、家族置いて逃げちゃいそうなくらい、無責任な人に見えましたか?」
藍の突っ込んだ質問に、祐衣はとんでもないと言わんばかりの表情で首を横に振った。
「役場で働いてたし、青年団のリーダーもやってたし、村民からの信頼は厚かったです。だからこそ、そのとき村は大騒ぎでした。そのあと、わたしはすぐ東京に出ちゃったので、それからの村の様子はよく知りません」
一呼吸置き、ただ、と祐衣が言葉を続ける。
「東京に出てすぐ、実和子も後を追うように上京してきました。大学には進学せずに村に残ると聞いてたので、もしかしたらお父さんのことが関係あるのかな、って思って」
「それで、理由を聞いた?」
「……聞けませんでした」
「どうして?」
「聞けませんよ。付き合いが長いと、意外とそういうもんですよ。刑事さん、まだお若いからわからないと思いますけど」
「若い若くないは関係ないと思いますけど」
祐衣の何気ない一言が癪に障ったのか、藍がすかさず言い返した。
空気が凝固する前に、篠田が話を引き取る。
「お気持ち、よくわかります。近いからこそ、踏み込めないことがある」
「ですよねぇ」
「ええ」
――なに意気投合してんの。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、自分のために助け舟を出してくれたことは明白だった。
鬱陶しいくらいに爽やかな表情を浮かべる篠田を横目に見ると、藍は乗り出してい身を背もたれにくっつけ、聴取役を譲った。一瞬、驚いたようにこちらを見てきた篠田だったが、すぐに意図を理解したのか、祐衣へと向き直る。
元捜査一課の実力とやらを、見せてもらおう。
こほん、と咳払いをし、篠田が背筋を伸ばす。
「菅原さん、先ほど実和子さんのお父様が遺体で見つかったのではないか、とおっしゃいましたよね」
「はい」
「実はここに来る前、実和子さんのお母様にお会いしています」
祐衣は、驚いた様子は見せなかった。自分のところに刑事が来ているくらいなのだから、実和子の母には、すでに会っていてもおかしくないと思ったのだろう。
「そのとき、すでにお父様が亡くなられていることを聞きました。菅原さんは、そのことをご存知ではなかったですか? 実和子さんの口から、そのような話を聞いたとか……あるいは、村にいるご家族から、とか」
記憶を辿っているのか、しばらく祐衣は黙り込んでいた。藍は思わず口を出しそうになったが、静かに待つ篠田を見て、なんとか堪えた。
そして、一分ほど経ったときだった。
何かを思い出したかのように「あっ」と、祐衣が声を上げた。「聞きました」
「本当ですか」
「はい。えっと、いつだったかな……」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。まずは、誰から、どういった内容のことを聞いたのか、教えていただけますか」
「実和子からです。実和子から『お母さんがお父さんの失踪宣告届を出した』って、直接聞きました。……ごめんなさい、いつ聞いたのかはっきり覚えてはないんですけど」
肩をすくめ、申し訳なさそうに言う祐衣に、篠田は優しく首を横に振った。
「それだけの情報があれば、いつごろのことかはわかります」
「え、刑事さんがですか?」
「はい。失踪宣告には、普通失踪と特別失踪の二種類があります。特別失踪の場合、一年間で失踪宣告が認められるのに対し、普通失踪が効力を持つのは七年後」篠田が、テーブルの上で手を組む。「お子さんを出産されてから、実和子さんとはお会いになってないとおっしゃいましたね?」
「そうです」
「となると、七年前から二、三年前の間にその話を聞いた可能性が高いと思うのですが」
「七年前――あ、ちょっと待ってください」
スマホを取り出し、操作をし始める。
しばらくして、スマホの画面をこちらに見せてきた。実和子とのトーク画面のようだ。
【今日はいろいろ話してくれてありがとね】
祐衣の方から送られたそのメッセージに、実和子と思しき相手は簡易なグッドスタンプでトークを終わらせている。
「たしか、このときです。コロナの前でした。七年前の四月に、新大久保で」
トークの日付は祐衣の言うとおり、二〇一九年四月になっている。
「なるほど」篠田が、手帳を持ち直してペンを走らせた。「そのときの実和子さんのご様子は、覚えていらっしゃいますか?」
「うーん、どうだったかなぁ。そのときも『わたしは幸せになりたい』とか、そんなことを言ってた気がしますけど」
「そのときも?」
「あぁ、実和子の口癖みたいなもんです。十歳になったときくらいからですかね、ずっと。丘の上から村を見下ろしてるときとか、夕焼けを眺めてるときとか、エモーショナルな雰囲気になったときは、まるで月9の女優みたいに言ってました」
祐衣は、自分のことのように照れて笑った。
「でもそれ以上、どう幸せになるんだろうって。優しくて綺麗なお母さんに、頼もしくてみんなから愛されていたお父さんを持ってまで、どんな幸せを求めてたのか……わたしにはさっぱり」
はぁ、と息を吐くと、祐衣は何かを自分に言い聞かせるように、何度か小さく頷いた。
「実和子がどんな事件に巻き込まれたのかは知りませんけど、こーゆーときこそ支えなくちゃいけませんよね」
何も知らない祐衣は、決心したような濁りのない笑みを浮かべている。
もう、実和子はこの世にはいない。殺されたのだ。誰かに。
この事実をどう伝えるべきか――。
藍は、左手首の腕時計に視線を落とした。
「菅原さん、テレビを点けてもらえますか?」
「……? えぇ、構いませんけど」
時刻は、十一時を三分ほど過ぎたころだった。
祐衣によって点けられたテレビには、ニュース番組が流れた。
速報の文字とともに、険しい表情のアナウンサーが即席の原稿に目を落としている。
「――遺体で発見されたのは、この部屋に住む会社員の中井岳郎さんと、妻の実和子さん」
被害者の名前が読み上げられた途端、祐衣はおぼつかない足取りでテレビの前へと歩み寄っていった。
そして、その場で腰を抜かしたように蹲った。
「う、うそでしょ……そんなっ……」
手で口を押えたかと思えば、その背中はぶるぶると震えはじめた。
異変に気付いた篠田がいち早く動き、その横で片膝をつく。祐衣の肩を支え背中を摩る篠田を見て、藍はそっと視線を逸らした。


